メリーさん・2
携帯電話というものがある。俺だって持っている。今や日本でも持ってない奴を探すのが難しいくらいの普及率だそうだ。凄いよな。右を向けばケータイ。左を見てもケータイ。ケータイケータイケータイ。どうして皆ケータイを持つんだろう。誰に問い掛けても無駄だ。返ってくる答えは同じだろう。簡単だ、皆が持っているから、です。携帯電話を持っているってのは大したステータスじゃない。そりゃアレだ、最新の機種なんか持っていたら最初は会話が弾むかもしれないが、まあ、持っていたとしても大して意味はない。何故なら持っていて当たり前だからだ。コモンスキルなのだ。イタリア人が女を口説くのと同じなのだ。むしろ、スキルでもない。デフォルトの設定。人間に手があったり足があったりと同じく、携帯電話もくっ付いているような感じなんだ。
変な感じに転がったが、とにかく携帯電話は誰もが持っていて当たり前。特に、高校生くらいともなると持っていないと生活に支障が生じる。学生にとっちゃ友人との関係ってのが生活の基盤になるんだと思う。勉強も大事だが、今となってはそれよりもクラス内での地位確立なんかの方が数倍も大事だと思えるね。そこで役立つのが携帯電話って訳だ。コミュニケーションツールとしては最高且つ最良のアイテム。電話帳に何人登録されているかで番付が決まる、ような気がする。電話での話術。メールでの文章スキルが物を言う世界。
……俺は、その世界から抜け出した。いや、言い方が良過ぎるな。弾き出された。追い出された。摘み出された。ドロップアウト、リタイアだ。耐え切れずにギブアップってなもんだ。
俺は確かに携帯電話を持っている。が、本当にそれだけ。持っているだけ。時計代わりにしか使わない。使えない。宝、かどうか知らないが、持ち腐れているのは否めない。おまけに液晶には血が固まってこびり付いてるし。
「……あーあ」
メールも来ない。来たとしてもメルマガか、業者。電話もない。有り得ない。当然だ。俺の電話帳は殆どまっさらなんだから。まあ、解約とかしないけど。親に任せてるし、料金も払ってもらってるし。げへへ。クズ過ぎる。
「おらっ、出て来なさいよクズ! 起きてるんでしょ!?」
「ひっ、ひ……!?」
誰がクズだ!
「電話っ、鳴ってるの気付いてるでしょ! 私出掛けるから、あんたちゃんと取りなさいよね!」
はあー? 出る訳ねえだろうがボケが。俺を誰だと思ってんだ、泣く子も笑い出す、親は泣いて悲しむ引きこもり様だぞ。
「出なさいよね! それぐらいしなさいよヒッキーが」
ドアが開き、閉まる音。クソが、言いたい放題で出て行きやがった。今、家には俺一人。そして電話は鳴り続ける。俺が電話に出る理由はない。一切ない。……が、出ない理由もないな。今日の奴は中々しつこい。マジに用事でもあるんだろうか。
良いだろう、電話に出てやろう。暇だし。
鍵を開け、ドアを開けてみる。未だコールは続いている。やっぱりしつこいな。
我が家の電話は廊下に置かれている。なので、わざわざリビングに行かなくても二階に上がらなくても済む。
「はいもしもし、伸田でございます」
さあ、どうだろうな。また家庭教師の勧誘か? 何にせよ、精々、俺の暇潰しの相手になってくれよ。
……今何時だ。すげえ眠い。えーと、あー、もう八時か。ただし夜の。
なーんか食うもんあったかな。とか、そういうの考えるのアレだし、最近は自室に冷蔵庫の導入を考えている。これで俺の食生活レベルは格段に上がる筈だ。小型のものなら、あんまり値も張らないだろう。
しっかし、通販かー? あんまり好きじゃないんだよな。こう、物を買う時って実際自分の目で商品を確認しなきゃ信用出来ないって言うか、楽しみが半減すると言うか。うーん、でも実際家電を買いに行くってなると、外出に際しての危険レベルが相当上がるだろうし。難しいよなあ。妹に小遣い握らせて買いに行かせるか。いや、ダメだ。あいつが俺の命令に従うとも思えないし、正直何一つ期待出来ない。持たせた金が良く分からん服やら鞄に消えてしまう可能性もある。むしろそうなる方向にしか考えられない。
