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科学さんと美人画のナイフ  作者: 河守広隆
1/3

上 『前提条件』


 放課後、美術部において、殺された。

 莉緒の悲鳴が響く。菜々美が振り返ると、美術室の中で、彼女が驚愕と悲しみが入り混じった表情を浮かべていた。


「莉緒!」


 菜々美が駆け寄る。尻もちをついた莉緒の肩を持って支えた。菜々美の顔を見た莉緒の指が目の前の絵を示す。菜々美もあんぐりと口を開けた。


「うそ」


 6月の梅雨の雨音が、窓の外から聞こえる。薄暗い美術室の中で、美術部員2人が1枚の絵の前で腰を抜かしている。

 その絵の中には、一人の美形の女性が椅子に座っていた。綺麗な花を活けた白い花瓶を机に置いて、その隣に座っている。茶色の背景の中で、美しい微笑みを見せている。

 その女性の顔に、パレットナイフが深々と刺さっていた。微笑みは真っ二つに裂かれてしまった。


「うっ……うっ……」


 莉緒が静かに泣き始めた。菜々美も泣き始める。その死を悼むように、大粒の涙を流した。

 もう女性は微笑まない。ナイフに裂かれて、うっすらと上がっていた口角は歪によじれる。

 絵の中の女性は刺殺されたのだ。



 後輩からのヘルプを携帯電話で聞いて、廊下の向こうから短髪の男が走ってきた。彼は美術室の扉を勢いよく開けた。


「大丈夫か!?」


 暗い美術室の中では、莉緒と菜々美が抱き合って泣いていた。


「大見部長」

「何があったんだ」


 また廊下を走ってくる音が聞こえた。副部長の門田が大きな腹を揺らして走ってきた。肩で息をして、ずり落ちそうなメガネを直しながら、部屋に入ってくる。


「早いよ、大見」

「門田さんも、あれ」


 菜々美に促され、目の前の絵を見る。二人は一瞬でその異様さを確認した。


「宮田の絵が!?」

「うわっ」


 油絵の真ん中にパレットナイフが突き刺さる。それは絵の中にいた女性の顔を貫いていた。大見部長がとりあえず部屋の電気をつけて、改めてそれをまじまじと見つめる。


「これは、修復できないな」


 その言葉を聞いて、菜々美がますます泣き出す。その絵を描いていて張本人である莉緒が、逆に彼女を慰める。


「菜々美、私は大丈夫だから」

「大丈夫なわけないじゃない?!だってコンテスト用だったのよ。これまでの数か月が水の泡じゃん!」


 宮田莉緒は一学期のすべてをこの絵に賭けてきた。それを完成直前になって、こんな事故に巻き込まれてしまった。もうコンテストには間に合わないだろう。

 いや、これは事故じゃない。事件だ。


「誰がこんなことを」


 門田の言葉で空気がピリッと緊張した。菜々美が目をこすって泣き止み、立ち上がる。そして美術部4人は美術室の中で、お互いの顔を見合わせる。

 大見部長が口火を切った。


「6限目まで俺たちはこの教室で授業を受けていた。この時にはこんな事態にはなっていなかった。ということは、俺たちが先生に鍵を返してから、宮田と佐藤が来るまでに行われたことになる」

「……事故ってことはないんですか」

「そもそもパレットナイフは教室の奥にしまってあるものだよ。それを取り出して刺すなんて、偶然やったわけがない」

「莉緒、鍵はどうしたの」

「先生からもらったよ。放課後に借りに行ったの」

「鍵は先生が持っているものだけだ。鍵を持ちだすことは禁止されている」

「6限目から放課後までに犯行は行われなければならない。しかしその間、教室はしまったままだ」


 四人が口々に状況を話す。しかし最終的にたどり着いたのは、頭を抱える結論だった。


「……密室!」


 菜々美の言った言葉に、3人は目を丸くして驚く。大見部長はありえないと首を振った。


「何か方法があるはずだ。俺たちで目撃者を探そう」

「で、でも、今はテスト期間中で、放課後には誰もいないぜ。ましてや、東棟2階のこんな端には……」

「あちっ」


 門田が発言している最中、外から声がした。廊下を確認すると、廊下端の隣の教室に電気が点いていることが分かった。

 教室の扉の上には「理科室」というプレートがつけられている。


「ここか」


 大見部長はしぶしぶといった感じで、理科室の扉を開ける。


「うっ、くさ」


 美術部の4人は鼻をつまんだ。焼けた金属臭が教室中に充満していた。

 中には一人だけいた。白衣を着て、髪を後ろで縛り、透明な防護ゴーグルをかけている。身を屈めながら、彼女は目の前のアルコールランプとにらめっこしている。

 彼女はゆっくりと金属片をピンセットで持ち上げると、そのランプの火に近づけていく。


「おい、清瀬」


 大見部長の声にびくりと反応して、彼女は金属片を落とした。

 彼女は不機嫌な声で侵入者に対応する。


「誰だい。実験の邪魔をしないでくれ。それとも見学かな」

「そんなわけあるか。俺だ、大見だ」


 彼女はしぶしぶといった感じでランプの灯を落として振り向いた。そしてゴーグルを外す。

 菜々美と莉緒は彼女の顔を見て思い出した。


(ああ、これが変人って噂の)

(“科学さん”)


