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君にこの物語を聞かせよう

作者: 雨宮れん

 母は、いつも、遠くに見えるあの城壁を気にかけていた。


 アミーラが、しばしば城壁の方へ視線を向けるようになったのは、それがきっかけなのかもしれなかった。


 * * *


「……ねえ、アミーラ。何があったのさ」


 前からかけられたルキウスののんきな声に、アミーラはしぃっと指を手に当てて相手を制した。アミーラの目配せを受けた者達が、周囲へと散っていく。


「アミーラ?」

「――囲まれてる。絶対に手綱を放さないで! あとはエイダにまかせておけばいいから」

「……え?」


 言うなりアミーラは横にいたルキウスの馬の首を叩いて合図する。エイダはアミーラが飼っている馬の中でももっとも賢い。


 主の意志に従い、背中にルキウスを乗せたまま、速度を上げた。


 馬を走らせながら、アミーラは背中に背負っていた弓を手に取る。


 男の腕で引く弓ほど強靱ではないものの、アミーラの狙いは正確だ。彼女の手元から放たれた矢は、宙を切り裂き、正確に相手をしとめていく。


「――急いで! ナディンの門をくぐるまでが契約だから!」


 アミーラの声に、部下達が敵を蹴散らしながら応じる。


 ――この日、ナディンの門をくぐったパウト族は、族長のアミーラを中心とした二十数名。ナディン国の王子ルキウスを護衛してのことであった。

 

 高い城壁に囲まれたナディン王国――都の名もナディン――を治める王はタルパスという。五人の王子と三人の王女に恵まれ、王国は、建国以来最高の繁栄の時を迎えているといわれていた。


 王国の西の側には草原があり、そこではいくつもの部族が互いの覇権を争っている。パウト族は、その中でも一番有力な部族であった。


 先代の族長ゼイドが死亡した後、後を継いだのは娘のアミーラ。美しい容姿と苛烈な戦いぶりから、「草原の戦姫」とも呼ばれている。


「……ありがとう。君のおかげで、無事に戻ることができた」

「それはよかった――ルキウスは剣の腕はからきしだものね」

「だから、先に戻されたんだろ」


 アミーラが、ルキウスを発見したのは十日前のこと。他の部族に襲撃されていたルキウスを救出したのが出会いだった。


 その場でルキウスに雇われたアミーラは、彼の部下は自分達の街で保護し、ルキウスだけをナディンまで送り届けたのである。


「僕は父上に報告に行ってくる。あとで、君に着替えを届けさせるよ」


 日頃草原で暮らす彼女が身に着けているのは、動きやすいシンプルなシャツとズボンの組み合わせだ。それに頭を保護するための布――街の女達の手で繊細な刺繍が施されている――をぐるりと巻き付けているのだけが身を飾る品だ。


「姫様、俺達はいつ戻る?」


 声をかけてきたのは、アミーラの部下だ。父親の代から仕えているそうで、彼女を主君とも妹とも思っているらしい。


「はっ、姫様……か。ずいぶんな呼び方だな」

「ブルーク兄上!」


 城の広間で話していたものだから、他の者にもアミーラ達の存在に気づかれたらしい。


 アミーラは、笑い交じりに声をかけてきたブルークを見つめた。砂色の髪に青い瞳。ルキウスとよく似た面差しをしている。


「……草原の蛮族としては悪くないな。俺のところに来るか。妾の一人にしてやってもいい」


 つかつかと近寄ってきた彼は、ぶしつけにアミーラの顎を持ち上げ、顔をのぞき込んできた。ルキウスが間に割って入ろうとするのを、アミーラは顎を持ち上げられたまま手で制する。


