54. 兄妹以上、ほぼ恋人
結衣里の“告白”から一晩。
「あ……」
「お兄ちゃん、おはよ」
朝、起きて部屋を出ると、真っ先に結衣里と顔を合わせた。
「……おはよう」
「ん、おはよ。……ふふっ、どうしたの?」
「どうしたのって…………いや、なんでも」
あんなことがあった翌朝なだけに、どんな顔をして結衣里と会えばいいのか分からなかったのだが、少なくとも結衣里は普段と変わらない様子だった。
「……って、早起きだな結衣里? いつもだったらこの時間、どうやったって起きないのに」
「えへへ、昨日は色々あったからか、すぐに寝ちゃって。そのせいで早くに目が覚めちゃった。…………それに、少しでもお兄ちゃんと一緒にいたいし」
「……そうか」
屈託のない笑顔を見せられて、司はつい目を逸らしてしまった。
その原因はもちろん、昨晩の結衣里からの告白だ。
実の妹に「好き」だと直球で言われたのだ、ぎこちなくもなるのも仕方ないだろう。
「さすがにわたしも起きたとこだから、お兄ちゃんみたいに朝ごはん用意できたよ~って起こしに行くのはできなかったけど」
「それは俺の役目だろ。そのぶん夜はいつも作ってくれてるんだから。人の仕事を取るんじゃありません」
「ぶー。じゃ、一緒につくろ。今日は朝からご馳走だー!」
「そこまでする時間は無いぞ、まったく」
昨日色々あってなかなか寝付けなかったとはいえ、身に染みついた習慣というものは消えないもので、朝はいつも通りの時間に目が覚めた。
普段から規則正しい生活を送っている証拠だろう。
「あら、司ちゃんに……結衣里ちゃんまで。珍しいわねこんな時間に~」
「あ、お母さんおはよー」
朝早くからキッチンに並ぶ姿を見て驚いた様子の母親に、結衣里は至って普段通り声を掛ける。
いや普段通りなら今頃はベッドの中で爆睡中なのだから、それが却って珍しいのだが。
「何かあったの~? 結衣里ちゃんがこんなに早起きしてるなんて。昨日は二人でお出かけしてたみたいだけど~」
「何って、普通にデートしてただけだよ? お兄ちゃんもいいかげんカノジョ作らなきゃってことで、練習も兼ねて。最近仲の良い女の子もいるみたいだし」
「あらあら、そうなの~!? とうとう司ちゃんにもカノジョが……はぁ~、いつの間に。そりゃあわたしも歳を取ったわけだわ~」
「その見た目で歳取ったなんて言われてもな……」
「ふふん、わたしもまだまだ若いつもりだからね~。今度はわたしとデートしよっか司ちゃん~♪ 意中の女の子の落とし方を手取り足取り教えてあげるわ~」
「あ、ズルいお母さん! 前にもわたしを置いて二人で買い物してたのに。お兄ちゃんに手取り足取り教えるのはわたしです~っ!」
「そういうことは、結衣里ちゃんもカレシを作ってから言いなさいな。わたしはお父さんを落としたときのノウハウがあるもの~」
「むうぅ~っ!!」
きゃいきゃいと朝からかしましく親子ゲンカを繰り広げる、結衣里と母さん。
母、夏子は実際の年齢よりも相当に若く見える。
四十手前なのに高校生の結衣里と姉妹で通せるくらいの見た目なのは、異常と言ってもいい若さなのではないだろうか。
────それこそ、人間ではないかのように。
「……まったくこの家の女性陣は。結衣里もだけど、悪魔ばっかりなんだから」
不平を漏らすようにして、司はそう口にした。
「…………悪魔?」
と、その瞬間、母の顔が一瞬笑顔のまま固まったように見えた。
「え、どうかした、母さん?」
「………………え、あ、なに、司ちゃん~?」
「いや、一瞬何か考え込んだように見えたから」
「あ、あら~、そうだったかしら? 司ちゃんが悪魔なんて言うから、ビックリしちゃったわ~。もう、自分の妹を冗談でもそんな風に言っちゃダメよ~?」
「だったら人をからかってデートデートばっかり言うんじゃないよこの似た者親子は。反省しなさい」
「は~い」
「お兄ちゃんを悪いオトコの道へと誑かす悪魔の妹……うん、悪くない響きかも」
「結衣里ちゃんも。お父さんもいつも言ってるけど、結衣里ちゃんはわたしたちの天使なんだから~」
「それは同意。結衣里ほどの天使は他にいないよ」
結衣里もギリギリの冗談を言ってのける。
本当は冗談どころではないブラックジョークなのだが、結衣里も司の発言の意図に気付いたようだ。
「さ、二人が用意してくれてるんだし、わたしも手伝うわ~! せっかくのお休みなんだし~。二人もお休みだったら良かったのに」
「残念ながら学生は平日出勤なんですー。ほら、今週末は母さんも休みなんだろ? その時に行こうよ、三人で」
「おぉ~……司ちゃんからデートのお誘いだなんて。しかも両手に花なんて、悪い子になったわねぇ~」
「この親にしてこの子ありってね」
結局、親子三人でいつもより豪華な朝食を作り、司はいつもよりも早く支度を終えた結衣里と一緒に家を出た。
「…………お母さん、やっぱり何か知ってるよね」
「……だな」
司が「悪魔」と口にしたとき、母さんは目に見えて動揺していた。
「あのまま相談しても良かったのかもしれないけど……」
