フシンジンブツ
ドラゴンが出て行ってからも、地下一階整備区画に私はいろいろなものを作っていた。
たとえば、今使っている水の浄化用の濾過水槽。
風呂桶を備えた一角もある。
とはいえ、こんなところでお湯は沸かせないから、入り口近くで沸かした熱湯を水で埋めてちょうどいい温度にするような造りなんだけど。
濾過水槽からの汲み置きの水、本当は煮沸した方がいいんだけど、器に汲んで庭園まで戻る。
不審人物はさっきいた場所から動かずにいた。
よしよし。
「はい、むせないようにね」
差し出した器を、そろそろと両手で受け取る。
ゆっくり、味を確かめるようにして飲んでる。
……殺さないでと言ってたから、毒でも入ってないか見てるのか。
しかし、お風呂に入れようかとも思ったけど、ちょっとこれは怯え過ぎだ。
さっき様子を見たらまだ食事中だったし、スライムの前は歩かせない方がよさそう。
「ごめんなさい……」
また同じこと言ってる。
よっぽど怖い目に遭っちゃったんだろう。
これはちょっと私も距離を置いておいた方がいいかもしれない。
何か食べさせるにしても、基本食料が必要じゃない私には、備蓄らしいものがない。
コボルトたちが食べた庭園の木の実だって季節は終わっちゃってるし。
とりあえず、安心させられそうなもの……うん、そうだ。
私は庭園を出て、隠し部屋に向かった。
暗闇の中も見える目には、しっかりとシオリの遺したいろいろ……ハルカズからの贈物が見える。
私はシオリに謝りながら、服の入っている物入れをあさった。
んー……底の方に、ボリュームのある布地があるなぁ。
一気に引きずり出すと、それは何枚かのローブだった。
あ、これ、私が分かれる前の『私』の普段着だ。
庭園の、剪定した植物を気長に叩いて繊維にしたやつ。よくこんな着心地悪そうなのを……と思ったけど、前はこれしかなかったもんなぁ。
ごわごわしてるけど、これくらいしかたっぷりしたやつないし、仕方ない。
布団にするならかえっていいかもしれない。
それからもう一枚、手ぬぐいになりそうな布を探し出す。
両手でローブを抱え、肘に布を一枚引っ掛ける。
それからそれから……
持ち物に、水を入れたバケツを加えて私は庭園に戻った。
不審人物はすっかり水を飲み終えたらしく、器を両手に包むように持って、でもぼんやりしてる。
気が抜けちゃったんだろう。
何があったのかは知らないけど、それなりにまともな格好をしているところからして、あまりいい予感はしないなぁ。
「あ……」
私が戻ってきたのにようやく気付いて、身体をこわばらせる。
私はそれを見なかった振りをして、地面にローブを降ろし、バケツを置いて中の水で布をゆすいで絞る。
おしぼりに近い物になった、と思う。
それを差し出す。
「はい、これで身体を拭いて。どろどろになってるから」
「……あ、うん」
精一杯に手を伸ばして、子どもはそれを受け取った。
「それから、これを布団にして寝なさい。今夜は泊めてあげるから」
まだまともな言葉にもなっていないけど、ごめんなさい以外が聞ければ上等だ。
ひとまずもう少し待ってから、寝床スペースにできそうなところに案内しよう。
幸い、今日のお勤めは澄んでいるし。
私は不審人物に背を向けて、また庭園を出た。
中断したお茶会のお詫びと、何が起きたかのメモくらいはミラエステルに書いておかなくちゃ。
さて、庭園は今あの子がいるし、隠し部屋ででもお出かけ一号につなぐことにしよう。
ぶらぶらと歩いていると、スライムがふにょふにょとどこかに移動していくのが見えた。
中身ごと。
入り口はどうしてるんだろうと思ったら、別の、もっと小さいスライムの群れが、ちょうど入り口の上に落ちかかれるような場所に引っ付いていた。
交代したらしい。
私がお出かけ一号の中に戻ると、さすがにテーブルの上は片付けられていた。
けれど、石筆と石板はそのままだったから、遠慮なく使わせてもらうことにした。
―――中断してごめん。ダンジョンに侵入者あり。確保中。中は無事。
えーと、他に書く事あったかな。
あ、そうそう、これを書いておかないと。
―――また今度、日を改めてお茶会しましょう。
お茶会、嫌なわけじゃなかったものね。
外に友だちができたのも、ひさしぶりにそういう仲でおしゃべりらしいものができたのも。
―――その日が楽しみ。
だからこれも。
結果的に伝言本体よりもそっちの方が多めになってしまった。
伝言メモまとめるの、苦手なんだよね。
接続を切って、また庭園に帰る。
あの子はよっぽど疲れていたらしい。
寝場所を支持するよりも先に、与えられたローブにその場でくるまって眠ってしまっていた。
身体を固く丸めて、縮こまっている様子からは、まだ緊張が解けてないのがわかるけど。
灯りは点けたままにしておいてあげよう。
こんな様子なら、この子、眠りも浅いだろうし……あれ?
そこでようやく私は『違和感を覚えていないのに、おかしい』ことに気づいた。
私は、目の前の人間を、……なんと表現してた?
『この子』、『あの子』だ。
『この子』の見た目は十代半ば、少なくとも二十代じゃないだろう。
私は地球での思考を、こっちでも引きずってる自覚がある。
私自身は十七歳のつもり、ちょっと大きめのくくりなら高校生。
『この子』と私の年齢の幅をどんなに大きく見積もっても、中学生と高校生くらい。
そんな年の差しかない相手を、子どもと見なしたような呼び方をするものだろうか?
長い長い時間を経てきたそのままの、シオリならともかく。
わかったけど、やっぱりわからない。
ひとまず予定通り灯りは点けたままで、私はその場を離れることにした。
と、その前に、足音を忍ばせて東屋へと進む。石碑に跪く。
「皇女様、客人の滞在をお許しください」
深く頭を垂れて、祈り、お伝えする。
ミラエステルのお茶会も報告したかったのだけれど、あまり長引くとあの子が目を覚ましそうだから手短に。
よし、私も休むとしましょうか。
□□□
静かに静かに、いっそ優美な動きで庭を出ていく人影を確かめてから、ナオはそっと身体を起こした。
前に入った時そのままの、屋内の庭、あるいは公園。
獣の気配は無く、音といえば小川のせせらぎのあるばかり。
光の届くぎりぎりに、あの珠のあったお墓が見えるけれど、今回そこに珠は無いようだった。
自分を追いかけてきた男二人に、捕まりそうになるそのたびに身体強化魔法をかけては距離を開けることを繰り返し、へとへとになったころに見えた、暗い入り口。
必死で飛び込んで、行き止まりにその先を阻まれたと思ったら、後ろで潰れたような音がした。
男たちの声や立てる音はそれきり聞こえず、動けないでいるナオに聞こえたのは粘ついた音とそれから……。
今は、まだ殺されないという事しかナオにはわからなかった。
「……ごめんなさい」
学校の図書館で読んだ漫画やお話。
悪いことをすると必ず何かの報いがあった。
珠を取ったのは? 悪いこと。
あの人を壊したのは? 悪いこと。
そう考えると、あの人が自分を殴りもしていないのが不思議だった。
でも、ここ以外に行くところはない……。
ナオは再び横になった。
敷いているのもかけているのも、ひどく硬くてごわごわした生地だったが、疲れがどろどろと身体を動けなくしていく。
身体を丸めて目を閉じると、どんどん地の底に飲みこまれていくような感覚とともに、ナオは眠りに飲みこまれた。
読んでいただきありがとうございます。
「私」は、まったく気づいていません。




