続々々・ひきこさん
目的地はない。ゴールは目に見えない。ただ、歩き続けるだけだ。メリーさんが何か言うが、雨は強くなっていて彼女の声を掻き消す。そもそも、文句か俺に対する悪口なので聞くつもりはない。はあ、疲れた。本当に、ひきこさんは現れるんだろうか。
「必ず、現れる」
「……え?」
くだんが前を向く。俺は彼女の背中を見る事しか出来ない。だけど、くだんは、信じている。皮肉なもんだ。その相手は彼女が滅ぼすべき都市伝説なんだから。
「そろそろ本当の事を話してくれても良いんじゃないかしら。あたしだって何となく分かってるんだし」
メリーさんはこちらを見ないまま、すたすたと歩く。
「ひきこさん、でしょ? あたしに内緒で何かやろうとしているのは気に入らないけど、町を守る為にそいつを倒すって言うんなら、まあ、勘弁してあげても良いかな」
別に。俺はただ付いてきてるだけだし、町を守るなんて滅多な事は言わねえ。くだんだって、ただ、都市伝説を滅ぼすだけだ。町を守るだなんて、天地が引っ繰り返ったって言わないだろう。そんな安い台詞を吐くのはお前だけだメリーさん。
「……ね、ねえ、ほ、本当の事、言わないの?」
「ん、せめてあと五分は」
「ちょっと、こそこそと……!」
メリーさんが角を曲がりかける。が、彼女は足を止めて、何か言い掛けて、それきり黙った。何事かと思って見てみれば、メリーさんはカエルみたいに引っ繰り返ってやがる。
「来た」
角を曲がって現れたのは、白い和装を着崩している髪の長い女だ。彼女は右腕をぶら下げている。いや、引きずっている。三人目の犠牲者、前に会った時よりも、それの損傷は酷くなっているような気がした。ひきこさん。そいつは俺たちをじっと見詰めたまま動かない。まさか、こいつがメリーさんを……。
「心配は不要。メリーさんは失神しているだけ」
失神? は? なんで?
「大方、ひきこさんと出遭って、恐怖が、精神を保持する限界を上回ったのだろうとくだんは見ている」
つっかえねえ! つーか都市伝説が都市伝説を見て気絶すんのかよ。俺以下じゃねえか。
「ひ、酷い……」
あ?
「わ、私を見て気絶するなんて、そんなに、私が不細工だって言うんですか……」
ひきこさんがメリーさんを見下ろしている。彼女は持っていたモノを手放し、両腕を伸ばした。っておいおい何をするつもりだよ!
「させない」
いち早くくだんが反応する。彼女はひきこさんの腕を傘で払って、メリーさんを庇うようにして立った。
「ソーメイ、今の時刻を」
「う、うん」
慌てて、携帯を確認する。えっと、今は。
「し、七月一日の、えと、午後、七時五十八分」
「時間がなんですか」
「……っ!?」
くだんがその場から飛び退いた。彼女が予言する前に、ひきこさんが両腕を伸ばしている。
知っているのか?