「ダメだ」
とにかく、今のところは買い物に行こう。コンビニまでだけど。冷蔵庫やら、そういったものに関してはまた今度で良いや。
な、訳で。俺は今コンビニまでの道を歩いている。最近、外に出る頻度が増えた。深夜に限るんだけど、それでも以前と比べれば格段に増えている。
多分、奴らの影響なのだろう。背の低い電波な女と、でかくて高いマスク女。
下心は、ないんだと思う。ただ、何となく会えるかなと、そう思って外に出るのが増えた。……これって下心なのだろうか。だけど、何か違うんだよな。あいつらにそういうのを求めるのはどこかおかしい。そう思うんだ。もしも、万に一つも億に一つも有り得ないのだろうけど、俺がそういう展開を望んだところで、そうはならない。分かり切っている。ただ、俺は誰かに会いたいと思ってしまった。誰かと話したいと、思ってしまったんだ。ああ、弱い。人間ってな弱い生き物だよな、マジに。
「あ……」
……と。早速見つけてしまった。何かこう、やっぱりっつーか、大いなる意思が働いているような、そんな気がしてならない。
大口咲だ。奴がいる。彼女は電信柱に背を預け、ぼんやりと遠くを見ていた。正直、怖い。威圧感がパねえ。声を掛けて良いものかどうか悩んでいると、
「お、おー、おーっ、おおーっ!」
向こうが先に動いた。俺は大口の声に驚いて固まってしまう。
「超! ひっさしぶりじゃなーい! 会いたかったよーな気がするよソーメンくーん!」
こいつ、酔っ払ってんのかな。もしくは薬でもやってんじゃないのか。
「こーんなところで何やってんの? 散歩? 散歩なの? 何歩歩いても三歩! なんつって!」
肩をばんばんと叩かれる。完全に酔っ払ったおっさんの絡み方だった。あはは、痛い。
「や、やめてもらえますか……」
「ぐっすんおよよ、ごめんごめん、やり過ぎちゃったね」
ったくよー。
「さ、散歩じゃなくてコンビニです」
「ソーメン君コンビニ好きだねー。コンビニと結婚しちゃえば良いんじゃないかな」
「流石に無機物とは……」
貶すならせめて相手は動物ぐらいにしてくんないかな。
「それじゃあお姉さんも付いてってあげよう。私もちょっと欲しいものがあるんだ」
へえ、まあ、どうせ食べ物だろう。
「ケータイの充電器が欲しいんだよね」
「……も、持ってるんですか?」
嘘だろ。初耳過ぎる。つーか別にお前携帯いらなくねえ? かなり曖昧な存在だし、友達とかいるのかよ。
「あったりまえじゃない。出来る女のマストアイテムなんだから。あれあれ、そういや確かソーメン君だって持ってたよね?」
俺は首肯する。いや、そうか、マジで携帯持ってたのかよ。正直驚き。どこで買ったんだろ、身分とか証明出来たのかな。大体料金払えるのか? 明細とかどこに届くんだ? つーか金あったっけこいつ。いや、なくても力技でどうにかしそうだ。深く追求するのはよそう。
「そいじゃあ、交換しようか」
「こ、交換?」
大口は携帯(薄くて小さい。人は自分にないものを求めるらしいが。どうやら、最新の機種らしかった)をポケットから取り出すと、何を思ったのか俺に向ける。
「メルアドと番号に決まってんじゃなーい。ほらほら、こっちはもう微弱な赤外線を照射してるんだよ。早くしなきゃスナイパーにヘッドエイムされちゃうよん」
されねえよ。
え、つーか、何? 交換? マジで?
「あ、はい……」
お、落ち着け聡明。アレだ、別に普通だろこんなの。しかも相手は大口だし、何をキョドる事がある。
「じゃ私が送信するから、そっちが受け取ってね、私の秘密を」
キモイわ。
「……ん、と。はいオッケイ、ありがとねソーメン君」
「え、えと、こ、こちら、こそ?」
何か、すげえ懐かしい感じ。ちょっと泣きそうになったのは気のせいだと思う。
「そんじゃ、コンビニに行こうか。あ、そうだ。ソーメン君のご飯も私が買ったげる」
「……え、いや、悪いですよ」
「ふふん、ノータイムオーバーヘッドキック、だよ」
はあ?
