第14話『……フラーお姉様は凄い人ですね』
柔らかく温かい感覚と、どこからか聞こえてくる優しい声に私はそっと目を覚ました。
薄く開かれていく目から見える世界は、私のよく知るオリヴィアお姉様の孤児院のもので、私の体に手を置きながら心配そうな顔で私を見つめるのは、幼い頃から変わらないフラーお姉様のお顔だった。
「……私、は」
「良かった。目を覚ましたのですね」
「フラー、お姉様?」
「えぇ。私です。気分はどうですか?」
「……大丈夫です」
私は腕を布団の中から引っ張り出して、目を覆いながら安心させるように呟いた。
しかし、私が無理をしている事はフラーお姉様にはお見通しだったのだろう。
私の額に手を当てながら、柔らかい声を紡ぐ。
「怖い夢を見ていた様ですね。もう少し眠りましょう」
「……フラーお姉様は、どうしてここに」
「イザベラちゃんが倒れたと聞きましたからね。飛んできたのです」
「でも、イービルサイド家から来るには遠すぎます」
「忘れてしまったのですか? イザベラちゃんが渡してくれたのでしょう? 転移の魔術が使える魔導具を」
「……あぁ、そういえば、そうでしたね」
私はかつて結婚祝いに渡した魔導具の事を思い出し、笑みを零した。
「緊急時に使ってくださいと言ったでしょう?」
「イザベラちゃんが倒れたのです。これ以上の緊急事態はありませんよ」
「……もう、お姉様は」
変わらない。
フラーお姉様はいつだって私の事を想っていて、何年経っても柔らかくて、優しいお姉様のままだ。
「ふふ。でもイザベラちゃんが無事で良かったです。怖い夢は忘れてしまいましょう。イザベラちゃんが知る必要のない事なのですから」
「フラーお姉様は」
「はい? なんでしょうか」
「フラーお姉様は、知っていたのですか。人の、闇を」
「えぇ」
手を下ろし、開けた視界から見えたフラーお姉様は、いつもと変わらない様子なのに、どこか大人びて見えた。
悲し気に伏せられた目には、辛そうな色が混じる。
「ごめんなさい。フラーお姉様……悲しい事を、思い出させて」
「構いませんよ。私はイービルサイド家を継ぐ者。知らなければいけない事から目を逸らすつもりはありません」
そう語るフラーお姉様は、まるで私が知らない人の様だった。
真っすぐで、冷静で、ハッキリとした態度はオリヴィアお姉様の様に輝いて見える。
「……フラーお姉様は凄い人ですね」
「そうですか?」
「えぇ。私の知らない人みたいです」
「それは少し悲しいですね」
「え?」
フラーお姉様は私の頬に流れていた涙を指で拭うと、柔らかく微笑んだ。
「私はイザベラちゃんのお姉様ですから。凄くなくても良いんです」
「……フラーお姉様」
「ただ、イザベラちゃんが安心して、好きな様に生きている姿を見ることが、私にとって何よりも幸せな事なんですよ」
あぁ。
……あぁ。
私は涙が溢れるのを止める事が出来なかった。
ずっと、ずっと。
こうやってフラーお姉様は私を守ってくれていたのだ。
オリヴィアお姉様も、ルークさんも、お父様もお母様も……みんな。
私はなんて幸せな人間なんだろう。
「……っ」
「大丈夫。もう怖い夢は終わりました。今は眠って下さい」
それから私はもう一度瞼を閉じて眠った後、体の調子を取り戻してから再び目を覚ますのだった。
目を覚ましてから私は、フラーお姉様やオリヴィアお姉様と話をしていたのだが、ここで衝撃的な話を聞く事になる。
「そういえば、ハンナはどうしたのですか? フラーお姉様」
「ハンナでしたら、グリセリア家の方に居ますわ」
「ウィルお義兄様のご実家に……? 何故……?」
「あー、いえ、それは……その、ウィル様のご実家でイザベラちゃんの事を聞いて、直接転移してきたからですね」
「えぇ!? ハンナをグリセリア家の方にお預けして!? フラーお姉様がお一人で!?」
私はあまりにも常識はずれな行動をするお姉様にビックリして思わず大声を上げてしまった。
いや、確かにグリセリア家はもう親戚関係ではあるが、お姉様の義実家ではあるが!
