少女の物語 4
回復の魔法で傷は癒えたけれど、ナオの神経はもう限界だったらしい。
眠りに落ちたまま、丸二日。
空腹やらなにやらの生理的なものに起こされるまで、彼女が目を覚ますことは無かった。
悪夢を見ることもなく、ただ沈んで浮かぶような感覚とともに、彼女は目を覚ました。
ドラマのように、がばっと起きたりもしない。
だから……ナオが目を覚ましたことは、誰も気づいていなかった。
「おねえちゃん」であるゴーレムも、「おひめさま」であるエレイラナも。
横になってぼんやりしながら、ナオは考える。
怒られちゃう。
言われたこと、まもれなかった。
人間を連れてきちゃった……。
怪我もして、お洋服を汚した。
おひめさまに、とても難しいらしい回復の魔法を使ってもらっちゃった……。
ずーっと、起きられなかった……。
たくさんの「しちゃった」がナオに降り積もる。
重さも無いのに、押しつぶされる。
今度こそ、殴られちゃう……。
思い出すのは、先に立って歩くときに「おねえちゃん」が差し出してくる手。
石でできていて、冷たくて硬い指。
手を握り返してはこないけど、ぎゅっと握られたら痛いだろうなと想像できてしまう。
あれで叩かれたら、きっと、死んでしまう。
だから起きたことは、気付いてほしくない……。
そう思っているのに、生きている体は寝ていてはできないことを彼女に要求する。
そうっと、そうっと。
上掛けの音をさせないようにして、ナオは体を起こした。
お布団の外に抜け出して……そのまま、逃げてしまいたいと彼女は考えてしまった。
「おねえちゃん」は外に出られない。
だから外に出さえすれば。
だが同時に、ナオは追われる身でもあった。
外に出て、どうするの?
そこに考えが至ると、ナオの足はもうそこから動けなくなってしまった。
ベッド代わりのすのこ、その外に出した足は地面を踏んでいる。
でもそこから、地面に置いた足に力を入れ、立ち上がることができない。
歩き出すことも、同じように。
「起きたの?」
背中からかけられた声に、ナオは体を震わせた。
ああ、怒られちゃう……。
「どう? 痛い所は無い?」
しかし、ぎゅっと目を閉じたその前にふんわりと風がたつ。
前に回って座りこんだとおぼしき「おねえちゃん」は、まるで顔をしかめているようなナオの表情に気づいたのだろう。
「ああ、まだ痛いのね。大丈夫よ、無理に起きないで」
信じられない言葉を、今、ナオは聞いている。
「おねえちゃん」の声は穏やかで静かで優しい。
「体が本調子、えーと、ふつうに動けるようになるまで、無理しちゃだめ」
「お、おねえちゃん、ごめんなさい」
そっとナオが目を開けると、同じ高さで「おねえちゃん」と視線が合った。
思わず口から零れた謝罪の言葉に、小さく首が横に振られる。
「痛かったし、怖かったね。もう、大丈夫だからね」
大丈夫、大丈夫、とゆっくり繰り返されるうちに、ナオはどうしようもなくなって……涙をこぼしてしまった。
「おねえちゃん、ごめんなさい……」
しゃくりあげながら、ナオは言葉を続ける。
「逃げるとき、こわかった。ほんとは、やっちゃいけなかった」
その告白を、「おねえちゃん」は静かに聞いていた。
その場から一歩も動かずに。
だからナオは、昔「言い訳するな」と―――に、途中で遮られ言うことを諦めた、自分がそうした理由を話せた。
「ナツノくんが、ほんとうは、次に来た時にちゃんと使えるように訓練してくれるって。それまで、使っちゃダメだった」
とうとう言葉がつきて、あとはただ必死で続けるそれは、恐怖から。
その体にふわっと影が落ちる。
触れないようにしながら、「おねえちゃん」がナオの体を腕で囲い込んでいた。
人間だったら抱きしめている、といえるだろう。
石の体は冷たくて硬いから、手を握り返したら痛いでしょう? そう、前に言われたことをナオは思い出した。
「謝らなくていいよ。怖かったね。頑張ったね」
だからナオは、自分から目の前の体にしがみついた。
本人が言っていたように、かたちばかりが女で、柔らかくも温かくもない。
だが今のナオにとってこの体は、溺れた海でやっとたどり着いた寄る辺の岩。
硬い体でも、しがみついて息を継ぎ休むならば、かえって心強い。
「ナオ、しばらくの間はゆっくり休むんだよ」
「うん」
「ここの庭園、ええと、公園の中にいてね」
「うん」
「おなかすいた?」
「……ちょっと」
「じゃあ、お風呂も用意しようか?」
「……うん」
赤ちゃんみたい、「おひめさま」に笑われちゃうと思ったけれど、しかしナオはしがみつくのをやめられなかった。
「おねえちゃん」は叩かない、蹴らない、つねらない、殺さない。
思いつく全部の酷い事をしないという約束をまもってくれるのだ、と。
用意してもらったスープを食べ、お風呂に入ったりと用足しをして、寝床に戻ると布団代わりの布も取り換えられていた。
ナオがそこに潜り込むと、あれだけ眠ったのにまた眠くなってしまった。
「早く良くなってね」
夢うつつに枕元で「おひめさま」の声がした。
ひんやりと、額に何かが触れて、そこからすぅっと冷たさが広がる。
散々泣いた目の辺りも気持ちよく冷えて、ぼんやりとナオは微笑んだ。
半分眠りながらも声に応えようと、何度もうなずくと、同じ場所で嬉しそうな笑い声がした。
「また、ちきゅうのお話を聞かせてね」
その声にも幾度もうなずくうちに、ナオはまた、すっかりと眠り込んでしまった。
もう、何も怖くは無かった。
◇◇◇
ゆるやかな寝息が聞こえてくると、エレイラナは静かに微笑んだ。
石の乳母が保護したというこの子どもを、彼女はとても気に入っていた。
生前近くにいたのは大人ばかりで、同じ年の子どもはいない環境だった。
皇帝の娘という立場上、遊び相手などいくらでもと思われそうなものであったのだが、物心もつき、そろそろ選定の頃合いのその直前に、彼女は死にとらわれた。
だからこそ逆に、ドラゴンの仔とも、中身ばかり子どもの娘とも友だちになれた、ともいえようか。
そして彼女には、兄にはいた乳兄弟というものへのあこがれもあった。
守役のゴーレムが乳母であるなら、その乳母が大事にしている子どもであるナオを、乳母子としてもいいんじゃないかしら、と。
その乳母子を自分の力で助けられたのは、幼い皇女にはとても誇らしいこと、だった。
……それが、女神という立場で見れば、いわば神からの寵愛であることを、本人とそれを受ける者ばかりは知らないままで。
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