はなればなれの約束
あらすじ下手ですいません!
二作品目になるので前よりうまくできてたらいいなとは思います。
はなればなれの約束
1 偽りの再会
その日、僕はいつも通り朝早く起きて工場に向かう途中で、休みだったことに気づいた。
休みはチェックしてるからこんなことは珍しい。
これは予兆だったのかもしれない。
普通なら僕はこのまま家に帰るのだ。でもこの日はちょっと散歩しようかななんて考えていた。
そのまま、休みだと気づいたところの最寄の駅で降りた。
自分が住んでいるアパートの最寄駅から三駅のところだ。
電車を降りると、冬らしい攻撃的な風が僕のそばを吹き抜けていく。
着ているコートのポケットに手をつっこむ。
改札を出て、とりあえず大通りを歩く。すれ違うのは年寄りや小さい子どもを連れた若い母親ぐらいだ。
まあ平日のこんな時間だもんな。腕時計は十時三十八分を指していた。
しばらく歩いていると、ほのかに甘い香りが漂ってきた。
その甘い香りに導かれるように、一軒のパン屋さんに着いた。
ちょっと遅めの朝食を摂ろうと、そのお店に入る。
「いらっしゃいませー」
眠そうな店員に軽く会釈して店内を見渡す。
特徴はなく、木の棚に様々なパンがのっている。どれも美味しそうだ。
結局メロンパンとクロワッサンを買った。
そのお店はお持ち帰りだけみたいだ。
家に帰って食べることにして来た道を戻る。
駅に着くとその前の歩道に十一月だというのに夏に着るような白いワンピースを着た女の子がキョロキョロしていた。
その違和感を嫌いな物を噛まずに飲み込むように脳の奥に押し込む。
僕はその子に見覚えがあった。
「都?」
間違えてたら怖かったので、控えめに声をかける。
「千里くん?」
僕のことを知っていて、尚且つ澄んだその声と可愛らしいクリッとした目を見て確信した。
「都なのか! なんでこんなとこに!?」
嬉しさと驚きがごちゃ混ぜになって大きい声が出てしまった。
慌てて変な目で見ている周りの人に頭を下げる。
「千里くんこそなんでこんなとこに?」
僕とは対照的に彼女は落ち着いていた。
「ん? あーこの近くって言っても三駅こさなきゃだけど、そこのアパートに住んでる」
「そうだったんだ。いやーまさか千里くんに会えるとは、ふふふ」
可愛い。
「都はなんでこんなとこに?」
「千里くんに会うためだよ」
「えっ?」
真剣な表情でそう答えた彼女を見て、つい素の反応をしてしまった。
「嘘だよ~」
「だ、だよな! 偶然とはいえ嬉しいよ」
なんか心に引っかかるが、彼女と再会できたのは素直に嬉しかったから笑顔でそう返す。
僕たちは再会した後、少し話をしようということで都の提案で、よく中学のときの下校で寄っていた公園のベンチに二人で腰掛けた。
それから、少し話をすることにした。
中学二年生のとき佐久良都は転校してきた。
「佐久良都って言います。趣味は好きなこと全般です。よろしくお願いします!」
これは自己紹介なのだろうかと疑問に思ったが思っただけだ。
よくあるパターンかどうかは知らないが、彼女は僕の隣の席だった。
初めての会話は、なぜ覚えているのか不思議なくらい些細なことだ。
「佐々倉くん……だよね?」
「そだよ」
ぼけっとしていた僕は気の無い返事をした。
「あの~そこの消しゴム取ってくれないかな?」
僕は自分の机の下を見て、消しゴムを確認した。
「これ?」
机の下の消しゴムを指差す。
コクコクと頷く彼女を見て、小動物みたいでかわいいと思った。
消しゴムを取って彼女に渡した。
「ありがとう!」
僕はパッと目をそらしてしまった。恋に落ちていた。
初めての会話で彼女を好きになっていた。
それからは、ちょくちょく話すようになり友達になり親友とも呼べるくらい仲良くなった。
三年生に上がった。クラスが同じだったこともあり、仲の良さは変わらなかった。
それでも僕はあと一歩を踏み出せずにいた。
これ以上の関係ってあるのだろうか?
