残念な雪女 VS 忘れなかった男
前作の読者様から頂いた感想で『雪女はどうか』とアイディアを頂いたので書いてみました。
むかしむかしあるところに、茂助という名の漁師がおりました。
ある冬の日。
この地方では昨今めずらしく、野山に雪が降り積もってしまいました。
「こりゃあしばらく、漁には出られん」
投網を持って肩を落とした茂助でしたが、彼はあることを思いつきます。
「暖を取るのに薪が必要じゃろう。海には出られんのじゃから、山へ行くことにしよう」
しかし村人たちは慌てて茂助を引き留めました。
「止めておけ茂助どん。最近はよう聞かんが、あの山には恐ろしい妖怪が住んでおるんじゃあ」
「えらく美しい女だそうじゃが、山で迷った男を誑かし、氷漬けにして殺してしまうそうじゃ」
口々に恐ろしさを説く村人たちでしたが、茂助は意にも介しません。
「構わん。むしろ会いたいくらいじゃ」
そう意気込んで、薪を集めるために山へと向かったのでした。
ですが海しか知らぬ茂助。
子供の頃は走り回って遊んだものですが、大人になった今は体も重く。
雪山の恐ろしさを甘くみており、ついに遭難してしまいました。
「えらいことじゃあ……。このままでは凍え死んでしまう……」
と、ちょうどその時。
吹雪に遮られた視界の向こうに、小さな小屋を見つけます。
「ありがてぇ。ちょっくらあそこで休ませてもらうことにするべ」
そうして小屋に入った茂助は疲れていたのか。
やがてうとうとと、眠りにつくのでした。
真夜中。
ごぉごぉとうねる風の音と、がたがたと揺れる木戸。
あまりの五月蠅さに目を覚ました茂助でしたが、今度は寒さで意識が朦朧としておりました。
「もうだめじゃ……。幻まで見えてきおった……」
霞む茂助の視線の先には、真っ白い着物の女が立っていたのです。
「やっと見つけた」
女は呟き、死にかけている茂助へと近づきます。
「あなたは生きて帰します。そのかわり……」
そっと茂助の頬に手をあて、何かを言った女でしたが、意識が途切れかけていた茂助には、その言葉を最後まで聞き取ることはできませんでした。
……。
翌日。
奇跡的に、茂助は無事に山を下ることが出来ました。
しかし村へと戻った茂助は、昨夜の出来事を誰にも話すことはしません。
言ってはならぬ。
あれは誰にも話してはならぬこと。
そう思っていたのです。
すると二日後の深夜。
――コンコン
茂助の家を、何者かが訪ねてきました。
「誰じゃあ? こんな夜更けに」
訝しみながら、茂助はそっと木戸を開けます。
「雪女です」
バタンッ!
茂助。勢いよく木戸を叩き閉めました。
「……え? あ、あの」
「帰れ!」
当然の反応です。
夜中に訪ねて来ただけでも怪しいのに、突然の雪女宣言。これはいただけません。
「雪女です! この間あなたを助けた雪――」
「嘘じゃっ!!」
号泣! 茂助。涙を流しながらの絶叫です!
しかし当の雪女もこの反応は予想外だったのか。
木戸の向こうで困惑顔であります。
とはいえ簡単に引き下がる雪女ではありません。
ここからが戦い。
絶対に負けられない戦いが、そこにあったのであります。
「本当です! あ、そうだ。これで信じてくれますか?」
言うと雪女。木戸の隙間からそっと手を差し入れました。
と、手の平の上。なにもないところに、雪だるまがみるみる出来上がりました。
これは凄い! 一目で人間ではないと信じられる、雪女の得意技炸裂であります!
まさに雪の精霊、雪の化生! 雪女の面目躍如といったところでありましょうか!
たまらず茂助。
木戸を開けなおして雪女と対面。
さすがに目の前の女が雪女だと認めざるを得ないのでしょう。
「違うっ!!」
違いましたっ! やはり茂助。認める気はさらさらありませんっ!
「何故です!? こんなこと、雪女でなければ出来――」
「お前のような雪女がいるかっ!! 鏡を見て出直して来いっ!!」
言ったっ! 言ってしまいました茂助。
容赦のない一言に雪女。雪崩のごとく崩れ落ちます。
ショックを隠し切れないその顔は、まるで心臓をツララで刺されたようであります。
「ちょっと……ほんの少し日焼けしているだけじゃないですか……」
「ガングロじゃっ!!」
そうです雪女。あろうことか真っ黒に日焼けしていたのです!
その黒さたるや焼き過ぎたフランスパン。雪女からススワタリへのジョブチェンジでありましょうか。
ボンボヤージュと言わんばかりに、再び茂助が木戸に手をかけます。
「ちょっ!? ちょっと待って下さいっ!!」
一瞬の早業っ! 素早く足先を木戸の隙間にねじ込む様は、名うての訪問販売員っ!
納得するまで帰らないと不法侵入なんのその。雪女、茂助を逃がしません。
「顔ですか? 顔が白ければ雪女と認めてくれるんですね!?」
あぁっ!? これは何をしているのでありましょうか?
雪女。自らの顔を両の手で覆い隠しましたっ!
「どうですかっ!!」
さぁ自信満々に手をどけた先っ! なんと真っ白っ!
