第3話 封印の解放
夜明け前、紫苑は机に身を伏せていた。
眼前のノートパソコンには、匿名掲示板から拡散された一本の動画が映し出されている。
フードを深く被った男が、暗い祭壇の前に立ち、低い声で語りかける。
《七つの封印はすでに解かれつつある。これは始まりにすぎない》
その横には、日野と、そして見覚えのある少年少女たちの姿があった。
彼らは至極穏やかに微笑んでいる。まるで天使かのように光を帯び、見る者を安心させる雰囲気をまとって。
日野は前に出て、カメラをまっすぐに見据えた。
「みなさん心配しないでください。私たちは一番安全なところにいます。これから何が起こっても、どうか最後まで希望を捨てないで。最後に残るのは、信仰と希望、そして愛です」
その声は柔らかく、力強く、紫苑の胸に深く届いた。
「……信、仰……?」
紫苑は息を呑み、画面に手を伸ばした。
これは宇宙人のアブダクションではなく、いよいよ新興宗教の事件に巻き込まれた可能性が濃厚か。
一刻も早く白石に知らせなければと我に返った時には、画面がブラックアウトしていた。
動画はすぐに削除されたが、その影響は大きかった。
ネットでは「預言者」と名乗る人物の正体について憶測が飛び交い、動画に映る人々は「選ばれし者」だという説が広がった。
「彼らは人類を導く存在として宇宙ユニオンに召集されたのだ」という書き込みもあった。
一方、テレビは相変わらず次世代型万能ワクチン「ルミナス」を賛美していた。
街頭の大型ビジョンには、芸能人やアスリートが笑顔で接種を呼びかける映像が繰り返し流れる。
《ルミナスは未来を照らす光です》
スローガンはすでに国民の口癖になっていた。
コンビニや銀行ではルミナス搭載チップを利用した決済が始まり、「便利」「安全」と歓迎する声が大半を占めていた。
紫苑と白石は、その光景を複雑な思いで眺めていた。
「完全に“成功”してるな、プロパガンダが」
白石は苦々しげに吐き捨てた。
「うちの署ですら、ルミナスを接種した職員が得意げにチップ決済してる。疑う奴は、もう少数派だ」
紫苑は黙っていたが、胸の奥に冷たいものが広がっていた。
その夜、再び異変が起きた。
激しい揺れで目を覚ました紫苑は、窓の外に広がる光景を息を呑んで見つめた。
不気味な赤い光が地平線の向こうから立ち昇り、赤黒い太陽が顔を覗かせている異様な光景。
「……これは第六の封印の始り…なのか…?」
彼の脳裏に、日野のノートの文字が蘇った。
“第六の封印が解かれると、大地は震え、太陽は黒く、月は血のように赤くなった”
揺れが収まった後、テレビは「未曾有の地震」と報じていた。
だが紫苑は、偶然の天災とは思えなかった。
翌日、白石が駆け込んできた。
「田宮、これを見ろ」
差し出されたスマートフォンの画面には、再び“預言者”の映像が流れていた。
フードを被った男が、穏やかに微笑む若者たちを背に語りかける。
《空は巻物のように巻かれ、この世の秩序は終わるだろう。だが恐れることはない。光に選ばれた者たちは、残された人々レムナントを導く》
その群衆の中に、白石は目を凝らしていた。
「……妹だ。真理が映ってる」
震える声で呟いた。
紫苑は画面に釘付けになった。白石の妹、日野真理は静かな笑みを浮かべ、まるで誰かを励ますように手を差し伸べていた。
「黙示録は、未来を“予言”しているのか……それとも、誰かが“演出”しているのか」
紫苑は思わず口にした。
白石は深く息を吐いた。
「どちらにせよ、俺たちはもう黙って見ているわけにはいきかない」
二人の目に宿る決意は、同じ色をしていた。
その背後で、街のスピーカーから政府広報が流れる。
《ルミナスの接種があなたと家族を守ります。すべての国民に光を──》
皮肉にも、柔らかな声の響きが、黙示録の不気味なラッパのように聞こえた。