ベッドの下の男・参
「ちなみに、隙間男、隙間女と目が合うと異次元に連れて行かれて二度とこの世に戻れない」
で、くだんがここにいるって事は、都市伝説を探しているって事は、アレだろ。俺も付き合わされるってパターンなんだろ。外に連れて行かれるんだろ。俺にとっちゃ、この部屋以外の空間は全部異次元なんだよ。誰が出るか。俺は忙しいんだよ妄想するのにさあ。
「ふうん、色んな奴がいるのね。あ、ほら、あなたの後ろにも似たようなのがいるわよ」
驚かそうたって無駄だぜ。メリーさんを無視して、テレビの電源を点ける。クソつまらんワイドショーが流れていたが、こいつの話を聞くよりはマシだ。
「この家からは変な気配を感じるから」
「へ、変な……?」
「うん、くだんも同感だと思う」
そりゃ感じるだろ。つーか変な奴らなら目の前にいるしな。何、自虐してんの?
「だからくだんはソーメイの家に来た」
「じゃ、やっぱりいるのね」
「……え、え?」
ちょ、ちょいちょい、ちょっと待ってくれ。話が変な方に転がってないか。いるとかいないとか、いや、いないけどな。いないけど!
「い、妹、じゃ、ないの?」
「あなたの妹って人間でしょう? あたしたちが感じてるのはもっと別のモノの気配よ」
人間じゃない何かが俺の家にいるってのか。冗談きついぜ。……いや、とっくに冗談なんかじゃなくなってるけど。
俺は助けを求める意味を込めて、くだんに視線を向けた。が、彼女は表情一つ変えずに言い放つ。
「うん、ベッド下の男はこの家に潜伏しているのだとくだんは断定する」
うん、じゃねえよう! そうじゃないだろう! どうして俺の不安を煽るような事を言うかなあ。
「ソーメイ」
「え、あ、な、何?」
「この家のベッドを見せて欲しいと、くだんは懇願する」
してねえし。
「そ、それは、その、ちょっと……」
「何よ、ベッドの一つや二つぐらい良いじゃない」
そりゃベッドの下を覗かせるぐらいなら構わないけど、家の中を歩き回られるのは嫌だし、第一、今は妹がいる。くだんたちを連れ込んで……いや、入り込んでいるのがバレたらどうなるか。考えただけでも恐ろしい。
「都市伝説を野放しには出来ない」
断っても、無駄だろうな。多分、くだんは俺を痛め付けてでも、無視してでもここを押し通る筈だ。それが、彼女のやるべき事だから。
「ソーメイ」
じっと見つめられ、俺は視線をドアへと逃がす。ま、まあ、本当にベッド下の男がいるとは限らないし、いたとしたら、一番危ないのは俺だもんな。
「わ、分かった」
「分かれば良いのよ」
ベッドの縁に座っていたメリーさんが立ち上がる。
「さあ、行きましょう。ベッド下の男を見つけ出して血祭りに……」
待てやコラ。ここをどこだと思ってやがる。
俺はメリーさんの片足を両足で挟み、体重を掛けた。彼女は痛みに耐えかねて、しかし悲鳴だけは出すまいと、弱音だけは吐くまいと思ったんだろう。無言で、しかし激しくタップする。必死でタップする都市伝説ってもう何なんだよ。
「お、穏便に」
「あなたがそれを言う!?」
解放されたメリーさんは床に座り込み、叫んだ。
「ん、くだんが迂闊だった。ここはソーメイの家。ソーメイの意見を尊重したい。出来る限り、跡が残らないように対処すべきだと判断する」
「あ、あり、がとう」
けど、どうしてだろう。くだんを百パーセント信じ切れない。
こっそりと部屋の扉を開けて、妹が出てこないのを確認する。
「自分の家なのにこそこそする必要があるのかしら」
お前らがいるからだろ。
「こ、こっち……」
ベッドとは言うが、家には親のが二つ。妹のが一つぐらいしかない。……三分の一か。いやいや、いない。いないぞ。都市伝説なんて俺の家にはいないんだ!