いや、知らない筈だ。ひきこさんはくだんの予言について、何も知らない。たまたまだ。だけど、今の状況じゃあ予言する暇なんかない。とりあえず、俺はメリーさんを引っ張っていく。邪魔にならない、そこそこ安全な距離を考え、手近な電信柱に頭を預けさせた。
くだんとひきこさんが向かい合う。距離は、近い。一メートル、あるか、ないか。……まずい。くだんは予言を行っていない。身体能力だけで言えば、ひきこさんに軍配が上がるだろう。
「何故、ソーメイを殺害しなかった?」
自分でも分かっているのだろう。くだんは時間稼ぎか、隙を窺うつもりなのか、唐突に話を切り出した。今の内に、俺は大口にメールを打っておく。けど、あいつが来たって基本的にはどうにもならない。
「ソーメイ、とは?」
乗ってきた。怖かったけど、俺は少しだけ手を上げてみせる。ひきこさんはこっちに気がつくと、納得したように小さな声を漏らした。
「あの人は、私に似ていましたから」
「そう? ソーメイとあなたはまるで似ていない。性別も、体格も」
「似ています」
断言されてしまう。えっと、どこが似てるのか……って、まあ、ですよね。
「あの人も、私と同じです。いじめられて、引きこもって、この世を呪っているんです」
ああ、そうか。だから俺は見逃されたのか。
「……ソーメイ?」
えーと、ごめん、正しくその通り。類は友を呼ぶとも言うが、まさか俺の友達が都市伝説だったとは。いや、今更か。しかしよくぞ見破った。そう、俺は高校に馴染めず部屋に引きこもりリアル充実している奴らと俺をこんな目に遭わせてもいつも通りに回り続ける地球を呪っている! でも行動には移さない。そこが、俺とひきこさんとの違い。
「あなたが何者なのか知りませんが、私の邪魔をしないでください。私は、私を含め、私と同じ苦しみを抱えている人たちを救いたいだけなんです」
「人間を殺害する事で取得出来る救済など存在しない」
「します。現に、私が殺した人たちにいじめられる人は助かったと思っている筈ですよ」
くだんは情けなく伸びているメリーさんを一瞥する。
「いじめは良くない事かもしれない。けれど必要悪でもある」
「必要、悪?」
ひきこさんはくだんをまっすぐに見る。長い髪の毛が雨で乱れて、頬に張りついていた。覗いた目は、血走っている。
「当人同士の問題に介入すべきではない」
そう、か。ひきこさんは、復讐しているんだ。でも、暴力ってのは最低だ。まして、人を殺すなんて一番やっちゃいけない事だろう。
「いじめられた事のない人の言いそうな台詞ですね。次は、いじめられる側にも原因があるなんて言い出すつもりですか? それは、いじめる側の、都合の良い言い訳です。あなただって、いじめは良くないと思っているんでしょう」
「何を言おうと、殺人は何人にも許可されない」
「だったら!」
大声に、俺はびくりと震える。
「ずっといじめられろと!? 私は何もしていないのに! ただ、生まれてきただけ! どうしていじめられなきゃいけなかったんですか!?」
悲痛な叫び。感情全部をぶち込んだ、必死な声。
「人に嫌な思いをさせてへらへらと笑っている! そんな奴らがのうのうと生きていても良いと言うんですか!」
「それでも、くだんは都市伝説を殲滅する」
「それでも私は奴らを許さない!」
彼女の声は、俺の胸を強く打った。一から十、ひきこさんが正しい訳じゃあない。感情論が罷り通るなら、この世に法律なんていらないんだ。だけど、だけどさあ、分かる。分かるよ。分かっちゃうんだよ。
「ソーメイ、時間を」
悪い事をしたら、死ぬのは当然だって、そりゃ、思う。今でもそう思う。だけど、どうしたってやり切れない。そいつが悪い事をしたのには理由があるんじゃないのか。どんなに小さくても、他の奴から見たらくだらない理由だったとしても、でも。
「ソーメイ?」
「……だ、だめだ」
くだんが俺を見る。表情は変わらない。だけど、彼女は戸惑っているようにも見えた。
「ひ、ひきこさんは、こ、殺せない」
俺の言葉に驚いたのはくだんではなく、ひきこさんだった。彼女は信じられないとでも言いたげにこっちを見る。その手は真っ赤に汚れていたが、天水が少しずつ血を流していく。
