始話 奥津城守の帰還
『引っぺがされた』。
何から? 体から。
何が? 魂が。
そう考えることもできないまま、私はついさっきまでの私の日常―――いちごジャムを載せたトーストとぬるめのコーヒー牛乳の朝ごはん―――から文字通り引っぺがされて、視界はブラックアウトした。
そうして次に気が付いた時には、私は箱の中にいた。
クッションになるような内貼りを施された、けどあまり大きいとはいえない箱。
横たわった状態で、腕とかがなんとか動かせる状態で。
あれ、これ、棺みたいなもんなんじゃ……?
慌てて継ぎ目のあたりを観察し、ちょうど腰の右あたりにでっぱりを見つけた。
これ?
触れた手で探って、そのでっぱりの中にさらに何か動く物が無いかさがす。
開錠を、小さな金属音が教えてくれた。
「……ぷはっ」
蓋を跳ね上げて、体を起こす。
そこは、書庫か、物置かというような部屋だった。
本を並べ物を並べた棚がいくつも並んでいて、その壁際に私が入っている箱がある。
隣にはもう一つ、同じような大きさの、こちらは空っぽの箱。
あれ? 入ってた? 体?
私、体から引っぺがされたはず、じゃなかったっけ?
そこでようやく、私はこの部屋にも、そしてもちろん箱の中にも光源はひとつもなかったというのに、見えていることに気づいた。
そして自分の手が、ちょうど人形の関節のようになっていることに。
長い裾のスカートをまくって確かめた足も、そう。体……全部ひどく硬い。
石みたいに硬いこれは、人間の体じゃない。
と、いうことは。ここは日本じゃない。
日本のある世界じゃない。
「…………戻されちゃったんだ」
私は箱の中から出て、周りを見てみた。
光を必要としない目は、光源が恒常的にあるわけではない環境のために拵えられたもの。
うん、見覚えがある。
記憶よりもずいぶんと物が増えてるけど、ここは私が生まれた建造物の最上階の、いわば隠し部屋。
普通に歩いているだけじゃあ、絶対に入ってこれない場所。
『私』の予備の体を隠すには、たぶんこれ以上の場所は無いだろう。
私は心を落ち着かせながら、壁に偽装した隠しドアに魔力を流し、外に出てみた。
私はそもそも、日本のある世界に生まれた存在じゃない。
もとい、私を生み出した者がこの世界から日本のある世界へと私を送りだした。
この世界において、人間の住まない巨大建造物を総称してダンジョン、と呼んでいる。
ここらへんはあっちの世界のゲームなんかと同じなのは、私の意識が勝手に翻訳してるのかもしれない。
そしてこの世界において、ダンジョンには管理者とでもいうべき存在が棲んでいる。
ダンジョンを維持・管理・防衛する要だ。
このダンジョンにおける管理者は、エレメンタルゴーレム。
一般的な、いくつかの素材の塊を魔力でつなぎ、指令を与えて動かすゴーレムとは違って、それに加えて人工精霊を宿すことによって思考し、自律行動するようにしたゴーレムだ。
とはいえ、存在としては逆で、ゴーレムを纏う人工精霊という方が正しい。
それが、私の出自。
人工精霊は、私を自分の魂から、ちょうど細胞が分裂するように分裂させた。
分裂元だから親でも子でもないけれど、私自身でもないからひとまずこの分裂元を『私』とする。
分裂は本来は、別の用途に使うための能力なのだけど、ぷちんとちぎれた先の私を日本の母さんの胎内に送り込んで、……それきりだ。
引っぺがされるまで、『私』は私になんのコンタクトもとってこなかった。
分裂した後だから、『私』が何を基準にして父さんと母さんを選んだのかは知らない。
けど、父さんと母さんは、私を当たり前の子どもとして育ててくれて、あの世界においては異分子であった私も十七年をかけて馴染むことができた。
正直、私自身十年もたつ頃にはダンジョンの生活の記憶も薄れていたし、現実感も失いかけていた。
子どもの頃に生まれるイマジナリーフレンドならぬ、空想世界だったんだろうと思い始めていた。
根拠もない全能感の夢の世界。そんなものの一種だったんだろうって。
でも今、私は人工の体を持って、その夢だったはずのものの真っただ中にいる。
灯り一つない中、石造りの建造物の中を、私は最上階から地階へと降りて行った。
足音を忍ばせても、無機物の硬い足は石床と触れ合って小さな音をたてるが、それ以外の音はなんにもない。
動いているはずの、回遊型警備ゴーレムの駆動音が無い理由はすぐに知れた。
どうやら片っ端から破壊されているらしい。
あちこちの片隅に、ゴーレムの残骸が転がっている。
全部、動力源の魔石を抜かれているからそれ目当てに壊された?
