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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役皇女と呼ばれた私に一目惚れした人の末路は、 ~不遇な皇女と暗殺者の偽装結婚~

作者: RION

 これは、私が七歳のときのできごとだ。


「お前がルウェリンの娘ルズだな? 陛下より帰還命令だ、ルズ‥‥‥いや、コーネリア皇女殿下」


 ――とある娼館の一部屋。そこが私の産まれた場所。


 皇帝の使者と名乗る集団がやってきたのは、母が消えた翌日の日の事だった。

 ”私を連れ戻しに来た”‥‥‥いきなりそう言われた。もちろん、「はい、わかりました」なんて素直に頷けるはずがない。


「いきなりなんなんですか?‥‥‥なにかの間違いでは?」

「いいえ?間違いなどありません」

「母の名前はフィオナですし、私が母のお腹の中にいた時にはもうこの娼館にいました」

「それはこの娼館での名前です。ルウェリン殿が殿下を身籠った当初、彼女は王宮で下女をしておりました。――ご存じありませんでしたか?」

「‥‥‥知りません」

「殿下の青い色の目は皇族特有のもの。他のどんな貴族にもない特徴にして、血筋を語るのには不可欠なものなのですよ」

「たったそれだけが証拠になるんですか?」

「たったそれだけのことが重要なのです。皇族以外には、絶対に発現しないのが、その瞳の色なのですから。‥‥‥さぁ殿下、我々と共に行きましょう」


 この日から、私は禿のルズから、皇女コーネリアとして生きることになった。




「おいコヌソン(・・・・)、さっさと食えよ? それ(・・)はお前の為に用意してやった特別なデザートなんだ。食べないわけないよなぁ?」


 午後三時の華やかなティーテーブルの上。私の前に置かれたのは、なにかの幼虫と、虫が乗せられたケーキ。飲み物のグラスには、ご丁寧に飼い葉用の藁が細切れにされて浮かんでいる。

 ちなみに“コヌソン”は、醜い女。はしたない女。または売女という意味だ。

『娼婦の娘のお前にはその名がピッタリだ』と、私と腹違い兄妹たちによって名付けられた。


 王宮で暮らし始めてから一か月。毎日がこんな調子だ。


 まともな料理なんか出してもらえた試しがない。給仕たちよって運ばれてくるのは、嫌がらせ目的で何かしら小細工された食べ物ばかり。‥‥‥犯人は分かり切っている。私の異母兄姉達だ。

 でもなぜそんな事をされるのかって? 目的は単純。私のことが嫌いだから。屈辱に泣く私の顔が見たいからだ。


「せっかく兄妹水入らずの茶会に招いてやったんだ。また少しも手を付けないで席を立つなんて真似はしないよな?」


 この茶会は、王子と王女の義務の一つ。

 “午後三時のアフタヌーンティーには兄妹みんなで集まること”。‥‥‥病で床に伏せっている現皇帝、私の実の父親からの命令だった。

 そんなわけで、こうして腹違いの兄妹が一人残らず勢ぞろいしているのだけど‥‥‥何が楽しくて、こんなどうしようもない茶会にわざわざ来ているのかと言えば、不参加者には十日間、猛獣の檻の中で折檻という、身の毛もよだつ罰があるからだ。


 ――けして冗談ではない。頭のネジが何本も足りないここの住人達は、やると言ったらやる。それくらい常軌を逸した悪魔たちが、今、私の目の前に実在する。


 宮廷温室にあるテーブルを囲むのは、絵本に出てくるようなキラキラとした恰好の異母兄妹十人。私を含めれば十一人。

 趣味趣向は全員違うし、なんなら髪色も服装も全然違うのに、やっぱり同じ血筋だからなのか、顔の作りがところどころ似ている。碧眼なんかは全員、もれなく一致。

 けれども、彼らにとって私は異物。過去下女であり娼婦であるルウェリンの娘は、汚らしく邪魔な存在でしかない。


「コヌソン? 食べなさい。それはあなたのデザートよ?」

「そうよコヌソン。早く食べて?」

「早く食えよ。早く!」


 虫入りデザートを私が食べるのを今か、今かと心待ちにした、卑しい嘲笑が円卓の上で広がる。

 後ろで控えている侍従たちは、この状況に顔色一つ変えさえしない。まるで石像のようにそこにいるだけ。この場に、私の味方は一人もいない。全員が、誰かしらの息がかかった、悪魔の手先。


 ‥‥‥だからって、泣き寝入りするような私ではないけれど。


 このケーキを食べさせるのが望みなら、叶えてあげよう。

『お前の為に用意してやった』‥‥‥そう言ったお兄様に、私手ずから食べさせてあげるのだ。

 虫入りケーキを手に、席を立つ。素早くお兄様の背後に回ると、その歪んだ笑みの口元目掛けて皿をひっくり返してやった。

 温室中に悲鳴と喚き声が響き渡る。唐突な出来事に、反応できなかった侍従たちが慌てふためきながら駆け寄ろうとしてくる。だが、それを手で制して止めたのは、どういうつもりか‥‥‥長男の第一皇子ヴィートリヒ。何を考えているのか、喜色を口角に滲ませた彼は、碧眼を見開いてこちらを凝視している。気持ち悪いことこの上ない。けれど今は都合がいい。「立つな」と身内さえ抑え込んだ、訳の分からないその思考の不気味さをこの際悪用しない手はない。

 べシャっと潰れたケーキが、唖然としているお兄様の顔面からポトリと膝上に落ちた。

 ヴィートリヒお兄様以外が騒然とした表情をするなか、怒りとショックに震えたアルキントの目を覗き込んで、


「どう? 美味しい? アルキントお兄様」


 言いつつ、藁入りグラスをアルキントの頭上で傾けた。頭のてっぺんからアルキントの顔の形に添って液体が流れていく様をじっくりと観察する。

 我ながら上出来だ。この手の嫌がらせなら、女の園である娼館では日常茶飯事。食べ物の恨みは食べ物で返す。ケーキと、こんなことのために殺された小さな命たちに謝れ。そして私にも。


「コヌソン‥‥‥おまえっ‥‥‥‼」


 ケーキと虫と、ジュースでぐちゃぐちゃになった顔が、みるみる赤くなっていく。‥‥‥ふん、いい気味だ。できれば、その顔のまま城中を歩きまわってもらいたい。

 ――うん、そうしてもらおう。そうする方法がある。

 私は剣呑な雰囲気で膠着状態に陥っている円卓を振り返ると、背筋を伸ばした。

「食べるものが無くなったので、私はこれで。――ご馳走様でした」

 せっかく覚えたのに披露する場面がなかった、渾身のカーテシーを披露し、さっさとその場から離れる。

「おい待て! 逃げるのかっ!?」

 アルキントだった。見ると、彼は椅子を蹴飛ばしながら傲然と立ち上がったところで、

「逃げる?私が?‥‥‥誘ってるの」


 ――馬鹿なあなたの汚い顔を見せびらかしてやりたくて。


 怒りに我を忘れたアルキントが追いかけてくることを願いながら、私は温室を後にした。

「‥‥‥面白い」

 ヴィートリヒが、そんな言葉を言っていたなんて、知りもしなかった。




 それからの二年は、まさに嵐のようだった。

 ‥‥‥そう、報復だ。嫌がらせは様々なかたちで毎日のように続いた。

 食べ物に虫や土を入れてくるのはもちろんのこと、生ごみや、皿の上が空っぽなんてことも珍しくなかった。食べられないような味にされていたこともあった。

 身に付けるものを破かれたり壊されたりがしょっちゅうで、高価なものは届くと次の日には無くなっていた。

 とくに、換金できそうなもので流通量が多いものは確実になくなる。侍従たちも味を占めたらしい。命令なんか受けなくても自ら率先して悪事を働いてくるから、もう呆れる。出所が分からなければ罪に問われる心配はないとでも思っているのだろうか?

