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科学さんと美人画のナイフ  作者: 河守広隆
2/3

中 『実験開始』


 清瀬から指名されて、菜々美が体操着のズボンをスカートの下に履いて戻ってきた。菜々美自身は清瀬から使われることに不承不承ではあったが、莉緒のためだと考えて応じてくれた。

 実験に合わせて、大見部長たちも美術室を片付ける。


「これでいいか」

「ああ、それでは始めよう」


 そう言うと、清瀬は美術室の黒板にスラスラと文字を書き始めた。


『実験:ベランダから美術室への侵入

 目的:清瀬凛子の犯行を証明、または反証するため

 仮説:清瀬凛子はベランダから美術室内に侵入することが可能である

 実験方法:清瀬凛子と最も近い身長・体重である佐藤菜々美により、ベランダから美術室内に窓から侵入する』


 ほう、と大見部長は素直に感心した。


「こうスムーズに良く書けるものだな」

「さて、始めようか」


 清瀬は菜々美を促す。菜々美は美術室のドアからベランダに出ようとしたが、顔をしかめる。


「うわ。雨が強くなっているよ」


 雨に当たらないように、菜々美はベランダの内側を恐る恐る歩いていき、鍵が開いていた窓の場所についた。


「じゃあ、やりますよ」


 よっと、と声を出して、菜々美は窓を乗り越えて、楽々と中に入った。あっけなさ過ぎて、菜々美は首をかしげる。


「……これってやる意味あったのですか?」

 

