客の消えるブティック・天
夏、真っ盛り。
セミはうるせえし、恋だの愛だの男と女が盛り出す季節だ。賢い受験生はとっくのとうに赤本だのと睨めっこしているんだろう。ラジオからは、ひっきりなしにアップテンポの曲が流れる。海だ、山だ、遊園地だ。浮き足立つお子様たちに目の色変える商売人。アバンギャルドな格好をした連中が一回きりのアバンチュールに浮かれて騒ぐ。ああ、素晴らしき夏! 日本の夏!
蚊に刺されて死んじまえ。セミがうるさい以外は何一つ俺に関係ない。夏休みとかなくなれよ、学生どもは毎日学校に通えっつーの。勉強しろ勉強、死に物狂いで。つーか狂え。死んで狂え。勉強のし過ぎで狂って死ね。
「夏だねえ」
「……い、やがらせ?」
「んー? 何がー?」
夏休み到来である。しかし俺にはそんな事関係なかった。一切。その上、部屋では大口がソーメンを貪っていた。一口もくれねえのな! マジで、ここを何か自分のプライベートな空間だと勘違いしているのではなかろうか。
「別に」布団に潜る。冷房最高。やっぱクーラーはいいわー。そんで、家ん中は静か。何故なら、夏休みになって妹が殆ど毎日どっかへ行ってくれるからだ。大概、友達んちで寝泊りしている。友達って何?
「ソーメン君ちのクーラーが一番良いんだよね。コンビニに居座っても良かったんだけど、モップ掛けられて申し訳なくなっちゃった。もう少しで本棚の端から端まで読めたのになあ。そう言えばさあ、深夜に働いてるおじさんって何なのかなあ。昨日も見たし、一昨日も見たよ。ずっとあそこにいるのかなあ? ねえねえ、ソーメン君はどう思う?」
ほっといてやれよ。あー、腹減ってきた。俺も何か食べようかな。
「あ、ソーメン君もご飯?」
「う、うん」
「麦茶ちょーだい」えへへっとはにかまれる。ソーメンのつゆでも飲んでろ。
昼飯を食って部屋に戻ってくると、メリーさんがベッドに寝転がっていた。で、俺の顔を見ても何も言わない。お邪魔してますもお帰りなさいも、何も。彼女はテレビのモニターを見つめている。それだけ。
「ど、どいて」
「どうして?」
メリーさんはかったるそうにこっちを見る。
「どうして、あたしがここを退かなければならないのかしら?」
邪魔だからだよ。何度も言うけど、そこは俺のサンクチュアリだ。と言うか、最近こいついつにも増して強気だ。ケータイを壊されたのをまだ根に持っているらしい。
「け、携帯。買えば、良いじゃ、ないか」
「あなたが買ってよ。あなたが壊したのだから」
だったら俺の自転車も買ってくれよ。どうすんだよ俺の足。いや、出ないから良いけど。いやでもやっぱり壊されたまま泣き寝入りってのは良くないけど。
「ねーソーメン君ゲームやってもいーい?」
言いつつ、大口はゲーム機の電源を入れている。
「……あなた、大口には甘いわよね。何、弱みでも握られているの?」
別にそんなつもりはねえけど。麦茶持ってきてないし。第一、甘いっつーか、大口のペースに乗せられてるだけだ。特別扱いなんかしてない。
「そう言えば、くだんにも妃田にも甘いような気がする。あたしにだけ甘くない。不公平ね」
「そ、そんな事はないけど」
「もっとあたしを甘やかしなさいよ!」
「やだよ」馬鹿じゃねえのこいつ。折角静かに過ごせると思ったのにこれだよ。マジで始末に負えねえ。つーか、こいつらが二人以上来ると、連鎖的に他の奴らも来るんだよな。まあ、俺と同じくヒッキーの森は大丈夫だろうけど、くだんがやってきた場合、都市伝説に巻き込まれちまう可能性もある。それだけはごめんだ。正直、もう色々と麻痺してる。口裂け女とか(笑)って思っていられた頃が懐かしい。
「甘やかす手始めとして、とりあえず最新型の機種を貢ぎなさい」
俺が欲しいよ。
「あ、今『俺が欲しい』とか思わなかった? 駄目よ、駄目。あなたが良いものを買ったって宝の持ち腐れになるもの。大体、見栄を張る相手もいないんだから、ポケベルでも使ってれば?」
「お、大口さん、格ゲーしようよ」
「いいよー。んー、じゃあちょっとトレモやらせてよ。コンボ練習するから」