 そんな日々の中、私が九歳のとき、こんなことが起こった。


「ねぇコーネリア。あなた婚約者がいないでしょう?‥‥‥だからこのわたくしがいい人を選んであげたわ」


 ある日、長女ベアトリシアがいきなり、年老いた伯爵を連れてきた。

 老人は、若い頃は浮気に浮気を重ねまくって夜な夜な何人も女を寝所に侍らせたという、とんでもない色欲魔だったそうで、


「いつも一人のコヌソンを見ていると、どうしても不憫でならなくて‥‥‥余計なお節介だったかしら?」

「それはどうもお姉様。娘を心配する母親のようですねまるで。年のせいですか?」

「‥‥‥わたくしは十五よ」

「なら心に問題があるのかも。今度腕のいい精神病の先生を紹介してあげますね。母がよくお世話になっていたお医者様です。是非一度診てもらって?」


 この後、ベアトリシアと私は嫌味の応酬という冷戦を一時間にわたって繰り広げた。

 それはさておき、問題の色欲魔だが、彼は私と二人きりになるなり、鼻息荒めにこんなことを言った。


「九歳だったねぇ?‥‥‥もちろん乙女(・・)だろう?」


 乙女の意味が分からないはずがない。娼館で産まれて、育てられれば、自然と理解する。

 脊髄反射で思わず「死ね」と言いかけて、寸前で言葉を失ってしまった私は本当に馬鹿だ。

 この男、晩年趣味が変わって、質の悪い色欲魔だったのに今や幼女に目がないド変態にジョブチェンジしたらしい。

 調印式の後も「成人まで待つ必要はない。初夜は明日にしよう」と、善は急げだとか何とか言い始め、城での滞在許可を光の速さでベアトリシアから取ってきた。‥‥‥来たときはヨボヨボだったくせに。

 ――皇族の婚約は義務だ。なんなら本来は生まれる前から相手なんか決まっている。調印はさすがに避けられなかった。


 でも、もちろん‥‥‥私はけして赦しはしない。


 初夜当日。幼女趣味のド変態が時間より早く来ることを予想して、私は扉の陰に身を隠した。

 ノコノコやって来たド変態を返り討ちにする為だ。

 ‥‥‥計画は見事に成功。寝室に奴が入ってきたところを、背後から股間を蹴り上げて一撃で仕留めた。

 この時、偶然にも当たり所が悪かったようで、伯爵が生涯大切にしてきた玉が二つとも使い物にならなくなってしまったという。結果、婚約はたった二日で解消された。

 九歳にしてバツが一つ。新たな人生の門出というやつかな。とてもめでたい。

 その後、玉を失くしたショックで寝込んだ伯爵は、そのまま帰らぬ人となったとか。




 そんな事があった二年後――私が十一歳の時だ。

 今度の舞台は社交界。皇族主催の舞踏会なのだけれど‥‥‥もちろん、何も起きないはずがない。


「コーネリア皇女殿下!どうして私の婚約者を奪ったのですか!?酷すぎます!」


 ‥‥‥と、わざわざ説明しなくても分かるような事態が発生した。

 最近、巷では私のことを流行りの小説の登場人物になぞらえて『悪役皇女』なんて呼ぶ人もいる。まさに今、周りから見た私の立ち位置はそれだろう。主人公はどこですか?


「どうか気を落とさないでシャルロッテ。妹であるコーネリアのしたことはとても許されるものではない事は分かってる。そしてそれは身内でもある私たちの罪でもあるということも。‥‥‥でもどうか、どうか責めないで上げて?下町暮らしが長かったコーネリアには理解できないだけなのよ、どうか‥‥‥」


 そう言いつつ、二番目の姉アルテッサが、被害者であるシャルロッテという御令嬢を、慈愛に満ちた抱擁で慰める。

 とんだ茶番だ。‥‥‥なにしろ、アルテッサが全て仕組んだことなのだと、私は知っているのだから。

 まんまと被害者に仕立て上げられたシャルロッテは、何も知らずに真犯人の腕の中で泣いている。


「私はあなたの婚約者に一度たりとも面識ありませんが?」


 ほとんど棒読みで私がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに、アルテッサが暗い笑みを浮かべた。


「そう?なら、本人に聞いてみま――」

「その必要はないわ。――来なさい!」


 私の掛け声とともに、扉から一人のみすぼらしい服装の男が転がり込んでくる。服は破れ、顔はボコボコ。一見すると浮浪者にしか見えない男だが‥‥‥これぞ愛の力だろうか?男の正体に速攻で気付いたシャルロッテから「ヒッ‼」という悲鳴が聞こえた。

 すると男は懇願するように――アルテッサの足元に縋りついた。


「殿下‼話が違うではありませんか‼」


 形勢逆転。このみすぼらしい男こそ、シャルロッテの婚約者である。

 命からがらここに来られるように、わざと逃がしてやった彼は、洗いざらいアルテッサの陰謀を大声で白状してくれた。

 どんどん顔色が悪くなるアルテッサに、ようやく事情を悟り始めたシャルロッテの疑心暗鬼な眼差しが刺さる。

 私がそう簡単にしてやられる訳がないでしょう?


「シャルロッテ嬢。これは私からの餞別です」


 会場内が騒然とする中、私はシャルロッテにとあるものを渡した。


「人の婚約者を奪った?酷い?‥‥‥どの口で言うつもり?」


 シャルロッテ自身の不逞を明らかにする写真である。写真機という便利な機械がこの世に生まれてきたのは、今この瞬間のためだったに違いない。‥‥‥とはいえ、探偵ごっこなんて二度と御免だけれど。

 ついでに、男の不逞の事実も追加で渡しつつ、「お似合いですね、どうかお幸せに」と胸の前で十字架をきっておく。

 青い顔で立ち尽くしているシャルロッテの横では、アルテッサが恨みがましい目つきでこっちを睨んでいた。『やってくれたわね』という顔で。‥‥‥いま私が大人だったら、この顔でラガー十杯はジョッキでいけると思う。




