カシマさん・5th
「はあ? 何? どうして窓を開けてるの? これじゃあクーラーつけてる意味ないじゃない。あなた、頭おかしいんじゃないの?」
「ヘーイソーメン君! 三時のおやつだよー!」
「……伸田さん?」
分かってるんだ。俺も、こいつらも。全部分かってて、その上でこんな事をやっている。続けようとしている。
「何でも、ないよ」
カシマさんはどこにいるのか。
件と名乗る男は何なのか。
くだんはどこにいるのか。
目を背けても無駄なんだな、きっと。ごめんな、ここまでだ。どうして、あいつらが俺なんかを気にしてるかは知らないけど、けど、だからこそ、俺がやるしかないんだろう。さっきは動けなかった。ここから出るのが怖かった。今だって怖い。動きたくない。でもやる。やってやる。これ以上弄ばれてたまるかよ。皆には悪いけど、三時のおやつは食べられそうにない。
人の目は気にならなかった。それよりも、とにかく暑い。涼しい部屋でだらだらと過ごしていたせいだろうか。アスファルトが灼けていて、照り返してくる熱が足元から伝わってくる。溶けそうだと錯覚して額の汗を拭った。直射日光が目に痛い。
でも、絶対に歩くのを止めなかった。
俺を動かしてくれていたのは、くだんだ。こうやって外に出たのは良いけど、彼女がどこにいるのかなんて分からない。口裂け女。テケテケ。白いワニ。メリーさん。コインロッカーベイビー。トンカラトン。首なしライダー。ひきこさん。客の消えるブティック。赤マント。今までに通った道を、訪れた場所を、なぞる。一つ一つ、道筋を正確に辿っていく。それでも、分からないんだ。彼女との思い出に頼り、支えられ、何とか歩けている。この先に何が待っていても。あるいは、誰もいなかったとしても、そこで一つの終わりを迎えるに違いない。そう信じて、俺は。
陽が沈み始めていた。薄暗くなってきた外に、人の気配が感じられなくなる。自分の足音と息遣い以外、何も聞こえなくなる。立ち止まって、空を見上げた。
「……疲れたな」
こんなんなるまで外ぶらついて、歩くなんてなかった。
「や、お疲れだね。外の空気はどうだい、伸田聡明君」
お前に声を掛けられるまでは良かったよ。
「外に出てきたんだね」
「話、聞かせてよ」
振り向くと、件が立っていた。彼はにこにことした表情を顔に貼りつけてこっちを見ている。
「くだんは、どこ?」
「くだん? カシマさんじゃなくて?」
「カシマさんなら、後ろにいるだろ」
「へえ?」
件は口の端をつり上げる。思っていたよりも嫌らしい笑みだった。その顔が、こいつの本当なんだろう。
「分かってくれたんだね」
そりゃ、あれだけ言われりゃ馬鹿でも気付く。俺でも気付ける。つまるところ、カシマさんなんてモノはここにはいない。この世に存在していない。最初から、生まれてなかったんだ。都市伝説を追いかけているくだんが現れなかったのが何よりの証拠である。何せ、都市伝説はいないんだ。彼女が出てくる理由がない。
「でも、いるよ?」
そうだ。カシマさんはいない。でも、カシマさんの都市伝説は、確かに存在する。この町を縦横無尽に行き来し、自由自在に闊歩しているんだ。
「ふふ、そうだね。僕はカシマさんの誕生を予言していない。カシマさんはこの町の人間が望み、彼らが生み出した。だから、いるし、いない。いないし、いるんだ。分かってくれて嬉しいよ」
曖昧で不確かで、正真正銘、本当の都市伝説だった。俺たちはカシマさんの噂に振り回されていたに過ぎない。
「くだんは、どこにいるんだ」
