客の消えるブティック
肌に食い込む。瞼に手が掛かる。無理矢理に目を見開かされる。
「あ、うっ……や、や……」
声はざわめきに掻き消される。助けを呼びたくても、ここには誰もいない。閉ざされた空間、仕切られた世界。無神論者は家族に縋る。父を、母を、それから兄を想い、名を呼ぶ。自分はここだと、涙を流して救いを求める。許しを請う。
薄れる意識、ぼやける視界。少女はそれでも生を繋ぎ止めようと必死だった。が、彼女の口の中に指が入り込む。見ず知らずの手が少女に襲い掛かる。
そう、それは手だ。床から、鏡から、壁から、数多の手が生え、伸びている。それらが少女の肢体に群がっていた。
少女はブティックの試着室にいた。開店したばかりのここに、友人に連れられて来たのである。だが、何を叫んでも声は届かない。薄いカーテンの先、友人は確かにいる筈なのだ。手を伸ばせば、すぐに届く。助かる筈なのに。
「はっ……あ」
少女の白い喉に指が食い込んだ。目の奥が光り、反転していく。黒が白に変わっていく。積み重なり、降り積もってきたモノが消えてなくなるような錯覚を覚えた。家族との記憶も、片思いをしていたクラスメートの男の子も、何もかもが遠い日の幻に思えて、彼女の足元はぐらつき始める。浮遊感が身を包み、以前、似たような経験をしたのを思い出す。幼い頃、海で溺れた出来事と、現在の少女の認識が曖昧になる。混ざり合い、濁る。思考は纏まらず視点は定まらず、しかし、彼女には一つ、確かな事があった。
もう、自分を呼ぶ声は聞こえない。
もう、自分の手を引く者は現れない。
もう、苦しいところからは抜け出せない。
もう、全て終わりなのだ。
それだけは分かって、それだけが分かって、それだけしか分からなくて、少女は目を瞑ろうとした。しかし、彼女を這い回る腕が、手が、そうはさせなかった。最後の最後まで、少女は醜く、おぞましいモノを見ながら――――。