 科学さんこと、清瀬は、大見部長と門田の顔を見ると、ため息をついた。


「相変わらず邪魔することが好きじゃないか。また火傷するところだったよ」


 清瀬の親指に絆創膏が巻かれている。さっきの声は清瀬のものだった。


「こりもせず文句を言いに来たのかい」

「こりもせずって……この部屋の匂いには文句を言いたくなるが、それは今問題じゃない」


 いつもと違う反応に興味を持ったようだ。清瀬は防護ゴーグルを机に置いて、美術部員の法を向いて椅子に座りなおした。


「何かあったのかい」

「実は……」


 大見部長が事件のあらましを語る。清瀬は黙って聞いていた。


「この子たちはなんで美術室に来たんだい?」

「あたしたちは美術の先生に頼まれて、6限目の授業で描いた絵を片付けに来たんです。それと、莉緒が昼休みに絵の続きを描いていたので、そちらも片付けに来ました」

「少し乾かさないといけないから、窓際にイーゼル(絵を支える支持体)ごと並べて、それを美術部員がいつも片付けます」


 ふうん、と清瀬が腕を組む。菜々美は逆に質問した。


「あの、清瀬先輩はなんでここにいたのですか」

「なぜって、部活以外ないだろう」

「今は試験前の部活禁止期間なのですけど……」


 か細い声で莉緒が疑問を呈するが、代わりに大見部長が首を振った。


「やめとけ。こいつに常識が通用するものか」

「何を言うか。優先度を試験よりも実験に重きを置いているだけだ。もうすぐ科学賞の応募期限も迫っている。つまりは人間として正しい行動をしているのだ。変人扱いしないでくれ」

「清瀬さんが変人じゃなかったら、誰が変人なんだよ。この前だって飼育小屋のウサギを捕まえて、解剖しようとしたくせに。全校集会で前に立たされて校長に怒られるなんて、前代未聞でしょ」


 門田の言葉に反論できなかったのか、清瀬は「おほん」と咳ばらいをして話を強引に戻した。


「密室か。非科学的な事象だね。鍵を複製した可能性はないかい」

「知らないのか?2年前に問題があって、鍵を必ず職員室に戻すようになったじゃないか」


 この学校の規則では教室の鍵は持ち帰ることはできない。もし持ち帰ってしまったら、反省文を書かされる。そして美術部はこの2年間反省文を書いたことがなかった。


「優秀だね。私に至っては反省文の借金があるというのに……2年以上前に複製したことがないかい」


 大見部長は首を振る。


「全く覚えていないんだな。2年前の問題で、教室の鍵は全部入れ替えたんじゃないか」

「ああ、そうだったね。そういうのには興味がないものだから」


 ともすると、と呟いて清瀬が腕を組む。持ち帰れないのであれば、鍵を複製することはできない。密室が完成だ。

その時、清瀬が着ていた白衣が少し揺れた。


「風か?窓が開いているのか?」

「ああ、そうだよ。さすがに換気はしないとね」


 その瞬間、門田が「あっ」と声を上げて、その重い体を動かして美術室に戻っていった。そして再び理科室に戻る。


「窓が開いていた!」


 全員、美術室へと向かう。門田は一つの窓を指さした。確かに鍵が開いている。

 大見部長は何度も窓を確かめて頷いた。


「なるほど。これを見落としていたな」

「じゃあ、犯人はベランダから美術室に入ったってことですか」

「ああ、そうに違いない」


 清瀬はつまらなそうにあくびをする。


「なんだい。簡単に密室が解けてしまったじゃないか。つまらん」


 しかし莉緒があることに疑問を感じた。


「で、でも、どこから犯人は来たのですか」

「どこからって、どこでも入れるだろう」

「今は部活動していませんから、どの教室も施錠されています。それにこのベランダの先には職員室があるのですよ」


 確かに常に人がいる職員室を横切ってくることはリスクが大きすぎる。大見部長と門田は職員室より手前の教室を調べた。


「駄目だ。どこも施錠されている」

「こっちからの侵入は不可能だ」


 “こっちから”という言葉に、皆が注目した。そうなってくると可能性は一つしかない。四人は清瀬を見た。


「……なんだい。そんな怒った顔をして」

「清瀬、職員室がある方からは侵入できないことが分かった。ということは、その逆の方向からベランダに入るしかない」


 逆の方向には理科室しかない。清瀬は美術部員が睨みつけている理由に気が付いた。


「私が犯人だというのか」


 門田と菜々美が口火を切って清瀬を非難する。


「清瀬さん!いつも文句を言われているからって、これはひどいんじゃないか!?」

「清瀬先輩!謝って済むことではありませんよ!」

「待て待て。そう決めつけてもらっては困る」


 手のひらを広げて冷静にさせようとした清瀬に、今度は大見部長が詰め寄る。


「そこまで言うなら証明してみせろ。お前が犯人じゃないということを。さもなければ」

「さもなければ?」

「先生に報告する」


 清瀬は飛び上がって、大見部長に抗議した。


「待ってくれ!これ以上、教師陣の心証を悪くするのはまずい」

「じゃあ、俺たちを納得させてみせろ」


 清瀬はぶつくさと「時間が」とか「面倒なことになった」などと呟いていたが、やがて大きなため息をつくと、自分の髪をほどいた。背中まで伸びる黒髪がばさりと垂れる。


「しょうがない。諸君、実験をしよう」


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