「……聡明君。君はさ、都市伝説をどう捉えているのかな? だってさ、都市伝説は人間の悪意が生んだモノなんだよ? 純粋な悪、そのままじゃないか。意味はあるのかな? 意味はあると思う? 彼らが生まれてきて良かったって、そう思う?」
「思うよ」
件は笑みを深める。気味が悪い。都市伝説よりも何よりも、こいつの存在、意味が分からない。
「僕ら件も同じようなモノさ。それでも、君はあの子を探すのかい?」
それでも、俺はくだんを探すんだ。お前なんかに邪魔されてたまるかよ。
「僕たちについて調べたんだろ? 何を思った? どう思った? 気持ち悪いって、この世からいなくなれって思わなかったかい?」
「思わない。俺は、都市伝説を探してるんじゃない。くだんを探してるんだ」
「強情だ。教えてあげようか? 僕たちはね」
「くだんは、どこだ?」
件がどうとか、都市伝説かどうとか、そういう事を知りたいんじゃない。俺は、くだんを知りたいだけなんだ。それ以外は余計なものでしかない。
「俺は、お前になんか興味ない」
「ふうん、面白いね。だからこそ、あの子は君に期待したのかな」
「……期待って」
「そうだね。似ていたんじゃない?」
何が。そう問い掛けるより先に、件はあらん方角を指差した。
「たまにはこういうのも良いかもね。……あの子は、あそこで君を待ってる。行ったり来たりで、見ていてやきもきするよ。こういう時に予言を使えば良いのに。ああ、こういう時くらい予言を使ったって良いのに、かな?」
「あ、あそこって?」
「伸田聡明君。一つだけ忘れないで欲しいんだ。僕らはね、いなくならないよ。都市伝説は勝手に生まれて、勝手に生きていく訳じゃあないんだ。君たちが望んだから生まれてくる。良いかい? 人の悪意なんてものはね、絶対になくならない。だから、都市伝説はなくならない。じゃあね、また会おう。なんてね」
ちょっ、おい! 好き勝手に喋りやがって! 結局くだんはどこにいるんだよ!?
「知ってるだろ? あの子が一番最初に、一番最後に頑張った場所なんだ」
それだけ言って、件は歩いていく。追いかけようとしたが、強い風が吹き、俺は目を瞑ってしまった。次に目を開けた時には、もう、彼の姿はどこにもなかった。
くだんの居場所なんか、知らない。彼女が頑張った場所なんてあるのだろうか。……それでも、ただ一つ。一つだけ、思い当たる場所があった。
三時間、八百八十円で得られる、安い空間だ。
その店の前に、彼女は立っていた。最後に見た時と変わらない、寂しそうな背中で。何を思って、何を考えて、こうしているんだろう。どれくらい、こうしていたんだろう。
「……ソーメイ」
先に話し掛けられてしまった。どう返そうか迷っていると、くだんがまた口を開く。
「どうして、ここに」
「君こそ、どうして?」
「くだんは……くだんには、理由が存在しない。ここで時間を浪費していただけ」
「そっか」
やっと会えた。話したい事も、聞きたい事もあったのに。何も言えなかった。頭ん中が真っ白で、つまらない言葉しか思い浮かばない。
「……件に会ったよ。あいつと、話した」
「何も、されなかった?」
されたっちゃあされたけど、大した事じゃない。
「心配してくれてるの?」
「くだんはソーメイを心配しない」あ、そ、そうですか。
「でも、くだんは少しだけ安心した」
くだんが俺の顔を見る。それだけで、何だかどうでも良くなった。
「ソーメイ。件から、ソーメイは何を聞いた?」
「えっと、色々」
「そう。……くだんは、皆と会うのが怖くなった」
冗談みたいな事を言うので、俺はどうしたものかと内心で頭を抱えてしまう。くだんが、怖がるだって?