「ム・シ! 無視しないでよ! あなたっ、本当にムカつく! ムカつくんだから!」
怪鳥音と共にメリーさんが飛び掛ってくる。俺はクッションを引っ掴み、そいつを彼女の顔にぶち当てた。と言うかパンチ。と言うか殆どめり込んでる。メリーさんはそのまま動かない。クッションを退かすと、彼女の鼻は真っ赤になっていた。
「あはははははっ! メリーさんトナカイみたい!」
笑う大口。固まる俺。
「ご、ごめ……」
「そう言えばそう言えばさー、メリーさんってケータイ持ってないんだっけ? 電話がなくなったら、メリーさんって感じがしないよね。じゃあどんな感じかって聞かれたら困るけど」
さん、だな。さん。メリーが抜けて、ただのさんになってる感じ。
「あたしメリーさん、あなたたちを抹殺するわ……!」
また、うるさくなりそうだった。
「映画見ませんか、映画。伸田さんの家って、いっぱいDVDがあって、私、目移りしちゃいます」
トイレから戻ってきたら一人増えてた。やってくれるじゃねえか。
森は俺の顔を見るなり、床の上にずらりと並べたDVDを隠そうとする。
「こっ、これはですね! 別に部屋を散らかそうとか、そっ、そういう風に思った訳じゃなくてですね!」
「い、いいけど」言って、俺はベッドの縁に腰掛けた。
見るのは良いけど、自分以外の誰かと見る映画って基本的に間が持たないんだよな。相手が気になって集中出来ないし。上手く映画にのめり込めないっつーの? そんで、終わった後の余韻に浸り辛い。むしろ邪魔。一人にしてくれ。感動を反芻したいのに『あそこ良かったよなー』とか、別に、そういう気持ちまで直後に共有したくない。なので、俺はおすすめしない。けれど何も言わない。何故なら、森たちが楽しそうにDVDを選んでいるからだ。余計な口出しは無用だろう。
「これなんかどうでしょうか」
森がアクションものの奴を指差した。パッケージでは巨大な蛇がとぐろを巻いて牙を見せつけている。アレは詐欺だった。あんなでかい蛇、本編にゃ一度も、一秒だって出てこなかったのである。
「えー? 蛇ー?」
メリーさんは不満そうに言う。森は別のパッケージを指差した。今度は、でかいネコがヘリコプターを口に銜えている奴である。コレも詐欺だった。……森、映画の内容よりも吹き替えの声優で選んでやがるな。
「一歩も引きません!」
「もう、好きにしたら良いじゃない」
知らねーぞ。無茶苦茶つまんねー映画だったからな。俺はベッドに戻り、まだ何も映っていないテレビを見つめた。
「あ、今のところ巻き戻して良いですか?」
「別に、そんな良いところじゃなかったと思うけど」
「声が」
「え?」
「いえ、何も」
「あれ? まだ見てたのそれ? ねーねーソーメン君、違うの見てもいーい? あっ、ソーメン君寝てる。ほっぺた触っていい?」
「やめときなさい、伝染るわよ」
「静かにしてもらえませんか」
ぼんやりと、まどろんでいた。ふと顔を上げると、
「……う、うううう」
「(形容出来ない類のいびき)」
全く、森ときたら。大口はまだ寝てるじゃねえか。メリーさんはすげえ退屈そうにしてるし……つーか、今何時だ? 携帯で確認すると、午後五時を回っている。もうこんな時間かよ。
「あ、目が覚めましたか」
頷く。
「楽しませてもらっています。あの、これの続きはないんですか?」
「ぞ、続編は、面白くないんだって」
「ソースは?」
「あ、明かせない」
「仕方ありません。けど、すごいですね。私、伸田さんの部屋になら死ぬまでいれそうな気がします」
それはやめてくれ。つーか、下手したら俺が帰れと言うまで居座るな、こいつ。オタの部屋が居心地良いってのは分かるけど。漫画だのゲームだの映画だの、ちょっとした漫画喫茶みたいだし。ジュース出ないけど。でも持ち込みはアリ。
「死ぬまでって……妃田、こんなところにいたら病気になっちゃうわよ」
「大丈夫です。既に不治の病にかかっているフシがありますから」やはり、お前も中学二年生で抜けられなかったか。
「はあ? まあ、どうでも良いけど。それより、くだんはどうしたのかしらね」