「ソーメイはひきこさんを見逃せと言いたいの? ……不可能。諦めて欲しい」
首を横に振って、抵抗した。
「ひきこさんは、大口咲ともメリーさんとも違う。私意によって殺人を犯した。罪には罰がつき物、まして彼女は都市伝説。見逃す理由はないと、くだんは思う」
「そっ、それでも駄目だ……」
「くだんを納得させる理由がないのなら、くだんは君の言う事を聞けない。……くだんはよげ――――」
「逃げてっ!」
体が勝手に動く。頭がおかしくなったらしい。ひきこさんは人を殺してる。なのに、俺はそいつを逃がそうとしていた。くだんを後ろから抱えて、彼女の口に手を当てる。馬鹿だ。
ひきこさんは何が起こっているのか把握出来なかったらしいが、来た道を小走りで引き返していく。彼女の背中が消えたのを確認して、俺はくだんから離れた。
「くだんは」
俺は顔を上げられない。
「君を誤解していたらしい」
やっちまった。
「君はくだんの味方でいてくれると思っていた」
今更後悔したって遅いよな。
くだんが歩き始める。逃げたひきこさんを追うのだろう。追い掛けて、追い詰めて、殺しちまうんだろう。
「駄目だ」
彼女は律儀だ。俺なんか無視しちまえば良いのに、話を聞こうとする。
「……お願いだから、殺さないで。せめて、話だけでも聞いてよ」
「ひきこさんの? それとも、君の?」
出来れば、両方。
「君にこの町を守護しろとは言わない。誰かを助けろとは言わない。でも、せめて、くだんの邪魔はしないで欲しい」
「ひきこさんを殺すんだね」
「彼女には殺される理由がある」
「だったら、殺された奴らにも理由ってのがあるんだよね」
顔を上げる。くだんは泣いていた。……いや、違う。雨だよ、雨。それが彼女の頬に伝っていたから、そう見えただけ。
「君は何か勘違いをしている。くだんは、ひきこさんが都市伝説だから滅ぼすだけ」
「じゃあ、どうして助けてくれたの?」
「何を? くだんは何も助けていない」
「大口と、メリーさんの事だよ」
雨が鬱陶しい。服はもうぐしゃぐしゃに濡れてる。早く帰って、風呂に入りたい。これだ。これだよ。外に出たらいつもこんな目に遭う。こんな目にしか遭ってない。辛くてしんどい事ばっかじゃねえか。
「あの二人だって都市伝説じゃないか。なのに、どうして?」
「あの二人は人を殺していなかった。だから……」
「関係、ないんじゃないの。都市伝説だから殺すんでしょ、くだんは」
俺は何を言って、何をやってんだろう。どうして、くだんを敵に回すような事を。どうして、彼女を困らせるような事を。
「分かってるよ。ひきこさんは都市伝説だし、人を殺してる」
「では、君は何故くだんの予言を妨害した」
「分からないんだ」
本当に、何なんだろう。
「君は都市伝説の肩を持つつもりらしい」
「予言、使うの?」
「必要とあらば、くだんは君を消す。……どうにも、君という存在はくだんに影響を与えている。そんな気がしている」
くだんは俺から視線を外す。彼女のこんな仕草、初めて見たんじゃないだろうか。でも、それは大いなる勘違いだ。俺は誰にも影響を与えられない。しかも、くだんにだって? ない。ないない。
「くだんはひきこさんを消滅させたい。けれど、君は邪魔をする」
俺は頷く。ここまでやっちまったんだ。中途半端に退けるかよ。
「くだんは、君に危害を加えたくない。退いてくれるのを望む」
「退けない」
そういや、何だか声がすっと出る。覚悟が決まっていたからなのか、電話で話しているのと同じような感じだった。何だ、俺も普通に喋れるじゃん。気付くのが遅かった。畜生。
「やるんならやりなよ」
ああ、畜生。生きてたって良い事ないもんなあ。ひきこさんの言う通り、俺みたいな奴はいじめられて、引きこもって、自分以外を呪いながら死んでくんだもん。じゃあ、もう良い。どうでもいーじゃんなあ。
「あなたは退いてください」
「……え。なん、で?」
逃げた筈なのに、おかしいな。ひきこさんが、こっちに戻ってきてる。
「どう、して?」
ひきこさんはゆっくりと首を振り、俺に微笑み掛けた。ちょっと、可愛かった。彼女はくだんと向かい合い、