 ‥‥‥こんなどうしようもない毎日が、大人になるまで続くのだろうと思っていた。

 継承権の放棄はニ十歳を過ぎないと一人ではできないから。

 しかし、私が十五歳になった年――病床にあった皇帝が、とうとう亡くなった。

 ‥‥‥これがきっかけだった。

 本当の意味での地獄が始まったのは――。


 皇帝が崩御した翌日。継承権通り、順当にヴィートリヒがひとまず玉座に仮で着いたその日、皇帝の遺言状が謁見の間に届けられた。

 内容は、次の皇帝の事。これはそのままヴィートリヒと変わらず――けれどもし、何らかの理由で玉座が空席になった場合の詳細が、綺麗な筆跡で記されてあった。

 ここまでは問題なかった。‥‥‥問題はその下だった。

 余白として残っていた部分には、皇帝が最後の力を振り絞って書き足したと思われる文章があって――これが、波紋を呼んだ。


『予の資財は全て、コーネリアに託すこととする。国庫及び公費全ての財産の権利は、我が末の娘コーネリアだけのものである』


 宰相がそれを読み上げた途端、謁見の間の空気が変わった。

『ただただ目障りで汚らわしい妹』と捉える者は、もうこの謁見な間にはいない。いるのは、私を『殺さなければならない泥棒』と見なした、敵だけだった。


 それからの一年は、死に物狂いで生きた。

 小さな離宮で一人閉じこもるような生活をして、不意打ちや急襲に備えて夜を越す。

 誰も信用できる人間がそばにいない私は、常に一人だった。

 一人でどうにかなるような相手ではないから、逃げることもできないし、ましてや隠れる場所もない。

 私にできたのは、この地獄に立ち向かう覚悟のみ。

 “死んでたまるか”‥‥‥なんていう自己保身的な意味じゃない。

『悪魔たちに苦しみを!やつらを地獄に!』

 ‥‥‥こういう覚悟だ。

 そのためには‥‥‥仲間がいる。

 だれか、信用のおける、絶対に裏切らない仲間が欲しい。いいえ、必要だ。

 強くて、権力に屈せず、恐れず、人さえ斬れる覚悟のある者が。

 ‥‥‥それが殺人鬼でも構わない。

 光さえ届かない奈落の底でも、一緒に飛び降りてくれるような‥‥‥そんな人を、仲間に。

 ――そう思い続けて、さらに一年。

 やっと、やっと‥‥‥願った通りの人が、私の前に現れてくれたのだ。


 私の――暗殺者として。


 ♢♢♢


 最初は、ただの目撃者にすぎなかった。


「お嬢ちゃん、いい加減帰んな。ここをどこだと思ってるんだい?」


 活気づいた市場の片隅にて。たまたま聞こえてきた会話に、何げなく足を止めたのが、そもそものきっかけだった。

 ふとして声を辿ると、女店主のいる花売りワゴンと、小さな革袋を握りしめた、細い後ろ姿がある。

 細い後ろ姿の方に、自然と目がいった。

 頭からくるぶしまで、鼠色の外套ですっぽりと身を覆い隠していたからだ。顔までは窺えない。けれど、背格好は完全に女のそれ。

 女店主は胡散臭そうな顔で、客である女と、差し出された革袋とを視線で往復している。

 ‥‥‥とくに何を思ったわけではなかった。だが、自然と身体が、そちらに向いていた。


「ただの花屋でベルトラン金貨だなんて、本気で言ってんのかい? 無理無理、お釣りが無いよ」


 女店主が顔の前で手を振った。それもかなり迷惑そうな表情で。

 すると客である女の方が、


「じゃあ、ここにある花を全部買います」


 澄んだ鈴の音のような、凛とした声でいう。

 ‥‥‥それは素で出したとは思えないくらい綺麗で、どこか儚い声音だった。胸に刺さるような響きに、その声に見合う美人を、勝手に期待させた。

 会話は続く。


「無理無理、それでもお釣りが全然足りないね」

「では、お釣りは要りません」

「馬鹿を言わないでほしいね。こんな大層な硬貨を持ってみてごらん。たちまち追剥に遭っちまう。わたしゃ命の方が大事でね。それに、タダより怖いものはこの世に無いっていうだろう?」

「‥‥‥それなら、この金貨が使える花屋はどこに行けばありますか?」

「どこにも無いだろうね。諦めな」


 きっぱり言い切られ、客の女は黙り込んだ。

 どこにもない、というより、絶対にない。‥‥‥女店主の言い分は最もだ。――そう思った。

 どの花を買いたかったのかは分からないが、花一本の価値は、せいぜい1リール(一万リールでベルトラン銅貨一枚くらい)ほど。ワゴン一台分すべての花を買ったとしても、ベルトラン金貨一枚分には遠く及ばないからだ。

 という以前に、金貨はそもそもの話、市場では滅多に出回らない。それだけ価値のある貴重なもので、使うには場所が限られてしまう。平民でいうと‥‥‥一生のうち一度お目にかかるか、かからないか‥‥‥そんな幻レベルの話だった。

 それをこんな市街地のど真ん中で、しかも移動花屋の支払いに使おうだなんて、誰が聞いても「どうかしている」としか言いようがない。

 客の女が俯く。それはそんなに欲しい花だったのだろうか。しばらくすると諦めたのか、客の女は小さく頭を下げた。

 しかしそこで、「――あぁ、ちょっと待ちな」女店主が呼び止めた。

 首だけ回して振り返った女を、店主が手招きで呼び寄せる。用心深い表情で左右を確認した店主はすると、女の耳元で何かを囁いた。

 思わず目を凝らしてしまった。店主の口の動きを、見極めるために。


「帰る前に一つ‥‥‥一体どこでそんなもん手に入れたか知らないが、ニセの硬貨は持っているだけで罪になる。しかもそれがベルトラン金貨ときた。偽造通貨取得罪の中でも一等重い罰を知っているかい? 指詰めにされたあと、身体を杭で打ちつけられるのさ」


 ハッとしたように顔を上げた女が、店主の顰め面を見つめて、凝固した。

 店主は、女を詐欺師か、それに騙されている人間だと思ったようだ。

 結局、女は何も言わなかった。

 勢いよく踵を返したその様子から、女の不満が手に取るように読み取れた。

 足早にワゴンから立ち去ろうとした間際、こちらに向かってくる女の顔が、フードの奥からちらりと覗く。

 そこで思わず‥‥‥息が止まりかけた。

 ‥‥‥想像以上だった。目を奪われるとは、この事を言うのだろう。――おかげで、横に避ける機会を逃してしまったのは‥‥‥俺のミスだ。

 どん、と肩同士が思いきりぶつかる。その瞬間、やっと目が覚めた。

 転びかけた女の腕を瞬時に掴み、逆の手で薄い肩を支えにかかる。ほんのコンマ一秒くらいの出来事だった。

 目深に被ったフードの隙間から、絹のような艶やかな金髪がこぼれるのが見えて。すると、どこからともなくフワッと花のような香りが広がった。

 女の驚いた瞳がこちらを見た。それは澄んだ湖面を思わせる、鮮やかなブルーの瞳だった。


「悪かっ「すみません」


 俺の謝罪は、淡い色合いの唇から紡ぎ出された、頑なな言葉によって切り捨てられた。

 恐ろしく目鼻立ちが整った顔。あまりにも整いすぎていて、いっそ作り物なのではないかと疑いたくなってしまうほど綺麗な顔立ち。

 ‥‥‥意図せず、じっと眺めてしまったのが女の気に障ったのかもしれない。女は怪訝そうに俺を一瞥すると、フードを深くかぶり直し、そのまま無言でどこかへ歩き去ってしまった。




 次の日、また彼女に出会った。今度は夕暮れ時に。場所は、眠らない人々が集う――繁華街の片隅だった。

 昨日の今日で、さすがに忘れるはずもない。

 人混みの中で見つけた彼女は、今日も今日とて全身をすっぽりと外套で覆っていた。それがかえって目立つというのに。

 だが彼女はどうしても目立ちたくないのか、フードの襟をつかって口元を見えないようにしていた。

 頭は動かさず、ブルーの双眸だけで周囲をキョロキョロと窺っている。しきりに左右を行ったり来たりするブルーの瞳に、思いがけず笑いが込み上げた。

 隠れたいのか、それとも目立ちたいのか、果たして彼女はどうしたいのだろう。

 あんまりに彼女の行動があべこべだったせいだ。‥‥‥放っておけなくなってしまった。


「なにかお探しで?」


 そう声を掛けると、ブルーの瞳がこちらを向いた。

 じぃ‥‥‥と、青い双眸がわずかに細まる。すると彼女は、


「いいえ」


 にべもなく、それだけ発した。

 親切心で声を掛けたのに、どうやらただのナンパだと思われているらしい。‥‥‥あながち間違いでもないところが胸に痛い。

 しかも残念なことに、昨日のことを彼女が覚えていないことがここで判明してしまった。それでは困る。このままでは本当にただのナンパだと確信されかねないので、


「また花を買いに?」

「どうしてそれを‥‥‥あっ」


 フードの奥で、彼女がハッとした。完全に忘れ去られたわけではなかったようで、一先ず安堵する。ついでに妙な偏見も打ち消してほしかったのだが、さすがに警戒心までは緩めてはもらえなかった。一度は大きくなった瞳が、再びスッと細く、険しくなった。