結論から言うと、いなかった。
目の前にはメリーさんって奴がいるんだけど。まあ、とにかくベッド下の男はいなかった。
ただし、両親のベッドには、の話。まだ妹の部屋にあるベッドの下を調べていない。調べていないけど、いや、なあ? 無理でしょ。
「じゃ、妹の部屋に行きましょうか」
父親の部屋を出たメリーさんが意気揚々と歩き出す。
「む、無理、だから」
「どうしてよ?」
どうしてもこうしてもあるか。
「しかしソーメイ、もしも君の妹の部屋に都市伝説がいたのなら、君の妹は今も危機に晒されている事になる」
「だ、だけど……」
「妹が部屋から出た隙を見計らえば良いじゃない。ご飯を食べたりお風呂に入ったりで、全く出てこないって事はないでしょう」
それでも危ない橋だとは思うが、ここでメリーさんの意見に同調しとかないと。このままだと橋を渡るどころかぶっ壊して、『関係ない』と空でも飛びそうな勢いになりそうな奴が一人いる。
「じゃ、じゃあ、チャンスを……」
「チャンスとは――」
待とうと言おうとしたところで、くだんが割り込んだ。
「――待つものではないとくだんは思う。自分の手で手繰り寄せてこそチャンスなのだとくだんは常日頃から思っている」
え、えー? 急に良さげな事を言うんじゃないよ。チャンスを待とうよ。果報は寝て待てって言うだろうが。
「ちなみに、くだんは『果報は寝て待て』という言葉を嫌悪している」
噴き出しそうになった。
「ああ、あたしも何となく分かるわ。そうね、寝てるだけで幸せが来るなら……」
メリーさんは俺を見て、ふっと笑った。
「あなたはとっくに幸せになっているものね」
ダウンしてる相手に追い討ち掛けるんじゃねえよ。
くだんはぐっと拳を作り、妹の部屋の前に立つ。
「な、何を……」
「ソーメイはアマテラスを知っている?」
「う、うん」
アレだろ。ヒッキーの神様だろ。
「天岩戸に引きこもったアマテラスを引きずり出すには、外で騒がしくしていれば良いとくだんは思う。つまり……」
な、な、なっ、なんでやねん! なんでそんな事すんねん!
俺は慌てて首を振り、くだんの前に立ち塞がる。
「そこにいると、くだんはドアを殴打出来ない」
「し、しなくて良いよ」
「それでは君の妹を部屋から出せない」
相変わらず淡々とした口調ではあるが、くだんはやる時はやる奴だ。何とかしないと……。
「安心して欲しい。ソーメイは何かを忘却している」
「な、何、を?」
「くだんには予言がある。仮に、ソーメイの妹にくだんたちが姿を目撃されたとしても記憶の改竄、捏造は可能」
あ、ああ、確かに。だけど、悪影響とかないよな? あったとして、くだんが考えを改めてくれるとは到底思えないが。
「じゃ、じゃあ、それで……」
言い掛けた時、
「ちょっとコラ、クソニート、静の部屋の前でぶつぶつうっさいのよ。一人で何喋ってる訳? 暑さで頭壊れちゃったの?」
妹が、ドアを開ける。まずい。そう思った時には遅い。
「……え?」
くだんと、妹の目が合う。はっ、早く予言を使うんだ!
風を切る音がして、妹の体が崩れ落ちる。最初は何が起こったのか理解出来なかったが、妹の腹にくだんの拳がめり込んでいるのを見て、俺は血の気が引いた。
だが、くだんは別に気にした素振りも見せず、妹を廊下に寝かせる。ぞんざいな手つきで。……つーか、おい。予言使えよ!
「咄嗟に手が出てしまった。ソーメイとソーメイの妹には申し訳ないと、くだんは思っている」
まあ、手加減はしておいた、と言うくだんを信じよう。信じるしかない。
くだんは妹の部屋にずかずかと踏み入り、メリーさんもその後に続く。俺はといえば、少し躊躇っていた。何つーか、入り辛い。俺はドアを開け放って、中の様子を廊下から覗いていた。
「あなたの妹にしてはまともな部屋ね」
内装は全体的にピンクっぽい感じの部屋。メリーさんは着ているジャージの色のせいだろうか、うまい事溶け込んでいるように見える。どうせならそのまま溶けちまえ。
しかし、こいつの……妹の部屋を見たのは何年振りだろうか。
「さて」
くだんはひとりごちて、四つんばいの体勢でベッドの下を覗き込む。俺は何故か目を逸らしてしまった。本棚に並べられた少女漫画を見遣り……ん? あっ、これ俺の漫画じゃねえか。良く見たらこれも、これも。あのクソが、どうやったかは知らねえが勝手に持ち出しやがって。腹いせに単行本の順番をめちゃくちゃに入れ替えてやる。ついでに部屋の模様替えもしといてやろう。
「あっ」
メリーさんが何か見つけたのか、間の抜けた声を発する。無視して、机の上に置かれた教科書に落書きをしていると、ふと、妙な気配を感じた。振り返ると、ベッドの上に何か、いや、誰かが乗っている。顔面は血だらけで、腫れ上がっていた。可哀相に、じゃ、ない。そうじゃねえ。そうだよっ、お前誰だよ!?