雪女。自らの顔を霜で覆い真っ白な雪化粧を施しておりましたっ!
確かに白い。驚きの白さです。
ですがこれはどうでしょう?
雪女。緊張の面持ちで茂助のジャッジを待ちます……。
「帰れっ!」
認めないっ! やはり認めません茂助っ! クーリングオフでありますっ!
しかし当然でしょう。
目と口だけ残した雪原模様のその顔は、排水溝で獲物を待つピエロ。
はたまた風呂上りに顔面パックを施した母親の面構え。
こんなものを認めるわけにはいきません。
「なんでよっ! 白いでしょっ!」
苦肉の策が破られた雪女は必死の形相。目力でもって押し切ろうとしております。
まんじりともせず睨み返す茂助を、捕食者の瞳で狙っているのでありましょうか。
まさにガンのつけ合い飛ばし合い。
視線の雪合戦といった様相を呈してまいりました。
緊迫した状況。
ここで均衡を破るべく茂助。
次なる攻撃を繰り出します。
「だいたい髪が真っ白じゃ! 雪女と言えば、長い黒髪と相場は決まっておるわっ! それでは雪女どころか山姥じゃないか!」
ジョブチェンジ失敗っ!
愛らしいまっくろくろすけではなく、おぞましい山姥でありました。
これでは茂助が拒絶するのも無理はありません。残念っ!
「だって……黒い肌に黒い髪だと似合わないんです……」
「じゃったら肌を白く戻せばええじゃろが!」
「仕方ないじゃないですかっ!! お天道さまに言って下さいよっ!!」
さぁキレました雪女っ! 先ほどまでのしおらしさをかなぐり捨ててっ!
心に降り積もった怒りを、茂助に向かって吐き出しますっ!
「なんなんですかっ! 暖冬酷暑暖冬酷暑っ!! 雪降る暇もありゃしないっ!! 地球温暖化っ!? ふざけないでっ!!」
何も言えません茂助っ! 固く口を引き結びますっ!
そもそも目の前にいるのは人間ではありません。れっきとした妖女妖怪魑魅魍魎。
見た目はモノクロ。一人お葬式状態の女であります。
言い返すなどもってのほか。自ら棺桶に飛び込んで墓穴へダイブするようなものです。
「私の家だった『かまくら』はとっくの昔に溶けて流れて海まで行ったわっ! 建て直すことも出来やしないっ! それからの私がどうしてたか知ってる? ずっと野晒よっ! 来る日も来る日も望まぬ日光浴っ! メラニン色素大喜びよっ!!」
ことここに至っては、黙って見守ることしか出来ません茂助。
ただ怒りが通り過ぎるのを待つその様は、黙して語らぬ奈良の大仏でありましょうか。
諸行無常の響きが聞こえてきそうな表情です。
「……もらいなさいよ」
もはや恨みすら籠っていそうな瞳で見上げる雪女。
何を言われたか分からない茂助。思わず「え?」と聞き返しました。
「嫁に貰いなさいよっ! 生きて帰すから、そのかわり嫁にしてくれるって約束したでしょっ!!」
あぁっと出ましたっ! 破れかぶれの求婚アタックっ!
「嫌じゃっ!」
当たり前のようにごめんなさい炸裂でありますっ!!
生死を賭けて取り交わされた婚約の約定っ! 茂助ばっさり斬って捨てましたっ!
「雪のように色白で、流れるような美しい黒髪。それが雪女な筈じゃ! わしの純情を返せっ!」
凄まじい切り口っ! 目の前の女性を全否定であります茂助っ!
しかし言っていることは最低。助けられた恩を忘れ、好みじゃないから帰れと突き放しているのであります。これはいけません。
「……知ってる。いえ、知ってたわ……」
「……なんじゃと?」
あわや一触即発。血で血を洗う殴り合いに発展するかと思いきや、ここで雪女。まさかのカミングアウトであります。
「ずっと昔。まだ小さな男の子と、一緒に山で遊んだことがあるの。あれは、貴方だったんでしょ茂助さん」
そうなのです。
この茂助。実は子供の時に、雪女と山で一緒に遊んだことがあったのです。
「お前……本当にあの時の……?」
その時茂助は一目惚れ。
さんざんに、白い肌や美しい黒髪を褒め囃したのでした。
それから大人になり、雪が降ったら山へ行こうと誓っていたのですが、時は折しも温暖化。
雪は降らず、ついぞ今まで会う機会に恵まれなかったのです。
「だから泣いていたのよね? 思い出の中の私とあまりに違い、もうあの時の雪女はいなくなったと思ってしまったから」
「……そうじゃ。わしはずっと会いたかったんじゃ。あの時の雪女に。わしが惚れた、生涯ただ一人の女に」
「私も。本当は、ずっと会いたかったの」
見た目は変わってしまったけれど、互いを思う心までは変わっておらず。
再会を果たした二人は、あの頃の気持ちを取り戻し。
雪が解けたら春が来る。
こうして二人の言い合いは、無事に白黒ついたのでありましたとさ。
おしまい。
※地球温暖化という言葉は『温かくなって雪が降らない』という状況を分かりやすく伝えるために使用しました。
実際には大気中の水蒸気が増え、寒かった地域はより豪雪になる傾向となっているようです。ご注意下さい