 しばし無言の時を挟み、互いに次の出方を探り合う。だが、いつまで経っても埒が明かないので、こちらから切り出してみることにした。


「こういう場所に一人でいるのはあまり良くないな。誰か付き添い人がいないと、碌な目に遭わない。目的の場所があるなら、俺が案内しようか?」


 笑みなどつくらず、真剣に訊ねる。この言葉に裏はない、他意もない‥‥‥ただ、それだけを伝えたかった。しかし、


「‥‥‥すみませんが」


 一瞬、何かを迷うようにブルーの瞳が揺れたのだが、


「間にあってます」


 金糸の睫毛をゆっくりと瞬かせ、彼女は静かにそういった。

「それでは」と一言残すと、彼女は俺の横をすり抜けるようにして、雑踏の中へと消えていった。




 ‥‥‥二度ある事は、三度ある。

 それは今まで見えなかった細い糸が、急に見え始めたような感覚だった。

『ただの偶然』で片づけていた出来事のはずが、彼女との不思議な縁はなんと、三日目が存在した。


 今度は、ならず者蔓延る無法地帯の、とある酒屋の前だった。

 今日の彼女は、外套こそ同じだが、頭は隠していなかった。

 首から上が露わになると、それはもう、とにかく人目を引くのなんの。一点の曇りもない輝く金髪に、ビクスドールのように整った顔立ち。真っ白という表現が相応しい白磁の肌に、極めつけはあの真っ青な碧眼。‥‥‥育ちの違いというか、こうなるともはや生まれの違いだ。あまりにも浮世離れした娘だった。

 そのせいだろう‥‥‥どうみても場違いな容姿を持つ彼女の周りには、一つ円を描いたように人だかりができていた。

 そこに立っているだけでお金が取れそうな女性。しかし生憎、見物人たちの興味は、彼女だけではなかった。

 彼女と一人の男が、向かい合って口論をしている。二人の外側には無人の空間があって、その周りを見物客よろしく野次馬たちが囲んでいる。

 ‥‥‥どう見ても、なにかのトラブルだ。

 すると円の中心で、彼女が怒りを露わに叫んだ。


「――私の従魔はどこ!? 早く返して!」


 彼女と対峙しているのは、強面の大男。大男は酒屋の出入り口の前を陣取るように立っている。彼女と身の丈を比べると、一回りも二回りも大きかった。そんな大男は彼女を見下ろし、辟易といった表情で腕を組んでいる。

 大男はいった。


「めんどくせぇな、知らないって言ってんだろ! そんなもんここには預けられてねーよ! とっとと帰ってくれ」

「店の中に従魔は入れられないって言ったのはそっちよ!? そうでなければ預けなかったのに!」

「俺がいつそんなことをいったんだ」

「あなたじゃないわ! さっきまで別の人がここにいたでしょう!?」


 ここで、大男の顔色が変わる。ピクリと眉毛が跳ね上がり、眉間に皺が寄った。


「‥‥‥ここの係は今日、俺だけだが?」

「そんなのうそ! 私は確かに、“この店の人だ”と言った人間に従魔を預けたわ!」


 彼女が言い放った直後、人だかりから幾つもの嘆息がもれた。

 この場にいる全員が、状況を察したのだ。だが、あえて誰もが口を噤んでいる。騙された可哀想な彼女の為に、名乗り出る勇気ある者は残念ながらいないようだった。

 大男は忌々しそうな表情で、大きく舌打ちをした。


「難癖をつけて賠償金でもふんだくろうって魂胆だな? 勘弁してくれよ。ここ最近この手の輩が多くて困る」

「なんっ――!?」


 だが次の瞬間、大男は彼女の胸倉を乱暴に掴んだ。


「あまり騒ぐと女とはいえ、人を呼ぶことになる。‥‥‥かなり痛い目を見るぞ?」


 場の空気が一気に凍り付くのが分かる。さすがの野次馬たちも息を呑んだ。しかし、それでも彼女の為に動く人間は現れない。

 誰もが、“ここで退いておけ”、と言わんばかりの目で彼女を凝視するだけである。

 ――かく言う俺も、ここで退くなら手出しはしないつもりだった。むしろ、さすがにそうしてくれるだろうと思っていた。それなのに、


「‥‥‥構わないわ。やってみなさい」


 彼女は、この場にいる全員の期待を、見事に裏切ってきた。

 ‥‥‥仕方がない。

 舌打ちをしてから、ゆっくりと瞼を閉じ‥‥‥そしてゆっくりと開く。俺はこの瞬間、傍観者であることをやめた。


「――おい、ここで何やってる?」


 あえて声を大きくしてそう言うと、目の前で綺麗に人垣が割れた。その中央を進み、渦中の二人に近づく。

 大男がふとこちらを見て、するとどうしたことか、たちまちに顔色を失った。


「おまえ‥‥‥っ」


 大男が掠れた声でいう。困惑と恐怖の入り混じった黒い瞳に、一人の男の顔が映り込む。

 よく老人と間違われる白い髪と、普段は隠している真っ赤な瞳。この特徴的な容姿を持つ男を、とある界隈では、


「‥‥‥ラビット」


 ――そう呼ぶ。それが俺の名前。


「な、なんで、おまえがっ、こ、ここに」

「へぇ?俺を覚えてたのか」


 俺は、大男の肩を気安い態度でもって叩いた。


「そろそろ返してくれないか? 俺の連れなんだ」


 言いつつ、女の方を顎で示す。

 すると、乱暴に胸倉を掴んでいた男のこぶしが、あっさりと離れた。


「‥‥‥少し、待っていろ」


 青い顔で、大男がバタバタと店の中へと戻っていく。‥‥‥店の裏から白毛の馬を連れ、再び大男が戻ってきたのは、それから直ぐの事だった。


 従魔とは、人に飼いならされた魔獣のことだ。いろいろな種類がいるが、彼女が手綱を引くこの馬は、飛行ができる数少ない種族である。一流の猟師でも捕獲が非常に難しいとされている魔獣で、価格にすると、平民なら十数年間は余裕で遊んで暮らせる額で取引されていた。

 そんな歩く金塊を連れて、暗くて薄汚い路地を歩く彼女とは、


(‥‥‥気が知れないな)


 信じられない気分で、隣を歩いている彼女を見た。彼女は、どこか釈然としない表情のまま、前を見つめている。すると、視線に気が付いたのか、ふと顔を上げた彼女と目が合った。


「さっきは、ありがとう」


 フードの下、蕾が開くようにふわりと微笑まれる。


「いや、礼はいい。その代わり、もう少し用心してくれると助かる。危なっかしくて、見てられないから」

「‥‥‥そうね。もう少し気を付けるわ」

「是非そうしてくれ。こういう場所での無知は罪だ。騙した側は確かに悪い。だが、騙された側が少しも悪くならない理由もまた存在しない。‥‥‥わかるだろう?」

「ええ、よくわかるわ‥‥‥私が迂闊だった」


 すると彼女は素早く従魔に跨った。


「今日はありがとう。いつかちゃんとお礼するわね。ところで、あなたの名前――ラビットだったかしら?あれは本名なの?」

「‥‥‥そうだ」

「ふーん‥‥‥じゃあ、ラビットさん。また会いましょう」


 言いながら、彼女は従魔を飛翔させ、空の彼方へと行方を暗ませた。


「‥‥‥また会いましょう、か。果たして次があるのかな」




 ‥‥‥だがその翌日。まさかの『次』があったのだ。


「ラビット、聞こえるか? 何人逃げた?」

「マッドか。――三人だ。男一人は西へ、残る男女二人は北に。負傷しているから直ぐに分かる」

「了解。俺は西が近い」

「なら俺は北だな」


 そこで無線がぷつりと途切れる。

 白いハーフマスクの下、思わずはぁと息を吐く。廃屋の頂上から眼下の路地を見渡し、北の方角に視線を合わせる。

 現在、俺は仕事の真っ最中だ。


『生きている者を全て殺せ』


 それが今回、俺に任された仕事。要するに、暗殺だ。

 暗殺組織アビスの一員。それがラビットとして生きる、俺の正体だ。



「――どうしてこんな所にいる! 危うく殺しかけたぞ!」


 一度は振り下ろしたダガーを、寸前で止められたのが幸いだった。

 路地の曲がり角を利用して不意打ちを狙ったのに、現れたのはターゲットではなくて。昨日、また会いましょうと俺に言った、あの彼女だった。

「あなたは‥‥‥!」肩で息をしている彼女は大きく目を見開き、「その血は‥‥‥!?」ふらつく足で後退る。

 だがすぐにトン、とレンガの壁に背中があたり、彼女は逃げ場を失った。


「あなたは、いったい――」

「うわぁぁぁぁぁぁぁっ――‼」


 刹那。暗がりから別の女の絶叫があがった。背後からである。


「――クソっ!」


 急襲。逆襲。報復。いずれの言葉が瞬時に脳内を駆け巡る。とにかく回避を――! 咄嗟に身を翻し飛び退こうとして――しかし、背後にいる彼女の存在が、一瞬の判断をこじらせた。