「でも、学校休むことになりそうだもんね。そんなに急がなくてもいいかなって。お兄ちゃんも、だから週末にって言ったんでしょ?」
「……まあ、ね」
現状、結衣里の悪魔化は日常生活にさほど大きな問題は与えていない。
しかし、昨日は結衣里が雷を落とすという非常識なチカラを見せたばかりで、放っておいていいとも思えない。
それでもすぐに相談しなかったのは、昨日のことがあったからだ。
悪魔に天使、神社に教会、そして何より、結衣里から告げられた想い。
色々なことがありすぎて、しばらく時間を置いて、頭の中を整理したかった。
「…………あのまま相談しちゃうと、お兄ちゃんとの関係が変わっちゃいそうな気がして…………せっかくお兄ちゃんに気持ちを伝えられたのに、それが無くなっちゃいそうで、怖かったから。お兄ちゃんへのこの気持ち、お母さんは絶対に許してくれないと思うから……もしそうなったら、お兄ちゃんと兄妹でいられなくなるかもって」
結衣里の言う通りならば、結衣里の“気持ち”は結衣里が悪魔になったことと無関係ではないらしい。
当然、“悪魔”のことを話すとなれば、結衣里のその“気持ち”についても触れなければならないかもしれない。
司の気持ちはさて置くとしても、親の立場としては娘が実の兄を愛するなんてことを認めるわけにはいかないだろう。
兄妹とはいっても、家族という前提条件を取り払ってしまえば、ただの年頃の男女でしかない。
間違いなどいくらでも考えられるわけで、最悪の場合引き離されるか、少なくとも今まで通りの距離感ではいられなくなる。
司にそのつもりはないし、仮にそうだったとしても結衣里を相手にそんな無責任なことをするはずもないのだが、保護者としては心配になって然るべきだろう。
結衣里とこれまで通り過ごせなくなるのだとしたら、それは司としても本意ではない。
「────そうか。俺は……結衣里との関係が変わるのが怖かったんだな」
「え?」
ふと、何かが腑に落ちて、司は言葉を口にした。
「ああいや。昨日結衣里から告白されてさ、ずっとモヤモヤしてたんだ。妹からあんなことされて、好きだって言われて。戸惑ったし、嬉しくも思ったけど困ったし、どうしたらいいのか分からなかったけど……でもそれ以上に、怖いと思ったんだ」
そう言って司は、隣を歩く妹の頭にそっと手を置いた。
「何よりも大事な妹……結衣里のことはずっとそう思ってきたのに、それが全部否定されたような気がして。結衣里が結衣里じゃなくなったみたいな、妹が妹じゃなくなったような感じがしてた。俺の思っていた妹の姿は、俺だけが見ていたマボロシだったのかって」
「……ごめん」
「でも、それは違ったのかもな。俺と結衣里の関係ってさ、俺たち自身はこれが兄妹なんだって思ってきたけど、周りからは散々恋人みたいって言われてきただろう? 俺は結衣里とのこの距離感が好きだし、変わりたくなかった。でもそれは他の人から見たら恋人の距離感で、兄妹だからこそ許されてたものでもあるんだ。だってそうだろう? 同じ屋根の下で、一緒にご飯食べて、挙句の果てに一緒の部屋で寝たりしてさ。普通の高校生カップルなら絶対許されないぞ」
「そ、それは……その」
同じ部屋で寝たことを思い出したのか、結衣里は顔を赤くして俯いた。
そういえば、あの時はいつの間にか結衣里が同じ布団に潜り込んできていたのだったか。
「俺は、結衣里と今まで通り過ごしたい。結衣里のことを悪魔だからって封印したり消し去ろうとしたり、あるいは兄妹を超えてるからって引き離そうとすることを許せない。逆に、結衣里と今のままでいられるのなら、兄妹だろうと恋人ごっこだろうと、結衣里の望む通りのことをするよ。正直、誰かを好きになるって気持ちがまだ実感が無くて、彼女作りなんて言われてもな……ずっと一緒にいたいと思える女の子なんて結衣里だけだし」
「〜〜〜っ!?」
結衣里に「カノジョをつくれ」と言われたときから、ずっと引っかかっていたのはそこだった。
彼女が欲しい、恋人になりたいという気持ちがどうにも湧いてこなかったのだ。
「というか、ほとんど恋人みたいな関係なら、実質結衣里と付き合ってるようなもん────」
「待って。それ以上はダメ。言ったら怒るからっ」
「ふぁんふぇふぁよ(なんでだよ)」
いきなり結衣里が言葉を遮って、手で司の口を塞いできた。
茹だったタコみたいに真っ赤な顔で、表情は怒っているのか緩んでいるのかよくわからないことになっている。
「いいからっ! これ以上妹を口説くの禁止っ! もしこれ以上わたしを好きにさせるようなら、既成事実つくるからねっ!?」
「はぁっ……!?」
突然キレだした結衣里に司はガクガクと揺さぶられる。
「もう、お兄ちゃんのバカお兄ちゃんのバカ! わたしを口説いてる暇があったら、一秒でも早くその口で四乃葉さんを落としてきてよおっ!!」
「なんでそうなるんだよ……というかなんで羽畑さん限定なんだ」
彼女は彼女で、好きな人がいることを結衣里だって知っているだろうに。
「ふんっだ! もう行くからっ! お兄ちゃんのバーカバーカ!」
子供みたいな捨て台詞をひとしきり吐き散らかしながら、結衣里は自分の学校の方向へと走っていった。