僕はどこかで楽しんでいたのだこの友達以上恋人未満という関係を。
お前ら付き合ってないの?
付き合ってないよ。
もういいよと言いたくなるほど周りのやつと交わした会話だ。
ある日、いつものように二人で、下校途中にある公園のベンチで話していると、彼女が提案してきた。
「ねぇねぇもう私たち中三じゃん。高校決めなきゃだよね?」
「先生にも言われてるしそろそろ決めないとね」
「でしょ! それでさ……えとね、千里くんがいいなら一緒の高校行かないかな~なんて……どう?」
僕は頬が紅潮するのが手に取るように分かった。
なんか告白された気分だ。いやほんとただの気分だけど。
「いいよ」
「ほんと? やった!」
小さくガッツポーズまでした彼女を見てもっと好きになった。
「そんな喜ぶか普通、ははは」
「ご、ごめん……テンション上がっちゃって、えへへ」
「謝ることじゃないけどさ」
「ねえオッケーしたんだから絶対二人で合格しようね!」
「当たり前だろ」
なぜかハイタッチした。
最終的に高校も同じ場所に受かり、中学の延長みたいな感じだった。
相変わらず、お前ら付き合ってないの? ってよく聞かれた。
答えは、相変わらず付き合ってないよだった。
もうすぐで二年に上がるというとき、都に呼びだされた。
ついにきたのかと内心ドキドキしていた。
呼び出されたと言ったが、正確には残っといてだ。嬉しいことに高校でも同じクラスになったのだ。
最後のクラスメイトが帰り、このクラスには僕と都だけが残った。
しばらく沈黙が続く……。
耐えきれなくなった僕が口を開く。
「大事な話なのか?」
言葉が不安を表すかのように震えてしまう。
「うん。そう……」
泣き出しそうな表情を見て、告白ではないなと感じた。
てか女子から告白されるのを待つ男子って構図が恥ずかしい。
「あんまし時間取らせるのも悪いし言うね……。私明日、引っ越すことになっちゃった。お父さんの仕事の都合……よくある話だよね」
それにしてはどうしてそんなに悲しそうなんだろ。どうして……。
「……どこに引っ越すんだ?」
別に会えないわけじゃないだろ……?
そんな疑問が頭に浮かんだけど、口には出せなかった……。出しちゃいけない気がした……。
「遠いとこ……」
「そうなんだ」
何か言わなきゃ……そう思うほど言葉が出てこない。
「……ごめんね、一緒に行こうって言ったの私なのに……。ほんとにごめん……」
「謝らなくていいよ、向こうでも元気でな」
向こうってどこだろう……。自分で言って自分で虚しくなる。
僕は居たたまれなくなって、教室を出る。
都の「待って……千里くん……」と言う弱々しい助けを求めるような声を背に僕は振り向くこともせず家に帰った。
次の日、当たり前だけど都は学校にこなかった。
朝のホームルームで先生が「佐久良都さんは遠くに引っ越しました」と淡々と告げる。
隣の席の奴が僕に「元気出せよ」と声をかけてくれたが「ああ……」という気の無い返事しか返せなかった。
それでもクラスに馴染もうと努力はした。
都の引っ越しから一週間後、先生に呼び出された。
その日、学校が終わっても僕は教室に残った。
よりによって都と最後の言葉を交わしたシチュエーションと同じだった。
しばらくして先生が来た。
「佐々倉くん落ち着いて聞いてね?」
あー聞きたくないな、漠然とそう思った。
「あのね、佐久良さんのことだけど………………………」
「なっ!?」
「待って佐々倉くん!」
あの時と同じように、僕は先生の「最後まで聞いて!」と言う声を背に立ち去った。
「うっ……くっ……」
すごい頭痛が襲った。あまりの痛みに苦しげな声が漏れる。
「だ、大丈夫?」
隣で都が心配している。
「大丈夫。なんか思い出せないや」
思い出すのを諦めると頭痛は治まった。
「もう二年になるんだね」
「そうだね」
そう考えると、そんなに長く会ってないわけじゃないんだな。
「千里くんあんま変わった感じしないもんね」
「それを言うなら都もだよ」
またこんな会話もできるようになるとは思ってなかった。
