【第八話】ルクレティア-その2-
間も無く、私は救い出されました。
それも信じられない程あっさりと。
けれど、信じられない気持ちとは裏腹に、両手の痛みや全身の汚れが【これは夢では無い】と告げています。ですがこれが夢で無いのなら彼は一体、と折れた心に僅かな希望が灯ってしまいます。愚かな私は、またこうして希望に縋ろうとしている。そんな自分の矮小さに嫌気がさし、これで十分だと必死に言い聞かせていました。
ですが彼はそんな私に遠慮もせず『怪我は無いか』と心配し、剰え助けた対価も必要ないと言わんばかりの対応をされるのです。ですが、私はもう私を諦めてしまった。そんな私のせいで迷惑を掛けてしまったこの人に、せめて汚れてしまった靴を磨く事だけでもと、服の裾を千切りそれで掃除させて頂きました。私の服も決して綺麗とは言えないボロですが、土汚れを払う最低限の布程度には使える筈です。
きっと、これが運命が与えてくれた最後のご褒美なんだ。死の淵にあって、こんな奇跡起こる筈が無いのです。ですから、せめてこの恩人に、私の渡せる限りの全てを尽くし、ここで穏やかに死のう。自然と、そう決意出来ました。
何を言われても頷こう。
奉仕を要求されても、身体を要求されても、今私がこの奇跡に差し出せる全てを明け渡そう。だってこの人は、私に死に方を選ばせてくれたのだから。
そしてそれが終われば、彼に迷惑をかける事なく、ここで一人死を待とう。大丈夫、もうさっきまでの私ではないのです。今ならきっと、例え一人でも。
「……この後はどうするんだ?」
と、思っていたら。そんな気持ちを知ってか知らずか、それを見事に追求されてしまいます。当たり障りの無い様に、
「動けませんので、ここで貴方に感謝しながら過ごします」
と、返しました。そして、
「命のご恩の上、今私が何を口にしても、貴方様に迷惑を掛けてしまいます。なので、私は……いえ、私の事はお気になさらないで下さい。助けて頂いた御恩、決して忘れませんので」
と告げました。
そして、彼から要求が伝えられるのです。
「その恩に報いる方法を教えよう」
言われた瞬間、ドキッとしました。
全てを許容しよう、そう決めた筈なのに。
ほんの少しだけ、やっぱり怖くて。
なのにこの人は、
「お前の人生を教えてくれ」
「……え?」
「そして、俺の知らない知識を貰う。それでチャラだ。どうする?」
私の人生に、価値を残させてくれると言うのです。こんな、ゴブリンの餌として廃棄されたゴミの様な存在の人生を気に掛けてくれるなんて……。私がどう生きたかを知る人を、残させてくれるだなんて。止めどなく溢れる大粒の涙が頬を伝い、瞬きする事も呼吸する事すら忘れて、彼を見つめていました。
そしてハッと、気が付きます。
ダメだ、期待しちゃダメなんだ。
私の存在はただただ彼の迷惑になってしまう。
「えっと……とても嬉しいのですが……」
こんな私の命を救ってくれ、人生の意味をも与えてくれる存在に、これ以上何を求めるというのでしょうか。もしこの人が私のご主人様だったらと、つい考えてしまいそうになるのですが、もう十分です、私は十分幸せです。せめて何かでお役に立った後に、ご迷惑とならぬ様にー
「解錠」
「……え?」
パキリと、小さく音を立てて外れてしまった手枷。
そして。
「解錠」
「……」
あ、あれ?
えっと。
これが無くなるとどうなるんだっけ?
