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第三話 邂逅の岸辺

 イージス艦「みらい」は、エメラルドグリーンの海中を静かに進んでいた。


 艦橋には橘遼ただ一人。メインモニターには、統合管制AIユイの端整な顔が映し出されている。


『艦長。沿岸部への最適航路が算出されました。魔獣遭遇率12%のルートを推奨します』


「思ったより低いな。理由は?」


『この海域は魔獣の狩猟回廊から外れており、比較的魔力濃度が低いためです』


 ユイの冷静な分析が、緊張する遼の心を僅かに和らげる。


「了解。推奨ルートで進行してくれ」


『了解しました。航行を開始します』


 艦首がわずかに旋回し、新たな方角へと進む。重厚な金属音が艦内に響き渡った。


 遼は視線を前方に向けた。窓の外には、二つの太陽が交錯する幻想的な空と、深い海の蒼が広がっている。あまりに美しく、しかし冷たく恐ろしい世界。


(この世界の人々は、こんな海で生きているのか……)


 未知の魔獣が支配する海。その中で細々と生き延びる人々の姿を想像するだけで、胸が苦しくなった。


『艦長』


「どうした?」


『沿岸部近辺のスキャンを開始しました。……一つ、集落と思しき建造物群を確認しました』


「集落?」


 モニターに拡大映像が映し出される。海岸線に沿って並ぶ木造の家々。所々に崩壊した家屋が見え、簡素な防御柵や見張り台のようなものも見える。海に面した港は朽ち果て、小舟らしき残骸が打ち上げられていた。


『人口推定、約二百名。武装は槍と弓程度。定期的に魔獣の襲撃を受けていると推測されます』


 遼は眉をひそめた。荒廃と恐怖に覆われた集落。自分が地球で過ごしていた平和な日常とは、あまりにもかけ離れた光景だった。


「ユイ。この艦で直接接触した場合のリスク評価は?」


『高。大型艦船の接近は敵対行動と誤認される可能性が高く、住民に混乱を与えます』


「だよな……。じゃあ、小型艇での上陸を検討する」


 艦長席から立ち上がり、制服の襟元を正す。革のグローブを手にはめ、深呼吸した。


(行くぞ。この世界の現実を、目で確かめる……)


「ユイ。複合艇の準備を」


『了解しました。艦長、複合艇は魔力迷彩機能を搭載しており、一定距離までは魔獣に探知されるリスクを抑えられます。ただし、完全に無効化するものではありません』


「わかった。君は艦で待機していてくれ」


『……承知しました』


 ユイの声色に、微かに寂しさのようなものが混じった気がした。AIに感情があるはずはない──そう思いながらも、遼は小さく笑った。


「大丈夫だ。すぐ戻る」


 艦内のサイドデッキに出ると、既に複合艇が用意されていた。ゴムボートに似た外観だが、船体には淡い青白い魔力の光が走っている。


「本当に……異世界仕様ってわけか」


 乗り込み、エンジンを起動する。魔力機関特有の、金属質で柔らかな音が耳を打った。


『艦長。航行データ、通信リンク、バイタルモニタ、全て接続確認。何かあれば、即時で対応可能です』


「頼りにしてる」


 複合艇が海面を滑り出す。艦体から離れると、巨大な「みらい」が、まるで異世界の海神のように静かに浮かんでいた。


 潮風が頬を撫でる。潮の匂いは地球と同じだが、混じるのは未知の香りだった。鉄のような、あるいは薬品のような。魔獣の血に染まった海の匂いだろうか。


(俺は、何をしに来たんだ……?)


