小さな疑惑
窓をあけて隠し部屋の空気を入れ替える。
部屋の中の物を整理する。
退屈したときに、ちょっと昼寝もできるようにしといてみようか。
倉庫みたいな物だらけな場所を『部屋』にすると決めて、改めて室内を見てみれば、雑然としているようだったのは、生活感のあらわれでもあったのに気付いた。
うん、やっぱりここはシオリの私室だったんだ。
と、すればあの窓もまた、シオリが部屋をそれらしくするために作ったものだったのかもしれない。
女の子らしい部屋を作ろうとしてたのかも、なんて、持ち出さずに置いたままだった化粧箱なんかを見て思う。
綺麗な、瀟洒な、細やかな、……だけど素朴な、蓋に花を描いた木の箱だ。
その中身を確かめてはいなかったけれど、シオリは、もしかして使ったのだろうか。
人間の肌を彩るためのもの。
彼女の『肌』を荒らすとは思えないが、逆に色が載らなかったというのは考えられる。
シオリが戸惑ったかも、なんて考えると……もし私の顔が動くなら、きっと笑いの形になってしまっただろう。
なんだか少し微笑ましくなってしまった。
いけないいけない。
手が止まってた。
この化粧箱はナオが取り出さないようにしまっておこう。
古くなった化粧品はよくないっていうし。
しまうべきものはしまい、空けるべきスペースは空け、移動させるべきものは良い場所に持って行き、片隅で見つけた箒―――これもきっとシオリが使っていたものだろう―――で埃を掃きだした。
家具の多くには布がかけられていたから、埃を払う手間はほとんどかからなかった。
それに……私はシオリがこの部屋を出るときの状況を思い出した。
「子どもたちが来た」、最後のカードにあった文言。
シオリはあの窓から、ナオたちが来るのを見つけたんだろうか。
覚悟のうえで、帰ってこないつもりで、布を……。
あ、だめだ。こころが、ぐらぐらする。
『姉』の落し物や忘れ物を見つけるたびに、彼女が獲得していった人間らしさを感じる。
そう、思えるのは、私が人間経験があるからなんだろうな……。
やだ、また手が止まってた。
私は掃除を再開する。
ゾトが次にいつ来るかわからないんだもの、明日までには終わらせてしまわないと。
◇◇◇
あなたの部屋よ、そう言ってドアを開いたときのナオの表情ときたら!
零れ落ちてしまいそうなくらいに大きく見開いた目。
それを何度もまたたきさせて、口なんてぽかんと開いたまんま。
それから私の方を見て、中を指さした。
「このお部屋?」
「そうよ。お客さんがきたら、その間はここにいてちょうだいね。必要なものは揃えたつもりだけど、足りないならいって」
おそるおそると、ナオは部屋に入る。
ナオの年頃なら、そろそろ自分の部屋を貰っててもおかしくないし、自分の部屋となれば嬉しいのが当然だもんね。
幾つもの灯りを作って、部屋の中は暗闇が入り込まないようにした。
からっぽの、たぶんシオリの体を入れていた箱は蓋を閉じてしまって、その上に何枚も布を重ねて、ちょっと背の高いベッドにしてしまった。
書きもの机以外にもテーブルがあったから、イスと揃えて部屋の開いたスペースに。
棚のいくつかを整理して、小さな一棹をまるごと空けて、ナオが自分の持ち物を置けるようにした。
シオリには必要なかったから無かったもの……トイレも、ちょっと工夫して小部屋を増築した。
庭園は元々祈りにくる人もいたから、トイレもあったんだけど、さすがに『私』以外立ち入らない場所には無いものだからね。
「気に入った?」
「ほんとに? ほんとに私のお部屋?」
いとけない、というべきだろうか。
すっかり幼くなってしまった口調で(たぶんこれがナオの本来の年相応のものなんだろう)問うのに、私はうなずいた。
ナオは部屋のなかのものに近寄って見つめたり、見上げたり、そっと指先で触れたりしていた。
「使ってもいいの?」
「そう。あなたの部屋だからね」
違和感。
にこにこ、といっていい表情のナオだけど、子どもってもうちょっとこう……与えられたものはいじくりまわさない?
触ってもいいか訊く前に、こう、すごい子は鷲掴みにしちゃったり。
元々壊れそうなものは片付けたりしてるから、触るのに遠慮しなくてもいいって、見た目からわかるような物しかないし。
飴玉を間違って呑みこみかけたときみたいな、変な違和感。
でもそれを口にするには、言葉の形を作ることができなくて、私は説明に逃げた。
「ええと、ここに来るときは「いつも」じゃないの。お客さんが来た時だけ。それから、その間は部屋の外に出ないでね。スライムもいるから」
「大丈夫、ここならずっといても平気。いい子にしてる」
あれ? なんだかこう……いや、そう、「いい子」にしていてくれるのはありがたいんだけど、なんだか。
いい子の返事すぎる、いや……いいや。
ナオは、お客さんが来たらなんでここに来なくちゃいけないか、私に、訊いてない。
どんな用事かも、訊かない。私、教えてない。
どうして、とも、どうしたの、とも、なんとも……。
違和感。
そういえばもうひとつ。
私、ナオが母親も、父親も、呼んだのを聞いたことが無い。
私に命乞いしていたときですら。
「おねえちゃん、どうしたの?」
「……なんでもない。気に入ってくれたなら良かった。……ほら、ここに窓があるの。開けてごらん」
落ち着け。
まだそうと決まったわけじゃない。
断定には早すぎる。
私はまだまだ、この子を知っていると断言できるほど、この子を知っていない。
この子の家庭……地球でどんな風に暮らしていたかなんて、本当に何も知らない。
私にはさまざまな知識がある。そのうちには『家庭』に関するものもある。
あらかじめ与えられているもの、『私』たちが積み上げてきたもの、地球で見知ったこと。
でも、私が知っていて、本当に理解できている家庭のかたちは、人間の私をいつくしみ育ててくれた父と母のものしかない。
友人たちの家庭もおおむね円満だった、と思う。
だからこそ、踏み込むには危うい話題だと、判断する。
ナオに話を向けるのは、傷口に刃を当てるような、きわどい行動になる。
急ぐべきじゃない。
あの子にとって早いわけじゃなくて、私が踏み込むには早すぎる。
「おねえちゃん、すごいね! 遠くまで見えるよ!」
ナオが窓の外のトンネルまで身をのりだしてあげた歓声に、われに返る。
なんのわだかまりもない笑顔がこちらにむけられている。
今は早い。
だけどこの子を地球に帰すことを考えるなら、きっと、避けては通れない。
読んでいただきありがとうございます。




