新たな挑戦 -後編-
まえがき
道具に、魂は宿るのか——。
彼が縫う一針には、過去の悔しさと未来への願いが込められていた。
かつて夢破れ、影に生きることを選んだ男・天野健吾。
しかし彼の手は、いつしか世界のトッププレイヤーの勝利を支える“神の手”となっていた。
前編では、天野がどのようにして唯一無二のグローブを完成させ、
そして名声とは無縁の場所で、ただ己の信念と技術だけを武器に闘い続けた日々を描きました。
後編では、そんな彼が自らの技術を未来に繋ぐべく、ひとりの若者と向き合います。
技術は継承できるのか。志は託せるのか。
そして、職人という生き方に「終わり」はあるのか。
これは、革と向き合い続けた一人の職人の、静かで確かな“革命”の続きを描く物語です。
最後の一針まで、どうか見届けてください。
天野健吾が作るグローブは、今や世界中のトッププレイヤーたちにとって「最後にたどり着く道具」だった。
どんなに優れたメーカーの製品でも、彼のグローブには敵わなかった。
だが、彼の工房に来る選手たちは皆、同じことを言う。
「天野さんのグローブが欲しい。でも、順番待ちが長すぎる……」
彼は、年間10本しか作れない。
たった10人のためにしか、その技術を提供できない。
「……俺の技術を、誰かに継承するべきなのか?」
天野は、初めて自分の「次」を考え始めた。
天才の苦悩と伝承
「親方、弟子を取る気はないんですか?」
ある日、田村圭介が訪れた際、そう尋ねた。
天野は黙っていた。
「こんな技術、世界の財産ですよ。親方がいなくなったら、終わっちまうのは、もったいない」
天野は、弟子を持つことをずっと避けていた。
彼のグローブは「手の感覚」がすべてだった。
ミリ単位の革の厚みを見極め、わずかな手のしなりを調整し、革の繊維の流れを読む。
そんな技術を、簡単に教えられるわけがない。
だが、このままでは、彼のグローブは彼とともに消えてしまう。
「……俺の目と手を持つやつなんて、いるのか?」
ふと、彼の脳裏に浮かんだのは、一人の若者だった。
“革の目”を持つ青年
若い頃の天野と同じように、革に執着している男がいた。
岸本悠人。
革職人の息子で、幼い頃から革に触れて育った。
まだ未熟だったが、天野は彼に何かを感じていた。
ある日、岸本を工房に呼び出した。
「お前、俺の仕事、やりたいか?」
「……本当にいいんですか?」
「ただし、一つだけ条件がある」
天野は、一枚の革を机に置いた。
「この革に、目を通せ」
岸本は、革を持ち上げ、じっと見つめた。
天野は、それを見ながら彼の“目”を見ていた。
「……この革、ちょっと違いますね」
「どこが違う?」
「繊維の流れが均一じゃない。縫製するなら、右手の親指の部分にストレスがかかります」
天野は、無言で頷いた。
——この男には、“革の目”がある。
「お前、本気でやる気があるなら、明日からここに来い」
岸本は、一瞬息を飲んだあと、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
こうして、天野の技術を継ぐ唯一の弟子が誕生した。
技術は死なない
天野は、岸本に対して一切の妥協を許さなかった。
「違う!」
「この縫い目、0.3ミリズレてる。やり直しだ」
「お前の指は“考えて”動いてる。道具が考えるな。感じろ」
岸本は、何度も何度も叱られながら、必死に技術を習得しようとした。
半年が経ち、岸本の手つきが変わってきたころ
「このグローブ、天野さんとどっちが作ったかわからないくらい、すごいですね」
田村圭介がそう言った。
岸本は驚いた。
「えっ、本当ですか?」
しかし、天野は静かに答えた。
「……ダメだな」
「まだ違いますか?」
「お前のグローブは、どこか“俺に似せよう”としている」
「……」
「職人ってのは、“誰かのコピー”になった時点で終わりだ」
天野は、静かに続けた。
「俺の技術は、お前に全部教える。でも、お前が作るのは、お前のグローブだ」
岸本は、初めてその言葉の意味を理解した。
「天野さんのグローブじゃなく、俺のグローブ……」
この日から、岸本は真の意味で職人になった。
伝説が続く理由
それから数年後——
天野の工房では、二人の職人が、それぞれのグローブを作っていた。
天野は相変わらず、一本一本を丁寧に仕上げていた。
一方、岸本は新たな挑戦として、次世代のグローブを開発していた。
天野は言った。
「俺の作るグローブは、もう進化しねぇ。でも、お前が作るグローブは、まだまだ進化できる」
そして、ある日。
メジャーリーグのスター選手、マーク・ロビンソンの息子が、岸本のグローブを手にした。
「This is……unbelievable.(信じられない)」
彼は、そのグローブを使うことを決めた。
「お前の時代が、始まるな」
天野は、少しだけ誇らしそうに笑った。
職人の技術は、一代で終わるものではない。
それは、誰かに受け継がれ、また新たな伝説となる。
今日もまた、天野の工房では、伝説の革が生まれ続けている——。
—完—
あとがき
『静かなる革命者』とは、職人としての信念とこだわりが、野球界に革命をもたらしたという意味を込めています。
天野は、既存の大量生産されたグローブとは一線を画し、「最初から手に馴染む究極のグローブ」を生み出しました。そのこだわりは、最初は誰にも理解されず、孤独な戦いだった。しかし、結果として世界のトッププレイヤーが彼のグローブを絶対的に信頼するまでに至る。
「革命者」とは、技術の革新者でありながら、それを声高に叫ぶことはなく、黙々と自分の仕事に打ち込む天野の姿勢を象徴しています。大きな声を上げずとも、その技術と情熱が確実に世界を変えた——まさに**「静かなる革命」**といえるのです。