本当にこの世は何が起こるかわからない。
「千里くんはディアエタに住んでるの?」
「えっ……アパートとは言ったけど、名前言ったっけ?」
「だって千里くんよく最初はディアエタだなって言ってたよ? でも本当に住んでるんだ〜。遊びに行ってもいい?」
あーそうだ。高校入りたての時に一人暮らしするならどこにするって会話で、最初はディアエタって決めてるって言ったんだ。
「いつでも大歓迎だよ」
「やったぁー! あっでも仕事のときは無理だよね~?」
「仕事の間は、僕の部屋でゴロゴロしとけばいいんじゃない?」
「じゃあそうする。えへへ」
本当に彼女の笑顔は可愛いな、なんて僕は考えていた。
「都、仕事は?」
「えっバ、バイトしてるよ」
今思い付いたかのような答えが気にかかった。
「そうなんだ」
「じゃあ私そろそろ帰るね!」
これ以上は受け付けませんとでも言うように都が立ち上がる。
「んっ、ああそうだな」
辺りは夕焼けに染まっている。
「今日はいい日だったよ! ではまた明日!」
元気な声で別れの挨拶を告げた都はもう走り出していた。
「えっ!? ちょっ! 都! 送ってくよ!」
慌てて僕も追いかける。
僕が公園を出た頃には彼女の姿はなかった。
次の日、僕が起きてからまず思ったのは昨日のことは夢じゃないのかということだ。
あまりにも現実味がなかった。
仮に本当だったとしても一つ失敗してしまった。
せめて今の連絡先だけでも聞いておくべきだったよな。
考えても仕方ないので、とりあえず工場に行くため支度をする。
その間も、都のことで頭の中はいっぱいだった。
朝ごはんは、昨日結局食べなかったメロンパンとクロワッサンをコーヒーを飲みながら食べた。
工場に着くと、いつものように作業着に着替えて朝礼に出たあと、僕の仕事である部品の傷などがないかのチェックをしていた。
チェックをしながら考えていたのは都のことばかり。突然戻ってきて何したいんだろう?
しかも、向こうの連絡を聞いとくのもそうだけどどこのアパートか言ってなかったような。ん、ああそういえば都はもう知ってるのか。
仕事が終わったらあの公園に行ってみよう。
会えたりして。
それからは、会ってからのことばかり考えていた。
昼休みになり近くのコンビニに行くことにする。
工場を出ようとしたところで、お世話になっている鬼道先輩に声をかけられた。
「千里くーん、どこ行くんだい?」
天然パーマで二重な大きな目の整った顔立ちを見て不覚にも羨ましいと思ってしまった。
「どうしたんだい?」
改めて声をかけられて、我にかえる。
「今からコンビニにお昼買いに行こうかなって思ったので」
「ふーん、じゃあ一緒に行こう」
僕の返事も聞かずにスタスタと僕の前を通り過ぎる。
「行くなんて言ってませんけど!」
結局、鬼道先輩と一緒にコンビニに入るとおにぎり数個とお茶を買ってコンビニを出る。
「千里くんなんか良いことあった?」
おにぎりのラベルを剥がしながら、先輩がそんなことを訊いてきた。
「なんでそう思うんですか?」
「なんとなく」
おにぎりを頬張ってる先輩の横顔を見る。
「先輩は良いことありました?」
先輩の横顔から目を離して前を見ながら、僕も訊く。
「なんで?」
「なんとなくです」
先輩には悪いけど本当に興味はない。
「まあ、おれはほんとなんもないけど千里くんは良いことあったでしょ?」
「あったといえばありましたけど」
今興味を持ったと言わんばかりに先輩が僕の方を向く。
「えっなになに? これ?」
小指を立てながら笑顔で僕を見る。その表情を見て嵌められたと気付いた。
僕は盛大に溜息をついてから、空を見る。
先輩の質問には応えなかった。先輩もそれ以上聞いてこなかったし。
昼休みを終えてから、終わりの時間まで長く感じる。
あと二時間……一時間……三十分……。
時計が十七時を知らせる鐘を鳴らすと同時に、更衣室に向かう。
途中で鬼道先輩とすれ違ったが、会釈だけして通り過ぎる。
着替えて外に出ると、もう辺りは暗かった。
どこにも寄らずに、まっすぐ例の公園に向かう。
会えるかな?