くだん、と言う言葉に森が反応する。
「あ、あの方をお呼びになられたのですか……?」
「呼んでない。あいつってば、呼んでも呼んでなくても勝手に来るんだもの」
そして、くだんが現れる時には、決まって都市伝説が現れるのだった。疫病神とは言わないが。まあ、お約束みたいなものである。
午後、八時。
伸田家には、俺と都市伝説どもしかいなかった。この時間になっても妹が帰宅しないのを考えるに、あいつ、友達んちに泊まるつもりだな。親の仕事が遅かったり、出かけたりするから好き勝手するつもりなんだ。全く、養われの分際で。俺はこうして自宅を警備しているっつーのに。
「へえ、妹さん帰ってこないんだ?」
大口の問いに、俺は頷いて答える。
「じゃあ、私も泊まっていこうかなー」
俺は首を横に振って答える。
「じゃあ、お泊りセット持ってくるね」
聞けよ! 見ろよ! 嫌だって言ってんだろうが!
メリーさんと森は楽しそうに笑う大口を見つめていた。お前らも何か言え。
「あ、あのう、私も良いですか?」
「な、何が……?」
「お泊まり会です!」
う、うわっ良い笑顔。……言っちゃなんだが、森はこういうのに縁がなかったのだろう。期待を込めて見つめられてしまう。
「ちょ、ちょっと、あたしだけ仲間外れは嫌よ」
言うと思った。まあ、今日は許可を取ろうとしている奴がいるだけマシだな。だけど、いきなり三人も泊めるっつーのはちょっとなあ。ベッドだって一つしかないし。一つしか…………それも……ああ、いや、違う。俺は何も考えてない。
「へ、部屋片付けたいから、そ、その、また後で来てくれれば」
「ようし、私も手伝うよ! ベッドの下は任せて!」
やめろ。
片付け。とは言っても、床に散らばった物を部屋の隅に追い込んでダンボールにぶち込むだけの簡単なお仕事である。しかし、雑魚寝になんぞ、これ。俺はベッドを死守しよう。布団は一組見つかったが、もう知らん。
やってきた三人は、布団が一つしかない事に気付き、既に寝る体勢に入っている俺を見て、
「ナイトフィーバーだねソーメン君!」
「あ、わ、私は隅っこで良いですから」
「変態! あなたっ、私たちをどうするつもりなのよ!」
ああもう、うるせえなあ。
大体、お前らが無理に来たがるから悪いんだ。俺は頑張ったよ? 部屋片付けたし、布団だって押入れから引っ張ってきたし。
「こんな駄目なホスト初めて見たわ。もてなす気がないとしか思えない」ないもん。
「夜通しゲームしようよ! 寝なきゃ良いんだもん、よし、ソーメン君はゲームをセット!」
二時間も経たない内に寝息が聞こえてきた。大口である。言いだしっぺがあっさり沈みやがった。信じられん。まだ日付すら跨いでいないっつーのに。
「ふっ、軟弱ね。勝負よ、どちらが先に眠りにつかずに済むか」
「受けて立ちましょう」
森のテンションも上がっている。俺はもう寝るのを諦めていた。大口にベッド奪われてるし。
日付が変わって、暫く経って午前二時。俺は一人でボードゲームをやっていた。押入れの中からメリーさんが見つけたもので、三人で勝負だとか彼女は言っていた。だが、森のターンは長過ぎたのである。すげえ長考。メリーさんは耐えられずに眠ってしまい、森は座ったまま寝息を立てている。
俺、何してんだろう。
こういう時、序盤にはしゃぐ奴から無様に倒れていくのだ。そんで残った者には寝床など与えられない。早い者勝ち、弱肉強食が世の常である。誰の部屋だと思ってんだこいつらは。くそ、一人ずつセクハラしていくぞこの野郎。つーか無防備過ぎる。ヒッキーでオタな伸田さんとはいえ、一応男なんだぞ。そう、男は狼。女は羊? いや、そんな事はないけど、けどさあ。……こいつら、俺を何だと思ってるんだろう。そもそも、俺はこいつらをどう思ってるんだろう。都市伝説だってのは分かってる。友達? まあ、それが一番正解に近いか。でもさー男と女がいるんだからちょっとくらい期待したって良いじゃない! むしろもう何かされても良いや的な感じでここにいるんじゃないの、彼女たちは! 違うの!?