 他の美術部3人も不思議がった。しかし清瀬は気にせずチョークを持った。


「それでは次の手順だ」


 黒板に再び書き加えた。


『実験①:部屋に入ることに成功した

 追加準備物:ロープ(長さ3m)』

「ロープ?」


 清瀬は縛ってあったロープを取り出した。荷造り用のPPテープというものだ。


「これで当時の状況を再現しよう」

「状況って、なんの?」


 門田の質問に、清瀬は目を丸くして驚く。


「分からないのかい。先ほどまで窓のそばにあったものがあるだろう。さっき君たちが片付けた」

「乾かしてあった絵画か」


 実験前、6限目の授業で描いた絵画が窓際に並んでいた。それこそ足の踏み場がないほどに、整然と並んでいた。


「このヒモでその絵が並んでいた状況を再現する」


 清瀬はメジャーでイーゼルの高さを計った。そして門田にヒモの片方を持たせて、その高さに合わせてロープを張った。


「佐藤君、窓の外からこのロープを飛び越えてくれるかな」


 高さは約1.2m。不安定な足場の窓枠からそれを飛び越すには、たとえ運動神経の良い男性さえ難しいだろう。菜々美は首を振る。


「いや、ムリですって」

「いやいや、実験は実行しないと意味がない。失敗してもいいんだ。さあ」

「さあ、じゃないですよ!怪我しますよ。ムリです!」

「清瀬、分かったよ」


 大見部長が止める。清瀬は不満そうに眉をひそめた。

 門田が質問する。


「それでも絵と窓の間に降りて、絵と絵の隙間を通り抜ければ、なんとかなるんじゃないの」

「この実験ではもうひとつ立証できたことがある。ほら」


 清瀬は床を指さす。菜々美の足跡がべたべたとついていた。


「頑張って濡れている部分を避けようとしたようだけど、それでも足跡はついた。絵と絵の間を抜けたとしても、足跡を拭く手間が生じる」


 大見部長がベランダの様子を窓から覗く。理科室の外のベランダは、美術室よりも濡れていた。改めて清瀬の服を見たが、濡れている箇所は全くなかった。


「幅跳びの選手だったりしないですか」

「はっ。万年、体育の成績最低ランクの私をなめるな」


 いや、そこは誇るなよ、と美術部の四人は思った。しかしこれで証明されたと、清瀬は自信たっぷりに言う。


「これが結論だ」

『実験結果②:佐藤菜々美はロープを張った状態で、窓から美術室内に侵入できなかった。また、美術室に足跡が残り、拭くことに時間がかかる

 結論:清瀬凛子はベランダから美術室に侵入できない』


 清瀬は自信たっぷりに黒板に記入したが、事件は振出しに戻ってしまった。美術部員は腕を組んで考え込む。

 清瀬は美術室を出ようとしたが、大見部長が止める。


「なにをする」

「ここまで付き合ったんだ。最後まで付き合え。少なくとも部活動をしていることは秘密のはずだろう。黙っていてやるから手伝え」


 うっ、と清瀬は口をつぐむ。そして渋々美術室に戻ってきた。


「だったら、さっさと解決してくれ」


 清瀬は椅子に座ってあくびをする。そして考え込む美術部員を眺めていた。

 それからしばらく、美術部員たちは口々に自分の考えを述べていくが全く進展しない。清瀬がしびれを切らした。


「いい加減にしてくれないかい。考えているだけじゃ分かることも分からないだろう」

「それならどうする?」


 清瀬はため息とともに重い腰を上げると、再び黒板に書き始めた。矢印と時間を書き込む。


「まずはそれぞれのアリバイを確認しよう」

「アリバイって……俺たちの中の誰かがやったと言うのか!?」

「ちょっと考えたのだが」


 清瀬は引き裂かれた絵の前に立つ。


「別にこの絵じゃなくても良かったんだよ」

「はあ?」

「さっきの実験中に考えたのさ。私だったらどうするかって。もし私が愉快犯で、美術部にいじわるするだけの目的だったら、どの絵でも良かったんだよ。それこそ、窓際に並んでいる美術部員以外の絵でも。私だったら窓を開けて、窓際に並んだ絵をめちゃくちゃに倒したらスッキリするだろうな」


 やりかねない。大見部長はそう思った。清瀬は続ける。


「つまりは外部犯がこの絵だけを狙う理由はない。この絵を狙うのは、この絵の価値を分かっている人だけだ」


 莉緒が「ひっ」と声を上げた。宮田莉緒は一年生の頃、県の大会で金賞に輝いた。この部で一番上手な部員だ。この絵の出来も良く、ひいき目で見ても次のコンテストで入賞すると見ていた。しかしながら、そう見ていたのは“美術部関係者”しかいない。


(俺たちの中にいるのか)


 反論することを諦めた美術部員はそれぞれのアリバイを話し始める。


「俺と門田は6限目の授業を終えて、教室に戻った。その時にはまだ犯行は行われていなかった。そうだよな、門田」

「ああ、そうだよ。僕が鍵を先生に返した。変なことは無かった」

「その後、莉緒が鍵を借りて、私たちが部屋を開けました」

「その時の時間は?」

「終礼が終わってからだから、16時20分ごろだったと思います」

「菜々美の言う通りです。職員室にはスペアの鍵もありました。鍵が無くなっていることはありません」


 ふむ、と言いながら、清瀬が黒板にそれぞれのアリバイを書き込む。


「それならば最初に消す可能性は明白だね」

「なんだよ」

「最後に鍵を持っていたものが、犯行に及んだという可能性さ」


 鍵を持っていたのは門田だ。門田が慌てて否定する。


「なに言っているんだよ?!僕がやったわけがないじゃないか。大見!僕と一緒に教室に戻っただろ」

「あ、ああ」


 大見部長が言いよどむ。清瀬の目が細くなった。


「大見君。はっきり、正確に、言いたまえ」

「……俺は門田が鍵を戻すところは見ていない。終礼の前に門田が『鍵を返し忘れた』って言って、教室を出ていったんだ。終礼が終わった後に戻ってきた」


 菜々美が今度は門田に詰め寄る。


「門田先輩!どういうことですか?!」

「ち、ちがう!僕じゃない!」

「菜々美。門田先輩じゃないよ。そんなわけがない」


 莉緒が止めても、菜々美は止まらない。


「違わないよ!門田先輩、いつも莉緒の才能に嫉妬していたもん。だからやったの!」

「誤解だ!」


 ヒートアップする両者の間に、大見部長が入った。


「待て!確証がなく門田を疑うな」

「じゃあ、どうしろっていうんですか?!」

「それなら」


 莉緒が清瀬を見る。彼女は気だるげに自分の頭を撫でたが、どこか楽しそうだ。


「では、実験だな」


 清瀬は再び黒板に書き始める。


『実験:教室と美術室の往復

 目的:門田大地の犯行を証明、または反証するため

 仮説:門田大地は終礼開始(16:00)から終礼終了(16:15)までに3年B組と美術室を往復して、犯行を行うことが可能である

 実験方法:大見由一が3年B組と美術室を往復し、そのタイムを計る』


 書き終えた清瀬が大見部長に振り返る。


「終礼終了時間はこのくらいだったかね」

「ああ……ちょっと待て。俺が走るのか?」

「他に誰がいるのだい?」


 被疑者である門田は走らせられない。他は女性だ。大見部長は「走るのは苦手なんだけどな」と言いつつ覚悟を決めた。

 清瀬が理科室からストップウォッチを持ってきた。大見部長には彼女が少し微笑んでいるように見えた。


(くそう、楽しそうにしやがって。この実験狂が)

