祓い屋はあやかしと共に逃げ出した/序
山々と竹林に囲まれ都市部から切り離された閉鎖的な限界集落、神風村。
東北新幹線で二時間揺られ、バスなどの公共交通機関を駆使してもすぐには辿り着けず、二つの山を越えなければならない。
この土地に来る時点ですでに現在の財布事情に多大な損害を与えていた為、村の位置まで車で送ってもらう選択肢はない。途中から徒歩に切り替え、丸一日をかけて神風村にやってきた。
その村は、僕にとっては故郷でもある。前述した通り、神風村は閉鎖的で産業も活発でなく、生活とインフラの維持は村の人口減少や高齢化によって困難を極めているのだ。そんな環境に、六年振りに帰って来ることになった。
そういえば幼い頃遊び相手になってくれていたお姉さんは今どうしているのだろう。僕が高校生の年齢になった頃、気づけば姿を消してしまったあの人は当時僕の数少ない友達だった。
理由は二つ。
一つは、僕が副業としてやっている『祓い屋』の手伝いの為に派遣されたこと。祓い屋は、簡単に言えばいわゆる『妖怪』と呼ばれるような存在が悪事を働いた際に、討伐を行う仕事をしている。あくまで僕はその手伝いに過ぎないので、地元の人間である僕は調査に適任であると判断されやってきたということになる。
二つ目は、そのついでで親に顔を見せておこうと思ったからだ。
……相変わらずの景色。瓦屋根の家々が住宅街のように規則的に区画され建てられているが、そのほとんどは空き家である。街灯は無く――正確には、電灯設備はあるが故障したまま放置されている状態――、同じ地球上の土地とは思えない程に重苦しい空気がひたすらに漂っていた。
夜分に到着したが故に、村の人たちは各々の家に帰ってしまっている。都市部の生活に染められた今の僕は、この静かさと無限に広がる星々からの視線を浴びて虚無感のようなものに襲われた。
しかし同時に、大人になってこうして故郷に帰って来ると見え方が変わる。すでに脳はこの空間を非現実的に感じ取り、まるでゲームの世界に入ってしまったみたいだ。心の余裕とこれまでの経験が、僕の厨二病的何かを発症させて気持ちが昂る。
ここに来る前までは、早く仕事を終わらせて元の生活に戻りたくてしょうがなかった。最早その考えは消え去り、疲れ果てていたはずの両足は迷いなくとある場所へ向けて動き出す。
* * *
――――神風神社。境内の手前で歩みを止め、首と目線を僅かに上げる。そこは僕にとって思い入れ深い場所だった。
月光に照らされた鳥居と手水舎、樹齢は知らないが数百年とありそうな御神木は全く手入れされていない様子だ。中に入るのを思わず躊躇ってしまうが、それを打ち砕く現象が僕の身に起こる。
『おいでよ』
拝殿がある方から、少し幼げな少女の声が聞こえてきたのだ。どこからか微笑みながら優しい声色を奏でている。その音に誘われ、気づけば体が勝手に鳥居を越えてしまっていた。
鳥居を跨ぐ、それは神の領域に足を踏み入れるということ。人の世界と異なる空間へ入り込んでしまうこと。
同時に、拝殿へと続く参道に配置された灯篭がオレンジ色の光を灯し始め、それは次々と蝋燭に火を灯すように続いていく。
……これはもう超常現象と断定していいだろう。この場合、かなり強力な『妖』が佇んでいてもおかしくない。調査をしに来ただけとはいえ、身の危険を強く感じている。
『ここに人間がやってくるのは久しぶりだよ。こんな時間に、坊やは何しにここに――――』
僕に呼びかけているであろう声は、突如途切れてしまう。
たったっ、と木の板の上を駆ける音が聞こえてくる。拝殿の中に声の主はいるらしい。
恐怖心と好奇心を天秤にかけた時、後者が勝ってしまい少しずつ社の方へ近づいていくと、ついにその姿が見えて――飛び込んでくる。
『――――久しぶりじゃないか! 会いたかったぞっ!!』
「――――ンガッ!?」
白のワンピース姿を見せたと思えば、目を合わせる前に僕の顔面に飛び込んできた。まず人型であることにも驚いたが、こんなに距離感近い妖は初めてみた。
妖、といっても悪いやつではない。こちらから何もしなければ向こうも何もしてこないが、力いっぱいに抱き着いてきたところを無理に剥がそうとすれば何が起こるかわからない。
『大きくなったなあ坊や、何年ぶりだ? こうしてまた会えて嬉しいよ』
するり、と意外とすぐに解放しては彼女はそう言い放った。
ようやくその全身が視界に収まると、見覚えのある姿に固まってしまう。
僕が幼い頃にこの神社で出会い、友達となった一人の女の子。当時は彼女の方が遥かに背が高く、退屈しのぎに遊びに来た僕を歓迎し、弟のように可愛がってもらった記憶がある。その記憶にあるままの姿で、彼女は僕の前に再び現れたのだ。
「なんで……ここに」
『子どもにしか見えないはずの私が見えている、大人になった坊やならもうこの意味がわかるだろう?』
子どもにしか見えないはずだが、大人の僕が見えているということはつまり、『祓い屋』で妖を見る力を得ているから。目の前の少女が妖である何よりの証拠。
「じゃあ、ずっと君は……」
『――――『君』、じゃないだろう? 私を呼ぶ時は『お姉ちゃん』だと昔教えたじゃないか』
そういえばここで初めて彼女と出会った時、確かにそんなことを言われたような気がする。
ただこの年で中学生に近い容姿の女子に『お姉ちゃん』などと呼ぶなど到底無理がある。だが、本当に昔のままなら、そう呼ばないと返事をしてもらえなかったはずだ。
「……せめて、『お姉さん』じゃだめか?」
『ふむ……』
顎に手を当てて、その場でぐるぐる歩き回り出す。白のワンピースと長い白髪が揺れて、灯篭の光に照らされている様はどこか神々しい。
『仕方がない。『お姉さん』呼びを許可しようではないか。坊やは大人になったのだから、少しはオトナな対応というやつをしてやらんとな。まあ、私からすれば坊やはいつまでも坊やだがな』
ぴたっと俺に正面向いて止まると、腕組みをして彼女はそう言った。
――――その彼女が、今回の調査対象である妖、通称《座敷わらし》であることを突き付けられた瞬間であった。