ベッドの下の男・壱
半年付き合った彼氏に振られた。
悲しくはない。ただ、悔しい。振ったのではなく、振られた事が。即ち、男の方が先にタイミングを見切り、自分に見切りをつけたのだ。別れるんだろうなと薄々は気付いていたのである。後は、いつ、言うか。結婚を前提にしない。それどころか先すら見えていなかった半年間の交際、最後の楽しみは相手に奪われた。
「やってらんねえ」
テーブルに突っ伏すのは長い髪を茶色に染めた女である。
「……飲み過ぎだよ」と、その女の対面に座る眼鏡を掛けた気の弱そうな女が、やはり弱々しい声を発した。
テーブルの上の空いた缶ビールの数は、既に二桁に上っている。家で飲んでいるのだから、泥酔したところで誰にも迷惑を掛けないだろう。茶髪の女は鈍くなった脳味噌で、そう判断した。
「マザコンのくせに私を振りやがって。くそ、うぜえ」
「ゆりちゃん、別れたい別れたいって言ってたじゃない」
「私を振ったのがうざいっつーの! くそう、あいつの車燃やしてやる。会社も潰してやる」
茶髪の女は缶を握り締め、口の中のサラミを飲み下す。
「あー、ちくしょー……」
「ねえ、明日はお休みだけど、もう遅いし、そろそろお開きにしない?」
「へーへー、あんたは良いわよねー。学生ん時からずーっと同じ男でさ」
「ゆりちゃんが乗り換え過ぎなんだと思うけどな」
言いつつ、眼鏡を掛けた女性はテーブルの上を片付け始めた。
「小学生に戻りたーい。戻って、戻って、どうしよっか?」
「高島君の上履きを隠したのは私ですって白状したら良いじゃない」
「だーって好きだったんだもーん!」
えへへと笑って、茶髪の女はベッドの縁に頭を預ける。
「……もう、だらしないなあ。ほら、しゃんとする」
「むりー、もーう動けなーい」
「ほら、明日は私とデートするんでしょ? 酔っ払ったままだと、明日起きられないよ」
「起こしに来てよー、つーか泊まってけば良いじゃーん」
眼鏡を掛けた女性は立ち上がり、茶髪の女の腕を掴んだ。
「さ、酔い覚ましにお散歩しましょうね、ゆりちゃん」
「やー、もう寝るー。もう寝るー」
「早くしなきゃ私にも振られちゃうよ」
「それもいやー」
茶髪の女は腕だけを掴まれて、糸の切れた操り人形のように、力なく俯く。
「……ゆり、私怒るよ?」
「ふぇ?」
「行こうって言ってるじゃない」
眼鏡の女性は、どこか焦っているようにも見えた。だが、酔いが回っている茶髪の女には、彼女の感情の機微など分からないのである。
「ちょ、いた……! 痛いってば! やめてよ、やめてったら!」
「っ! ……分かったわよ。それじゃ、私が頭冷やしてくる」
テーブルの上に置いてあった自分の携帯電話を引っ掴んだ。
「え、ちょっと、そんなに怒らなくても」
「……ごめん。すぐに戻ってくるから」
眼鏡の女性は部屋を飛び出す。彼女が出て行くのを、どこか遠い世界の出来事のように感じながら、茶髪の女は睡魔に身を任せた。
半年付き合った彼氏に振られた。
小学校からの友人にそう告げられ、自分の家で飲もうと誘われた。明日はお互い仕事も休みで、お互いに用事もない。わがままな友人を上手く慰められるのは自分だけだと思い、何よりも、慰めてやりたいと思った。だから、付き合ったのである。
「……はっ、はあ……」
息が、荒い。指が震えている。
眼鏡の女性は、友人の住むアパートから離れたところまで必死に走り、彼女の部屋を確認した。電信柱に背を預けて、携帯電話を開く。思った通りに指が動かない。焦りが新たな焦りを呼び込んでいた。
ああして部屋を飛び出したが、決して怒っている訳ではない。何としても、友人を連れて部屋から抜け出したかったのである。怒ったようにして外へ抜け出たのは演技だ。ばれないように脱出する為である。
――誰に? 誰にばれないように?
三つ、ボタンを三つ押すだけで良い。
コール音がもどかしい。
ぶつりと、電話が繋がると同時に叫んだ。
「助けてっ、ベッドの下に男がいるの!」