「では、始めようか」



 清瀬がストップウォッチを見つめている。廊下から聞こえてくる足跡がどんどん大きくなってくる。


「40、41、42」

「着いた!」


 美術室の扉が勢いよく開いた。清瀬がストップウォッチを止めた。


「11分42秒だ。犯行には十分だね」


 大見部長は机に手をついて荒い息を整えていく。莉緒がその背中をさすった。


「大丈夫ですか」

「ああ」


 その一方で、再び菜々美が門田を問い詰めていた。


「さあ、これでどうですか!?」

「お、おおみ~」


 門田が情けない声を出す。真面目な大見部長が手を抜かずに走ってしまったことに、抗議していた。

 ところが、清瀬は納得がいかないようだった。


「大見君。途中歩いたかい」

「え、いや」

「大事なところだから、正確に答えてくれ」


 これほど頑張ったのに、と大見部長は不満げに答える。


「職員室の前は歩いた。でもそれ以外はちゃんと走ったぞ!」

「なるほど、だから途中で音が静かになったのか……」


 しばらく考えていた清瀬は、黒板に書き足した。大見部長の顔色が白くなる。


「うそだろ」


 清瀬はさも当たり前のように言った。


「じゃあ、もう一度走ろうか」



 再び清瀬はストップウォッチを持って、大見部長を待ち構える。そして大見部長が扉を開けた時、スイッチを押した。


「17分22秒か。ずいぶん落ちたね」

「あ、あたり前だろ!途中で歩いたんだから」


 莉緒と菜々美が黒板を見直す。そこにはこう書いてあった。


『追加実験手順:終礼が行われていた教室と職員室の前は歩く』


 清瀬はタイムを眺めて、納得して頷いた。


「走ったらあんなに音が出たからね。ばれないようにするには歩くしかない」


 大見部長は歩いたとはいえ、先ほどよりも荒く呼吸していた。門田が自分の疑いを晴らしてくれた英雄をねぎらう。

 その様子を清瀬が冷静に見ている。特に門田の丸いお腹を。


「門田君の足が速いなら別だが、大見君よりも早いとは思えないな」

「う、うるさい!」


 もっとも、と彼女は言い加える。


「実験の準備をしている時、何の音も聞こえなかったから、門田君の犯行は元々無理だ」

「「おい」」


 大見部長と門田が突っ込む。清瀬は飄々と答えた。


「私は自分の視覚と触覚は信頼しているが、聴覚はあまり信用していない」


 清瀬が黒板に書き込む。


『実験結果:教室と美術室を気づかれずに往復するには、17分21秒かかる

 結論:門田大地は15分以内に教室と美術室を往復して犯行できない』


 また振出しに戻った。実験が終わると、清瀬は再びため息をついた。


「さあさあ、どうしようかね」


 彼女とは逆に、門田はもちろんのこと、大見部長はほっと安心していた。


「これで美術部員の可能性は無くなっただろう。俺たちが6限目に教室を閉めて、宮田と佐藤が美術室を開けるまで、俺たちに犯行は不可能だ。それはお前も隣の教室から聞いていたはずだ」

「確かにね、何も音は聞こえなかった。まあ、正確に言えば宮田君たちが発見するまでだが……」


 ここで、何を思ったのか、清瀬は莉緒と菜々美に顔を向ける。


「もう一度、発見の時の状況を説明してくれるかな」


 莉緒と菜々美が顔を見合わせる。散々説明したではないか。

 しかし清瀬に促されて、何度目かの説明を始める。清瀬は話の節々で頷く。


「ああ、なるほど、なるほど」


 目をつむりながら清瀬は話を聞いていく。そして話が終わった後に、ゆっくりと目を開いた。

 清瀬は視線鋭く、こう言った。


「犯人は君だったんだね」


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