Ex.10. 天使の密会
「────なるほど。与蓑門市場の路地裏で、暴れていた邪気を倒したと。どうやらそれがここ数日感知していた邪悪な霊気の源だったようですね」
夕暮れの小聖堂。
ステンドグラスから陽が射し込み、仄暗い中にも雰囲気を醸し出す空間で、若い教師と女子生徒が静かに話している。
「はい、先生。正確に言うと、落雷で勝手に倒れちゃったのですけど」
「……ふむ、落雷。近頃発生している邪気は天候を操るようですから、その性質が仇となったわけですか。いずれにせよお疲れ様でした、早川さん。また天使としての力を使わせてしまいましたね」
「いいえ。それが内藤先生のためになるのでしたら、先生から貰ったこのチカラを行使することを私は躊躇いません。もう少し遭遇するタイミングが早かったら、友達を巻き込むところでしたし」
清純無垢な少女たちの通う女子校の、他に人気のない小さな聖堂での、若い男性教師と生徒の密会。
ともすれば艶のある話かと疑ってしまう状況だが、内容や話しぶりにそういった雰囲気は無い。
少なくとも、教師の方は。
「友達、ですか。それはもしかして、度々話に出てくる“親友”ですか?」
「え、ええ……結衣里ちゃん。お兄さんと一緒にお出かけだったみたいで。市場の人と仲良くなったとかで、話しているところをたまたま見つけたんですが、お出かけの途中だったからすぐにどこかに行っちゃいました。私はそのまま市場に残って邪気を探して、1時間は経ったかな、そのくらいにお客さん同士がケンカしているのを見つけて」
「それが、例の邪気によるものだったと。よく見つけてくれましたね。戦ったのが路地裏という話でしたから、そこまでは君が誘導したのでしょう。怪我はありませんでしたか? 大事な君に傷を負わせたとなれば、親御さんにも君自身にも申し訳ありませんし」
「だ、大事な、って……だ、大丈夫です! 威嚇してくるだけで、ロクな攻撃もしてきませんでしたから。むしろ、訳も分からず混乱しているみたいな……」
「あの邪気は、長い間封印されていたもののようですからね。数百年も経っていれば世の中の様子も変わっていますし、混乱してもおかしくないでしょう。こんなことになるからこそ、鎮魂や封印ではなく浄化、除霊によって対応すべきだと、教会は舞月神社に対して過去に何度も申し入れているらしいのですが」
悪魔や悪霊といった邪悪な存在に対して、人知れず対応する組織はいくつか存在するが、それらは決して一枚岩とは言い難い。
無論協力することも多いが、宗教による思想の違い、歴史的な背景などから対立することも多い。
そういった大人の事情によって子供たちを危険に晒してしまっていることに、教師は常々歯噛みをしてきた。
とりあえず、無事に役目を果たして戻ってきてくれたことを、彼は心から喜び安堵していた。
なお、当の女子生徒はというと、下手に話題に出してしまったものだから、親友に疑いをかけられてしまわないかと戦々恐々の心持ちだったりする。
親友の立場を案ずる気持ちと、憧れの先生に隠し事をしている罪悪感とで、どこかソワソワと落ち着かない動きをしていた。
「ともかく、よくやってくれました。まずはゆっくり身体を休めてください。もしも明日お休みするのなら、単位に響かないように手回ししておきますよ」
「いえっ、大丈夫です! ……あの、そ、その代わり……ご褒美に、あたまを……その…………〜〜〜〜〜〜っ、やっぱりなんでもないですっ!! し、失礼しますっ」
何かを言いかけて途中で恥ずかしくなったのか、ぱたぱたと慌てて駆け出していく少女の後ろ姿を、教師は複雑な思いで見つめていた。
「ふぅ…………やるせませんね。────────わかった、わかりましたから、そんな顔をしないでください」
他に誰もいなくなった小聖堂で、何故か誰かに話しかけるように呟く教師。
「好意を持って接してくれるのは喜ばしいことですし、それにあくまで教師と生徒の間柄ですからね。学外の活動も勧めていますし、他の男性と接するようになれば自然と…………なんでそんな顔をするのですか」
他に誰もいないはずなのに、あきれたようなため息が聞こえたのか、彼は不服そうに口を尖らせる。
その視線の先には天使像があるのみで、対話する相手などいない。はずである。
「……ええ、わかっています。あの子は何かを隠している。悪意あってのことではなさそうですから、ウソをついているというよりは、報告していないことがあるようですね」
ふう、とため息をひとつ吐いて、彼は怜悧な目に強い意志を宿らせた。
「彼女も言っていた、日中の“落雷”……調べる必要がありそうです。事の次第によっては、以前の伝手を頼るべきでしょうか。────貴女の二の舞を、起こす訳にはいきませんからね」