「知らないの? おっくれてるー、ダメだよちゃんと勉強しなきゃ。あのね、持つべき者は持たざる者に何かあげなきゃなんないんだって。なので、お金持ちの私としてはお金を持ってなさそうなソーメン君に貢いであげるんだよ」
……もしかしてノブレスオブリージュか? しかもそれ貴族に当てはまるって奴じゃん。つーか、金だと。こいつがまともに働いているとは到底思えないし。
「か、かつあげだ」
「断定された! 違うよもう失礼だなあ、頭から齧っちゃうよ。お金はね、ちゃんと報酬としてもらったの。ギブアンドキャッチアンドリリースアンド……あれ? まあ良いや、とにかくきれいなお金だから」
「な、何をしたんですか?」
「ほら、白いワニいたじゃない。アレを売ったの」
売ったあ!? どこの誰にだよ。既にきな臭いっつーか胡散臭いっつーか。
「あの後焼いて食べようと思ったんだけど、下水道で変な人たちと会ってさ、譲ってくださいって。お金もらえるならそっちのが良いかなーっと思った私は頭がよろしいのではとか思ったり」
この辺りは聞き流しておこう。聞かなかった事にしておこう。余計ないざこざに巻き込まれるのはごめんだ。
「なので私はお金持ちなのでした。気にしないでおごられちゃったら良いよ!」
うーん、出所の分からない金は怖いが、まあおごってくれるなら乗っかっておこうかな。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「ん! 力一杯思う存分お姉さんに甘えなさい!」
お姉さんと呼ぶにはいささかガキっぽい。
弁当以外にもすげえ色々買ってもらった。カップ麺とか雑誌とか。いやいや、素晴らしいね大口さんと言う御方は!
しっかし、飯だけならコンビニよかスーパーの方が安くつくよな。ただ、すれ違う。俺の行動可能な時間帯に開いているスーパーは近くにない。悲しいかな。まあ、今日はまだ良い日と呼べる気がする。大口株がぐぐーっと上がった。おごってもらったし、俺の携帯もやっとそれらしい使い方が出来そうだ。何だ、あいつ良い奴じゃん。扱いに困るけど。
「随分と楽しそうに見える」
「うっ、うわあっ」
背後からの声に俺は飛び上がる。いっ、いつの間に。足音なんかしなかったぞ。
「……驚かせてしまったらしい。くだんは反省する」
もう一人の、扱いに困る奴。
「く、くだん……」
見た目は小さな女の子。だが中身は半端ない電波。だけでなく、予言なんて不思議な(この一言で済ますのはどうかと思うが)力を持っている。
「こんばんは、ソーメイ。……そう、買い物帰りだと判断する」
「う、うん」
あれ?
くだん、何かいつもと違うような感じ。
「あまりじろじろと見ないで欲しい」
俺の視線に気付いたのか、くだんが帽子を深く被り直して抗議する。……あ。
「ぼ、帽子変えたの?」
「……どうやら、君はそこまで鈍くはないらしい。が、変わったのは帽子だけではない」
多分馬鹿にされてるんだろうな。良いけど、別に。馬鹿だから。
それはともかく、改めてくだんの服装を見てみると、以前の格好とはちょっと違っていた。厚手のニット帽ってところは変わらないんだけど、上の方にボンボンが付いている。んで、パーカーは真っ赤なものに。ただ、字が一つ描かれていた。『天』、と。お前は拳でも極めるつもりか。ホットパンツは、ああ、なんだ。前と同じだ。……何だか、全体的にグレードが上がっているような。
「君は何かに落胆しているような顔をしている。嫌な事があったならばくだんに相談するのをおすすめする。ソーメイの力になる事に対して、くだんは力を惜しまない」
嬉しいのだけど、落胆の原因を言うつもりはない。言ったら殺されるかもしんない。
「き、気のせいだよ。そっ、それよりさ、くだんは散歩?」
「半分は、そう」
「……も、もう半分は?」
何となく、分かり掛けている。
「都市伝説を追っている」
やっぱりな。また、出やがったのか。口裂け女、テケテケ、白いワニ。さてさて、次は何だと尋ねられそうな余裕も出てきたぜ。
「それと、君に忠告をしに」
え? それは予想外。と言うか、都市伝説に対して今更気を付けるような事があるのだろうか。
「ソーメイは携帯電話を所持していたように記憶している」
「う、うん」
それがどうしたと言うのだろう。
「使わないで欲しい」
「……け、携帯電話を?」
「可能ならば電源を切るのをおすすめする」
は、ははは。はっはっは。あーっはっはっは!
けっ、携帯電話を使うなだと? この俺に!? 使いたくても使えないんだよ! 使う機会が殆どないんだよ! 電源切るどころかもう物理的に切っちまっても良いくらいだ!
あ、でも大口どうしよう。うーん。良いかな、無視で。
「ど、どうして?」
「……そう。君は知らないらしい。この町に新たに出現した都市伝説の名を。メリーさんの存在を」
メリーさん?