 考えるよりも早く、彼女を抱き寄せていた。顔面の横を、銀色の切っ先が掠めていく。直後――左腕に鋭い痛みがはしり、絶叫が途切れた。

 目元を隠していたハーフマスクの紐が裂け、カツンと路面を叩く高い音がする。

 腕の中で、彼女の小さな身体が強張るのが分かった。

 ややあって、俺が膝をついたのと、奇襲女が路面に崩れ落ちたのは、ほぼ同時だった。




 もう、呆れなんか通り越した。

 繁華街の中でも一等高価な宿のスイートルーム。そこに俺は、名前もまだ知らない彼女と二人で一緒にいる。


 ‥‥‥本当に、どうしてこうなった。


 彼女はいつだったかの金貨を宿の受付に叩きつけ、「この事は秘密にしておいて」と言ってさらに金貨をもう一枚、それを受付の男の手に握らせた。口止め料にしては十分すぎる。

 部屋に踏み込むのを躊躇した俺を嘲笑うように、躊躇いもなくバスルームに引っ張り込まれ、お湯の蛇口を思いきり捻る。慌てて「止血もなしにっ‥‥‥失血死したらどうするつもりだ!?」とシャワーヘッドを奪い取ると、バシャァと彼女の服にお湯がかかってしまった。

 おかげさまで、二人して水浸しになってしまう。しばしお互い無言でバスルームの中で棒立ちし、排水溝には、赤く染まった湯が大量に流れ込んだ。


「心配してくれるのは有難いが‥‥‥どうしてこう、不用心なんだろうね。君は」


 そんなこんなで、着るものをなくした俺達は、傍から見たら意味深なバスローブ姿で向かい合っている。止血は結局、自分でやった。彼女のやり方が、とんでもなく拙かったからだ。


「俺がどんな人間かを、もっと現実的に考えてくれないか? 昨日も言ったが、君はもう少し用心したほうがいい」


 テーブルを一つ差し挟み、対面でソファーに座る俺と彼女。もうなるようになれ、と背もたれに身体を寄りかからせて座る俺と、その向かい側でちょこんと座る一人の女。

 すぐに仕事に戻るのは無理だと決めて、腕の痛みを和らげるために強めの酒を煽る。程よい酩酊感にいくらか気分は紛れたが、この何とも言えない気まずさまでは流石に拭い去る事はできなかった。

 男女間特有の甘ったるい空気などは、一切無いのがまだ救いか。

 彼女もようやく、自分が何をやらかしてしまったのか、状況に察しがついたようであった。

 彼女は緊張した面持ちで、居心地悪そうに肩を竦めている。


「‥‥‥なぜあそこに?」


 少しでも気を逸らしてやろうと、話を振る。すると彼女は、バスローブの胸元を手で軽く合わせながら、迷うように視線を上げた。


「‥‥‥探していたの、人を」

「あんな場所で? 誰を?」

「私の、味方になってくれる人」

「味方って、誰だ」

「誰かは、これから決めるところだった」

「なんだそれ‥‥‥」

「――あなたこそ、どうしてあそこに?」

「仕事だ」

「あんな場所で? どんな?」

「‥‥‥簡単な掃除だ」

「そう」


 彼女がやや思い詰めた表情で閉口する。白い繊手が、静かに膝の上に落ちた。

 みなまで言わなくても、俺がどういう生き方をしている人間か、なんとなく理解したようだった。そして俺も、彼女が何を探してあの場にいたのか、掃除と称して殺しまわった人間たちとの繋がりを、そこはかとなく感じ取る。


「俺を恨むか?」


 確証が欲しくて、訊ねた。死んだ彼らと繋がりがあるのか、そうでないのかを、見極めたかった。


「俺が、どういう理由であそこにいたのか‥‥‥聞きたいか?」

「聞いたら、私はどうなるの?」

「それは当然、君次第だ」

「‥‥‥なら、聞かないわ」

「君の本心は?」


 ――トン。


 ローテーブルに置いたロックグラスの余韻が、不穏な空気を生んだ。

 細くて白い喉元が、息を呑んだのが分かる。立ち上がり、テーブルをゆっくりと迂回して、彼女との距離を詰める。

 この女が、もしも‥‥‥今夜のターゲットの関係者なら。

 ベルベットの柔らかな素材に、右膝が沈み込む。もう一人分の体重を受け、ソファーがわずかに軋んだ音を立てた。

 至近距離で見下ろしても尚、文句のつけようのない美しい女。

 さぞかし暗殺者らしく怖い顔をしているはずの俺を前に、何を考えているのだろう。彼女の顔には、恐怖も、怒りも、恨みもない。無感情な瞳の奥には、殺伐とした表情の男だけが映っていた。

