49. 恋人ごっこ
「それにしても、広いよねこの公園」
二人でお弁当のおむすびを頬張りながら、ふと結衣里が口にした感想に司は周りを見渡した。
「そうだね。端の方にあるとはいえ市内なのに、こんな広い公園があるって珍しい」
ここは公園といっても、遊具があるようなどこにでもある公共公園というわけではない。
天光満記念公園。
数百年前、この地域の疫病対策や治水に貢献した教会の聖人を記念して造られた公園だとかなんとか。
結衣里の学校といい、所々に教会の影響も見られるこの地域である。
基本的には歴史的な神社仏閣が有名なこの地だが、教会にもそこそこ縁があるという、なんとも宗教の並立した不思議な土地だ。
(ここにも天使のような悪魔が一人いるし)
司はしみじみと、愛おしげに隣の悪魔少女を見つめる。
翼に角にしっぽまで生え、大騒ぎしたあの日から1ヶ月以上が経った。
あの時はどうなることかと思ったものだが、今彼女は司の隣で呑気におむすびを頬張っている。
大切な妹の幸せそうな横顔に、司も自然と頬がゆるんだ。
「なあに、お兄ちゃん?」
「いいや。平和だなぁと」
不思議そうに首をかしげる結衣里を見て、思わずぽんっと結衣里の頭に手を乗せ、撫でた。
「むう……それは妹としてのなでなでな気がする。やり直しを要求します」
「まさかのダメ出し、というかおかわり要求!?」
何であれ、求められたら応える他に司の選択肢は存在しない。
より強く、わしゃわしゃと髪を撫で付けるが、結衣里は変わらず不満そうだ。
「これは、むしろペットの扱いじゃない!? もっかい!」
「どうしろって言うんだよ」
「もっとこう、愛情を込めて……『綺麗だよ、結衣里』とか囁いてさぁ」
「何そのイケメンムーブ……え、そんなの求められてたの?」
「べつに? お兄ちゃんが急にそんなことし出したらむしろホンモノかどうか疑う」
「理不尽!」
なんてやり取りをしながら、ケラケラと笑う結衣里。
ついさっきまで不機嫌だったかと思えば、今はもうこの上なく上機嫌な様子。
女の子ってのは分からない。
「実際、今日の結衣里は綺麗だから言うだけならいくらでも言うけども」
「ふふ〜、ばっちりキメてきた甲斐があるね、そこまで言ってもらえると」
結衣里は得意そうに、でも少しくすぐったそうに鼻を伸ばす。
デートということで、気合を入れてきてくれたのが分かる格好だけに、綺麗という感想はごく自然に出てきたものだ。
ただでさえヘソ出しなのに、ジャケットを脱ぐとオフショルダーになっていて結衣里の華奢だが確かな女の子らしい肉付きも感じられる肌のラインが露わになって、隣にいるだけで妹とはいえ妙に落ち着かない気持ちだった。
「……そ、そんなに見られたらちょっと恥ずかしい、かな」
「あっ、ご、ごめん」
いつの間にか見つめ過ぎていたようで、結衣里が肩を隠しつつ頬を紅潮させた。
ハッと我に返った司は反射的に謝ると、わざとらしく咳き込みながら誤魔化すようにおむすびの最後の一口を放り込んだ。
「……ううん。お兄ちゃんにそういう風に見られるの、イヤじゃないし。ああ、ちゃんと女の子として見てくれてるんだなって」
「ちゃんとも何も、結衣里は女の子だろ。日に日に可愛くなっちゃってさ。ぶっちゃけた話、こんな可愛い女の子がすぐ側にいるっていうのは嬉しいんだよ、男として。兄妹だからって、いつも心の中で自分に言い聞かせてるくらいには」
「それって……」
呆けたように目を見開き、少ししてからかあっと顔を赤らめる結衣里。
思った以上の反応に、それを見た司もつられて顔が熱くなってくる。
司たちは兄妹だ。
血を分け合った家族、同じ両親から生まれてきた同胞であることは揺らぐことのない事実だが、しかし同時に、兄と妹という性別の違いが存在するのもまた事実。
ふと目に映る、服や手足に感じる女の子らしい体つき、触れた手の柔らかさなどに、どうしようもなく異性であることを意識させられることはある。
「結衣里としてはそれが“悪魔の誘惑”なんじゃないかって心配になるのかもしれないけど。羽畑さんだって“身内”相手にあれだけ悩んでるんだから、家族とはいえ大なり小なりそういう気持ちは生まれても仕方ないんだと思うよ、誰だってさ」
「それは…………うん」
「ただでさえ結衣里は可愛いんだから! 男の本能を刺激されるのは仕方ないよな、うん」
羽畑さんの例があるように、血の繋がった家族だからといって、絶対に異性として意識しないわけではないのだと思う。
兄妹で夫婦となった創生神話があるように、大昔には兄妹で結婚することが当たり前だった時代もあったらしい。
兄妹は、家族である以前に「男女」でもある。
時に家族相手に異性を感じてしまうとしても、それは決しておかしなことではないのだろう。
「……お、お兄ちゃんってば。もしかしてわ、わたし、口説かれてる!?」
「くど……っ、んなわけ…………いやまあ、そう聞こえる言い方だったか。気持ちとしては、結衣里相手ならそれも吝かじゃないところだけど」