「ん、知っているの?」
「な、名前ぐらいは……」
ああ、なるほど。だから電話がどうとかって話になったんだな。メリーさんって、アレだろ。人形から電話掛かってきまくるって奴だろ。『私メリーさん、今その辺にいるの』で、段々近付いてくるって感じの。あれ、でも最後にはどうなるんだっけ。後ろにいるのって言われて、それで。
「その様子だと、やはりソーメイもメリーさんを知っているらしい」
「ま、まあ有名だからね」
「しかし、メリーさんの話のオチは知らないと見た」
どうして分かるのだろう。いや、多分分かってない。俺が分かってても分かってなくてもくだんは話をしたがる筈だ。
「都市伝説の特徴にはニュース性が挙げられる」
あーやっぱり。
「都市伝説の概念を広げた事で有名な者がいる。彼はこう語った。『都市伝説とはより多くの意味を含んでいきながら、魅力的な形で我々に提示されるニュースなのだ。この様々な断片からなるアピールを持たなければ、その他の娯楽ひしめく現代社会において、都市伝説は耳を傾けてもらえなくなるだろう。都市伝説はテレビの夜のニュースのように生き生きとして事実に即したものとして生き残ってきた。また、それは毎日のニュース放送のように人々の死や怪我、誘拐や悲劇、そしてスキャンダルに関わる傾向を持っている』、と」
心なしかくだんはしたり顔だった。が、何を言いたいかさっぱり。
「つ、つまり?」
「つまり、都市伝説には怖い話が付き物」
「あ、ああ……」
そういう事ね。
「そう。メリーさんの電話。この話の結末には幾つかパターンがある。基本的に、『今、あなたの後ろにいるの』と言うメリーさんの言葉で締め括られる。これは余韻としての恐怖を演出するのが目的。そこから、振り向いた者が殺される。被害者が刃物で刺される。舞台がマンションなら、電話の度に自分の住む階に近付いてくる。轢き逃げをしたタクシーの運転手に、被害女性から電話が掛かってくるパターン。名前はメアリー、メリーなど様々で日本人の場合もある。ん、これはジョークに近い。チェーンメールが送られてくるケースも存在する。更に、これらのものを組み合わせた結末など、多岐に至る」
都市伝説ではありがちだな。何パターンもオチがあるってのは。けど、大事なのは一つ。この町のメリーさんって奴が、どんなのかって事だ。いやいや、後ろにいるだけじゃないんだろ、多分。
「何か聞きたそうな顔をしている。……ソーメイが聞きたいのは、この町でのメリーさんの電話、その結末について、だと思う」
「う、うん」
また、誰か死んだのか。殺されたのか。
そんで、俺はやばいのか。やばくないのか。
「簡潔に述べるなら、死者は出ていない。この町のメリーさんは人間を殺さない」
「そ、そうなんだ」
うわー、良かった。すっげえホッとした。そうか、死人は出ていないのか。
「怪我人は出ている」
「で、でも、死んでないんでしょ……」
怪我で済むならまだマシじゃねえかよ。
「被害者は二人。そのどちらも、骨を数本折られ、内臓を損傷している」
「……う、嘘……?」
「嘘ではない。死者は出ていないが、確かに被害は出ている。ならばくだんが見逃す道理はない」
フルボッコじゃん。そりゃ、死ぬよりマシだけど、怪我だってするのは嫌に決まっている。酷い話で、酷い奴がいる。……しかし、メリーさんってのは案外肉体派なんだな。
「だからソーメイ、携帯電話には気を付けて欲しい。被害者には非通知の着信があった。メリーさんからのものだと思う。メリーさんが誰を標的にしているのかまではくだんにも判断出来ない。決して、電話に出ないで」
「わ、分かった」
とは言うものの、気を付けるったって電話が来るか来ないか、だもんなあ。メリーさんとやらが作為的意図的に動いているのか、無差別に適当に電話を掛けているのか。俺にだって分からない。誰にだって理解出来ない。
「ひ、非通知は危ないんだね」
「そう。非通知は危険」
うーん、とにかく誰だかハッキリしない電話には出ないでおこう。俺が気を付けられるのはこれぐらいだろう。
「……あ、あの」
「何?」
「く、くだんは携帯電話持っていないの?」
くだんはゆっくりとした動きで夜空を見上げた後、俺に背を向ける。彼女のパーカーの背面にも文字が書かれていた。『無』、だった。奇跡だと思った。
「正直、困っている」
「え、と……?」
困っているのは俺だ。そんな面白いものを見せ付けてどうしろってんだよ。
「メリーさんの居所が掴めない」
「よ、予言を使えば」
「予言も万能ではない。それに、くだんは携帯電話を持っていない。メリーさんを捕捉するのもされるのも、今のところ不可能」
携帯買えば良いのに。いや、そうか。理由は(色々と思い付く)何かあるんだ。それが出来ないから、くだんは困っている。が、まさか俺が彼女に携帯電話を買い与える訳にもいかないだろう。
「……そ、そうなんだ」
「そう。では、くだんは行く。ソーメイ、気を付けるのをおすすめしておく」
「あ、ありがとう」
うーん、くだんでも困るような事があるんだなあ。