第十夜
引越しの荷ほどきが一段落した夜だった。
安アパートだが、都心にしては家賃が手頃で、駅からも近い。
新しい生活のスタートに浮き立つ気持ちがあった。
設置したばかりのスマートスピーカーが、壁際で青く光っていた。
天気を尋ねれば答えてくれるし、音楽も流してくれる。
一人暮らしの寂しさを少しだけ紛らわせてくれる、便利な機械だと思っていた。
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ある夜、眠りに落ちる直前。
机の上のスピーカーがひとりでに光った。
「最悪の接客でした。二度といきません」
低い機械の声が、ぽん、と部屋に落ちた。
私は思わず目を開けたが、眠気のせいで深くは考えなかった。
誰かがネットに書いた感想でも読み上げているのだろう、と。
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次の夜も同じだった。
「ありえませんでした。最悪」
無機質な声が突如として暗闇に溶けた。
レビューサイトの文言を集めている性格の悪いスピーカーだと思い、私は苦笑した。
その次の夜――声の調子が少し違っていた。
今までの機械的な響きに、妙な重みが混じっていた。
「〇〇軒は汚くて、店主の山〇は客を舐めている。ゴキブリが出るのに平気な顔。最悪の店です」
......息が止まった。
二年前、私が匿名アカウントで書いたレビューだった。
事実を誇張し、怒りに任せて書いた悪口。
のちに閉店したと聞いたときも、ざまあみろ、と私は気にも留めなかった。
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スピーカーは夜が更けるたび、まるで義務のように新しいレビューを読み上げた。
最初は店の名前だけだったのが、次第に私の生活圏へと近づいてくる。
「三丁目のクリーニング店、服を畳むのが雑すぎる。二度と使わない」
「隣の部屋の女、夜中に電話ばかりしてうるさい。管理会社は何をしているんだ」
「会社の田村、口臭いくせに偉そうにしてる」
それは全部、私が深夜の衝動でSNSに書き散らした言葉だった。
匿名の陰に隠れ、悪意を娯楽のように投げていた自覚が、耳の奥をじわじわと焼いていった。
最初は怪訝さだった。
それは次第に恐怖へ変わり、そして気づけば——なぜか苛立ちに似た感覚が芽生えていた。
自分の言葉なのに、他人に読み上げられることへの居心地の悪さからなのか、
あるいは、過去の自分に追いつかれていくような焦りからなのか......。
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ある晩、スピーカーの声が変わった。
「あなたが書いたコメントのせいで、私の人生は終わった」
声は、私自身の声だった。
電気が一斉に消え、部屋が闇に沈んだ。
青いランプだけがぼんやりと光り続ける。
「――引越し業者。態度が最悪で二度と使わない。
このアパートもやめた方がいい。前の住人の女が……」
言葉はそこで途切れた。
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真っ暗な中、スピーカーが最後に一言だけ囁いた。
「最後の評価をお願いします」
その瞬間、部屋のすべてが沈黙した。




