第14話
購買部近くの自動販売機の前まで来て、僕はようやく千鳥さんの手を離した。
突然連れ出された彼女はしばらくきょとんとした顔を僕に向けていたが、やがてすぐそばにあった自動販売機へと目を向けた。
「わっ! なにこれー! 高校って自動販売機まであるの!?」
相変わらず、彼女の興味はあっという間に過ぎてゆく季節のように移り気だ。
「それで……転校って、どういうことなの?」
僕は、なるべく声を押さえて千鳥さんを問いただす。
自動販売機を物珍しげな顔をして見つめていた千鳥さんが、まるでダンスでも踊るように華麗なターンを決め、僕を見た。
「そのままの意味だよ? 学校に通ってみたくなったから転校してきたの。ね、見てみてこの制服! どう? 似合う?」
千鳥さんは無邪気にセーラー服のスカートの裾を掴んで、やはり華麗なターンを決めてみせる。
「えっ? えっと……」
セーラー服の彼女は、たしかに可愛らしいとは思うけれど。
「いやいや、そんなことより君、病院に入院してるんじゃなかったの?」
「うん! してるよ。でも先生に相談したら、半日で帰ってくるなら行っていいって! その代わり、検査はきっちりやるって約束しちゃったんだけどね」
「半日だけ? じゃあ、君はこれから毎日半日だけ登校するってこと?」
「うん、そう!」
「なんでまた……」
彼女に許可を出した先生とやらも、いったいなにを考えているのか。
退院したならまだしも、彼女はまだ入院中。
入院患者に通学を許可する病院なんて、聞いたことがない。
結賀大学附属病院は、地元でもかなり有名な病院だったはずだ。
未成年の入院患者に対して無責任なことを言うようには思えない。そもそも病院には、長期入院している未成年患者のための学校があると聞いたことがある。
「君が入院してるその病院には、院内学級とかないの?」
「あるけど……それじゃダメなんだもん」
「ダメってなにが?」
訊ねた途端、千鳥さんの表情に翳りが見えた。
しまった、と思う。デリケートな部分に触れてしまったかもしれない。
千鳥さんは手と手を擦り合わせて、少し緊張気味に言った。
「だって、院内学級じゃ君がいないでしょ」
「……え、僕?」
返ってきた彼女の答えは、いささか予想外なものだった。
僕は戸惑いながら彼女を見る。彼女の青みがかった瞳は、いつ見ても不思議な魅力がある。
「君がいない学校じゃダメ。君と同じ学校に通ってみたかったの」
「僕と……どうして?」
「言ったでしょ? 君が学校で悪く言われるなら、私が否定してあげるって」
ハッとする。
たしかに、言われた。いや、だけど。
「まさか、あれ本気で言ってたの!?」
「まさか君、うそだと思ってたの? ひどーい」
「いや、うそっていうか、単なる励ましの言葉だとばかり……」
あのときの言葉は、本心ではあっても、本気ではない。ふつうはそう思う。
まさか本当に本気で転校してくるだなんて……。
「まぁなんていうか? セイシュン、ってやつをさ、君とならできる気がしたの!」
「青春って……」
「一度くらい経験してみたかったんだもん、女子高生」
「……もしかして君、学校初めてなの?」
「うん!」
彼女は無邪気に頷いた。
「……そう、だったんだ……」
なんだか申し訳なくなって、僕はそれ以上の追求をためらう。
もし病院に黙って来ているのなら、今すぐ帰したほうがいい。だけど、これ以上部外者がとやかく言うのはあまり彼女のためにはならない気がする。
だから、
「あのさ、ひとつだけ確認させて。病院には、ちゃんと連絡してるんだよね?」
「うん、それは大丈夫。ちゃんと先生の許可はもらってきてるから。制服とかもぜんぶ先生が用意してくれたんだよ!」
じっと彼女の目を見つめる。うそをついているようには見えない。
「……もしかして、迷惑だった?」
黙り込んでいると、千鳥さんが不安そうに僕の顔を覗き込んできた。
「……え……いや」
そんなことはない。嬉しい。
……だけど、なぜ彼女がここまでしてくれるのか分からない、という本音はある。
僕は、彼女にそこまでしてもらえるほどの人間じゃない。
「あ、あのね、そうは言っても、君のためだけじゃないよ! 君のためっていうか、君のためのふりを装ったじぶんのためって感じだから!」
千鳥さんは、少し慌てたような口調だった。
「ど……どういうこと?」
「本音を言うと、私、君に会うまで学校に行くのは無理って諦めてたのね。でも私、君に言ったじゃない? 『汐風くんの悪いところは、勝手に自己完結しちゃうところだと思うよ』って。言ってから気付いちゃったんだ。それ、私もだなって」
「君も?」
「うん。汐風くんみたいに学校に行くのも同い歳の友だちを作るのも、私には無理、できっこないって最初から諦めてた」
それにさ、と千鳥さんは僕を見る。
「諦めるってことは、逆を言えばそれがやりたいことなわけでしょ?」
言われてみればそうだ。
僕は、凪と仲直りするのは無理だと諦めていた。だけど、諦めていたということは、僕は心のどこかで、凪と仲直りしたかった、ということなのではないだろうか。じぶんでも知らなかった本心に気付き、ハッとする。
「今自分がやりたいって思ってることを、生い立ちとか過去のトラウマとかに邪魔されるのって、なんかいやじゃない?」
千鳥さんはそう言うと、歯を見せて笑った。その笑顔はあまりにも眩しくて、なぜか目の奥が刺激されたみたいにじんわりと熱くなった。
「……うん、そうだね」
たぶん、嬉しかったのだ。
――私もだなって。
その、ひとことが。
千鳥さんにつられて、僕も小さく笑みを漏らす。
悩んでいるのは、僕だけじゃない。分かったのはたったそれだけのことなのに、ずいぶんと僕の心は軽くなったようだった。




