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Ex.9. もし、わたしが


 「ふう…………」

 「どうしたんですか結衣里ちゃん、ため息なんて吐いて」

 「桐枝ちゃん」


 放課後、HR(ホームルーム)も終わり、教室でひとりため息をついていた結衣里に親友の桐枝が訊ねてきた。


 「なんか、恋する乙女のため息って感じで、すっごく色っぽい顔でしたけど」

 「えっ!? わたし、そんな顔してた!?」


 思わず結衣里は自分の頬をぺちぺち叩いた。


 結衣里が考え込んでいたのは事実であり、考えていたのは当然司のこと。

 大切な兄であり、想い人でもある彼のことを考えていたのだから、恋する乙女という桐枝の指摘は大当たりだった。


 「まあ、結衣里ちゃんがお兄さんのことを考えてるのはいつものことだとは思いますけど」

 「べ、別にわたし、お兄ちゃんとはそういうんじゃ……」


 桐枝の指摘は図星でしかなかったが、結衣里は反射的に否定してしまう。


 何と言っても兄と妹なのだ。

 本来なら好きになってはいけない相手であり、これは決して報われない禁断の恋。

 従兄(いとこ)に恋をしてしまっている四乃葉(よつのは)には打ち明けられたものの、一番の親友である桐枝相手にそれを認めるにはまだ勇気が足りなかった。


 「この間なんて、お兄ちゃんが人生初のナンパをしてきたところだしね!」

 「ええっ!? そ、それで、どうなったんですか……?」

 「それでお兄ちゃん、そのまま人生初のデートだよ。……ところが、なんとその相手が実は女の子の格好をした男の子でね……」

 「っ……!? ま、まさか二人はそのまま、禁断の恋路に……」


 結衣里が先日のデート騒ぎについて話し始めると、桐枝は目の色を変えて食い付いてきた。


 「な、ないないっ! お兄ちゃんはノーマルだし、相手の子も可愛い格好が好きなだけで、中身は普通の男の子みたいだし。普通に、友達として仲良くなってた」

 「そ、そうですか…………ホッとしたような、ちょっと残念なような」

 「こんなこと、実際にあるとは思わないもんねぇ」


 (にわ)かにオタクとしての本能が(うず)きかけた様子の桐枝だったが、結衣里があわてて否定すると、ハッと我に返ったようだった。


 「さすがにお兄ちゃんがそっちに行っちゃったりしたら、困るというか戸惑うというか」

 「ああいうのは、画面の向こうの世界だからこそ良いんですよね」

 「うんうん」


 結衣里は桐枝と頷き合って────


 (…………そっか)


 ふと、気付く。


 女の子にしか見えない男の子だったり、男の子同士で好き合ったり……

 結衣里も桐枝も、そういう()()()()に通じてはいる。

 ただ、それはある種空想上の存在のようなもので、それらがいざ身近に現れるとどうしたって戸惑ってしまうのだ。

 あくまで画面の上、スクリーン上での存在であり、だからこそドキドキしたり感情移入できるわけで……


 (もし、わたしが────)


 もしも結衣里が、実の兄を好きだと言ってしまったら。


 桐枝は、結衣里が兄である司にべったりで恋人のような距離感でいることに対して、好意的でいてくれている。

 ただ同時に、それが冗談半分で言っていることだということも、結衣里には分かっていた。


 あくまで物語(フィクション)だからこそ推せるものが、もしも現実として突きつけられてしまったら。


 桐枝の反応的に、結衣里の気持ちはもう(なか)ばバレてしまっているのだろうが、それでも彼女は結衣里にとって大切な親友なのだ。

 もし彼女が、結衣里は本当に実の兄である司に恋をしているのだと知ったら……



 ────それでも、親友でいてくれるのだろうか。



 もしかすると、拒絶されるかも…………そう思うと、とても打ち明けることなんてできない。


 「……あれ、じゃあ結衣里ちゃんはなんで悩んでいたんですか? てっきりお兄さんに気になる人でも出来たのかと思っちゃったんですけど」

 「ああ、別に悩んでたんじゃないよ~。今度お兄ちゃんと出かける約束をしたんだけど、どこに行くか決めてなかったから。どうしようかなって」

 「それって……つまり、デートですかっ!?」

 「デ……っ!? ち、違っ…………そう、練習っ! 練習だからっ!!」


 だから、キラキラと目を輝かせる桐枝に、またしても結衣里は言い訳をしてしまった。


 「お兄ちゃんが本番のデートで失敗しないように、練習のためにするだけだからっ!!」


 結衣里が司と出かけるために司自身に対して言った、「デートの練習のため」という言い訳を、もう一度。

 司は、今度は「練習なんかじゃなくて、本番のデートをしよう」と言ってくれたのに。


 「そっかぁ…………でも、よかったですね。お兄さんと二人でお出かけでしょう? なら、思う存分楽しまないと!」

 「…………うん」


 幸い、桐枝はそんな結衣里の心の内には気付かず、喜んでくれていた。


 (……ごめん)