「……喜んで」


 にっこりと微笑んでそう言った彼女に、相手は一瞬気おされたような表情になる。それからルキウスの方に向かって、彼は言い放った。


「俺の方が頼りがいがあっていいとさ」


 次の瞬間、アミーラの表情が冷たいものへと変化した。


「――なんて言うと思った?」


 ブルークの首にぴたりと当てられているのは、アミーラの短剣だ。鞘ごとではあったけれど、アミーラがその気になれば、一瞬で首を切り裂かれていただろう。


そのことに気づいたらしく、ブルークの顔が引きつった。


「あまり馬鹿にしないで。あなた達の言う『蛮族』であっても、『蛮族』なりの誇りがあるの」


 顔から表情を消してそう告げると、アミーラは踵を返して歩き始める。慌てて後を追ったルキウスに、彼女は前を向いたまま告げた。


「あなたの兄さんって馬鹿みたい」

「……ごめん」

「物語を読んでくれたら、機嫌を直す」

「わかった」


 ここまでルキウスを護衛してやろうかという気まぐれを起こしたのは、彼が母の残した本を読み聞かせてくれたから。


パウト族には文字で記録を残す習慣はない。伝承はすべて口頭で伝えられ、伝えられる年月が長くなれば長くなるほど形を変えていた。


(……ルキウスの声は、嫌いじゃない)


 いつ、どこに行くにも手放さない母の遺品。母はパウト族出身ではなかったから、読み書きをすることができた。


アミーラにも基本的な読み書きは教えてくれたけれど、それ以上を教えようとしなかったのは、アミーラが草原の民の間から浮くことを恐れたからだろう。


布に隠された頭に手をやる。そこに隠された色を知ったなら、ルキウスはどんな反応を示すのだろう。


* * *


 ルキウスの部屋の近くに、アミーラの部屋が用意される。共に連れてきたパウト族の面々にも部屋が与えられた。


 湯浴みをすませ、与えられた着替えに身を包む。髪を隠すための布をもらうのも忘れなかった。


(……この国に、来るつもりはなかったんだけどな)


 亡き母も、この国に来ることは恐れていたはずだ。ただ、あの人はいつも、ナディンの方向に目をやっていた。


「アミーラ、入るよ。父上に報告はすませてきたから、今日はもうお役ごめんだ」


 敷物の上に転がったアミーラを見て、ルキウスは微笑む。それから、そこにあったクッションを引き寄せて、その上に座った。


「君の本でいい?」

「――お願い」

 

何度も読んでもらった物語、完全に内容を覚えている。


 パウト族には文字という習慣はない。物語は口頭で伝えられ、記録も記憶にとどめられるだけ。


「アミーラは、お姫様の物語が好きだね」

「母上が、好んでいたから。それに、ルキウスの声がいいから」


 二人並んで敷物に転がり、低い声で読み進めるルキウスの声は心地よくて、自然と瞼が下りてくる。


「……そして、二人はいつまでも幸せに暮らしたのです。めでたし、めでたし……寝てしまった?」

「いや、起きてる……けど、眠い……か……も……」

「少し、寝るといいよ。もう城壁の中だから」


 ルキウスの手が髪をなでてくれる。本来なら、勝手に触れるなと言うべきなのだろうけれど、髪に触れるルキウスの手は気持ちよかった。




 それから一時間後、アミーラを呼び出したタルパス王は、目の前にいる草原の娘に不思議そうな目を向けてくる。ナディンの女性達が身にまとう華やかなドレスではなく、シャツにズボンという格好が、もの珍しかったのだろう。


「ルキウスを助けてくれたそうだな。感謝する」

「……ナディンの王族を守れと言うのが、父と母の遺言だったから、気にしないでください、陛下」

「なぜ、そなたの両親は、そんな遺言を……?」


 告げるべきか、告げないべきか――さきほど、ルキウスが本を読んでくれている間も迷っていた。けれど、王の顔を見たら真実を告げるべきだと思った。


「今から二十年前、タルパス王、あなたの妹、ジューリアは、アガロフ族の族長へ輿入れする際行方不明になった……死体も発見されなかったため、以来死んだものとして扱われている。そうではありませんか」