 互いの呼気だけが支配する静寂の中、ゆっくりと女をソファーに押し倒した。そしてその細い首に、手をかける。


「なぜ逃げない?」

「逃げても、逃がしてくれる気なんてさらさらないでしょう?」

「怖いか?」

「生憎と、ぜんぜん」

「へぇ? さっきはずいぶんと怯えているように見えたけど?」

「それは、驚いただけ。味方でもないあなたが、二度も助けてくれたから。こんな怪我までして」


 女の肩口を固定していた左腕に、スッと柔らかな繊手が労わるように触れた。じわじわと痛みに蝕まれていた左腕が、彼女が触れた部分から浸食するように温かくなる。

 普段なら、この手の命乞いには耳も貸さない主義だった。命欲しさに全てをさらけ出されても、ただの一度だって心が動いたためしがなかったからだ。

 仲間の中には、確実にあと腐れがないからと蛮行に耽る輩もいるにはいるが‥‥‥少なくとも、俺はそんな馬鹿な真似はしないという自負があった。

 なのに今は、誰かを心のままに求めることも、悪くないような気がした。


「あなたがいなければ、私はさっき死んでいたでしょう。ねぇ、むしろ私が聞きたいんだけど、どうして、私を助けてくれるの?」

「‥‥‥さぁ、どうしてかな」

「理由もないのに助けてくれたの?」

「‥‥‥」

「答えられない今のあなたじゃ、きっと私を殺せない」

「‥‥‥本気でそう思うか?」

「ええ、思うわ。だって」


 強張った頬に、女が手を滑り込ませてくる。


「‥‥‥私を本気で殺そうとしている人は、そんな顔はしないもの」


 そんな顔とは。俺は今、どんな顔をしているのだろう。

 すると、「ねぇ」と彼女が訊ねてきた。


「どうしたら、私を離してくれる?私はなにを、差し出せばいい?」


 彼女の誘うような瞳を、俺は恨めしく睨んだ。


「‥‥‥助けるんじゃなかったよ」


 女の指先が、俺の唇をいたずらにつつく。

 引き寄せられるように、薄く浮き出た繊細な鎖骨に口づけを落とすと、彼女から艶やかな悲鳴が漏れ出て――もう、止まれそうになかった。


 ♢♢♢


「お帰りラビット。マッドから話は聞いているよ」


 クラシカルな室内の最奥で、重厚感のあるデスクから一人の老人が顔上げた。

 傍から見ると、どこかの教会の神父とでもいうべきか。一見すると穏やかで柔和な雰囲気のある老人。しかし、眼鏡の奥で見開かれた黒目には、冴え冴えとした光が宿っている。

 ここは、人間離れした面々の集う、殺人集団の本拠地。ラビットが所属している、暗殺組織アビスの構成員が住まう屋敷の中である。

 そして‥‥‥この老人こそ、アビスの支配者レイブン。

 床に敷き詰められたジャガード絨毯の上に立つラビットを見て、彼は皺が濃く刻まれた顔に薄く笑みを広げた。


「レイブン、もう次の仕事だって?」


 少しむっつりとして、ラビットが単刀直入に切り出す。すると、レイブンは一度目を丸くし、まるでやんちゃ盛りの幼子を前にした時のような笑みを浮かべた。


「腕は大丈夫なのかな?」

「わざわざ聞くな、この程度。なんの問題もない」

「そうか、ならいいが‥‥‥珍しいからね。お前が素人相手に背後を取られるなんて。しかも途中で行方が分からなくなったって?」

「‥‥‥」

「そう嫌な顔をしないでラビット。たった一度怪我をしたくらいでお前に対する評価を下げたりはしないから。‥‥‥お前のことは、ちゃんと分かっているさ」

「レイブン、何が言いたい?」

「何も?ただ――お前も人間だから、そういう事もあるだろう、と言いたいだけだ」


 にわかに声が低くなり、ラビットは咄嗟に目線を上げた。頬杖を突いたレイブンの、意味深な視線と己のそれとが絡む。無意識に唾を飲み込んだラビットに、


「そう警戒してくれるな。何かあるのかと詮索したくなるだろう?‥‥‥お前もいい大人だ。息子の選択にたいして、親がいちいち口を出すのは過保護がすぎる。とやかく指図する時期はとっくに過ぎたじゃないか」


 レイブンは、困ったものでも見るように笑った。


「――だけど、大目に見るのは、この一度きりだからね?ラビット?」


 罰が悪そうに閉口するラビットに、するとレイブンは手のひらを擦り合わせた。


「さて、そろそろ次の仕事の話をしようか」


 言いながら、彼は数枚の文書を卓上に置いた。


「読んだらすぐに燃やしておきなさい。依頼主についての質問は受け付けないし、無暗な詮索もしないこと、いいね?」


 レイブンの説明を耳に、ラビットは文書に目を落とした。


「今回の依頼は、とある要人の暗殺と、その遺品の回収。遺品は、本人ターゲットだと確実にわかるもの。頭部が望ましいが、眼球だけでもいいそうだ。猶予は半年。早ければ早い方がいい。報酬は500臆」


「は――500臆!?」


「このうち、九割はお前の取り分とする」


 ‥‥‥変な汗が出てきた。なんだその、国家予算みたいな、とんでもない金額は。しかもほとんど俺のだと? ワケが分からない。

 疑心暗鬼なジト目でレイブンを睨むが、当のレイブンにはまるで表情に変化がない。それどころか平然と「その要人というのはだが、」さっさと話しを進めようとしている。たいして驚くことではないと言いたいらしい。動揺しているラビットには、目もくれない。

 一体なんなんだ。

 というか、こんな途方もない金額をかけてまで、命を奪う必要がある要人とは誰だ。

 素早く文書をめくったラビットであったが、次の瞬間――息を止めた。

 文書の間には、一枚の写真が挟まれていた。ドレスを着た、美しい女性である。金髪に碧眼、明らかに身に覚えのあるその容姿は、頭の中にあるものよりも少し幼く見える。

 ラビットは、己の手が震えるのを、自覚した。


「エルゲンブルク=ヴィー・コーネリア‥‥‥エルゲンブルク(・・・・・・・)、だと?」


 ハッと息を呑んだラビットに、レイブンがゆっくりとした瞬きを返した。


「皇位継承権第十一位にして、人呼んで『傾国』。‥‥‥エルゲンブルク帝国の皇女様だ」


 写真には、一晩夜を共にした、彼女の姿があった。


「どうして」


 ――こんな末席の皇女なんかの暗殺を。反射的に問いかけようとして、しかしレイブンがそれを許さなかった。


「あえて知る必要はない。知ったところで、我々にはまったく関係の無いことだ」

「だが、」

「それから――おめでとう、ラビット」


 唐突なる祝福に、ラビットは不意を突かれた。


「は‥‥‥」


 思いがけずポカンとしたラビットに、レイブンがにこやかな表情でいう。


「この仕事が、ラビットとしての最後の仕事になるはずだ」


 驚いたラビットが目を見開く。

 ‥‥‥最後?‥‥‥どうして急に。

 戸惑いを隠せないラビットに、レイブンはしかし、朗らかにいった。


「お前がラビットになってからずっと考えていた事だ。‥‥‥お前は、人一倍家族というものに憧れていたよね、幼い頃から。父親としてお前を育ててきた私には、お前の『いつか手に入れてみたい未来』に責任を持つ義務があると思う」


「‥‥‥ふざけてないで、もっと素直に言ってくれないか? つまり俺が用済みだと?」


「そうじゃない。ただ、『順番』が巡ってきたのさ。私は今までも、全員に機会を与えてきた。‥‥‥このまま社会の深淵アビスで生きるか、人として生まれ変わるか。そういう、選択の機会をね。ラビットとして生きるなら、それでも構わない。わたし個人としては嬉しい。でも――」


 レイブンはそこで一度言葉を止めてから、続けた。


「もし『ジフ』に戻るなら、私が最大限の手を尽くそう。残りの人生を静かに生きられるように。‥‥‥選択は、この一度きりだ。後悔のないように、選びなさい」


 終始和やかに述べた父親は、そうして言葉を結んだのだった。


 ♢♢♢


 ――なぜあの時、殺しておかなかったのか。


 暖炉の中で燃える炎は、あたかも舌のように、しきりにちろちろと絶え間なく揺れる。

 ‥‥‥重くのしかかる後悔を、見透かされているような気がする。炎を見下ろしながらラビットは、いつだったか‥‥‥レイブンから教えられたある言葉を思い出していた。


『無暗に知れば、殺せなくなる』


 そんなこと、今さら言われるまでも無いことのはずだった。彼女に出会うまでは。

『味方になってくれる人を探しに来た』そう彼女はいっていたが、‥‥‥なるほど。俺はその“恐らく”味方になってくれる人達を仲間と一緒に殺しまわった、というわけだ。

 あの夜、マッドと殺したのは、反皇帝派閥の要人とその護衛。依頼主は、彼女の行動を先読みして先手を打った、ということになる。

 これだけで、彼女が王宮でどんな境遇にあるのか、多少想像することができた。

 ラビットはハァ‥‥‥と深く溜息を吐いて、椅子に腰を下ろした。

 背もたれに力無く寄りかかり、額に手を当てる。そのまま天井を向くと、乾いた笑い声をもらした。


「コーネリア、ね」


 それが、名前も知らない彼女の、本当の名前だった。

 こんな偶然があるだろか。‥‥‥たった一夜の関係だったにすぎない。けれどその一夜のお陰で生まれてしまった情に、ラビットは後ろ髪を引かれている。暗殺者のくせに、非情になりきれないでいる。


『家族に憧れていたよね』


 レイブンの言葉も問題だ。

 いつか自由になる憧れは、確かにあった。だが、所詮はそれまでだ。本気で足を洗って生き直そうだなんて、できるはずがない。

 しかし、できるはずがない、と考えもせずに諦めていたものを、『残りの人生を静かに』という卑怯な誘惑でもって、ラビットの前にぶら下げてきた。


「クソ‥‥‥!」


 思わず悪態が口をついて出る。

 ラビットの心は、レイブンの言う『いつか』と、彼女との『次』の間で、激しく揺れていた。

 瞼の裏に蘇るのは、コーネリアとの逢瀬。互いの温度を分け合った後、静かに眠る彼女のこめかみにキスを落としながら、できればもう一度、その綺麗な瞳を見せてはくれないかと密かに願った。――そんな愚かな自分を今は呪いたい気分だ。

