56. 誠実さ
昼休みになった。
羽畑さんは授業中も何か物思いにふけっているような様子で、どうにも心配が募る。
「ちゃんと話し合えよ」とヒカルや忠治に背中を押されて、司は昼休みになったと同時にどこかに消えた羽畑さんを探す。
とりあえずRAINをすると返事はしてくれたので、昨日結衣里の“悪魔”のことで事件があったことを伝え、人のいない場所で落ち合うことになった。
なんでも、クラス委員と生徒会の用事という体で、空き教室を借りてくれたらしい。
「ここか……あ、いた」
「司くん……」
指定された教室に入ると、彼女は先に来ていたようだった。
入ってきた司を見て、不安そうな顔からホッとしたような表情に変わる羽畑さん。
どうやら避けられていたというわけではないらしい。
急に嫌われたのではないかと少しだけ心配していたので、杞憂に終わり安堵する。
「ふう。今朝会ったら露骨に逃げられたからどうしたのかと思ったよ。無意識のうちに俺が何か変なことして嫌われたのかと」
「ご、ごめんね? 色々あって……」
「だろうね……その様子を見る限り」
憔悴、とは違うのかもしれないが、色々な感情でごちゃ混ぜになっているような、不安定さを感じる。
「空き教室を借りてくれたのは助かった。結衣里のことで相談したかったし、人目を気にせず話せるのはありがたい」
「私も、誰かに相談したいと思ってたから。司くんしか相談できる相手がいなくて…………結衣里ちゃんに相談したら、下手をしたら巻き込むかもしれないし」
「……ホント何があったんだ?」
結衣里を巻き込むかもしれない、などと言われてしまっては司としても詳しく聞かざるを得ない。
「……その……。修一兄さんがね、彼女さんとケンカしたらしいの」
ポツリ、と、羽畑さんが話し始める。
「彼女さんっていうと……あの人か。社の修復を手伝ってた時に会った。たしか、伊集院さんとか言ってたっけ。……そういや、あの人も結衣里と同じヴェル女だったな」
「そう、その人。昨日の夜、あの人と修一兄さんが言い争ってるのを見たの。昨日は修一兄さんが神社に来てたんだけど、昼過ぎには帰っていったの。でも、夕方に偶然街中で見かけて……なんか焦った様子だったのが気になって」
「焦ってた? 一体何に……」
「わからないの。お昼に大雨が降ってた時から、RAINで誰かとやり取りしてたみたいだけど……ただ、見かけたときはすっごく心配そうな顔で、必死な感じだったから」
「……もしかして、追いかけた?」
こくん、と小さく頷く羽畑さん。
自分の好きな人が、尋常じゃない様子で去っていったというのなら、気になったとしても仕方がない。
「それで、追いかけていったら、ヴェル女の学校の前に修一兄さんとあの人がいて……」
「どうやらケンカしてる様子だったと」
「うん…………他の男だとか、別れるとかって話も聞こえて」
「!」
経緯は分からないが、別れ話まで出るケンカともなれば一大事だ。
修一さんがお相手と上手くいっていないのであれば、言い方は悪いが羽畑さんにとってはチャンスだろう。
「……性格悪いよね、私。修一兄さんが悲しい思いをしてるのに、どこかそれを喜んでしまってる自分がいて。まるで修一兄さんもあの人も、不幸になるように祈ってるみたいで……」
「思うだけならタダだし、悪いことじゃないよ。人間誰しも綺麗事ばかりで生きてるわけじゃない。それに他の人が何を考えてるかなんて、知りようがないし」
その点はつい最近身に染みたばかりの司である。
最も身近で親しいと自負していた結衣里の気持ちひとつ理解できていなかったのだ。
他人の心の内なんて分かるはずもない。
それでも、たとえ何を考えていようと結衣里や羽畑さんが良い子であることだけは、間違いないと確信している。
「本当に性格悪いヤツなら、そんな風に周りに分かるくらい動揺して悩んだりしないさ。むしろ相手がどう思うかをちゃんと考えたり……そういう優しさというか、誠実さ? って、俺は好きだよ」
「……ありがと」
一通り話して、ようやく落ち着いてきたらしい。
羽畑さんの顔つきに、いつものやわらかい微笑みが戻ってきた。
「そういえば、司くんも相談があったんだっけ。結衣里ちゃんの方にも、昨日何かあったって」
「ああ、うん。実はまた“邪気”ってのが出たんだけど……」
司は昨日の記念公園での出来事をかいつまんで羽畑さんに報告した。
「結衣里ちゃんの友達が、“天使”……ヴェル女の教会が舞月神社と同じオカルト施設だったなんて」
「オカルトって、身も蓋も無いな。この地域は他と比べて神社も教会も多いらしいけど、そのあたりに背景があったりするのかな」