 何に対してか、誰に向けてか自分でも分からない懺悔を口にしながら結衣里は頭を切り替える。


 「それで、出かけるってなったらどこが良いかなって。前回お兄ちゃんはショッピングモールに行ったから、同じ場所じゃ芸が無いし。買い物も映画も行ってたからなぁ」

 「そうですね……だったらむしろ、外の方が良いかもしれません。市内を観光して、記念公園をお散歩とか! 梅雨前ですし、今しかできないことですよ」

 「そ……っか。わたしインドアだから、そういう発想なかったかも」


 学校が無ければ引きこもり生活まっしぐらの自信があるほど、自他ともに認めるインドア派の結衣里だけに、ただ外を歩くだけのデートという発想が無かったのだ。


 「この前も舞月神社に行ったし、ああいう観光デートもアリなのかも……」

 「ふふっ、やっぱり楽しみなんですね。お兄さんとのデート」

 「はっ!? れ、練習っ! 練習デートね!」

 「はいはい、分かってますって。…………でも、舞月神社ですか」


 からかうように、生温かい目で微笑む桐枝だったが、ふと黙り込んで表情を変えた。


 「…………桐枝ちゃん?」

 「ああいえ、神社に行くって、お正月でもないのに珍しいなと思って。用事があったんですか?」

 「あー、うん。ちょっとこの前、なんだかヘンなことがあってさ。厄払いじゃないけど、なんとなくお参りしておきたかったっていうか」

 「ヘンなこと?」


 まさか小鬼が人を操って暴れて、天気がおかしなことになったなどと正直に話すわけにもいかず。

 あの邪気のことは伏せながら、様子のおかしい子が道行く人に絡んでいて、まるで何かに取り憑かれていたかのようだったとだけ話したのだった。


 「まあ、取り憑かれて~とかは、わたしたちの気のせいだと思うけどねー。一応神社の人にも話したら、念のためにその子のこともお祓いしておきますねって言ってたし。あはは、ホントに効くのかなぁ」


 白々しくとぼける結衣里。

 こういう演技は苦手なのだが、さすがに今回ばかりは内容が内容だけに、桐枝とて信じるはずもない。


 と、思ったのだけれど……


 「…………」

 「……桐枝ちゃん?」

 「え? あ、ああ、いえ何でもないです。そうですね、神社の人がそう言うなら大丈夫だと思います」

 「……?」


 何やら上の空の様子でそう頷くと、桐枝はやおら立ち上がって言った。


 「あの、私これからミサに行ってきますので、今日はこれで」

 「ミサ? たしかに今日は放課後の小ミサがある日だけど……」


 結衣里たちの通う聖ヴェルーナ女学院は名前から分かる通り教会系の学校で、朝や放課後などに時折、祈りの行事であるミサを行っている。

 基本的に参加は自由であり、信徒でもなければ大半の生徒は見向きもしないものなのだが……


 「桐枝ちゃん、ミサとか行くタイプだったっけ?」

 「えっと、それはほら、内藤先生がいるから……ね?」

 「あー……そういう」


 頬を赤く染める親友の表情を見て、察する。


 内藤先生とは、この学校の教師であり、敷地内にある教会の神父でもある人物。

 かなりの美形であり、この学校の生徒の多くを虜にする歩く罪作りでもある。

 本人は神父は結婚できないからと素気無い態度で近づく少女たちを全てあしらっているが、それでも性懲(しょうこ)りもなく密かに想いを寄せる生徒は多い。

 この親友も、その一人というわけだ。


 叶うはずのない恋に身を焦がすという意味では、やはり親友同士似たものがあるのだろう。


 「じゃあ……わたしは帰るね」

 「はい、気を付けて。お兄さんにもよろしくです。くれぐれも、おかしなことに巻き込まれないようにって」

 「うん、伝えとく」


 そそくさと走り去っていく親友を、結衣里は微笑ましく見送った。


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