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レプリカは、まだ見ぬ春に恋を知る。  作者: 朱宮あめ


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第10話


 その日の夜。

 僕はスマホのメッセージアプリを開き、かつて怪我を負わせてしまった親友のアカウントとにらめっこをしていた。

 メッセージ画面は、まっさらだ。

 もともとお互い欲しくて交換したわけでなく、中学進学時に連絡網として学校側に強制的に交換させられたものだったからだ。結局、一度も起動しないまま卒業したが、今でも消すことができずにいた。

『――後悔してるなら、謝ったらいいんだよ』

 昼間の彼女の言葉に押されるように、指先がかすかに画面に触れる。感度のいい僕のスマホは、憎たらしいことに僕の指を検知した。

「あっ……」

 画面が発信中に切り替わり、心臓が暴れ出す。

 パニックになり、バツ印を押そうとしたとき。

『――汐風くんの悪いところは、勝手に自己完結しちゃうところだと思うよ!』

 もう一度千鳥さんの声が聞こえて、思いとどまる。

 そっと耳元にスマホを持っていく。しばらく発信音が響いて、そして、音がプツッと切れた。

『もしもし?』

「あ……」

 久しぶりの親友の声に、それまで考えていた言葉がすべて吹っ飛んで、頭が真っ白になった。

「あ、あの、錦野……だけど」

 とりあえず名乗ってから、僕は深呼吸をして、乱れていた呼吸を整える。

『あぁ……うん。どうしたの、いきなり電話なんて』

 スマホの向こうからも、僕と同じ戸惑うような声が返ってきた。

 勢いで電話をしてしまったけれど、どうしよう。とにかく、なにか話さなければ。

「あぁ、うん……あの、どうしてるかなって」

 言葉につまって、最終的にざっくりとした問いを投げてしまう。考えてみれば、同級生と会話をするのなんていつぶりだろう。

『高校?』

「う、うん」

 相手を前にしているわけでもないのに、どうしてか態度がぎこちなくなってしまう。電話ってこんなに難しかったっけと思う。

『楽しいよ。しおは? 県外に行ったって、噂で聞いたけど』

「うん。栃木」

『……そっか。遠いな』

 楽しいか、とは聞かれなかった。

『ひとり暮らししてんの?』

「あ……いや、今は蝶々さ……えっと、叔母の家に居候(いそうろう)してる」

『そうなんだ……』

 頭のなかにはいろんな感情があふれていて、言いたいことはなにひとつまとまっていない。

 僕は頭のうしろあたりを掻きながら、言葉を探して黙り込んだ。

 どれくらい経っただろう。遠くからカチカチと時計の音が耳に入ってきて、僕はようやく口を開く。

「あのさ、今さらなんだけど……その……手、大丈夫?」

『あぁ……』

 その言葉だけで、親友は僕がなにを言いたいのか分かったようだった。

『いや、うん。ぜんぜん』

「……あのさ……ごめん。その、前に怪我させたこと、ずっと謝れてなくて……」

 しどろもどろになりながらも、僕は続ける。

「今さら謝ったって、遅過ぎることは分かってる。許してほしいなんて思ってない。ただ……」

『違うよ』

 しんとした声が返ってきて、僕は続けようとしていた言葉を呑み込んだ。

『謝るのは、俺のほう。俺こそずっと謝りたいって思ってた』

 返ってきた予想外の言葉に、僕は戸惑う。

「……なんで、(なぎ)が」

 久しぶりに呼ぶ親友の名前は、なんだか変な感じがした。

『だって、悪いのは俺だろ』

 凪が静かな声で話し出す。

『あの事故のときさ、俺、しおに嫉妬してたんだ。しお、結構女子から人気があったから。あの頃好きだった子が、どうやらお前のことを好きらしいって聞いて……俺、悔しくてさ。お前が他に好きな子がいるって噂になれば、諦めてくれるかなって思って……あんな大事になるなんて思ってなかったんだ。本当に、バカだった。……ごめん』

 それは、当時も聞いた話だった。

 当時凪が好きだった女子が僕に気があるとかなんとか。実際、それが事実かどうかは知らないけれど、凪はそれを本気にしたのだ。

 そして、僕に好きな子がいるという噂を流した。相手は、もともと噂になっていた子とはべつの女子――しかも、派手めなグループの女子を名指しで。

 当事者である僕は噂になったその子に欠片の興味もなかったから、無視していた。否定も肯定もせずに。しかし、それが余計、相手の彼氏には不快に映ったらしい。

 そして僕は、彼らからいじめの対象と認識された。

 今思い返してみても、あのときどうするべきだったのか、答えは分からない。

 あのときはっきり否定していたとしても、きっといじめられていただろう。槍玉に上がった時点で、僕に逃げ道はなかった。そう思う。

『……辛かったよな』

 凪のそのひとことがトリガーとなった。

 ぱきっと音がした気がした。固く閉ざされていたはずの心の器が割れた音だ。抑えていた心が、決壊し始めた。

「……うん。ずっと強がってたけど、当時は結構辛かった。噂が広まって、相手の彼氏からいやがらせを受けたことより、凪にずっときらわれてたんだってことのほうが、ショックで」

