魔王は勇者に褒美を与える 下
一合、二合。
両手剣同士がぶつかり合う音が部屋に響く。
天井が高く、部屋そのものも広い食堂は戦闘には最適だった。
双方が下がりながら片手で魔法を練り、それを放つタイミングを見ながらも、もう片方の手で剣を握りしめる。
セオドリクの目から見ても、この『勇者』は充分に鍛錬を積んできたことがわかった。
少なくとも、エルダー格の暁闇の氏族とまともに相対できるほどの力量はある。
どれほどの死線を超えてきたのか。おそらくはただひとりで。
この前に、何十合打ちあっただろう。
膂力においては、セオドリクの方が遥かに上にあったが、『勇者』は実に上手くそれをいなし、かわしてみせた。
たった一人でここまで来られるだけの実力はある、ということだろう。
そして使う魔法は、回復と己の強化にしか使っていない。
ひたすら耐えるという戦法なのだろう。
それは、実は理にかなっていた。
暁闇の氏族をはじめとする夜の種族は、生命力が人間に比してかなり強い。
失血死しにくい、といえばわかりやすい。
人間が夜の種族を確実に倒そうとするなら、首か、心臓を狙う。
下手に手足を狙うより、確実に必殺の一撃を喰らわせる。
一見無謀なようでいて、他の助けを得られない状況下においては、それしかない。
そしてこの方法にためらいと焦りをまったく見せないところから、セオドリクには『勇者』がこのたった一人での戦法に慣れているとわかってしまった。
たった一人で、どれだけの戦いを重ねてきたのか……。
その物思いの僅かな隙を、『勇者』は見逃すことはなかった。
『勇者』が足を踏み切って、一気に彼我の距離が詰まる。
セオドリクは手の炎の魔法を放ったが、『勇者』はかまわず突っ込んでくる。
彼の手に練られているのは攻撃魔法ではない、治癒魔法。
まっすぐに突っ込んで、爆炎すらも突っ切って、負った怪我をその魔法で打ち消す。
闘志に吊り上がった険しい目が、絶対の殺意にぎらついている。
こういう目を、彼は何度も向けられてきた。
だが、こうも近くで見たことは無い……。
「見事だったぞ、勇者」
まるで笑っているような声だと、セオドリクは思う。
事実、彼は少し愉快ですらあったのだ。
愛する者と生きる自由のために、まったく関わりの無い『魔王』を倒そうとする、そして倒せた後を信じる愚かしい欲深さ。
その欲深さが今、剣の形になってセオドリクの心臓を貫いていた。
力が抜けて倒れ込む彼を『勇者』は受け止めた。
そのまま突き飛ばすようなこともなく、その手は彼の身体を支えながらゆっくりと横たえる。
「……ごめん」
深い後悔の滲んだ声だった。
「どうした? ああ、大丈夫だ。あの一撃で、私の死は定められた」
お前は勝ったんだぞ、という一言に、セオドリクの傍らで『勇者』はぽろぽろと涙を落とす。
「こんなの、俺のわがままだって、本当はわかってるんだ。わがままで、ひとを、ころして」
恋人であろう娘のことをしゃべっていた時と、あまりにもその顔は落差がありすぎた。
もうひとつ、『魔王』は『勇者』の境遇を悟ってしまった。
おそらくは、長く長く続けてきた戦いの日々が『勇者』の心を削っていったのだろう。
『勇者制度』の主役は、長く生き続けることはできない事実を彼は思い出す。
戦い続けるならば、怪我で死ぬ確率は跳ねあがる。
怪我から病を患うことでもあれば、そこで見捨てられる。
そうやって死んで、『勇者』の物語はそこで終わりだ。
何人も、何代も、『勇者』はそうやって栄光を夢見るうちに死んできたことを、セオドリクは知っている。
彼の目の前にいるのは、夢から覚めた完全なイレギュラー。
「お前、名前は?」
「え?」
「お前の名前を訊いている」
「……晴和」
「はるかず、か。ハルカズ、誇れ。お前は暁闇の氏族のエルダーに数えられる、このセオドリク=ルーキス・オルトゥスに勝った」
『勇者』ではなくハルカズ、『魔王』ではなくセオドリク。
言い聞かせるように、ゆっくりと語るとどうやらハルカズは落ち着いたようだった。
「うん……」
「さぁ、自由と指輪を持って、お前の名を呼ぶもう一人のもとへ行け」
セオドリクは先ほどから控えていた己の秘書を呼んだ。
彼の捧げ持つトレーの上には、指輪がいくつも、黒いベルベットを敷布として並べられている。
促され、ハルカズが選んだのは、滴るようなルビーを添えたものでも、霜のように輝きを並べたものでもなく、控えめに透明の石を付けた透かし彫りの華奢な指輪。
柔らかな皮の袋にそれが収められ、さらにそれが懐にしまわれるのを見て、セオドリクは安堵した。
己の死を前にしてなにを安堵しているものやらと。
「さぁ、行け。寄り道などするなよ」
「……っ、ありがとう!」