「……え、あ、なっ、何……?」
いつの間にそこにいたのか、顔面ボコボコの男はベッドで正座していた。チェック柄の服は破れていて、ジーンズですら『あ、これダメージなんすわー』って言い張る事すら無理な状態になっている。ひっでえ。あまりにも可哀相な格好じゃねえか。一体、誰にやられたんだお前。
「ソーメイ、やはりベッド下の男は君の妹の部屋に潜んでいた。しかし安心して欲しい」
くだんは赤い液体の付着した手をぱっと広げて、それから男を指差す。な、何? こいつが、この可哀想なのがベッド下の男だって?
「都市伝説は既に無力化している」
まあ、誰がやったかなんて考えるまでもなかった。やりやがった。都市伝説が俺の家にいるって事実よりも、くだんが物音一つ立てずに男をボコボコにしたって事のが恐い。どれくらい恐いかって言うと、メリーさんが青くなって僅かに震えているぐらい恐い。何を見たってんだよ。
「やはりくだんの予想は外れない」
満足そうに頷くくだん。彼女は男を見据えて、ふっと俺に顔を向けた。
「ソーメイ、許可を」
「きょ、許可って、そ、その、何の?」
「勿論、都市伝説を滅する為の」
いや、んなもん許可なんか取る必要ねえじゃん。だって、こいつはベッド下の男で、都市伝説で、人殺しのクソ野郎なんだろ。第一、俺の城にいるってのが腹立つ。そう、例えば俺の事が好きで好きでたまらない可愛い女の子なり、俺を幸せにしてくれる可愛い座敷童だったなら許せる。勝手に居座ってくれて構わない。むしろ早く来てくれ。それを踏まえると、てめーは駄目だ。可愛くねーし男だし、見ているだけで不愉快になってくる。幾ら死にかけだろうがボコボコにされてようが知るもんかよ。俺にとっちゃ、こいつはゴキブリと大差ない存在なんだ。
「……は、早く、どうにかして、欲しいん、だけど」
「では、ベッド下の男を四散させる許可を」
何だって? 四散……? あ、ああっ、まさかくだん、妹の部屋で都市伝説をぐっちゃぐちゃにする気なのか? ふッざけんなッ、四散どころか爆散じゃねえか! 肉とか、何だかもう絶対に見たくない見ちゃいけないモノを飛び出させる訳にはいかん。いかんぞ。外でならともかく身内の部屋っつーか俺んちでそんな事されたら困るどころの話じゃない。
「そ、それは……」
「許可をもらえないとくだんも困る。都市伝説を放置するつもりはない」
「……くだんって、他にバリエーションがないのかしら」
メリーさんが疲れた風に息を吐く。まあ、確かにワンパターンっつーかお約束っつーか。
「こ、困るよ。僕の家が、む、むちゃくちゃになっちゃう……」
「どうやら、ソーメイは四散が気に入らない様子。……では、痕跡が残らない手段なら構わない?」
まあ、それなら。と言うかそう頼んでた筈なんだけど。
「ソーメイ、時間を教えて欲しい」
「あ、うん」
頷き、俺は妹の部屋のデジタル時計に視線を向ける。くだんが自分で確認したら良いじゃんって意見は黙殺だ。彼女が尋ね、彼女が頼んでいるのだから、答えない道理はない。
「に、二十六日、の、午後、く、九時の、三十分……」
「君に感謝を。では、くだんは予言する。『六月二十六日午後九時三十一分、ベッド下の男は霧散する』」
嘘のような、でもそれは本当に起こった事で。
ベッドの上で正座していたベッド下の男は、少しずつ消えていく。足の先から少しずつ空気に溶け込むように、その存在は薄くなっていく。
「これなら跡形も残らない。くだんとしては、いささか不満ではあるけれど」
くだんは拗ねたように言った。尤も、彼女の表情からは変化と言うものが読み取れなかったけど。
まあ、これなら大丈夫。問題ないだろう。妹が目を覚ましたところで、何も覚えちゃいない。そもそも、ベッド下の男がいた、なんて現実を知らなくて良い。知ったら知ったでうるさいしな。
「しかし呆気なかったわね。出てきたと思ったらくだんに痛め付けられてこの世から消されるんだもの」
それは、同感。大した見せ場もないままに、つーか、何が何だか分からないままに勝手に終わってた。そりゃあ、何も起こらない内に消えてくれた方が助かるけどな。
「……くだんは、少々眠たい」