いや、ダメダメ。
そうだ、それでも私は奴隷なんだ。
だ、だから……。
「あ、あの……、私、ど、奴隷の身分でして……」
「そうなんだろうな」
「なので、錠をして居ない奴隷が一人で歩いていては、その、何と言いますか……」
これできっと、諦めてくれる筈です。
「すまなかった、俺が短絡的だったが為に逆に迷惑を掛けてしまったな」
「いえ、そんな! ここまでして頂いて感謝の念が絶え無いのですが、本当に申し訳ありません。私はここに残ります」
これで良い、これで良いんです。
手枷が外れた時は心臓が止まるかと思うくらいに驚きましたが、結局の所、私は奴隷のまま。誰かの手に堕ちる為に街に行くなど、今更考えられません。それに、奴隷の身分でこの地から出発では、私の故郷は遠過ぎる。
そして彼は彼自身の置かれている状況と聞きたい話というのを教えてくれました。が、それはまるで冗談を言うような軽い雰囲気で、私に匹敵する程の窮地に陥って居た事を聞かせるのです。驚愕し過ぎて腰が抜けるかと思いました。
なんとこの人、恐らく魔力災害が原因で、無一文の上、右も左も分からないままにここに立っていると言っています。この人は、他人を助けている場合なのだろうか。
なのでひとまず子供に話して聞かせる様に、この地の事を簡単に説明し、私自身が今この状況に至った経緯を掻い摘んで話しました。
それを改めて一言で纏めると、村から奴隷として出立し、ゴブリンの餌になったという話をしたのです。そして私はー
「なので、私にはもうなんの価値もありません。ここでー」
「価値ならあるだろ?」
「え?」
ここまで話しても、まだこの人は私が希望を捨てる事を許してくれません。こんな私にまだ価値があると、何度も何度もそう言ってくれるのです。
もしかして、私。
「俺の知らない事を沢山知っている。もう少し詳しく教えて貰いたいんだが、一緒に来ないか?」
少しだけ、この人を頼っても良いのだろうか。
「私の……主人になって頂けるのですか?」
はわわわ!
言ってしまった!
怖い、どうしよう。
希望なんて持つんじゃ無かった。
撤回したい、言葉を引っ込めたい。
あぁ……困っている、何かを考えている。
どうしよう。
主人になって欲しいと、言って、しまいました。
断られるのが……どうしようもなく本当に怖い。
「奴隷の身分は消えたりしないのか?」
えっ。
質問で返されてしまいました。
あ、あの……。
うぅ、答えますけど……。
「一度堕ちたなら刻印が施され、市販されている魔道具で簡単に判別出来てしまいます。なので仮に身分を伏せた街に入ろうとしても、検問ですぐに見破られる事となります。その後はー」
「いや、すまない。十分だ」
何か怒ってます。
どうしよう!
こんな素敵な人を怒らせてしまいました。
あぁ、何と謝れば……。
「俺みたいな余所者が主人で苦労しないのか?」
!?
「そんな! 私はこのまま朽ちるのみの身、それこそ身に余る光栄です」
「そう……なのか」
そ、そんな。
え?
この返事って?
「どうすれば良い?」
「え?」
え? え、え、え、え、え?
「どうすればお前の主人になれる?」
「あ、えっと。確か私はまだ商品段階の奴隷ですので、奴隷紋が第一段階までしか定着しておりません。故に所有者の確定である第二段階を定着させるには、紋に直接触れながら【我が所有物と認める】と言い、魔力を流し込めば良かった筈です」
「奴隷紋とは?」
「これです」
私は一にも二にも無く服を脱ぎ捨て、奴隷紋を示しました。
あぅぅ、顔から火が出る程恥ずかしい。
胸を見られてましゅ……。
「見えますか?」
「これか」
あ、彼の手が、私の胸にー
「我が所有物と認める」
「……んっ」
赤い光と共に熱を帯びた奴隷紋は、そのまま彼の魔力で少し形を変え、主人に飼われた印として新たに定着したのです。
あれ?
私もしかして。
この人の奴隷になれちゃっ……た?
「……どうしたものか」
えっ!?
「いや、拙いか」
そんな、もう捨てられたくない!
何でもします、なのでどうか私を側に置いて下さい!!