実家、えらいことになってた
「あー……」
拠点と定めた、ダンジョンの一角。
地下一階の片隅で、埃まみれになってしまった体を洗う。
同じく埃まみれになってしまった服は、後で洗っておかなくっちゃ。
庭園に干しておけば乾くよね。雨降らないし。
バケツの冷たい水は、この体には何の痛痒も与えないけど、人間歴十七年、お湯の方が感覚的には嬉しいなぁ……。
浴槽があればもっといいなぁ……。
洗浄室改修して、沐浴場作っちゃいたいなぁ……。
生身の体じゃないから、あったかいもへったくれもないし、そもそも疲れるはずがない。
そのはずなんだけど、人間生活で、疲れるって感覚を知っちゃったのがまずかったか。
一日中、ダンジョン中のあっちこっちを調べまわったことが、ずーんとのしかかってるのも辛い。
ダンジョン、えらいことになってた。
何から手を付けたらいいかわからない。
まず、ダンジョン全体の損壊。
これはたぶん、戦闘で警備ゴーレムを壁にぶつけられたことが原因の傷みだろう。
残骸がある場所ばかりがひどくて、壁がぼこぼこへこんでいるから。
そんなのが、数えるのが億劫なほどの箇所にある。
これ、石化魔法とか使っても直すのに時間かかるだろうなぁ。
よく目を覆いたくなるような惨状なんていうけれど、私の場合は直視しなくちゃならなかった。
そう……このダンジョンの最大の損害についても。
稼動していたゴーレム、およびこのダンジョン内に居たスライムの全滅。
回遊型警備ゴーレムどころか、園丁やら整備やら、大型から小型まで全滅だよ全滅。
スライムはダンジョン内部清掃や環境調整用に置いてたものだし、あれは生き物だからいくらかは外に逃げてるかもしれないけど、どっちにしろこの建物の中には私以外に動く物は無い。
こうなると、スライムの不定形なつるりぬるりぺとりすら懐かしい。
てか、スライムいないからもう埃とかで汚れ始めてるし、早めに呼び込めないかな。
園丁ゴーレムもいないから、遠からず中庭も荒れ始めるだろうな。
心臓部の玄室や、奇跡的に魔石生産施設が大丈夫だったとはいえ、このままならダンジョン崩壊まったなし。
性質の悪い地上げ屋に遭ったって、こんなにまでならない!
考えれば考えるだけ、損害が実感を持って押し寄せてきて、私は頭を抱えたくなった。
代わりに、布をバケツの水でゆすいでよく絞り、仕上げのように体を拭う。
今日最後の仕事が待っている。
汚れを一日の最後に落とすのには、理由がある。
乾いた体に、目を覚ました時に着ていた服をまとって、やっぱりこれも目を覚ました箱の中に入っていた薄物を被る。
ごくシンプルなドレスに、ヴェールを被ったような形だ。
これが、『私』と私の正装。
きちんとした格好になるのは、儀式を執り行うため。
汚しちゃいけないから、今日あちこち調べるときには隠し部屋で見つけた適当な服を着てた。
中庭に出て、私は東屋の床、皇女様の墓碑へと身を伏せた。
死の眠りを揺蕩う皇女様が悪い夢に捕まらないように、一日の終わりには子守唄を捧げる。
あるいは皇女様の魂が慰められるように、物語をかたるのが、『私』に課せられたダンジョンの維持と並ぶ重要な仕事。
玄室を思い浮かべながら、私は目新しい物語として桃太郎を語ってみることにした。
物語を終えてから、私も休む。
誰に言うともない、「おやすみなさい」とともに。
閉ざされたダンジョンに夜明けもへったくれもないが、体は正確に七時間を計って稼動した。
拠点の部屋に引きずり込んだ、私の箱から起き上がって、今日することを考える。
まずは、上層階を閉鎖することにしよう。
なにしろそこまで手が回らない。私一人きりだから、人手が足りないどころじゃない。
それから整備室を整理して、……修理できそうなゴーレムいるかな?
一体でも直せたら、かなり助かるんだけど。
あ、そうだ。
まずは魔石とってこないと。
いや違う、また汚すから、着替えを取って来よう。
あの隠し部屋にまだ他にもあるはず。何枚かここに持って来ておこう。
……誰もいないから、別に着てなくてもいいはずだけど、私には人間のときに学んだ羞恥心があるからね!
三度目にもなれば、隠し部屋のどこに何があるかはぼんやりとわかるようになった。
衣装箱だけじゃなくて、化粧箱らしいものも見つかったし、机や椅子もあったことに気づいた。
『私』はここで何をしてたんだろう?
それはともかく、筆記具があるのはありがたい。
衣装箱だけじゃなくて、これも持って行こう。
リストを作れば、この先の作業も効率があがるはず。
衣装箱や筆記具を拠点に置いて、次に向かうのは魔石生産のための部屋。
侵入者は地下一階で侵攻を止めた―――正確には、『私』の撃破をもってそこを行き止まりと思ったんだろう―――けど、実はこのダンジョンはもう一階層ある。
地下二階はまるごと魔石の生成機構。
魔石は世界に有る魔力が石の形に結晶化したもの。
使えば形を失うけれど、世界を巡る魔力に変わるだけだから、尽きることは無い。
だけど、自然に結晶化するならともかく、結晶化させるとなると……私が覚えている限りじゃ無理。
この世界において、魔力は様々なものの動力源なので、つまりこのダンジョンは地球で言うところの油田と石油精製プラント、それから加工プラントまで持っているようなものだ。
このダンジョンに在るのは、帝国時代の終わりとともに途絶したロストテクノロジー。
たぶん侵入者は魔石目当てだったんだろうな、というのは壊れたゴーレムからひとつ残らず魔石が抜かれていることから見当がつく。
だけど、まさかここで生産までしてるとは思わなかったんだろうな。
……まぁ、生産量自体は一日一個だし、この機構は見てわかるもんでもないけど。
地下二階を一杯に埋め尽くすのは、縦横無尽に張り巡らされた巨大なパイプ。
からころと音が響くのは、今まさにその中で結晶化している魔石が転がっているから。
最終的にパイプから転がり出てきて、床のあちこちに小さな山を作っている魔石に混ざる。
軽快な音を聴いているうちに、思い出すのはやっぱり思い出すのはあのジャムトースト。
私、どれだけ食べたかったんだろう、なんて思いながらも、その前の夜のハンバーグのことも、友だちと先週食べに行った巨大パフェの事も思い出してしまう。
真っ赤なケチャップをかけるオムライスは、母さんが薄焼き卵焼くのが苦手で、いつも真ん中が破けてた。
冷蔵庫で冷やしたうえに、氷たくさん入れて一気に飲む麦茶。
次の日曜には、父さんが回転ずしに行くぞって言ってたっけ。
タガがはずれたように、今の私には必要ないものがあふれ出す。
途中で読めなくなったマンガや小説も。来月には楽しみにしてた映画の封切りがあった。
それから……大人になったら行くつもりで貯金してた、海外旅行。
手の中から零れたもの。もうちょっとで手が届くはずだったもの。
遠く見上げるようにして憧れていたもの。
ことん、と今までより大きな音に、目を開ける。
今日の分はもう山にまぎれこんで、どれがそうだったかわからない。
その山に手を突っ込んで、一掴み。
ビー玉でも掴んでるみたいだけど、この中の一個だって下手な宝石より価値がある。
さ、作業をしなくっちゃ。
今回はここまで。
清書が出来上がり次第、投稿予定です。