「その人を殺す必要はありません。私を殺してください」
言った。
「心変わりをしたつもりはないですから」
「……くだんとしては助かる。しかし、突然」
「私、人に優しくされた事なんてなかったんです。優しい人が私の代わりに死ぬのは、望むところじゃないですから」
俺が、優しい? いや、違う。やっぱり違うんだよ。大口の時も、メリーさんの時も、今だって、いつだって、俺は、俺が救われたいだけなんだ。
「あの、お名前、聞かせてもらえませんか?」
「……伸田、聡明」
ひきこさんはまた、笑む。嘘だよ、そりゃ。さっきまで都市伝説やってたのに、どうしてそんな顔をしてるんだよ。
「ありがとう、伸田さん。あなたのお陰で、私は良い気分で死ねます」
死ぬってのに、笑ってられるのか。
「私はあいつらを殺したけど後悔してません。罪はこうして償えますけど、謝るつもりはないんです。だって、悔しいじゃないですか」
「ちょっと、ちょっと待って、くだん」
「……くだんは予言する」
「く、くだん……」
何が正しいってんだ。誰が正しいってんだ。何が間違ってて誰が間違ってて、本当に、正誤なんてもんがあるのかよ。
「そう、私はひきこ。三人殺した都市伝説。……伸田さん、あなたともっと前に、もっと早く知り合えてたら、それだけが心残りです」
それがどうしたってんだよ。こんなの、ない。ずるい。卑怯だ。全部嫌だ。だから嫌いなんだ。世界なんか滅んでしまえば良い。これじゃあ俺が救われない。どうして、こんなの見なきゃ、知らなきゃならないんだ。
「くだん、くだんっ、くだん! お願いだ、何でもするから! 何だって言う事聞くから! ひきこさんを殺さないでっ!」
「君は我儘。ひきこさんに殺された人間、その家族にも同様の事を発言出来る?」
「そっ、そうしろって言うんなら、何でもする!」
「屈んで」
くだんの指示に従う。彼女に見下ろされる。高く、音が鳴った。冷たい頬が熱を持つ。叩かれたんだと気付いて、次に痛みがやってくる。
「や、やめて、やめてください。伸田さん、私はもう、良いですから」
「顔を上げて」同じところを叩かれた。
くだんは掌を見つめ、また振り上げる。今度は左の頬に痛みが走った。
「くだんは警察ではない。ひきこさんは都市伝説、誰にも裁けない。くだん以外には誰も、何も出来ない」
ぱあんと、もう一発。
「くだんは多分、君に失望していると思う。憤慨もしている。くだんは君を邪魔だと思っている」
「もうやめてくださいっ」
「選択して欲しい。君はひきこさんを守り、死者とその家族、友人、知人に唾を吐き掛けるのか。ひきこさんを見捨てるのか」
「くだん、ごめん」
本当にごめん。でも、やっぱり嫌だ。例えば、他の誰かが人を殺しても、俺は何とも思わない。だけど、知ってしまった。俺とひきこさんは似てる。下手すりゃ、俺だって馬鹿な事をやってたかもしれないんだ。だから、ひきこさんはきっと同じなんだよ。
「……くだんは都市伝説を滅ぼす」
うん。
「死者に対しては何も思わない。くだんは、くだんだから。だから、くだんは君の意志を尊重したい」
何か言おうと思ったけど、痛くて話しづらい。諦める。
「一つ、くだんと約束して欲しい」
「何でも、する」
「命令ではない。約束を」
約束……?
「次はないと、そう思って欲しい。本来なら、有り得てはいけない結末。くだんはそれを無理に曲げる。君には、分かってもらいたい」
くだんは掌を握る。次はグーで殴られるのかと思ったけど、彼女はゆっくりと、それを広げていく。
「苦痛を与えて、済まない。……くだんは君に、許されたいと思っている」
初めて会った時から、ずっと思ってた。くだんは何者なんだろうって。けど、良いや。電波受信する女の子でも、人間じゃなくても、何でも。くだんはきっと不器用で、優しい。少なくとも俺はそう思う。部外者は黙れ。これは俺と彼女の問題だ。誰かの生き死にだとか、善悪だとか、正誤だとか、関係ねえよ。
「俺も、くだんに許されたい」
「ありがとう」
くだんは、笑った。小さく、本当に、微かに。
「ソーメイ、君に感謝を」