第五話 鋼鉄の城と蒼き巫女
夜が訪れた。二つの太陽は沈み、代わりに無数の星々が紺碧の夜空を埋め尽くしている。
その星の海を背景に、イージス艦「みらい」が静かに浮かんでいた。
複合艇が着艦デッキに接岸すると、AIユイの冷静な声が響く。
『艦長、複合艇ドッキング確認。艦内気圧・気温、全て正常です』
「了解」
遼は艇から降り、レイリアに手を差し伸べた。彼女は躊躇いがちにその手を取り、ゆっくりとデッキへと足を踏み入れる。
「……ここが……?」
視界に広がるのは、硬質な金属で造られた廊下と無数の照明灯。そして、静かに響く機械音。
初めて見る鉄と電子の世界に、レイリアは言葉を失った。
「ここが……俺たちの船、『みらい』だ」
「みらい……?」
彼女は呟き、その響きを確かめるように繰り返した。
「……未来……」
「そうだ。この艦は、未来を切り拓くための艦だ」
遼は微笑み、歩き出した。レイリアは慌ててその後を追う。
◆CICへの道
艦内を進む二人。無機質な廊下を、蛍光灯の白い光が照らす。
「ここには、何百人もの仲間がいた。でも……」
遼は言葉を切り、短く息を吐いた。
「今は……俺一人だ。いや、もう一人いる」
「もう一人……?」
その時、通路の奥に淡い光が灯り、女性の姿が現れた。
黒髪を肩まで伸ばし、紺碧の瞳を湛えた端整な顔立ち。海上自衛隊の制服を模した淡青の衣装を纏い、無機質でありながらどこか神秘的な存在感を放っていた。
『艦長。お帰りなさい』
「ただいま、ユイ」
ユイ──統合管制AIは、ゆっくりとレイリアに視線を移した。
『この方が……』
「ああ。レイリアさんだ。この村の神官さんで、俺たちの最初の協力者になる」
レイリアは硬直していた。目の前に現れた女性が、明らかに生身の人間ではないことに気づいている。
「あなたは……人ではない……? それとも……精霊……?」
ユイはわずかに微笑み、首を横に振った。
『私はAI。人ではなく、艦の管理を行う知性体です』
「AI……?」
言葉の意味が理解できないレイリアに、遼が補足する。
「この艦の頭脳だよ。彼女がいるからこそ、この艦は動くんだ」
レイリアは恐る恐るユイに手を伸ばした。しかし、その指先は何もない空間をすり抜ける。
『私は実体を持たない映像体です。ですが、こうして会話や情報提供は可能です』
「……すごい……神の声みたい……」
小さく呟くレイリア。ユイはその言葉に反応することなく、淡々と報告を続けた。
『艦長、航行状況に変化はありません。周辺海域に魔獣反応はなく、天候も安定しています』
「了解。CICへ案内してくれ」
『承知しました』
◆CIC(戦闘情報中枢)
自動ドアが開き、二人が足を踏み入れると、眼前に広がったのは無数のディスプレイと制御パネルに囲まれた巨大な作戦司令室だった。
大型モニターには海域全体の三次元マップが映し出され、周辺の魔獣分布、気象データ、潮流解析情報などが常時更新されている。
「……これは……」
レイリアは圧倒され、言葉を失っていた。
「ここが、この艦の頭脳だ。戦術情報、艦の状態、武装管制、全部ここで統括してる」
遼が説明すると、ユイの映像がモニター中央に投影される。
『艦長。先ほどの海岸線北東部、魔獣反応に変化あり。大型個体が浅瀬付近に接近しています』
「映像を」
モニターに切り替わったカメラ映像には、夜間モードで捉えた巨大な影が映っていた。体長は30メートル以上、魚竜とワニを混ぜ合わせたような異形。背中からは複数の赤黒いヒレが伸び、海面を波立たせながら進んでいる。
「……これが……魔獣……」
レイリアが青ざめ、膝をつきそうになる。遼は彼女の肩を支えた。
「大丈夫だ。この艦がいる限り、奴らには指一本触れさせない」
震える彼女を落ち着かせるように、遼は静かに語りかける。
『艦長、迎撃態勢は整っています。指示を』
「いや……攻撃はするな」
『……理由を』
「まずは奴らの行動パターンと耐久性を知りたい。安易に攻撃すれば、無駄弾になる可能性がある。追尾だけ続けてくれ」
『了解しました。追尾モードを継続します』
◆レイリアの想い
遼はCIC中央の指揮席に座り、肩越しにレイリアを見た。
「レイリアさん」
「……はい」
「君たちはずっと、あんな奴らに怯えて生きてきたんだな」
彼女は俯き、小さく頷いた。
「……私たちは……何もできませんでした。海は神の領域で、私たちはただ与えられるものを受け取るだけ。魔獣が現れてからは、神官として祈ることしかできなかった……」
その声には、神官としての無力さに苛まれる苦しみが滲んでいた。
「でも……こうして……あなたのような方が現れて……私……」
震える声で彼女は続ける。
「私……この世界に生まれた意味が……少しだけわかった気がします」
遼は静かに目を細めた。
「俺だって同じだよ」
「え……?」
「自衛官として海を守ってきたけど、実戦経験なんてない。ただ訓練して、日々備えてきただけだ。……でも今、ここでようやくわかった。俺がこの艦の艦長になった意味が」
レイリアの瞳が揺れる。
遼は微笑み、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「君たちを守るためだ。君たちの海を取り戻すために、俺はここに来たんだ」
沈黙の中、レイリアの瞳から涙が溢れた。
「……ありがとう……ございます……」
その涙は、神官としてではなく、一人の女性として流す、人間らしい涙だった。
◆迫る脅威
その時、ユイの冷静な声がCICに響いた。
『艦長、魔獣反応に急激な変化。東方海域より大型反応複数接近中。数……十五。全て体長20メートル超。進路、この艦へ』
「っ……!」
遼の瞳が鋭く光る。
モニターには、夜の海を覆い尽くすように迫る巨大な魔獣群のシルエットが映し出されていた。
(来たか……!)
艦内の空気が張り詰める。
「ユイ、全武装迎撃態勢。CIWS、VLS、魔力収束砲、全システム起動!」
『了解。全武装、戦闘配置開始』
警報が鳴り響き、艦橋照明が赤に変わる。
レイリアは恐怖に震えながらも、必死に遼を見つめていた。
「お願いです……遼さん……この海を……!」
「ああ──」
遼は指揮席に深く腰を下ろし、鋭い声を放った。
「全火器管制、敵群撃滅目標。海を取り戻すぞ!!」