トン
陽は徐々に沈み、風景は橙色に染まっていく。
男はふと立ち止まり、スーツの胸ポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出した。中身が入っていないのに気付き、それを道端に叩き付ける。
「トン、トッン、トントン、トン、カラ、トン」
調子外れの歌声に振り向くと、思わず、声にならない声が漏れた。
「トン、トッン、トントン、トン、カラ、トン」
男が驚いたのも無理はない。包帯を全身に巻き、自転車に乗っているモノが見えたのだから。尚且つ、それが仰々しく、物々しい日本刀を携えていたのだから。
あまりにも現実離れした光景に、男は幼い頃に街頭で見たピエロのパフォーマーを思い出し、重ねていた。
自転車に乗った包帯男はゆっくりとこちらに近付いてくる。男は周囲を見回したが、自分以外には誰もいなかった。つまり、怪しい風貌をした男と二人きりに近い形になる。
「……まさか」
流石に本物ではないだろう。抜き身の日本刀とは物騒極まりないが、往来の真ん中で振りかざせるものでもないし、振りかざそうと思う筈もない。気を取り直した男は立ち止まったままで、自転車の男を先に行かせるのを選んだ。
「トン、トッン、トントン、トン、カラ、トン」
高くもなく、低くもない声。
トン、カラ、トンと。早くもなく遅くもない淡々としたリズムが耳に染み入っていく。
「トンカラトンと言え」
「あ……?」
自転車が男のすぐ傍で立ち止まり、
「トンカラトンと言え」
日本刀の切っ先が向けられた。偽者だろう。そうに決まっている。男は戸惑い、包帯の男を見遣る。ぐるぐる巻きになった顔からは、腐った卵黄のような瞳が覗いていた。
切っ先を向けられたまま、男は目を瞑る。遠くの方で子供たちの笑い声が聞こえた。ここは現実なのだと認識しているつもりだが、どうしてもそうは思えない。目を開ければ、包帯を巻いた異形の男が日本刀をこちらに向けている。
「……サーカスか何かか?」
どうしても信じられない。この状況を理解出来ず、適応出来ない。男が呟いた瞬間に白刃が煌めき、橙色の中で鮮やかな紅色がどこからか噴き出した。