『勇者』は、ハルカズと名乗った男は、決意もあらわに顔を上げ、食堂を出て行った。
……おそらくは、『無事に帰る』という一点を支えにして、精神が安定したのだろう。
秘書が傍に控えたのに、セオドリクは肩を借りて立ち上がった。
わがままを通してしまったと思いもしたが、秘書はただ静かに彼を支え続けて、彼の威厳をも支えてくれた。
『勇者』が立ち去ると、セオドリクはそっと使い魔を放った。
「すまないな、メイソン。……この世の見納めに、美しいものが見たい」
「承知いたしました」
秘書、メイソンはただ、セオドリクが少しでも楽にできるように、致命傷の痛みが少しでもやわらぐようにとメイドにも言いつけて、クッションや上掛けを持ってきてその場に整えた。
人間たちに『魔王』と呼ばれた吸血鬼は、クッションに体重を預けると使い魔に意識を載せ、ハルカズの後を追わせた。
首を落とされるのとは違い、心臓は刺されても死がセオドリクを訪れるまでに猶予がある。
己の死は決まっている。
その死の瞬間まで、『勇者』を見届けようとする彼を咎める者はどこにもいない。
彼の視界はすでに使い魔である蝙蝠と同化して、ひたすらにはばたいていた。
そんな使い魔の姿に異常を感じたのだろうか、彼は誰の城の城下町であるところの、城を囲む森、そこを居とする爪月の氏族である人狼たちがそっと後を追いかけてくるのを、彼は感じ取っていた。
「メイソン、後で皆に説明をしてやってくれ」
「はい」
ほどなく、『勇者』の背中が見えてきた。
青年はまるで走るのに不慣れな子どものように、足を急がせていた。
姿勢もへったくれもない、あんな無様な走り方では防具が浮いて、さらに走りづらいだろう。
腰の剣や道具を入れている背嚢だって、上下して走るバランスを崩している。
それでもハルカズは足を止めない。
速度を落とさない。
それは他者から見れば、一心不乱に逃げているようにも見えたかもしれない。
……いや、とセオドリクは考え直す。
確かに、逃げたのだ。『勇者』として死ぬ運命から。
それはハルカズという青年にとっては、喜ばしい門出になるだろう。
そうあるべきだと、セオドリクは思う。願うように思う。
走る足が止まった。
行く手の先、森の終わりが見えるような位置で手を振る人物がいる。
この国の者だ。
「なんだ、男か」
親し気に近寄る男に、ハルカズも手を振り返した。
迎えに来た仲間なのだろうと、見当がつく。
ここから先は、馬か、馬車か。
そうセオドリクが思った次の瞬間、笑顔のまま迎えの男は刃をハルカズの腹へと突き立てた。
「……ラドル!」
後ろについてきているはずの人狼の一人に、セオドリクは使い魔の口を使って命じた。
「あの男を、今笑っている男を殺せ!」
何が起きたのかをわからなかったのは、『勇者』だけ。
その『勇者』が倒れ伏した上に、裏切り者の血が降り注ぐ。
人狼の一撃をかわすか、止められるだけの腕など、元々持ち合わせていない程度の者だったのだろう。
男はあっけなく、首から上を失った。
「ハルカズ、なんということだ……」
使い魔を通して話しかけるセオドリクの言葉も、もう聞こえないのかもしれない。
「しおり、さん、」
虚ろな目は他の何かを見て、その何かに向けた声が最期の息になる。
「ご主人様、この者は?」
「この男は、私を見事倒した者だ。だが、お前たちの仇ではない。丁重に弔ってやってくれ。……そっちのは、森の外に棄ててしまえ。英雄たる者を殺した、唾棄すべき裏切り者だ。英雄の懐に、私が与えた物がある。ラドル、持ってきてくれるか?」
「は、はい。仰せのままに」
忠実な人狼は、一刻も早くと持ってきてくれるだろう。
また人手を割いて、『勇者』を弔い、廃棄もしてくれるだろう。
それが主人の命令の、おそらく最後のものであると悟って。
セオドリクの命も、もう残る時間は少ない。
……元々、『勇者』を追いかけたのも、相手の娘の顔が見られれば幸運程度に彼も考えていた。
あるいは、駆け去る背中を見送って時間切れになっても、希望を持って進む姿を見ながら逝けるならば、それも一興と。
しかし結果は、彼の期待も『勇者』の希望も踏みにじるようなものに終わってしまった。
セオドリクは意識を使い魔から戻した。
己の身体の瞼を開く、たったそれだけの動作がもう辛い。
人間の目にはほんの少し先すら見えない暗がりではあったが、彼にはこの城で一番広いこの部屋が隅々まで見える。
青い炎のキャンドルを飾り、ここで宴をしたこともある、いとしい彼の『我が家』。
「メイソン」
呼びかけるのさえも、セオドリクにとってはもはや苦しいものとなっていた。
魔王と勇者の話、もう少しだけこの時間の話は続きます。