「……あ、ああ……」

「輿入れの行列を襲ったのは、当時アガロフ族と敵対していたリーン族。そして、その襲撃は、我がパウト族の縄張り内で行われた」


 アミーラの話を、王は息をつめたまま聞いていた。


 ジューリア王女は、パウト族の手によって救出されたけれど、何日も生死の境をさまよった。


 ようやく動けるようになった頃には当時のパウト族の族長、ゼイドと恋に落ちていたという。


 アガロフ族への輿入れの約束を破る形になってしまったことから、ジューリア王女は父に連絡を取るのを潔しとしなかった。


 ――その結果。アミーラが十八になるまでナディン王家の血を引く者が育っていると、ナディン王国内の人間は誰も知らなかったのである。


「我が部族の言葉で、『ア』は『懐かしい』を意味し、『ミーラ』は国というか、育ったところみたいな意味がある」

「――なんと」


 国への連絡はしなかったものの、ジューリアは祖国のことを忘れたわけではなかった。


 いや、祖国のことを忘れなかったからこそ、娘に懐かしい場所という名を与えたのだろう。


 言葉もなく、王の目から涙が流れ落ちる。亡くしたと思っていた妹が生きていた――二十年もの間。そして、国に帰らないまま死んだ。


 アミーラは、頭に巻いていた布を外した。そこから現れたのは、ルキウスやブルークと同じ砂色の髪――短く切られているものの、ナディン王家特有の色だった。


「それでは……そなたは私の姪、ということになるのか。なんと――なんと、そうか。そなたを歓迎するぞ、我が姪よ」


 差し出された手を、アミーラはためらいながらも受け入れた。

 

* * *


 さっそくその日の夜、アミーラは王族達に引き合わされた。


 身にまとわされたのは、ナディンの王族にふさわしいドレス。きつくコルセットを締め上げているから、いつもよりほっそりとして見える。


 腰の細さをより強調するようにスカートはたっぷりと膨らませていて、いたるところに豪華な刺繍が施されていた。踵の高い靴も、きつく胴体を締め上げるコルセットにも慣れないから、一歩踏み出す度によろよろとしてしまう。


短く切ってそろえた髪を結うことはできないけれど、たくさんの花と宝石で飾られている。


「アミーラ……すごいね。そういう格好もよく似合うよ!」


 ルキウスが、慌てた様子で飛び出してくる。うまく歩けないアミーラをそのまま席へと導いてくれた。


(……気が回るからこそ、すべてを見通せるんだろう)


 ナディンに到着するまで、大変だったのだ。テイルーン王国との国境警備の任にあたっていたとはいえ、ルキウスは完全にお飾りの将軍として扱われていた。


 国境警備の責任者達が、真っ先に彼を都に戻したのは、「王に王子報告する」という建前で、王族の戦死を未然に防ぐため。


 剣も弓も、彼は不得手だから――でも、彼の強みはそこではないことを、アミーラは知っている。


「……ふん、蛮族のくせに」


 そう口にしたのは、ルキウスの兄ブルークだ。


タルパス王の息子であり、王族という立場に誇りを持っているらしい彼は、アミーラが、血縁者だと信じたくないのだろう。


「兄上、蛮族という言葉はどうかと思う。パウト族の人々は、僕達を助けてくれたのに」

「ふん、お前が弱いからだろ」


 割って入ったルキウスにも、ブルークはつまらなそうな目を向ける。


「……ブルーク、そなた、アミーラに何か文句でも?」


 王ににらまれ、ブルークは小さくなる。


(たしかに、彼からしたら私は面白くない存在なのだろうけれど)


 都の人は、草原の民を軽んじる傾向にある。パウト族との間に生まれた娘の存在など、認めたくないのかもしれなかった。


「父上――それで、テイルーン王国との戦はどうするおつもりか。ルキウスは、まんまと逃げ帰ってきたようであるが」


 どうやら先ほど首に短剣を押し当てられたことからアミーラに恥をかかされたと恨んでいるようで、ブルークはルキウスの方に嘲るような目を向ける。


「ルキウスを逃がした、国境警備隊の判断は正しい――だって、彼は」


 そこまで言って、アイーラは口を閉じた。だって、この状況で「足手まとい」なんて言葉、彼をおとしめることにしかならないだろうから。


「だって、彼は、敵情を一番的確に見抜いているから。ここに来るまでの間、私も何度も助けられた。王に説明するのに、一番彼がふさわしいと思う」


 それは本当のことだった。個人の勇という点では、ルキウスはアミーラにさえかなわないだろう。正面から打ち合ったら、数度剣を合わせただけで、アミーラの勝利が決まるはずだ。


