ドラゴンは疲れていた
どこの誰の縄張りでもない場所というものは難しい。
谷川を見つける前もそうドラゴンは思っていたのだが、そこを出て以降、より一層強く思うようになった。
人間のいる場所の近くは絶対ダメだ。
またああいうのが来てしまう。
このドラゴンは母親にしっかりと、他の生物との関わり方を教わっていたので、一度戦闘状態になった生物種とは距離を置くことにした。
幸い人間は他の人間の縄張りまでは追いかけてこないという習性があるのだが、今回はその縄張りがドラゴンの行動範囲から考えても広かったというのは、この亜成体ドラゴンには災いしていた。
もし一心不乱に飛び続けたとして、大人になり切れていない未熟な翼では、どうしたってどこかで休まなくてはならない。
人間はダメ。
人間に近い種族も、しがらみというものがあるから、ダメかもしれない。
移動を、しかもある程度隠れながらやっていたドラゴンはへとへとに疲れていた。
前の棲家を見つけるまでも独り立ちしたばかりのドラゴンには大変だったのだが、今の逃避行はそれに輪をかけて大変だ、というのが彼の感想だった。
そんなときに目に入って来たダンジョンがどういう風に見えたかは言うまでもない。
基本的にダンジョンは人間の住むところではない。
住める場所ではないというのが正しいだろうか。
人間のいない場所、クリア。
人間が来そうな場所、……うん、たぶん来ないだろう。
だがこういうダンジョンは、先住者がいるものである、と入り口をうかがいかけたドラゴンはすんでのところで思い出した。
つまりここは、すでに誰かのものなのだ。
入っていくのはちょっと怖いな、とドラゴンは判断した。
幸い、このダンジョン近辺には大型の肉食獣はあまりいないし、森の木陰を利用できるなら体を休めるくらいはできそうだった。
なにより、人間が来ないというのが大事。
水の音が聞こえたから、ひと眠りしたら飲み水でも探しに行こう、とドラゴンは考えながら、適当な場所に腰を据えた。
疲れ果てた羽を折り畳み、手足を体に寄せて目を閉じる。
うとうとしかけたところで、妙なわずらわしさをドラゴンは覚えた。
たとえるなら、毛羽立った羽毛布団に潜り込んでしまったような、ちくちくとした……。
鱗が守る、ドラゴンの皮膚に?
彼は鬱陶しさに目を開けた。
むしろ鱗が守っていたからこそ、というべきだろうか。
地元でよく見た狼に似た獣の群れがドラゴンの肉を何とか噛み千切ろうとしている。
牙を立てようとして、鱗にはかなわず、ゆえに獣の大きな牙であっても不快なちくちくで済んでいる。
「なぁんだ」
ドラゴンは氷片の混じるため息を一つ。
人間はいないし、大型の肉食獣もあまりいないけど、こういうものはいた。
ドラゴンが立ち上がると、狼っぽい獣たちはガァガァと吠えたてる。
これでは眠ることもできやしない。
「グァアッ!」
吼え返したら一度退きはしたが、それ以上追いたてなければまた戻ってきてしまうだろう。
それを考えると、ドラゴンは憂鬱だった。
安眠できないのは、ドラゴンだって困る。
ふと、彼は他者の縄張りの事を思い出した。
彼の母が教えてくれた幾つものダンジョンのうち、暁闇の氏族の有力者が棲む彼は誰の城や、同族の強者が棲む輝鱗の宮殿といった近寄ることも許されない危険地帯の中に、目の前の皇女の奥津城は入っていなかった。
ちょっと考えはしたものの、ドラゴンはとことこと入り口目指して歩き始めた。
もっとも、その足音はドラゴンの主観にすぎないものではあるのだけれど。
そして今、ドラゴンは人間の姿で寝転がっていた。
どこに?
庭園の中央部、東屋の中の石碑、その脇に。
反対側の脇には、ずるずるとした長衣に着替えた人間類似のゴーレムが同じく横たわっている。
このダンジョンを差配しているというそのゴーレムは、人間の女をまねた形をしていて、そんな格好で手足やら肩やらが隠れているとまるきり生きた人間にしか見えない。
とはいえ、声がするのに動かない口元やら、目を動かす時に視線を感じない事やら、ドラゴンの目からは体に淡く纏っているように見える魔力やらから、本物の人間ではないのはわかるのだけれど。
そのゴーレムの許可を得る形で、ドラゴンはダンジョン内部に今夜の寝床を得ることができた。
ゴーレムの語る寝物語を聞きながら、ドラゴンは横になっている。
語られるのは、一夜のうちに名剣を千本作ったならば美しい娘を嫁がせようと、見たことも無い若者と契約した武器職人の物語。
あまりに早い仕上がりのペースに、工房を覗き込んだ職人が見たのは、天井に頭が届きそうなほどのオーガ。
娘を嫁にやったなら、あのオーガに頭から食われてしまうだろう。
慌てて彼は策を練り、千まであと一本というところで夜明け鳥を鳴かせて、危うくオーガを追い払った。
職人は心を改めて、元からいた真面目な弟子を婿にして、めでたしめでたし。
「人間は約束を守らないのか」
そんなドラゴンの感想に、
「そもそも強欲から真面目な弟子を認めずに、人間には無理な約束を考えた職人が愚かなだけ」
ぽん、とそんな返事が返ってきた。
ドラゴンの頭をぶつわ、説教をするわの件もあり、このゴーレムは造形ばかりではなく、どうやら長い年月でずいぶんと人に近いものになっているらしいとうかがえた。
単なる物語る人形に、そんな返事はできない。
会話をするのが巣立ってから久しく無かった彼には、これが楽しくて仕方ない。
母親からも聞いたこともない物語も、おもしろくて仕方ない。
それに
「ほら、眠くなったら向こうの寝床に行きなさい。人間のなりじゃ、ドラゴンのようには眠れない」
人間の子どもにするように、ゴーレムは彼に声をかける。
それがなんだか、彼にはくすぐったい。
役目が終わって灯りとともに庭園を去るゴーレムを見送って、ドラゴンは体を起こしかけた。
だが、彼はその動きを止めた。
もう一度横になって、喉を鳴らす。
「なるほど、あれには見えないのか。じゃあ仕方ない。僕ならわかるからな」
くるる、と幽かな音。
「僕の父は輝鱗の宮殿序列十五位炎のフキアガルホムラと聞いてる。母は剣の山脈に住まう氷のマイチルリッカ、僕はその初子。まだ居を定めてないけど、名前はナツノカザハナというんだ。お前は?」
彼の吹雪に凍らされた者たちが聞いたら耳を疑うような柔らかい声が、静かな夜に響いた。
この子の名乗りは、この世界でのドラゴンの正式な名乗りです。数が少ないもんだから、親の名前と住所を言えばだいたい出自がわかる、みたいな存在です、ドラゴン。




