コボルトは癒された
どっちもできない、そう、言いはした。
自分でもそう思っている。
しかしゾトの根っこの所では、いまだ呑みこみ切れぬ塊のようなものがある。
それを「乳母殿」はわかっているのだろう。
彼を庭園の別なところへと導いた。
「見える? あの子がそう」
「……は?」
何度目かの驚きだが、彼は今度こそ声を出してしまった。
己の山を、家族を、友人を、己自信を焼いた炎を放った魔法使いたち。
ゾトは逃げながらもその姿を見ていた。
自分たちがなにをしたか、理解できていないかのような、能天気とさえいえそうなその笑顔は、下卑たものではなかったからこそ、不気味だった。
だけどそれは、……今、茂みの向こうにいる人間ではない。
「……いや、違う。あのときいた人間の毛色は、茶と、金と、薄い茶だった。黒じゃない」
「ああ」
その時、ため息のような声が聞こえた。
「ドラゴンは肝心なことをあなたに伝えていなかったみたいね」
その次にいわれたことこそ、彼の想像もしなかったことだった。
「あの子は、死ぬと次の体に移される。ドラゴンに殺されたことも、トロルと戦った末にその傷がもとで死んだこともある。……一番多かったのは、定期的に殺されていたこと」
「……」
予想を超える答えを与えられたとき、思考は止まる。
いわゆるキャパシティーオーバーだ。
死ぬことと死なないことは違う。
あの存在は死ぬが、死なない。両立させている……。
「それはどういう」
自分の声が震えているのを、ゾトは自覚しながらも抑えることができなかった。
「どこから? 死ぬと移ること? それとも定期的にということ?」
「乳母殿」の声はあくまでも穏やかだった。
ゾトは大きく深呼吸する。
「順に教えてほしい。俺が知っているのは、ここに仇がいるということだけだ」
「わかった」
とりあえずと、元のスペースへと誘導される。
もう一杯とお茶を供されたが、湯気を立てるそれに手を付けられないほど、ゾトは取り乱していた。
大人しく座っている事こそおかしいといえそうなほどに。
「あの子とその仲間、あなたたちが見た三人は、まったく別の世界から魂だけが攫われてきた。魂だけだと何もできないから、あの子たちを攫ってきたものは、その魂を別の人間の体に入れた。入れられた方の魂がどうなったかはわからない」
「そんなことが?」
「できるらしい。魔法で、そういうものがあると教えてもらった」
何も知らない子どもをだまして、それが良い事だと言い含め、己のために使役する。
表向きは子どもたちが進んでやったように、喜んでやったようにするのも、それなら簡単だろう。
そして定期的に殺すことで身体を取り換えさせ、しかし取り換えたことをわからぬように記憶や認識を弄る……。
ゾトは己の弱さを、この時ばかりはありがたいと思った。
ひとつの間違いをおかさずに済んだ、と。
そうして……「殺してやる」という彼の中の瞋恚の炎は、もとよりかきたてても「殺してやりたい」と弱まっていたのに、「殺さなくてもいいんじゃないか」とまで弱まってしまった。
殺してやりたかった相手は、家族、仲間、一族の無念と痛みの向ける先の相手は、もう何度も死んでいる。
しかも苦痛はそのたび、そのままであるらしい。
何度も、何度も、何度も……。頭の中まで好き勝手にされて。
ゾトの中で、「そんなこと知ったことか、もう一度味わわせてやれ」という気持ちが残っていないわけではない。
だが別の一方で、そんなことはできないと思ってもいる。
ゾトのそれは、彼自身には弱さと思われているが、彼の善性のあらわれだった。
己の思いの中に沈んでいたゾトは、だから目の前にやってきた気配に気づけなかった。
小さな手が視界に入ってきてようやく我に返り、顔を上げた時にはその手が彼の顔に触れていた。
だが、触れているはずなのにその質感は確かなものではない。
逆に触れたところから、溶け込んでいくような……。
「ここは、痛い?」
「い、いいえ。もう」
治っていますから、と言葉遣いが改まる。
白瑪瑙の額に、黄金を紡いだ絹糸が落ちかかり、幼い顔の中の、エメラルドの瞳と薔薇水晶の唇がやわらかく笑いかける。
知らない人間の子どもが、彼を見知っているとばかりになつっこく笑っている。
だが直感でわかる。
この方こそがこの場の主。
このダンジョンを捧げられた姫君なのだと。
触れたところからぬくもりが広がっていく……。
「もうだいじょうぶ。また来るときには、ほかのヤケドしたひともつれてきてね。レヤの顔のヤケド、ひどかったもの」
何を言われているのかと、首を傾げたゾトはふと手元の茶碗の中を覗き込んだ。
火が塗りつぶした顔の引きつれが綺麗に消えてしまっている。
体毛が無いことだけが、そこに傷があったと教えている。
が、遠からずそれも消えてしまうと予想はできた。
『賢者様』が子どもたち、とくにケンに聞かせた「この世界での回復魔法は難しい」。
それは決してデタラメであったり、あるいは出し惜しみをしているということではない。
技術的な難易度もあるが、それ以上に決定的な相性がある。
それも体質に近い先天的なもので。
たとえばハルカズは簡単に使えていたが、それは彼が向いていたというだけ。
その上で、一度治った傷跡は回復魔法では治せない、はずだった。
それが、文字通り跡形もなくなった。
「……レヤも、治してくださるのですか?」
「ノナも、ザルも、ルダも、みんな」
キラキラとエメラルドの目が嬉しそうに輝く。
「お姫様……エレイラナ様」
「たくさんのお花と、おそうじと、おはなし。全部うれしかった。ありがとう」
無邪気なのに大人びていて、でもやはり幼い笑顔だった。
崩れ落ちるようにゾトはひざまずいた。
それは祈りの姿勢だった。
コボルトたちにも神はいる。
一度事故がおきれば、大惨事になりうるのが鉱山というものだ。
だから彼らは信心深い。
朝に夕に、彼らは山の神、石の神、土の神に祈り、火の神や鍛冶の神に頭を垂れる。
そのうちの小さな女神が加わった瞬間だった。
思い返せば悲しい、悔しい。
けれど彼の中のそれは、もう荒ぶることはない……。
「またおはなしを聞かせてね。石のはなしも、山のまちのはなしも」
「はい。……はい、必ず」
そんな一人と一柱の様子に、東屋から見ていたドラゴンはゾトの向こうにいるゴーレムに手を振って笑いかけた。
やったね、とばかりに。
読んでいただきありがとうございます。
実は「もののたとえ」、各人で少しずつ違ってます。