 だが、ラビットがやらなければ、他の誰かがラビットの代わりになるだろう。それだけは、あってはならない。

 ‥‥‥であれば、ラビットの選択は一つしかない。




「大丈夫、大切に奪うよ」


 コーネリアの穏やかな寝顔を見下ろしながら、ラビットが囁く。

 宮殿から少し離れた、小さな離宮の最上階。夜のとばりに包み込まれた寝室で、ラビットはコーネリアの心臓の上に、銃口を突き付けた。

 コーネリアの眠りは深い。小さく上下する胸が、ラビットの持つ銃の先端をゆっくりと押し返してくる。ディナーに紛れ込ませた睡眠薬がよく効いているようだ。

 かなり古典的な方法だ。けれどもこれが一番負担なく、苦しまず、楽に逝くことができる。コーネリアには、苦しんでほしくない――ラビットなりの手向けであった。


「なぁ、お前‥‥‥一人きりでどうやって生きてきた?」


 もう二度と目覚めることのない美しい顔に、ふと疑問を投げかける。答えが返ってくることなんかないと知りながら。

 ――相続争いの話は、潜入してすぐに知った。彼女の置かれている状況も。

 だからこそ、不思議だった。彼女は十七歳の、なんの力もない少女である。たった一人でどうこうできるような問題でも相手でもないはずなのだ。それなのに、協力者の影も噂もないときた。

 静かに眠るコーネリアの姿は、とても屈強そうには見えない。少なくともラビットは、コーネリアの身体の隅々までを知っている。彼女が剣も握ったことがないような、早い話が凡人以下の柔らかすぎる身体であることを知っている。

 ‥‥‥わざわざアビスに依頼する理由が、この小さな体のどこかにあるのだろうか?だとしたら、それは一体なんだ?


 いや‥‥‥もう、どうでもいい。


「すぐに終わる‥‥‥」


 ラビットは引き金に指をかけた。無暗な時間の浪費は、躊躇いが増していくだけだ。

 今さら考えたところで、コーネリアを生かしておけるわけじゃない。

 ラビットが覚悟を決めた。ところがその時、


「言ったでしょう?」


 コーネリアの瞳が、パッと開いた。


「あなたに私は殺せないって」


 碧眼がラビットを見上げて、するとコーネリアの姿が、突然霧のように溶けた。


 ――幻覚‥‥‥‼


 ハッと我に返ったラビットは次の瞬間、いきなり後方へ吹っ飛ばされた。

 驚く暇などなかった。一瞬のうちに全身が壁に叩きつけられ、受け身さえまともにとること叶わず、そのまま床の上に転がる。

 それは予想もしなかった事態だった。

 それでもさすがに銃だけは手放さなかった。素早く立ち上がったラビットが再び銃を寝台に向けて構え直すと‥‥‥しかし、コーネリアは既にそこにはおらず、


「‥‥‥まさか、こんなかたちで再会するなんて、思ってなかったわ」


 背後から、落胆の声がした。

 以降、ラビットの身体は、動かなくなった。

 あたかも自分だけに重力が集中しているかのような感覚。渾身の力で抵抗を試みるが、身動き一つできないどころか、声の一つすら上げられなくなる。まるで、金縛りにでも遭っているかのように。

 できることといえば、思考する事と、呼吸のみ。

 固定された視野の中、コーネリアが動く気配だけを感じる。彼女は背後からゆっくりと歩いてラビットの前に立つと、銃を構えたまま止まっているラビットの左腕を撫でた。


「あの時は心配だったのに。‥‥‥もしかしたら今頃、この左腕が腐り落ちてるかもって」


 揶揄うような声音に、背筋が冷える。


「そういえばあなたって、左利きだったのよね? 私と同じ」


 何のつもりだ、いったい‥‥‥!


 声に出せない代わりに、ラビットは心の中で問う。

 すると、コーネリアの青い瞳が、腕からラビットの双眸へとスライドした。

 容易くラビットの間合いに入ってきたコーネリアが、じっと仮面の奥の赤眼を見つめる。そして、両手でそれを外す。

 カラン、と音を立てて落ちた仮面と、露わになったラビットの素顔に、


「あの夜の人とは別人‥‥‥ていうオチは、期待しない方がいいかしら」


 コーネリアは残念そうに嘆息した。


「あ、これじゃあ話せないか」

 

不意に彼女が、パチンと指を鳴らした。するとその途端、どうしたことか、塗り固められたかのように動かなかったラビットの口腔が、自由になった。

 けして偶然ではない。紛れもなく、コーネリアの仕業である。

 そう瞬時に察したラビットは、


「‥‥‥お前、サイキッカーだったのか」


 視線は、まだ動かす事はできない。故に、コーネリアの姿はラビットからは確認できない。だが、


「その通りよ」


 彼女が笑っていることは、気配でわかった。


「暗殺って、かなり下調べがいるんでしょ? もう知っているかと思ったのに」


「‥‥‥君個人についての情報は、“詳細不明”が多くてね」


「でも、皇族はみんな『異能』が使えることくらいは知ってたでしょう?」


「異能、ね‥‥‥他の国じゃ別名『魔法』だな。君の能力の欄が『不明』だったのは、念動力っていう不可視な現象のせいだったわけだ」


「正解。隠すのに苦労してるの、これでも。超能力は魔法に、魔法は神聖力に、神聖力は超能力には勝てないっていう三すくみのお陰でね。‥‥‥バレたらあっという間に殺されちゃうでしょ?」