そんな疑問は公園に着いたら消えた。思い出話をしたベンチに彼女は座っていた。
「やあ」
近づきながら声をかける。
ゆっくり顔を上げた都の瞳に僕が映っている。
「あっ千里くんだ〜」
寝てたのかってくらい間延びした声だ。なんか寝起きの猫みたい。
「こんなところで寝たら風邪引くよ」
「もう引くことはないよ〜」
「もうって?」
当然の疑問を投げかけただけなのに、都はキョトンとしている。
「もうって言ったからどういうことかなって」
「あー、冗談だよ」
目をこする都を眺めながら、とりあえず納得しとく。
「隣座っていい?」
「いいよ〜」
バレーボール一個分の間を空けて、都の隣に腰を下ろす。
「千里くんお仕事?」
「そうだよ。部品のチェックだけどね。都は何してた?」
「んっ。今日は特に何も」
「そうなんだ」
ずっと都のことを考えていたはずなのに、何も思いつかない。
何か他に話題……やっぱり思いつかない。
話題を考えていると、都が口を開く。
「千里くんはさ……私に会えて嬉しい?」
「はっ?」
何でそんなことを聞いてくるのかわからず黙る僕に、都が同じことを言う。
「私に会えて嬉しい?」
「嬉しいよ、ほんとに。会いたいって思ってた」
正直な気持ちだ。
「ふふ。ありがと。私も千里くんに会えて嬉しい」
なんだこれ? 照れるんだけど……。
照れ隠しで都から視線を外して、風で揺れるブランコを見る。
ちらっと都を見ると同じようにブランコを見る彼女の頬も赤みが差していた。
「そういえば都ってどこに住んでるの?」
ふと思いついたので、ブランコを見たまま聞いてみる。
「えっと……」
すんなり答えてくれると思ったのに、迷うそぶりを見せられて少し傷つく。
「教えたくなかったらいいよ」
「……ごめんね」
てっきり「教えるよ〜」とでも言ってくれると思ったのに……。
一気に気まずくなってしまった。ブランコから視線を外せない。
どれくらい時間が経っただろう?
ポツポツと雨が降り出した。これ幸いとブランコから空へと視線を移す。
「雨だね。帰ろっか」
「うん。ごめんね」
家を教えなかったことを言ってるのだろう。
「そのことはいいよ。またここで話そう」
あえて僕の家に誘うことはしない。
「うん。待ってるよ」
僕がここにきたら都はこのベンチに座っている。そんな気がした。
「それじゃあ。またね」
送るよ、とは言いにくくて、僕が先に帰ることにする。我ながらダメなやつだな。思わず苦笑する。
後ろを振り返ることなく、公園を出る。
都に見られてるかもしれないけど、駅に向かって走る。
家に着いて玄関を開けると、一人暮らしには広くも狭くもない殺風景な空間が広がっていた。
「はぁ……」
濡れた体を拭く気にもなれずそのままにする。
財布と携帯をテーブルに置いて、その隣に仰向けで寝ころぶ。
「はぁ……」
二度目の溜息。さすがに凹むよ。
『そういえば都ってどこに住んでるの?』
『えっと……』
『教えたくなかったらいいよ』
『……ごめんね』
頭の中で再生して自分に追加ダメージ。
きっと、教えられない理由があるんだ。そういうことにしとこう。
また、楽しい話ができるようにしとかないと。特に今日みたいに話題がないと最悪だしね。
それにしても、また連絡先訊くの忘れた。
今回のことでさらに訊きづらくなったし。
ふと窓を見ると、雨で濡れていた。 耳をすませば控えめな雨の音が聞こえてくる。
都大丈夫かな。あの薄いワンピースで……。
心配はするけど、確認しに行く勇気が無い。
そんなことを考えていると、急に睡魔が襲ってきた。
抵抗するのもバカらしくて、僕は睡魔に意識を預けた。
「ねえ千里くん!」
「どうした都?」
「すごい! すごいよ!」
彼女の澄んだ声に耳を傾けながら、彼女が指さす空を見る。
「うわ」
空を埋めつくす勢いの星の群れを見て、思わず感嘆の声が漏れる。
「ねっ綺麗だよね〜」
「っ⁉︎」
星空を眺める彼女の横顔が、負けないくらい綺麗で声にならない声を上げる。
「どうしたの?」
