客の消えるブティック・人
扉をノックする。いつもよりも、優しく。
「ねえ」
もうお昼を回ったのに、返事はなかった。また、夜更かししていたんだ。私には信じられない。規則正しく生活しろと言ってるんじゃない。部屋にこもってる意味が分かんないだけ。だって、そこにいたって楽しい事なんか起こらないのに。面白い事は、いつだって外にある。どこにでも転がっている。ただ、ここにはない。もう、ないんだって、あいつも分かっている筈なのに。
「ねえってば!」
さっきよりも強く。
今度は物音が聞こえたので耳を澄ませた。……最近、怪しい。こいつの部屋からは女の声がしている。それもしょっちゅうだ。連れ込んで? でも、ヒッキーにはそんなの無理でしょ普通。大体、女の知り合いなんかいない。いないに決まってる。私か、お母さんくらい。じゃあ、誰? つーか何? ゲームのキャラクターにしては、妙にリアルな感じなんだけど。
「……な、何……?」
おどおどとした声が聞こえてくる。それで、ムカついた。こいつ、実の妹に何をビビってんの?
「キモイ」
「用がないなら……」
「キモイって言ってんの!」
最近、こいつは反抗的だ。ヒッキーのくせに。私と話したいなら、もっと素直に出てくれば良いのに。顔を見せないからムカつくのに。敵だって思われてるのが、何だか気に入らない。
「ご、ごめん」
「一々謝るなっつーの! そんなんで静の気が収まるとでも思ってんの? はー、マジでうざい」
反応、なし。
「何か言ったらどうなの?」
溜め息の後、
「……な、何の用?」
顔が見えなくても分かった。こいつはきっと、鬱陶しそうな顔をしてるんだ。
「用がなくちゃあんたを罵っちゃ駄目なの?」
「ど、どうして、の、罵られなきゃ」
「静が罵りたいからに決まってるじゃん! バッカじゃん!?」
今日は、こう言うのを言いたい訳じゃない。本当はもっと聞きたい事があった。けど、おかしい。何だか、昨日の記憶がぽっかり抜け落ちているような、そんな気がする。
昨日は、友達と遊んでた。家でごろごろしてただけ、だけど。
うん、遊んでた。私は友達と一緒にいた。……けど、何か、変。思い出せるんだけど、実感がないような気がして。
「き、気は済んだ?」
「うっさい!」
ただ、どうしてもこいつに言わなきゃなんない事があったって、そんな気はしてる。でも、何も思いつかない。
私は、何をしてて、何をされたんだろう? どうしても思い出せない。
「……あんたさ」
頭が痛い。こう、こめかみんところがじくじくとしてる。
「静が海で溺れそうになったの、覚えてる?」
「う、海?」
「覚えてるの、覚えてないのっ?」
聞かなきゃいけない。
言わなきゃいけない。
でも、何を?
「ちっちゃい時! あんたが、静を……」
なのに、くだらない事を口にしてる。本当に、こんなのを言う為に、私は?
「……お、覚えてる、けど」
私は……。
「あっ、そう」
何だか、痛いのがどっか行ったような気がする。
「そ、それで?」
「そんだけ! 死ねゴクツブシ! ロクデナシ! ヒトデナシ!」
「ご、ごめん」
だから謝るな!
こいつは、どうしてこんなんなっちゃったんだろう。ちょっと前までは、普通だったのに。オタク入ってたけど、普通のお兄ちゃんだったのに。あー、もう。ムカつく。殴りたい。
「……っ! 今日っ、あいつら帰ってこないから!」
「え、あ、う、うん」
「だから、ご飯、静が作るから」
返事はない。
「だから、たまには部屋から出たら? あんたさ、陽の光とかまともに見てないんじゃない?」
「で、でも」
「呼んだら出て来いって言ってんの! まずいとか言ったり、残したりしたらぶっ殺すから!」
「分かった。その、ありが、とう」
「死ねバカ! 勘違いすんな、顔見せたあんたをっ、直接ボロカスに言いたいだけだし、そんで、殴るからだけだから」
それでも、扉の前から立ち去る前、小さな声で聞こえた。ありがとうって。
「ふん、死んじゃえ」