 だが、ルキウスの長所はそこではないとアミーラは思う。人の言葉を聞く姿勢、聞いた話から推測する未来の的確さ。


 それを、彼を救護してから現在に至るまでのわずか十日の間に、アミーラは何度も知らされることになった。ここに来るまでの被害が最短で済んだのは、ルキウスのおかげだ。


「――陛下。私からも頼みがあります。パウト族にも協力させてもらえませんか――リーン族は、我が母の敵でもあるから」


 輿入れを途中で邪魔されなかったら、アミーラが生まれることはなかっただろう。だが、国に戻ることもできず母が自分を恥じたまま死ぬこともなかったはずだ。


「……よいのか?」

「パウト族全ての忠誠を――陛下に」


 今は亡き母に教わった、王族に向けての礼をして、忠誠を誓う。そして、アミーラは先に広間を後にした。


 数日後には、国境に向けて旅立たねばならない。


追いかけてきたルキウスがアミーラを引き止める。


「……君が、行く必要はないだろうに」

「さっきも言ったでしょう。リーン族は、テイルーン王国と結んでいる。これは、母の敵討ちでもあるから」

「一緒に行けたらいいんだけど」

「あなたは前線じゃ役に立たない」


 きっぱりと言ったアミーラに、ルキウスは情けなさそうな目を向ける。


「だけど、後方であなたができることもあると思う。食料の調達、兵士の確保――長い戦になるのなら、死んだ兵士の家族に対する保証だって必要だ。そうでしょ?」

「その役割は、あまり重要視されてないけどね」


 苦笑するルキウスに向かって、アミーラは肩をすくめた。そして、ルキウスに向かってねだる。


「ねえ、出立前に物語を読んでよ。そうしたら、勝てる気がするから」

「いくらでも読むよ。好きなものを。図書室に行って、一緒に選ぼう」

「一応読めるけど、文字を読むのは得意じゃない」

「大丈夫、僕が解説するから」


 ルキウスが、そっと手を差し出す。


ためらうことなく、アミーラは彼の手に自分の手を重ねた。手を繋いで歩く二人の姿を、王が見送っていたことなど二人が知るはずもない。

 

 * * *


それから、半年後。

 

ブルークの副将として――事実上の大将だったというのは、戦地に赴いた兵士の総意である――勝利を収めて戻ってきたアミーラは、褒美に何が欲しいかと王に問われて真顔で返した。


「私は、ルキウスがほしい」


 勝利の女神を祝うために集まった家臣達がしんと静まりかえる。


 彼女の口から出たぶっきらぼうな言葉に、王は驚いたように目を丸くした。それは、恋の告白というにはあまりにもぶっきらぼうな言葉だったから。


「母は……草原で生きるなら必要ないと、私には簡単な文字しか教えてくれなかった。けれど、ルキウスは笑ったりしなかった」


 ブルークをはじめとした王族達が、しょせんは字も読めぬ蛮族よとアミーラを笑う中、ルキウスは笑ったりしなかった。


それどころか、母が残した本を読み聞かせてくれた。図書室に行って、アミーラが知りたい物語を選ぶのに長い時間付き合ってくれた。


「ルキウスに、もっといろいろなことを教えてほしい。そうしたら、私はもっといろいろな世界を見ることができる。」

「――ルキウス、お前はどうする?」

「乗馬は得意じゃないんだけど、パウト族は受け入れてくれるかな……?」

「もちろん!」


 こうして、草原の戦姫は、ナディン王国の王子を伴侶として迎え入れた。馬に乗るのは不得手だけれど、優しい王子を一族は大歓迎したと伝えられている。




 それから二十年後のこと。


 ルキウスは王となり、ナディン王国の支配者として大陸を統一することとなる。


 ――けれど。


 ルキウスが軍を率いて、戦に赴くことはなかった。


 後に「賢王」と呼ばれるようになった彼の最大の功績は、世界中の物語を集め、紙に記して記録したこと。


 ナディンの図書館は世界最大の規模を誇り、多数の人々に物語を届けるため、印刷技術が発展した。


 大陸を制した草原の戦姫最大の楽しみは、夫の読み聞かせる世界中の物語だったという。


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