「さあ……身内の私ですら先月まで知らなかったんだし、そんな大々的に地域に影響を与えてるとは思わないけど。基本的に、そういう超常的なもののことは一般には知られないようにしてるみたいだから」
羽畑さんの実家にせよ昨日の早川さんにせよ、周囲に気付かれないように気を遣っている様子だった。
なにぶん常識や現代科学を彼方にぶっ飛ばすような摩訶不思議な現象のオンパレードだ。
SNSなども発達したこの時代、結衣里の“悪魔”のことや早川さんのことだってもっと大騒ぎになって世間を賑わせていてもおかしくないはずなのに、司たちの周りは今も普段と変わらず不自然なほどに静かなものだった。
思えば結衣里や早川さんのあの姿にしても、瑞希の時の邪気騒ぎにしても、不自然なほどに目撃者がいなかったり、遭遇したのに気にしていないか、よく覚えていないらしい人ばかりだった。
これだけの超常現象が歴史の裏に隠れてしまっているあたり、何かまた常識外れな理由があるのだろう。
「とりあえず、早川さん──その結衣里の友達には羽畑さんのことを話してある。あの子なら信頼できるし、一度会ってもらいたいかな」
「わかった。上の人たちに結衣里ちゃんのことを知られたら何されるか分からないっていうのは同感だし、私たちだけで話し合うのは良いと思う。結衣里ちゃんが天気を操れるかもしれないっていう話も、下手に知らせたらどうなるか。うちの親も、私にすら今まで隠してきたくせに、あれ以来司くん達のことも『霊感があるなら、あの子たちのことも囲い込むべきじゃないか』とか抜かしてくるし……いよいよ私を跡継ぎ扱いしてきたりとか、ほんっとに勝手なんだから」
不満げに親への悪態を吐く羽畑さん。
神社の跡取りとしての柵のある彼女だけに、実家への不満は色々とあるのだろう。
「……色々ごめんね司くん。うちの親のことは気にしないで。あと、気にかけてくれてたのになんか無視するようなことしちゃって、ごめん」
「まあ、何かあったのはみんな察してたから。大丈夫だよ」
「なんだか、私の学校での様子って、思った以上に修一兄さんに伝わってるみたいなの。兄さん交友関係広いし……私が司くんと、その、付き合ってるってウワサも結構広まっちゃってるし」
「それで、これ以上修一さんに誤解を与えないように、距離を取ろうとしたと。分かるっちゃ分かるけど、ヒカルなんかはむしろ痴話ゲンカかと逆に色めき立ってたしなぁ」
「うぅぅ……」
司との仲を周囲に誤解させたのは彼女自身だったとはいえ、そのウワサが独り歩きしすぎて本当に好きな相手への足枷になってしまっては本末転倒だ。
「どうしたものかね。もし必要だったら、修一さん本人にもみんなにも、ウワサは誤解だって俺の方から説明するけど。羽畑さんもいいかげん、俺なんかと付き合ってるなんて誤解は解いておきたいだろうし。……というか、もっと早くそうすべきだったな、ごめん」
羽畑さんの気持ちを考えれば、この辺りでひとつハッキリさせておくべきかもしれない。
結衣里に対してもそうだったが、距離感の近さや恋人まがいのことをしていたせいで、司が自覚のないまま彼氏気分に振舞ってしまっていたことも誤解を加速させた原因なのだろう。
「そんなこと…………司くんはイヤだったの?」
「俺としては、恋人同士と思われるのが嬉しくなかったかと言えばウソになるかもだけどさ。羽畑さんは好きでもない男とウワサされて、勘繰られるのなんて嫌だろ。自己満足のために友達の恋路を邪魔する気はないよ」
「…………バカ。察しが良いんだか悪いんだか。結衣里ちゃんの気も知らないで……」
ボソリと最後に小さく付け加えられた羽畑さんのつぶやき。
いつもの冗談だと分かってはいるが、昨晩あんなことがあったばかりゆえに、司は今日ばかりはさらっと聞き流すことができなかった。
「……結衣里のことを考えたら、余計にこんなウワサ流させてられるかよ」
司もまた、低く小さな声でそう呟いていた。
おそらく結衣里は本気で司のことを好いてくれている。
そしてそれが司の幸せのためになるならば、自分の気持ちを押し殺してまで、本気で羽畑さんとの仲を応援しようと思っているのだ。
その決意のために、一体どれほどの涙をこらえてきたのか……。
それを思うと、他の誰かと付き合っているなどというウワサ話を、たとえ冗談でも、いや冗談だからこそ肯定することなんてできなかった。
それが兄としての、何より結衣里が想ってくれている一人の男性としての誠意だろう。
「……司くん……?」
キッ、と厳しい目で虚空を見つめる司の横顔に、羽畑さんは何かを言いかけて、言葉にできず言い淀んだようだった。




