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奥津城守の帰還  作者: みかか
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男は誘い込まれた

 酒場の喧騒の中で、一人の男がジョッキを傾けていた。

どうしようもなく疲れてしまっていて、今は何も考えられない。

正確には考えたくない。

つまみにと頼んだ干し肉を齧る気力もなく、口中に切れ端を入れて、飴かなにかのように転がし、歯を立てるだけ。

つまみがそんな様子だから、酒もあまり進むものではない。

カウンターでうつうつと時間を過ごしているだけ、のようになっていた。


 隣の席に座る者がいて、彼は顔をしかめはしたが、元より賑やかな酒場だ。

空いた席が他に無かったのだと、酔いに逃げた頭でそう思った。

単に……隣に来たのに挨拶のひとつもないのかと思っただけだ。


「すまんね、隣、おじゃまするよ」

「いや、べつに」


 心を読まれたかというタイミングでの挨拶に、彼は思い直す。

どうせカウンターなのだ、この男でなくともそのうち誰かが座ったと思えば、こういう挨拶のある人間が来た方がましには違いあるまい。


 隣はなにやら仕事が上手くいった様子で楽し気だった。

ジョッキの酒を手始めに一杯空けたかと思えば、追加の一杯とつまみを頼む。

野菜の酢漬の盛り合わせと、干し肉の炙ったもの。

簡単なものだが、そのひと手間の手間賃を惜しんで、男は干し肉を齧っているのだが、目の前にすぐに出された炙りと、自分の手元を比べて少しだけまた気分が落ち込んだ。


「良かったらつまんでくれ。予想より多かった」

「……そ、そうか、悪いな」


 決して男は隣人の皿を見ていなかった。

物欲しそうな顔はしていなかったはずだ。

ぎくしゃくとしながらも、男は酢漬の小さなボウル、その端の一片をつまんだ。

干し肉とは違う野菜の食感と、漬物特有の酸っぱさに目を細めて、ジョッキの少ない残りを口にする。

食ったものが染み入ってくる感覚に、ああ、まともに飯も食えていない、味わっていなかったのかと、男は己の内側を他人事のように理解した。


「ずいぶん疲れているようだなぁ。顔色も悪い」

「まぁ、そうなるかな。……あまり、上手くいってなくてね」


 あまり、とそこで止めたのは男にもそれなりのプライドがあったからだ。

立身出世を目指して―――今代の王のように―――故郷から出てきた。

何といっても、若さというものは武器になる。

体力もあれば多少の無理なら、無理のうちにも入らない。

体力のいる仕事の働き手は、足りないことはあっても余ることが無いのが王都だと、男は聞いていた。

それは一面では正しく、また一面では間違っていた。

いつも必要で、余ることは無い。

つまりその仕事からさっさと去る者と、使い潰されていく者が多いということだ。

逃げ損ねたことに気づいたときには、男の足は建築中の資材に挟まれ、妙な方向を向いていた。


 そこからは山道を転がり落ちる小石のよう。

仕事先からは解雇。

当然次の仕事は無い。

体を休めたくても、住み込みで入っていた仕事先だけに部屋を追われ、安宿に居を移しはしても、そこも仕事でためてきた、しかしわずかな金が尽きれば出て行かなくてはならない。

これより下のランクの宿になればさらに治安が悪くなる。

足が使えずともできる仕事を探しはしたが、若い男であっても体力以外には簡単な計算くらいしかできないとなれば、今度は数も限られ、杖を支えになんとか紹介所を回っても、男が仕事にありつくことはできなかった。


 故郷に帰ればなんとか生活することはできるだろう。

仕事も親の手伝いの畑仕事など、なにかしらはあるはずだ。

だが、故郷に帰るにもこの足では……。

「弱った者から死んでいく」。

獣の世界の理が自分にも降りかかっていることを、男は感じざるを得なかった。

……今日の酒で、酒場で飲むことも最後だろうと思っている。

明日からはこの安酒も飲めまいと。


「足をやったんだ」


 そんな風に落ち込んではいたが、酒精とわずかな食べ物が彼を留めていた。

それでとどまれるくらいの大人しい男だった。真面目な男だった。


「今は仕事もできなくて。いや、こんな足だと仕事させてくれるところなんて無いか」


 小さな愚痴をいえる相手がいなかったというのもあるだろう。

仕事の仲間だった連中は、あくまでもその仕事での仲間だった。

こうなってしまえば、足のケガのこともあって、会うこともできない。


「なるほどなぁ。なぁ、仕事をやる気があるなら、どうだ? 俺の勤め先でな、人を探して来いっていわれてるんだ。人手が足りなくてな」

「……は?」


 本来なら怪しむべき誘いだろう。

まだ酒一杯しか相手は飲んでいないくらいの時間しかだっていない。

だが、男の落ち込みを留めていた酒精が、ここでは男の思考を鈍らせた。

金と後が無いという、ヤケさもあったのだろう。


「仕事、なんて」


 どうせ近いうちに安宿さえも追いだされる。


「この足だぞ。できる仕事なんて、計算も文章もできるやつじゃないとできないモンしか」


 この王都、それなりの荒い場を生きてきた本来の男であれば働くはずの警戒心すらも、この言葉どまり。

いや、これを逃したらもう「無い」ぞ、そう考えてしまった。


「大丈夫だ。なんならその足が治るまでのつなぎにすりゃいいんじゃないか?」


 そういうと、隣人はこれくらいもらえる、と給金の話を出した。

その上、住み込みで仕事ができる、と。

あまりにも都合がよすぎる。

学もほとんどなく、体力はあっても使えない男を雇うにしては。

だが


「わかった。だけど、そんな仕事なんて探しても見つからなかったんだ。どこの紹介所なら見つかったんだ?」


 これが男の警戒心が作りだした最後の抵抗だった。


「ああ、しょうがないよ。紹介所には出してない。「人を選べ」っていわれてるんだ。アンタが真面目そうだから、いいかと思ってな」

「そうか……」


 疑うべきだ。逃げておけ。やめておけ。

本来ならばそう思う心は、酒精が鈍らせてしまった。


「良かったら明日からでもきてもらえないか? 監督からせっつかれててな」

「わかった。どこに行けばいいか教えてくれ」


 そして翌日、王都から一人の男の姿が消えた。

だが誰も彼を探すことはなかった。

そつまりそういう「人を選んで」の誘いであったので。

読んでいただきありがとうございます。


つまり勧誘です。

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