そして地下一階……これまた無数のゴーレムの残骸が転がっているその向こうに、私が引き戻された理由が、石床に横たわっていた。
死んでいる。壊れている。動かない。
でも眠っているとはとても表現できない、穏やかならざる状態。
『私』は、そんな状態でそこに有った。
人の形をしていたはずの体は、末端部でかろうじて「かつてはそうだったんだろう」と推定できる程度しか、原型が残っていなかった。
徹底的に破壊されている。
もし、私が人間の体のままだったなら、心を落ち着かせるために深呼吸をしたか、逆に声を抑えるために口を押えたかしただろう。
私は、今の自分の体が生き物のそれじゃなかったことを感謝するべきか、しない方がいいのか。
でもそれと同時に、どうして強引なほどの勢いで連れ戻されたかを納得するしかなかった。
管理者を失ったダンジョンは、遠からず崩れ落ちることになる。
日本でやったゲームでよくあった、ボスを倒したら入れなくなるダンジョンって、つまりそういうものなんだろう。
ここが今、形を保っているのは私が『私』の後釜として戻ってきたからだ。
何が起きたかを理解すると、私はこのダンジョンの中でもっとも重要な場所へと向かった。
このダンジョンと、そして『私』はそれを守るために有る。有った。
ダンジョン一階。
ダンジョンそのものの入り口を入ってまっすぐ進む、その突き当りに私の行くべき扉はある。
あるのだけれど、鍵は開いてしまっている……!
「……」
おそるおそる覗き込んだ先には、木々の茂る公園を思わせる中庭がある。
天井は塞がっているはずだが、降り注ぐ日光のような光に私は目を細めた。
息を殺して、中庭を進む……。
中心部にしつらえられた大理石の東屋に、ひとまずの異常はない。
中央に有る墓碑は調べられた痕跡こそあったが、見つけられてはいないことに安堵する。
上に載せられた花から、墓ということがわかったのだろうか。
なんにしろ、『私』はどうやら護り切れたようだった。
そのまま、私はドアのような墓碑に体を預けた。
沈め。私は私に命じる。
今度は剥がされるような痛みも異常もなく、私の魂、私の本体は体を離れて墓碑の中へと沈んでいく。
その先は、体を持っていては出入りできない封鎖された空間。
石の中、土の中を潜り抜けて、出た部屋は石造りの子供部屋。
ベッドの上には幼いお姫様が微笑みながら眠っている……。
もとい、ベッドのような石棺の上に、生前の眠る姿を模した石像が載せられて、石棺の主の眠りを守っている。
異変は……無い。封じられた時のまま。
ここは、亡き皇女の墓を守るために作られた、要塞としての城。
遠い昔の、今はもう無い帝国。その皇女の亡骸と居室である玄室こそ、このダンジョンの護るべきもの。
かわいい盛りの娘を亡くした皇帝も皇妃も、嘆きの中で皇女のための城を作った……。
あまりに幼くして命を落とした皇女の眠りを守るために、玄室の上にダンジョンを張り巡らせ、乳母、あるいは専属の侍女として女の形のゴーレムを置いた。
それが、『私』。
エレメンタルゴーレムは、物質としての体が本体ではないため体が古くなれば新しい体に移ることもできるし、魔力を取り入れ続けるだけで存在し続けられる。
とはいえ、『私』が破壊とともに消滅したように決して不滅というわけではない。
あるいは、長年変わらぬ仕事を務めることで精神の疲弊が起こることを想定できたのかもしれない。
それを避けるために備えられた、スペアとしての魂の複製、あるいは分裂という機能こそが、私を生んだ。
それほどまでに、かの皇帝と皇妃は娘の永く安らかな眠りを守りたかったのだ……。
私は上昇して、東屋の体に戻る。
その頃には、自分がしなければならないことに対しての覚悟は決まっていた。
管理者として戻ったならば、そしてダンジョンの心臓部ともいうべき皇女様の玄室が無事であるならば、私はこのダンジョンを再興しなくてはならない。
『私』は守るために生まれて役目を果たし、私は守り続けるために戻された。
そして、管理者はダンジョンの外に出ることは許されない。
食べ損ねたトーストを思い出す。
それに、目の前で同じように朝食を摂っていた父さんも母さんも。
きっと驚かせた……いや、たぶん、ううん。
かつての皇帝と皇妃が抱いたのと同じ思いを、今まさに私は、父さんと母さんにさせてる。
ちくちくと胸が痛い。
人工精霊だっていうのに。
……さよなら、私の『人生』。