ゴブリンはたぶらかす
ことわざ考えるのむずかしいですなー。
『狩場』を追われ、ダンジョンから逃げた名無しのゴブリンは、人目を避けるように移動していた。
街道のゴブリン集団が壊滅してからしばらくは、その被害の調査に人手がとられて追手はかからなかったのだが、その被害の全貌が明らかになるにつれて、そしてそれが大きな街などに伝わるにつれ……ゴブリンを狩る、という機運が人間に高まっていった。
さすがに山に踏み入ってまで探そうとはしない―――そも人間は、里に住むゴブリンを知らない―――が、街道には定期的にもよりの町の自警団が少し離れた所まで出張ってくるようになった。
しかも犬連れともなれば、今までのような狩りなどできない。
もしこの時期に、このゴブリンと同じく単独行動の山賊ゴブリンに出くわして街道の失敗を知られたら、ずいぶんと恨み言を聞かされたことだろう。
だが、狩られたのか逃げ散ったのか、同類に会うこともなく、このゴブリンは最初の現場とはずいぶん離れた森の奥まで移動していた。
ここまで来れば人間は入り込んではこないが、逆に言えば獲物になるような人間はうろついていないということでもある。
それどころか……ゴブリンは不意に悪寒を覚えた。
それが何かを考えるよりも早く前へと走りだしたのは、本能によるものだろう。
はたして、
「ヒッ?」
振り下ろされた、ろくに整えられてもいないこん棒がゴブリンを掠める。
危ういところで自分を潰しかけたそれを持つ者を、ゴブリンは確かめた。
トロル……人型でこそあるが、生物ではなく、森の魔力が凝って生まれる広義の妖精がそこにいる。
ただし妖精にもいろいろいる、ということを体現する存在でもある。
トロルは同じように発生する、魔物に近い。
悲鳴とともに、ゴブリンはその場を離れた。
幸いにして、トロルは縄張り意識があるために、追ってくることは無く、姿が見えなくなったあたりでゴブリンは足を止めた。
すぐそばにあった瓦礫、石の柱に寄りかかって息を収める。
その目の前を通り過ぎていったモノに、彼は目を剥いた。
大きな、そう、狼ほどもあろうかという兎。
さすがにこの大きさともなれば、ゴブリンなど相手にするまでも無いというのか、走りもしないその様子に、彼はここがただの森ではないことを理解した。
と、同時に自分がここでどうするかを考える。
ここから逃げるのではなく、ここで生きる方が得策であると、彼は判断した。
ひとまず、は。
彼は唯一の武器である、石斧の柄を固く握りしめた。
相手にするまでも無い、そう思って通り過ぎた兎の脳天に一撃喰らわせるのは、兎自身の油断ゆえにたやすい仕事だった。
差し出された兎を、トロルはきょとんとした顔で見つめた。
さっき潰し損ねた相手が、肉を差し出してくる。
それまでのそれの生涯には無かった出来事であり、それを戸惑わせるには十分すぎた。
そろそろと兎を受け取るトロルに、ゴブリンは二ィと笑いかけた。
敵意は無いと示しながら、彼は一歩後ろに下がる。
一方のトロルはそんな様子を訝しがりながらも、降ってわいたようなごちそうを前にその食欲を抑えることはできなかった。
魔力という、空気のように存在するものから生じたとはいえ、今は肉の体があるのだから。
音を立てて皮を剥かれ、骨はそのままに細かくちぎられていく兎肉と、生のままそれを貪るトロルの姿に、ゴブリンは目を細めた。
なるほど、なるほどと。
その上でもう一羽、大兎を仕留められない物かと、その場を後にする。
結局、兎二羽分の肉で、トロルはゴブリンの存在を認めた。
言葉は通じないながらも、食うよりも生かす方が得であるとゴブリンが認めさせたようなもの、というのが正しいだろうか。
こうなればゴブリンの計算というには単純なものだが、それは成ったも同然。
まず攻撃対象から外す。
次に親しませる。
最後に仲間意識をもたせる。
それが向こうから見て手下扱いだろうと問題は無い。
要はこちらがコントロールできる立場を手放さないようにするだけでいい。
そのルートの一番難しいところをクリアできたのだから。
食事を終えるなり、ぐうぐうと高いびきをかきはじめたトロルにとっては、ここには眠りを邪魔するような敵もいないということだろう。
ますます好都合。
そうして仲良くなっていけば、あとはちょっと人里に連れ出すだけで、このトロルはゴブリンの望むとおりに暴れてくれるだろう。
そうなれば、今のゴブリンの苦労も一気に何倍にもなって返ってくる。
狩人が矢の数分の得物の処分を考えるように、ゴブリンはトロルの扱い方を夢想しながら木の上によじ登った。
まだ自分は、トロルのようにこの森で堂々と眠れるような生き物ではないという判断はできたので。
ゴブリンには知る由も無かったが、ここもまたダンジョン、正確には元ダンジョン。
新たな管理者を得られず崩壊した、ダンジョンの礎の上に木々が繁茂した森。
トロルが発生したのも、そんな場であったから。
崩れたゆえにもう正式な名もないが、遺された森と呼びならわされていた。