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
照れと焦りで視線を彷徨わせたままの結衣里の様子に、司は頭を掻いた。
色々と持って回った言い方をしたが、要約すると「結衣里に異性として惹かれている」と暴露したようなものなのだから。
当の結衣里としては困って当然なのかもしれない。
司はこほんとわざとらしく咳をして、続ける。
「ま、それが“恋愛”になってくるとまた別なんだろうけど。一緒にいて飽きないし、こうしてデートしてても楽しいけど、だからどうしたいってわけでもないし」
「…………え?」
「ほら、恋人同士なんだったらさ、付き合ってから色々したいこともあるだろうけど、そういうことは特に思わないし。デートしてみたりキスしたり、一緒に寝たりとか…………よく考えたら、結衣里にはどれも思いっきりイタズラ半分や思い付きでされたことあるな。まったく男の純情をもてあそびやがって」
「そ、それは……」
デートというか、一緒に出かけるくらいは昔からやっていたからいいとしても、いきなりキスをしたり同じ部屋で寝ようなんて言ってきたのは正直心臓に悪かった。
結局受け入れた司も司だが、それらは要するにこれくらいなら許されるという気安さゆえ、言ってみれば必要以上に意識していないからこそできることなのであって。
「まあそういうやり過ぎたアレは置いておくとして……周りから見たら恋人同士みたいに見えてるっぽいけど、俺たち兄妹にとってはこれが普通で、全然そんなつもりは無いしな。今はこうやって“恋人ごっこ”みたいなことをしてるけど、いつか結衣里にも好きな人ができて、俺とこんな風に遊ぶことも無くなるんだろうね」
司はそう言って再び愛おしげに目を細めて妹を見つめた。
そういう日が来るのは案外近いんじゃないかと、司は思っている。
そもそも、結衣里が司に恋人を作れなどといきなり言い出したことこそ、結衣里なりに恋愛ごとについて真剣に考え始めた何よりの証拠じゃないだろうか。
今すぐに付き合いたい相手がいるというわけではないにせよ、恋について考えるきっかけ、誰か気になる人ができただとか、そういう契機が何かしらあったに違いないのだから。
案外、例の“悪魔化”だってそのあたりに原因があったとしても不思議じゃない。
先般の「デートの予行演習」だって、司のためという以上に、結衣里自身の練習のためだったのかもしれない。
「好きな人って……………………お兄ちゃんは、それでもいいの…………?」
「おいおい、彼女作りがどうのって言い出した時に結衣里が言ったことだろ。寂しいけど、結衣里の幸せのためなら応援しなきゃ。大事な妹のためなんだから。そうしたら、やっと安心して自分の恋愛もできると思うからね。……はは、ようやく普通の兄妹っぽくなるな」
羽畑さんや瑞希相手にアプローチをかけてみてはいたものの、いまいち恋愛について実感を持てていなかった司に対し、思っていた以上に結衣里はちゃんと考えていたらしい。
女子は男子に比べて心身の成熟が早いとは言うが、こと色恋の面では間違いなく結衣里は司よりも先を行っている。
結衣里の“好きな人”という言葉に何か特別な甘さと苦さの入り混じった熱を感じて、司は色々な感情を咀嚼するように噛みしめつつ、やさしい気持ちを抱きながら結衣里を撫でた。
いつか、自分の手を離れていく宝物。
親離れしていく子を見守る親の気持ちというのはこういうものなんだろうかと、なんだか急に年を取った気分になる司だった。
「……………………ばか」
「バカとはなんだ────って、結衣里?」
いつもの照れ隠しな結衣里の悪態を軽くあしらおうとしたところで、ふと、結衣里の頬に雫が伝うのが見えた。
「……泣いてる? 何か、」
「────ううん。泣いてない。……泣いてないから……」
泣いてないと言いつつ、顔を逸らしてぎゅっとしがみついてくる結衣里。
何も言えず、ただ結衣里をそっと抱き寄せようとしたその時。
「着信……こんな時にっ!」
ポケットの中のスマホが鳴り、通話の着信を伝えてくる。
思わず悪態をついて画面を見ると、その着信主はさっき会ったばかりの瑞希からだった。
『もしもし、司先輩っ!? お邪魔しちゃって悪いんですけど────っ!』
「……お邪魔かどうかは置いておくとして、何かあったのか?」
妙に遠慮がちな瑞希の様子に座りの悪さを覚えつつ、訊き返す。
『アレがまた出たんです────この前の、邪気をまとって様子のおかしくなってる人が! それに、様子がヘンなのはその人だけじゃなくって』
「出たって……あの小鬼がか!?」
『同じかどうかは分からないですけど…………それに、現場にあの子がいるんです! さっきの────結衣里ちゃんのお友達の子が』
「お友達、って…………」
切羽詰まった瑞希の声がスピーカーから響き、司は結衣里と顔を見合わせる。
思い当たる人物は一人しかいない。
「もしかして────桐枝ちゃんっ!!?」