自分の横顔を見つめる僕に気づいたのか声をかけられる。
真正面から見つめ合う形になって、僕の心臓が危険信号を出す。
「綺麗だねって」
「ほんとにね〜」
都は僕の言葉が星だけではないと気づかないんだろうな。
「ここ二人だけの秘密の花園にしよ」
「なんで花園。秘密の場所でよくない?」
「だってそれだといっぱい使ってる人いるでしょ?」
言いたいことはわかるけど。
「花じゃないし」
「細かいことはいいの」
何かいい名称がないか考える。
人によってはおかしいと思うかもしれないけど、都なら大丈夫だろうと思いついた名称を伝える。
「千の都ってどう?」
「どういう意味?」
案の定食いついてくれた。
「僕たちの名前を使ってるのはわかるよね? パリは花の都って言うでしょ。そしてここは星の都、みたいな」
「うわ〜! いいよ! あっでも千里くんの千は?」
「幾千もの星ってことで」
都の顔に満面の笑みが浮かぶ。
やっぱり可愛いな〜。
思わず見惚れていると都が首をかしげる。
慌てて星空に目を向ける。
本当に綺麗だ。
このたくさんの星のように僕たちの思い出も増やしていけたらいいな。
また二人でここに来よう。密かに僕は誓う。
都から逃げるように別れた次の日の朝、何度目かのチャイムで僕は目覚めた。
すごく懐かしい夢見たな。なんか都と星空を見てたような?
思い出そうとする僕の頭の中にチャイムの音が響いてくる。
やむなく思い出すのを諦める。
「あーもう誰だよ、休みなのに……」
玄関の扉ののぞき穴から外の様子を伺う。
その姿を見てとりあえず鍵を開けると同時に向こうが扉を開けてくる。
「お兄ちゃんもっと早く出てきてよ」
不機嫌そうに頬を膨らませた妹の道が部屋に入ってきた。
「寝てたんだよ。今日休みだし」
「何分待ったと思ってんの?」
そんな待たしたのか。
「何分?」
「一分くらい」
「一分も待ったのかごめ……んって全然待ってないじゃん!」
笑顔を浮かべる妹に呆れつつ、用件をたずねる。
「何の用?」
「特にないよ?」
「何しに来たんだお前」
妹は少し考えるように何もない天井を数秒目視してから、「何もない」と言った。いい言い訳が思いつかなかったか。
「まあいいや。靴脱いで入れば」
一応わざわざ訪ねてきてくれたわけだから、部屋に上がるよう促す。
「うん」
靴を脱いで部屋に上がると振り返って丁寧に靴を揃えた。
できた妹だ。多分。
「どうしたの?」
「いや太ったんじゃないかって?」
適当にそんなことを言うと、あからさまにムッとした顔をする。
「普通それ女の子に言う?」
「道ならいいかなって」
はあーとわざとらしくため息をついて、首を振る。
「そんなんだからお兄ちゃん彼女できないんだよ」
妹だったからあんなことを言ったけど、さすがに僕でも普通女の子に太った? なんて言わない。
「お前も彼氏できないだろ」
「それとこれとは別だもん」
僕の横を通り過ぎて、テーブルにバッグを置いてストンとその場に女の子座りした。
ほんと道はショートカットが似合うよな。
僕はお菓子を取りにキッチンに向かう。
いくつかのお菓子を取ると、妹の向かいに座る。
さっきコップに入れたオレンジジュースとお菓子をバッグをテーブルの下に移動させてから置く。
心なしか妹の目が輝いているように見える。
「どんどん食べて」
「いいの?」
頷くと妹の手が伸びてそこで止まる。
「どうした?」
「だって、太っちゃう」
冗談なのに気にしてたのか。クスクスと笑った後に、お菓子の上で停止した手にさっとお菓子の袋を握らせる。
「冗談だって」
「ほんとに?」
「嘘ついてどうするんだよ」
無言で頷いて袋を開けて中身を食べ出す。
「それでほんとに用事ないの?」
「うーん、少し聞きたいことがあるかな」
バリバリとスナック菓子を咀嚼しながらそんなことを言う。
「お兄ちゃんみーちゃんに会いに行った?」
「はっ?」
何言ってんだ。都に会いに行ったかなんて、無理に決まってるだろ。
無理に……。無理……。
……なんで無理なんだろ?