 ふと、弱気が顔を出した。25歳の若さで艦長に抜擢され、必死に努力してきた。だが今は、自分があまりに無力に思える。


(違う……。俺は、この海を取り戻すために来たんだ)


 拳を握る。海上自衛官としての矜持が、心の奥で静かに燃えていた。


「ユイ。集落までの距離は?」


『約600メートル。周辺に大型魔獣反応なし。小型魔獣は海岸線北方に複数存在しますが、接触回避可能です』


「了解。引き続き監視を頼む」


『承知しました』


 複合艇は音もなく岸辺に接近する。白い砂浜ではなく、黒みがかった岩礫混じりの浜辺。波打ち際には、見たことのない赤紫色の海藻や、青く光る小型クラゲの死骸が打ち上げられていた。


 艇を浅瀬に固定し、足元を確かめながら上陸する。軍用ブーツ越しに伝わる砂利の感触が、現実感を与えた。


(ここが……イステリアの大地……)


 海から吹き付ける生ぬるい風と、潮の匂い。だが背後にあるのは、神と魔獣の支配する世界だった。


『艦長。集落まで直進で約500メートル。左方に巡回中の人物反応を確認。武装は槍一本のみ。脅威度低ですが、接触の際は警戒を』


「わかった」


 遼は身を低くし、岩陰に身を隠す。風が吹き抜け、草木がざわめく音が耳に届いた。人影が見える。褐色の肌に簡素な革鎧を纏い、槍を携えた青年兵だった。疲れ切った表情で海を見張っている。


(あれが、この世界で海を守る者……)


 その姿に、胸の奥が痛くなった。彼らには、あの巨大魔獣と戦う力などない。恐怖と無力感に押し潰されそうになりながら、それでも海を守ろうとしている。


 気付けば、遼の足は岩陰から踏み出していた。


「おい……!」


 青年兵がこちらを振り返り、驚愕に目を見開く。異質な軍装、異世界の言語ではない日本語、何より威圧感のある雰囲気に恐怖したのだろう。


「待ってくれ、敵じゃない!」


 慌てて手を挙げる。だが青年は恐怖に支配され、槍を構えた。


『艦長。翻訳モード起動します』


 ユイの声がヘッドセットから響き、青年の言語が耳に届く。


「──怪物か!? 魔族か!? 来るな……来るなっ!!」


(違う……俺は敵じゃない……!)


「落ち着け、俺は魔族じゃない。話を聞いてくれ!」


 翻訳を通じて伝わる言葉に、青年の目が一瞬揺らぐ。しかし、恐怖はすぐに戻ってきた。


「来るなぁあああっ!!」


 叫びと同時に、槍の切っ先が遼の胸を突く──。


 だが、その槍は遼の胸に届く前に止まった。


『艦長。防御フィールド作動。非致死、非破壊設定』


 目の前で、槍の穂先が薄い青白い光に弾かれていた。遼の周囲を覆う、神が授けた防御フィールド。


 青年は恐怖と驚愕で腰を抜かし、その場にへたり込む。


「ごめん……脅かすつもりはなかった。大丈夫だ」


 遼は膝をつき、青年と同じ目線にしゃがみ込む。敵意のないことを示すため、ヘルメットを外した。


 青年の瞳に、彼の素顔が映った。短く整えた黒髪。落ち着いた黒い瞳。そして、静かに微笑む口元。


「俺は敵じゃない。君たちを助けに来たんだ」


 青年は震える声で呟いた。


「……助け……? まさか……神の……遣い……?」


 その言葉に、遼は戸惑った。


(神の遣い……そうか。そういう存在に見えるのか……)


 心が痛む。だが、同時に背筋を伸ばした。


(いいや……俺は神の遣いなんかじゃない。ただの自衛官だ……だが──)


「……そうだ。君たちを助けるために、ここに来た」


 その言葉は、青年だけではなく、自分自身への誓いだった。


 イージス艦「みらい」、統合管制AIユイ、そして海を守るという使命。全てを背負い、この世界で戦う覚悟を決めた。


 エメラルドグリーンの海から吹き抜ける潮風が、遼の髪を揺らす。

 彼の瞳には、未来への決意が宿っていた。

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