「くだんは人間ではない。けれど、都市伝説にも成り切れない。くだんは人と牛が合わさったモノで、半端な境界に位置しているのだと、くだんは思う。どこにもいけないし、いてもいけない。だから」
「だから、いなくなったの?」
くだんは小さく頷く。彼女は、自分よりも小さいんだなと、今になって思った。
「くだんは人間じゃないから、ソーメイの傍にいられない」
「何だ、そんな事だったのか」
「え?」
ああ、びっくりした。てっきり、俺はくだんに嫌われたんじゃないかって、そう思ってたのに。
「何故、ソーメイは笑っている」
「だってさ、今更じゃないか。大口さんだって、メリーさんだって、森だって思ってるし、言ってたよ。関係ないよ」
くだんは本当に分かっていないのか、小首を傾げた。
「くだんがくだんだから、俺たちは一緒にいたんだ」
「……くだんが、くだんだから?」
「うん」別に、都市伝説だからとか、人間じゃないからとか、少なくとも俺は気にしない。
「ねえ、くだん。前に言ったよね。どうして、引きこもっているのかって。俺はさ、人を殴ったんだ」
「ソーメイが?」
そう。俺が。
「大した理由もなかった。人を殴って、親を殴ったんだ。最低だ。それで、部屋に逃げた」
俺は家族から逃げたかったんじゃない。件の言っていた通り、本当に両親や妹から逃げたかったのなら、そんな手段は選ばない筈だ。
「……ソーメイ。くだんは、くだんが、何故都市伝説の存在した証を残すのか、本当の事を教えていなかった」
どうして、都市伝説を爆発させ、四散させ、町の人間を恐怖に陥れたのか。前に、俺は尋ねた事があった。その時、くだんは答えてくれなかったけど。けど、今なら、何となく分かる。
ああ、きっとそうなんだ。俺もくだんも、最後の最後は同じ理由で馬鹿な事をやっていたんだな。
くだんが口を開く。俺も、彼女に合わせる形で口を開いた。
「見てもらいたかった」
「認めてもらいたかった」
二人して同じ言葉を口にし、顔を見合わせる。驚きはなかった。
「俺は、家族に構ってもらいたかったんだ。多分、許して欲しかった」
「くだんも、きっと、そう。誰かに、認識して欲しかったんだと思う」
俺たちは似たもの同士だったんだよな。駄目で、トロくて、どうにも下手だった。
「ソーメイはおかしな人だとくだんは思う。都市伝説を救助しようとするなんて、そんな人は今までにいなかった。件の予言、都市伝説を回避するには、都市伝説の滅亡が最適なのだとくだんは思っていたのに。でも、そういうのも良いと、くだんは思う。ありがとう、ソーメイ」
「あ、ありがとうって……」
「ソーメイ、今まで、ありがとう」
くだんは帽子の位置を直して、俺に頭を下げる。
「……今まで?」
「くだんは、この町を発たなければならない」
は? え? な、何でだよ? いきなり、何を言ってるんだよ。折角会えたのに、今から、話す事だってたくさんあるだろ? くだん、お前、どうしてそんな、普通の顔してるんだよ。何とも思ってないのか。そうなのかよ。
「ソーメイは件から話を聞いていたから、理解していると思う。……件が、この町から消失した。彼は別の町へと向かった筈。また、新たな予言を行う。くだんはその予言を止めなければならない」
「い、いや、ちょっと、ちょっと待って。だって、そんな」
「分かって欲しい」
わからねえよ!
「そんなの、駄目だっ。く、くだんがいなくなったら、お、俺は何も出来ない! そ、そうだよ。都市伝説が次に出たら……」
くだんはゆるゆると首を振った。
「都市伝説はもう、この町に出現しない」
「俺はっ、君がいなくちゃ外にだって出られないんだ!」
あ、馬鹿だな俺は。何を情けない事言って、おまけに、泣いてんだ。かっこわりい。
「ソーメイなら大丈夫。君なら、一人で何でも出来る。ソーメイになら出来る」
「無理だよ!」
「ソーメイはきっと、皆と仲直り出来る。くだんは、そう信じている」
信じなくて良い。何もしなくたって良い。ただ、ここにいて欲しい。いなくならないで欲しい。そんなの嫌だ。
「ソーメイ」
「嫌だっ!」
何も言うなよ! 何も聞くなよ!
「……くだんは、君の友達?」
「当たり前な事聞くなよっ、俺は!」
「そう」
「――――く!?」
柔らかい感触が当たった。それが俺に巻き付いている。何が何だか分からないまま、瞬きを繰り返した。声が出なくて、俺の手は宙を掻く。
「……嬉しい」
耳元で囁かれて、ぞくりとした。そう言えば、彼女の声には力があるんだっけ? いや、違うな。たぶん、女の子ってのは皆そうなんだ。
「く、く、くだ……?」
くだんの顔が、体が、彼女が、こんなにも近くにある。抱きつかれているんだと気付いて、頬っぺたが熱くなってきた。
「また、会える」
「あ」
彼女の言葉が予言だったのか、それとも願望だったのかは分からない。漫画喫茶の前で突っ立つ俺にはもう、くだんがくれた温もりしか残されていない。彼女の姿はどこにもない。俺の前から、この町からいなくなってしまったのだろうから。柔らかな感触は確かにあって、何度も何度も、彼女の声が響いていて。なのに、ない。どこにもいない。本当にあったのか。そこにくだんがいたのか分からなくなってくる。曖昧で、不確かで、それこそ本当に都市伝説みたいだった。