「…………はあ」
しないけど。出来ないけど。んなメンタルやら勇気があったら引きこもってないっつーの。多分、今の関係が居心地良いんだ。一番、良いに決まってる。気分直しにえげつない映画でも見るか。地中からでっけーミミズのバケモンが暴れ回る奴を見よう。下品で失礼な事は忘れて、煩悩を消し去るプランでも練ろうじゃないか。
…………重い。
今、何時だ? そんで、腹になんか乗っかってる……何、これ?
「ひ、あっ……」
誰かの足かコレ。俺は目を開ける。テレビは点けっぱなしだった。どうやら、テレビの前で寝てしまっていたらしい。寝落ちとか久しぶりである。
「ああっ、ちょ、やめ……てっ」
ケータイが近くにないかと手を伸ばそうとした。
「んっ、んん……あっ、ああっ…………このっ、変態がっ!」
「いだっ!?」
腹に踵が突き刺さる。やばいやばい吐きそう。
「な、何を……」
「あたしの台詞よ! セクハラがっ、本気で殺すわよあなた!」
メリーさんが立ち上がってこっちを睨んでいる。顔、すげえ真っ赤だった。あーなるほど、俺が触ってたのは彼女の足だったのか。そっちの寝相が悪いのが、悪い。
「足。お、重かった」
「失礼過ぎるでしょう!?」
腹を摩りながら体を起こすと、森は布団に、大口はベッドで眠っている。……いつの間にか、メリーさんのいた布団に、森が潜り込んでいたらしい。同性の強みである。いや、男同士で同衾とか死んでも嫌だけど。
「最悪ね。……あなた、寝ている間、私たちに何もしなかったでしょうね」
「してないよ」
「どうかしら。あんなにやらしい手つきで触れるんだもの。手慣れているとしか思えないわ。この痴漢が」
痴漢しに行く服がないし、あったとしてもやらねえよ。俺のヘタレっぷりを舐めるんじゃねえ。
「はあ、気分悪い」お前は寝相が悪いんだ。
「気分直しにプリンが食べたい。行ってきなさい」
「え、ええ……?」
今、何時だと思ってんだ。真昼だぞ真昼。そんな時間に外へ出られるか。太陽の光を見たら目が潰れるし、浴びたら灰になっちまうのがヒッキーなんだぞ。
「プーリーン! 行かないんなら、くだんに言いつけるわよ」
ぐっ、脅しのつもりか。けど、言いたきゃ言えよ。お前、ケータイ壊れてるし、ここにはくだんがいない訳だしな。
「くだんに何を言いつけるつもり?」
「それは……えっ、いた、の?」
ニット帽が大口の脇からにょきっと。くだんがベッドから現れる。いつの間に来ていたんだろう。つーか、声掛けろよ。
「皆就寝していたので、くだんもベッドを借りていた。ソーメイ、事後報告になって申し訳ないとくだんは思っている」
そういや、こいつはこういう奴だった。