『きらってなんかない。それは本当だよ。ただ……その、あの頃俺、ガキだったから。出来心みたいなやつだったんだと思う』

 凪は振り絞るように呟いた。

『……本当に、バカなことした。ごめん』

 あの頃の傷が疼き出す。

 苦しい。虚しい。いろんな感情が胸にあふれてゆく。ひとと向き合うっていうのは、こんなに辛いものなのか。思わず胸を押さえて、奥歯を噛み締めた。

『それからさ……もうひとつ、謝りたいことがあったんだ』

「……なに?」

『中学でさ、からかわれてた俺を、しお、助けてくれただろ。俺たちすっかり疎遠になってたのにさ。だけどそのあと俺を助けたせいで標的がしおに変わっちゃって……俺、孤立していくしおを助けられなかった。……いや、助けなかったんだ。またいじめられるかもって思ったら、怖くて』

「……うん」

 分かっている。凪を責めることはできない。

 僕だってもし凪と同じ立場だったら、きっと見て見ぬふりをしてしまうだろう。じぶんの身を危険に晒してまで、他人を助けることを選べないと、そう思うから。

『俺、ずっと後悔してた。あのとき庇ってくれてありがとうって、それなのに守れなくてごめんって、ずっと言いたかった。……けど、いざ声をかけようと思ったら、周りの目とかいろいろ考えちゃって……話すのが怖くなって、結局なにも言えないまま卒業して……あとから、お前が県外の高校に言ったって聞いて、また自己嫌悪。……俺は、後悔ばっかだな』

 凪の口からこぼれた後悔という言葉に、僕の身体のどこかが、なにかが大きく反応した。

 ――初めて知った。

 後悔していたのは、苦しかったのは、僕だけじゃなかったのだ。

『あのときちゃんと向き合ってたら、今もまだしおと友だちでいられたのかなって、ずっと思ってたんだ』

 後悔していた。凪も。僕と同じように。

『……しおが連絡くれなかったら俺、ずっともやもやを引きずったままだったと思う。正直、もう連絡なんて来ないと思ってたし』

 僕だって、そうだ。

『だから、連絡くれてありがとな』

「……うん」

『それから、俺のこと覚えててくれてありがとう』

 ありがとう、なんて、今まで何度も聞いたことのある言葉。それなのに、こんなに胸に沁みるのはなんでだろう。こんなに目頭が熱くなるのはなんでだろう。

「……凪も、僕の連絡先残しておいてくれてありがとう。正直、出てくれないと思ってたからさ。凪の声が聞こえたときびっくりしちゃって……」

『なに言ってんだよ! 消すわけないだろ』

 天井を振り仰ぐ。

「……うんっ……」

 目を大きく開いていないと、涙が落ちてしまいそうで。

『……ねぇ、なんで連絡くれたの? 今さらになってって言いかたは悪いけど……なんかあったんだろ? きっかけが』

 言われて考える。

 凪の問いで脳裏を過ぎるのは、彼女しかいない。

「……こっちで出会った子に言われたんだ。後悔してるなら謝れって。後悔は、生きてるからこそだって。謝って過去がなくなるわけじゃないけど、少しはすっきりするかもしれないって。たぶん、そう言われなかったら僕も連絡なんてできなかったと思う」

 彼女に出会わなかったら、彼女と話をしなかったら、ぜったいに僕のなかからは出てこない言葉たちだった。

『へぇーいい子だな、その子』

「……まぁ、ちょっと変わってるけどね」

 彼女の無邪気な姿を思い出して、自然と笑みがこぼれる。

『あ、もしかして彼女か?』

「え!? ち、違うよ!」

 予想外の指摘をされ慌てて否定すると、スマホの向こうで凪が笑う。

『なんだ、残念。……でも好きなんだな。その子のこと』

「なんでそーなんの……」

 にやつく凪の顔がありありと脳内に浮かび、げんなりする。

『だってアドバイスされたってことは、じぶんのことその子に話したってことだろ?』

「……それは、まぁ」

『それだけ、心を許してるってことじゃん? しおがじぶんのこと話すなんて』

 出会ったばかりの異性にあんな話をしたなんて、今考えても信じられないけれど。事実なのだから否定のしようがない。

『しおも変わったんだな』

「…………そんなことは」

 ない、と否定したいが、うまく言葉が出てこなかった。

『なぁ、しお』

「なに?」

『今度、帰ってきたら連絡してよ。遊ぼーぜ』

「……うん」

 帰ったら、か……。

 つい数週間前、この街に来たとき僕は、もう二度と神奈川へ帰るつもりはなかった。あそこには、いやな思い出がいっぱいあるから。

 でも、今は。

 ちょっとだけ、楽しかった思い出を思い出せる気がした。

 しばらく話すうちに、僕たちはいつの間にか、親友だった頃のように笑い合っていた。

 通話を切り、ベッドに身を投げ出す。

 静寂が戻った部屋のなか、僕はふぅ、と息を吐きながら胸を押さえた。

 心臓のあたりが、なんだか日向でうたた寝しているときのようにあたたかい。僕はそんな気分のまま、静かに目を瞑った。


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