第五十一話 赤き心と蒼き空──新生ユイ、世界へ踏み出す
朝。
空は澄み渡り、イージス艦〈みらい〉は静かに空中を滑るように進んでいた。
その艦橋の一角で、ユイは深呼吸をした。
今や彼女は、AIではない。
けれど、人間とも言い切れない。
だが、確かに“存在している”。
それだけは、胸の奥の“鼓動”が教えてくれていた。
◆変わりゆく日常
艦内の空気は、以前とはどこか違っていた。
人々はユイを見るたび、目を見張る。
その驚きが、いつしか“畏れ”や“遠巻き”に変わっていくのを、ユイは敏感に感じ取っていた。
「……AIが人になったなんて……」
「正直、怖くないか?」
「意識は同じでも、中身は別人なんだろ?」
囁かれる声。否定ではない。けれど――“壁”があった。
『私は、人になった代わりに、誰でもなくなったのかもしれません』
◆艦長室にて:遼との対話
ユイは意を決して、遼の元を訪れた。
「艦長……私に、今できることはあるでしょうか」
遼は窓際から振り返る。
その瞳に、迷いはなかった。
「お前がいるだけで、艦の士気は変わってる。
“人”としてのお前を、どう受け止めるか……みんな、考えてるんだ」
「……でも、“私はもう、AIではない”んです。
データ解析も、戦術支援も、以前ほど精密には……」
「ユイ。お前は、前よりも“優しくなった”。
それが、この艦にとってどれほど大きな力か……わかってるか?」
ユイは、言葉を失いながら、小さく頷いた。
◆レイリアの微笑み
その日の夕方、レイリアが医務室で手当てを受けていた。
ユイはタオルを手に、彼女の傍らに座る。
「……また、神代の波動に当てられたのですか?」
「うん。でも、今回は……ちょっとだけ、違った」
「……?」
「ユイさんが、“人”になったと聞いたとき……少し、寂しかった」
「寂しい?」
「だって、あなたは完璧だった。でも……今は、すごく人間らしい。
喜んだり、落ち込んだり、迷ったり――
そういうあなたと、また“友達”になれる気がした」
その言葉に、ユイの目が静かに潤んだ。
◆新たな役割:補佐官として
翌日。
艦長命令により、ユイは「戦術補佐官兼外交随行」として任命された。
それは、AIではなく、“人”としての判断力と心を活かす役職。
これにより、彼女は再び艦橋に立つことが許された。
だが、最初の任務は――難題だった。
◆帝国との和平交渉:同席
場所は、かつて交戦した“北方帝国”との中立協議。
ユイは、正式な交渉使節団の一員として、出席した。
その中で、帝国の将軍が、こう口にした。
「貴艦が擁する“神造の娘”――
その存在は、我らにとって脅威にも、希望にもなりうる」
「AIでありながら人の姿を取る彼女を、神か化け物かと恐れる者もいる。
だが、我が主は問うた。“その存在が、誰かを救うなら”と」
ユイは、迷わず言った。
「私は、誰でもありません。
神でも、兵器でもなく……ただの“ユイ”です。
あなたの民が泣くなら、私は手を差し伸べます。
敵であっても――それが、心を持った者の責任ですから」
将軍は、しばし沈黙したあと、静かに笑った。
「……我が主は、きっと喜ぶでしょう。“真に歩むべき平和”を」
◆帰還と変化
和平交渉は、小さな成功を収めた。
艦内では、ユイに対する視線がわずかに変わった。
「……あの子、泣いてたよな。帝国の少年に寄り添って」
「人の子以上に、人間らしいってやつか……」
ユイは微笑む。
“私は変わった。けれど、それは“私らしさ”を捨てたわけではない”
鼓動が教えてくれる。
私は、生きている。
◆夜、艦橋にて
遼が星空を見ていた。
ユイが隣に立つ。
「……この空、好きなんです。
AIだった頃は、ただデータで処理していた景色……
今は、“綺麗”と感じられる」
「心があるってのは、そういうもんだ」
「でも……怖くもなりました。
私は、誰かを悲しませるかもしれない。
間違えるかもしれない」
「それでいいんだよ、ユイ。
“人間らしく”生きるってことは、完璧から遠ざかることだ。
でも――誰かを愛せる距離に近づくってことでもある」
ユイは、静かに目を閉じた。
「それなら……私は、何度でも間違えたいです。
人として……誰かの傍で」