 ラビットは舌打ちした。


「詳細不明とは笑わせるね‥‥‥十七歳のただの子供が、たった一人こんな場所を生きていけるはずがないのに。それとも、君のその周囲を欺く演技力かな?凄いのは」


「それは褒められているのよね?それとも負け惜しみ?」


「皇女にしておくのは勿体ないって話さ。底が知れない力ほど怖いものは無い」


「あら、ありがとう。もし来世があるなら、女優も選択肢に入れておくわ」


 もう一度、パチンと音がして、今度は眼が自由になった。

 コーネリアはすぐ真下にいた。どこか冷めた色をしたブルーの瞳と、至近で視線が交わる。


「でも覚えておいて?‥‥‥私、子ども扱いって嫌いなの。死ぬほどね」


 それに、とコーネリアは不敵に笑んだ。


「あなただけは、私を子ども扱いしてはいけないと思うんだけど?」


 あなただけ、という部分をやけに強調される。ラビットとしては、内心痛い部分を突かれた気分だった。

 十七と言えば、ぎりぎり酒が飲めない年齢である。要するに、未成年だ。


「そうだな‥‥‥子供扱いはやめよう」ラビットはフッと息を吐きつつ、「子供は、自分が子供である事実を突き付けられるとなぜか反感を持つから」


 コーネリアの眉根がピクリとはねる。

 子ども扱いではなく、事実、子供だろう。ラビットの嫌味に、コーネリアは数秒間黙り込んだ。


「‥‥‥言うわね‥‥‥私たち、あんなに(・・・・)仲良くなれたと思ってたのに」


「死人に抱く情はないな」


「クソ野郎ね。最低」


 コーネリアの表情がくしゃりと歪む。


「この状況でまだ私を殺すつもりでいるみたいね」


 くるりと踵を返す刹那、ブルーの瞳が一瞬、怒りと悲しみに染まったのが見えた。

 するとコーネリアは、ラビットが手に持っている銃に目を向けた。ジッと眺め、何かを考える素振りをしたかと思うと、ひょい、と簡単に奪い取る。


「何をするつもりだ」


「‥‥‥言わないと分からない?」


 言いつつ、今度はコーネリアが、銃口をラビットの左胸に据える。


「私を殺しに来たのなら、殺される覚悟だって当然あるはずよね?」


「撃てるのか?君が」


 ラビットが喉の奥で笑った。


「撃てるわよ?これぐらい」


 それからしばし、互い無言で睨み合う。動けないラビットと同じように、コーネリアもまた微動だにせず、目の前の暗殺者をジッと眺めていた。

 一瞬が永遠にも感じられる、そんな緊張感と静寂の中、「ねぇ」とコーネリアが不意に言葉を切り出した。


「もし私が、このままあなたを見逃してあげるといったら、あなたはどうする?」


「どうしてそんなことを訊く?」


「いいから。答えて」


 グッと銃口が胸に押し付けられる。

 何を考えているのか読めないブルーの瞳に、ラビットは溜息の後、はっきりとこう答えた。


「俺が逃げることは、まずありえない」


 ほんの一瞬、コーネリアが傷ついたような顔をしたが、ラビットは無表情のままで。


「君を殺すか、俺が殺されるか。俺が選べるのは、そのどちらかだけだ」


 今回だけの話ではない。いつだって、ラビットの選択肢にはその二つしかないのだ。‥‥‥殺すか、殺されるか。逃げたところで、逃げた先にも『死』あるのみ。


「‥‥‥そう」


 コーネリアが静かに呟く。「わかったわ」

 するとなぜか、彼女は銃を下げた。そしてラビットに背を向け、少し歩いたところで指を鳴らす。


「それじゃあ、手伝ってあげる」


 直後、金縛りの一切が解けた。

 見えない何かに固定されているようだった体から、フッと謎の圧力が抜けたのだ。急激な解放感に、ラビットは一瞬よろけてしまう。


「な‥‥‥!」


「なんで殺さないかって?」やや離れた位置からコーネリアがいう。「不思議よね‥‥‥殺されてたまるかって、これでも毎日思ってるんだけど。‥‥‥あなたは違うみたい」


「‥‥‥どういう意味だ」


「あなたになら、私の全部をあげてもいい。あの夜からそう、何となくそう思ってた」


 コーネリアが振り向く。


「どうせ死ぬなら、私の命はあなたにあげたい。どの道、私には生きる希望なんか初めから無かったし」

 

 怪訝な顔をしたラビットに、コーネリアは「でも」と続ける。


「今はダメ」


 ――今は?


 ますます訳が分からなくなる。この少女が何を考えているのか、全く理解できない。だがそこで一つ‥‥‥ラビットは直感したことがあった。


「‥‥‥交渉する気か、俺と」


 コーネリアが頷く。「ええ、そうよ」薄く笑みを浮かべながら。


「『あなたになら殺されてもいい私』と『私を殺したいけどを殺せないあなた』‥‥‥同じ結末を望む者同士、この際仲良く手を結ぶのはどう?」


 ふふ、と笑うコーネリアに、ラビットは訝し気な視線をあてた。


「目的はなんだ。他の皇族の暗殺か?」


 ラビットが問う。するとコーネリアは首を横に振った。


「‥‥‥復讐よ」


 形の良い唇から放たれた、不穏なセンテンス。眉根を寄せたラビットを、コーネリアが射貫くような強い視線で見つめた。


「この宮殿にいる皇族たちに復讐がしたいの。暗殺なんて物足りないわ。それじゃあ苦しみを一瞬しか味わえないじゃない」


 言って、コーネリアは蠱惑的な笑みを浮かべた。


「この間、やっと私の味方になってくれる人を見つけたのに、誰かさんが皆殺しにしたでしょう?その味方の代役に、あなたがなってよ」


 ラビットと再び距離を詰める彼女の表情は、恨みがましい言葉とは裏腹にどこか輝かしい。やっと見つけた――そう言わんばかり目。ラビットが頷くことを期待している目だった。


「むしろあなたの方がいいわ。この間の彼らよりも、よっぽど頼りになりそうだもの」


 ――狂気。ラビットの脳裏に、その二文字が過った。

 お互いの足先が触れそうで触れない至近距離。微笑しているコーネリアは、ラビットの頬に手を伸ばした。


「奴ら全員に地獄を味合わせるまで死ねない。だから復讐の手伝いをして?‥‥‥早く終われば、それだけ早く私を殺せるわ。心配しないで? 私は逃げも隠れもしないから」


 けれど、笑顔の彼女とは対照的に、ラビットの顔色は冷ややかだ。


「それをどう信じろと?俺は君に出し抜かれた側だ。君を無条件に信用するリスクは背負えない」


「意外と慎重ね? それとも私がそんなに怖い?」


「交渉の余地がないと言っている。君の目的と俺の目的は全くの別ものだ。協力する理由が俺にはない」


「でも、あなたの仕事は私の暗殺でしょう? ‥‥‥あぁ、期限があるみたいね。えっと‥‥‥半年以内?‥‥‥レイブンって人から、そう命じられているんでしょう?」


 コーネリアがコテンと首を傾げる。どうやら彼女は、人の記憶まで読めるらしい。ますます厄介な皇女である。ラビットは思わず渋い顔をしてしまった。

 だが、コーネリアはそんなラビットを気にも留めず、自分中心にさっさと話しを進めていく。


「だったらこうしましょう。半年以内にもし、私が目標を達成できなかった場合でも、その時は潔く命を差し出す。これなら文句はないでしょう?」


 ニコリと笑う。それはまるで、なにか楽しい遊戯にでも誘う子供のような、無邪気で屈託のない笑みだった。


「――決まりね。じゃあ、明日から執事として、私を守ってね? 他の誰かに殺されないように」


「‥‥‥は?執事?」


 俺が?‥‥‥唖然と口を開き、ラビットは固まってしまった。


「‥‥‥ダメ?それじゃあ下僕?それともいっそ婚約者でいく?それか、あなたの暗殺技術を活かして専属料理人とかは?――生肉の解体は得意でしょう?毎日生きた獲物を料理しているものね?」


「ちょっと待て!勝手に決めるな!俺はまだなにも――」


「私が他の誰かに殺されてもいいの?」


「‥‥‥」


「‥‥‥ね?困るでしょう?‥‥‥へぇ、全然関係ないけど、あなた本当の名前はジフって言うのね?」


「――わかった。半年間だけ、協力しよう。それと、その名前はやめてくれ」


「ふーん?じゃあ、ラビ、本当に?」


「ただし、その復讐に対してだけだ、手を貸すのは。あと、俺は執事にも小間使いにもならない。協力するからって君の手下になる訳じゃ――」


「なら婚約者ね」


「おい」


「これで縁談を堂々と断れるし、一石二鳥、最高」


「最高?冗談じゃないんだが?」


「暗殺者の夫とサイキッカーの嫁なんて、向かうところ敵なしなんじゃない?世界中どこを探してもいない最強の夫婦誕生ね。‥‥‥今日からよろしくね?旦那様?」







ここまで読んでくださりありがとうございました。


こんな話が書きたいな、と思い投稿しましたが、見事に撃沈‥‥‥短編として気軽に読めるようにと意識して色々な要素を省いた結果、コーネリアの復讐のきっかけが希薄になったのは私の力不足です。

はしょったくせに文字数が多いのも、私の力不足ですね‥‥‥反省。ランキングに乗る人たちは本当に凄い。

個人的に気に入っている設定なので、またそのうち別作品として再チャレンジしたいと思います。

まだまだ底辺を抜けるのは程遠いようです。

最後になりましたが、よろしければ評価やブクマ、いいねをお願いします。


また、この短編を書くためにお休みしていた長編がございます。近々再開する予定ですので、TSモノが嫌いじゃない方は良ければ見ていってください。


本当にありがとうございました。

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