第七夜
二年ほど使っていたスマートフォンが、ついに限界を迎えた。
充電が一日持たず、アプリも重く、画面には細かい傷が増えていた。
仕事でもプライベートでも手放せないものだから、思い切って最新機種に買い替えることにした。
店頭で手にしたそれは、薄く、軽く、滑らかで、未来を小さく握りしめているようだった。
カメラ性能の向上や処理速度の速さを売りにしていたが、最も推されていたのは「顔認証」だった。
マスク越しでも、寝起きでも、横顔でも——私を一瞬で識別する。
パスコードを打つ必要もなく、画面を見ればすぐにロックが解ける。
たしかに便利だった。
自分の顔が、日々の動作を保証してくれる鍵になるのは、不思議な安心感があった。
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最初の違和感は、ごく小さなものだった。
夜、ベッドに寝転んでSNSを見ていたとき。
画面の上に映る小さなインカメラのプレビューに、妙な引っかかりを覚えた。
輪郭が、わずかに細い気がする。
頬骨の位置が、自分よりも少し高いように見える。
けれど、顔認証はいつも通り機能した。
「認証しました」
その表示は揺らぎもなく、私が私であることを保証していた。
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二度目は休日の昼。
自撮りをしたときだった。
写真の中の自分が、笑っていなかった。
いや、厳密には笑っているのだが、口角の上がり方が左右非対称で、どこか知らない人の顔に見えた。
「俺、こんな顔だったか?」
鏡を覗き込む。
そこには、見慣れた自分がいる。
だが画面の中の「私」は、鏡とは一致しなかった。
友人に送って確認してみた。
「普通だよ。何が変なの?」
返ってきたのは、笑い混じりの言葉だけだった。
彼には、何の違和感も見えなかったらしい。
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その日を境に、画面の中の私の顔は少しずつ変わっていった。
頬が痩せ、顎が尖り、眉の形が違う。
ある日は、目の下に深いクマが刻まれていた。
別の日は、口元に見覚えのないほくろが浮かんでいた。
それでもスマホはためらわず「認証しました」と告げる。
アルバムを見返すと、さらにおかしなことに気づいた。
旅行先で撮ったはずの写真の中に、記憶にない自分が映っている。
確かにその場にいたはずなのに、そこにいるのは見知らぬ顔だった。
スクロールを続けるごとに、私の記録は別人にすり替えられていった。
幼い頃の写真までが、知らない子供の顔に差し替わっている。
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やがて、私の顔は一枚も残らなくなった。
アルバムに並ぶのは、見たこともない無数の顔だった。
老若男女、国籍も様々で、共通点は何一つない。
だが、それらはすべて「私」として整理されていた。
スマホを起動するたび、カメラはその中の誰かを映し出す。
あるときは知らない中年男性、あるときは小学生の少女。
それでも画面には変わらず——
「認証しました」
の表示が浮かんだ。
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最後に試したのは、暗い部屋でのことだった。
鏡を片手に持ち、もう片方でスマホを構える。
鏡の中の私は、確かに私だった。
けれど画面の中には、別の顔が映っていた。
その顔が、こちらを見て微笑んだ。
——その瞬間、スマホの画面に文字が浮かんだ。
「本人ではありません」
画面に映っていた顔が、私と重なって消えた。
残されたのは、知らない誰かの笑顔だけだった。