くだんは呟き、部屋を出て行こうとする。彼女が扉を開けると、目を覚ましたばかりであろう妹と目が合った。
「え、だ、誰……?」
立ち上がり掛けた妹がくだんを指差す。
瞬間、くだんは妹の腹に痛烈な膝蹴りを見舞った。声もなく、妹は崩れ落ちていく。俺もメリーさんも何も言えなかった。
「しまった」
頭に手を遣り、
「つい、足が出てしまった。いや、今の場合膝と言うべきなのかとくだんは困惑している」
くだんはニット帽を被り直す。恥ずかしそうなその仕草は、この場には似つかわしくなかった。
翌朝、俺が匿名掲示板でニートどもを煽っていると、
「ねえ、ちょっと」
控えめにドアがノックされた。誰だと考える必要はない。月曜の朝、平日の朝、両親はいつの間にか帰ってきてて、とっくに仕事へ行った。家にいるのは俺と妹だけ。
だから、こいつの殊勝? な態度に驚く。いつもならもっと豪快に、バイオレンスにドアが叩かれる筈だからな。
「な、何……?」
「あのさ、話があるんだけど。開けてよ」
「と、扉越しでも、良い、じゃないか」
「……ごくつぶし」
憎たらしく言うと、妹は黙る。が、この口から先に生まれてきたような女が一分も黙っていられる筈はない。
「じゃあ、このままでも良い。……あんたさ、静の部屋に入ったでしょ」
まあ、入ったか入ってないかで言えば、入った。つーか完全に入ってます。
「勝手に部屋の中弄繰り回したり、しかも静のお腹を殴ったりしたでしょ」
いや、それは俺じゃねえ。くだんだ。
「殴った? 殴ったよね? ん、でも、まあ、それは良いの」
「え……?」
馬鹿な。目には両目を、歯には前歯全部を、親を殺されれば一族郎党皆殺し。執念深い妹から発せられる台詞とは思えん。俺がやった事ではないにしろ、恐ろしい報復を予想していたのに。
「とにかく、あんたが静の部屋に入ったってのが聞きたかったの」
けど、良かった。てっきりくだんたちの事を覚えているかと思ったんだが、まあ、夢だと自分の中で処理してくれたらしい。
「ど、どう、して?」
「……ベッドのところ。枕元に、知らない奴の髪の毛がついてた。静のじゃない。あんたのでもない。女の人のっぽい髪の毛。ねえ、あんたの仕業よね?」
あー、なるほどね。まあ、大方くだんかメリーさんのじゃねえのか。何もビビるような……いや、怖いか。妹にしてみりゃ知らない奴の毛ぇだもんな。しかし、どう説明すれば良いのか。
「う、あ、えー、と。そ、その、ご、ごめん」
「何。何よ。仕返し? いつも静に本当の事言われてるから、あんな事したの?」
したの? っつーか、してくれ。あの髪の毛はお前の悪戯って事にしといてくれって言われてるみたいだった。
「ごめん」
ま、そういう事にしといてやろう。関わらなくて良いものには関わらない方が良い。ああ、俺って優しいお兄ちゃん。
「ふっざけんなバーカ!」
ドアを(恐らく)蹴飛ばした妹は、あらん限りの声で叫んだ。
「ま、まあ? 今回だけは許したげる。学校から帰ってきたらまたボロクソにしてあげるけどね」
許してねえじゃん。
「ところでさ、あんなのどっから用意したの? ながーい茶髪。最近はそーゆーのも通販出来ちゃう訳? マジ、気色悪い。本当、あんたなんか死んじゃえば良いのに」
長い、茶髪。くだんじゃなくて犯人はメリーさんだったのか。
……いや、ちょっと待てよ。メリーさんって妹のベッドに近付いてたっけ? こいつの部屋にいた時間はそんなに長くない。その間、ベッドの近くにいたのはベッド下の男を引きずり出してボコボコにしてたくだんと、殴られてた男だけだ。くだんの髪の毛は黒いし、大体言うほど長くない。ベッド下の男だって茶髪ではなかったし。けど、メリーさんはベッドに近付いてなかった。更に言えば、俺はそんな手の込んだ悪戯なんか仕掛けちゃいない。
じゃあ、妹の言う髪の毛って、何? つーか、誰の?
「そんじゃ、行ってくるから。しっかり自宅警備しときなさいよね」
「あ、ちょ……」
妹が俺の部屋から遠ざかり、玄関のドアの開く音が聞こえた。
今、家には俺一人。
けど、何だか、妙に、その、嫌な感じっつーか。隙間が気になるっつーか。
俺、一人。
俺だけの、筈、だよな? 他に誰もいない、よ、な?