それでもイービルサイド家よりも貴族としての歴史が長く領地も大きなグリセリア家に赤子を預けて自分だけ転移するなんて!
あり得ない。
便利に使って良い家じゃないんですよ!? と叫びたい。
まさかお姉様がそんな無礼な真似をしていたとは……!
頭が痛くなってきた。
「でも、でもでも。イザベラちゃんが大変だって聞いて。私、居ても立っても居られなくなって」
「はぁ……分かりました。では後日私も同席させていただいて、謝罪と御礼をしに参りますから、少々お待ちください」
「良いのですか?」
「えぇ。半分は私の責任でもありますからね。はぁ……まったくもう!」
私は思わず怒りながらため息を吐いたのだが、そんな私の反応にフラーお姉様が酷く落ち込んでしまう。
そこまで落ち込むとは思わず、何か言葉を向けようとしたのだが、その前にオリヴィアお姉様から鋭い声が届いた。
「イザベラさん」
「っ! は、はぃ」
「フラーさんは貴女が倒れたと聞いて、本当に焦った様子でこちらに来られたのです。それを何ですか。その態度は」
「う、も……申し訳ございません。フラーお姉様! オリヴィアお姉様!」
私は椅子から立ち上がって勢いよく頭を下げた。
オリヴィアお姉様に言われたからという訳ではなく、私としても言い過ぎたと思っていたからだ。
「オリヴィアさん。良いんですよ。私は確かに非常識な事をしていましたから」
「ですが……」
「それに、イザベラちゃんが悲しい気持ちになるのは、私も悲しいですから」
「……フラーさん」
フラーお姉様はオリヴィアお姉様の怒りを抑えようと、私を庇って下さり、何だか申し訳ない気持ちになってしまうのだった。
それから私はフラーお姉様をイービルサイド家まで送り、今日はもう遅かった為、明日また来ますと残して孤児院へ戻った。
そして、孤児院に戻ってからはオリヴィアお姉様とお話をする事になったのである。
「イザベラさん」
「っ! オリヴィアお姉様! 先ほどは、大変申し訳ございませんでした」
「それほど気にしないで下さい。フラーさん自身が気にしないで欲しいと言っていましたし」
「そう、ですね」
「ですが、イザベラさん。忘れてはいけませんよ。貴女は聖女となったのですから。聖女アメリア様の名を貶める事の無いように。聖女とは常に弱者の為に立ち、苦難と戦う者の名。その事を決して忘れてはいけませんよ」
「……はい。心に刻みます」
「よろしい」
オリヴィアお姉様は厳しいお顔でそう仰ると、小さく息を吐いてから近くの椅子に座る様に私に言った。
そして、私はおずおずと座ってから両手を握りしめてお説教を待つ。
しかし、オリヴィアお姉様は私の頭を抱きしめると、お説教ではなく、優しい言葉をかけて下さった。
「イザベラさん。ルークさんから話は聞きました。辛い体験をしましたね」
「オリヴィア……お姉様」
「ですが、全ての人があの様に愚かな訳ではありません。フラーさんの様に。ルークさんの様に。イザベラさんのお父様やお母様の様に。光を心に宿して生きる方々は多く居ます。その事を決して忘れない様に」
「……はい」
「大丈夫。貴女が正しく生きる限り、その先に光の世界はあります。それを信じて下さい」
「はい。オリヴィアお姉様」
私はオリヴィアお姉様の体温を感じて、その心を感じて、目を閉じるのだった。
ここはまだ平和なのだと信じて。
しかし、この日の夜。
オリヴィアお姉様の孤児院は、私たちは襲撃を受ける事になる。
敵は闇神教の者たちであった。