「……行ってない」
「だと思った」
その言い方、道は都の居場所知ってるのか?
そんなはずない……だって都は……都は?
ズキンと頭に痛みが走る。
「くっ! うっ!」
思わず頭を抱える。
「お兄ちゃん! どうしたの? 大丈夫?」
「大……丈夫」
深呼吸を繰り返すと少し落ち着いてきた。
心配そうにのぞき込む妹に痛みをこらえて笑顔を返す。
しばらくすると頭の痛みは初めからなかったかのように治った。
相変わらず心配そうに見つめてくる妹に今度は本当の笑顔を返す。
「ほんともう治ったよ」
「ならいいけど。あんま無理しちゃダメだよ?」
本当に心配してくれているのがわかるから素直に感謝する。
「ありがとう」
「じゃあもう帰るね。これ持っていっていい?」
ほとんど未開封のお菓子たち。
「全部持っていっていいよ」
「ありがとう」
妹にありがとうって言うのも言われるのも久しぶりだ。なんかこそばゆい。
「太らないようにな」
「うるさいなぁ」
心配しなくていいって意味も込めて冗談を言う。
「じゃあね」
「ああ」
ガチャンというドアの閉まる音を聞きながらこれからについて考える。
妹のあの言い方は都の居場所知ってる可能性が高いよな。
聞きたいけど聞きたくない。
なんで思い出そうとすると頭痛がするんだろう?
何か重要なことを忘れてるような気がする。
都……。無性に会いたくなってきた。気まずいとか関係なく。
2 頭痛のわけ
妹が来てからさらに一週間経った。
会いたいんだけど、中々都に会いに行けてない。
仕事にはちゃんとでている。
鬼道先輩に「何かあったのかい?」と声をかけられた。あの人鋭すぎ。
さすがに会いたい気持ちに嘘ついて、家を教えてもらえなかったくらいで会いたくないなんて子供すぎるよな。
今日は会いに行こう。というわけで早速支度して家を出る。
もう十二月に入っただけあって、日中でも肌寒い。
それに徐々に電飾をつけてる家をちょくちょく見かける。まだ、陽があるから点灯はしてないけど。
電車に乗って例の公園を目指す。
何も考えずにあの公園に向かってるけど、普通だったらいるわけないよな。あんな別れ方して、もう一週間ちょっと会ってないんだから。
ほとんど無意識に目的の駅で降りて改札を抜ける。
駅の前の歩道で立ち止まって、ここで都を見つけたんだよなと思い返す。
そういえばあの時は、無理矢理脳の奥に違和感を押し込んだけどあの時期にあんな薄いワンピースっておかしいよな。
冬でも薄着のやつはいるけど。
思えば、あの時の都って……。
いや、今は都に会うのが先だ。
少し早足になる。都は絶対いる。
当然というか当たり前というか都はベンチに座っていた。
人の気配に気づいたのか、都が顔を上げた。
僕を認識した都は困ったような嬉しそうな曖昧な笑い方をした。
そうさせたのは僕だ。あんな別れ方をして一週間近く会いに来なかったんだから……。
僕はどんな言葉でも受け入れようと決めて都に近づく。目の前に立った僕に都はたった一言「良かった」そう呟いた。
知ってる。都はそういうやつだ。何があってもまずは自分のせいにする。
その"良かった"の中にどれだけの意味があるのか。僕には想像もつかない。
そして、また僕は都を困らせようとしている。
「……都……なんで、透けてるんだ?」
本当はずっとわかっていた。
だって駅の前の歩道でキョロキョロしていた都の向こう側から歩いて来る人たちが見えていたから。
ベンチに座っている都を無視するようにベンチは一粒一粒の雨に濡らされていたから。
そして、季節違いの格好。
「………………」
彼女は何も言わない。
「都は何か知ってるの? 僕はどうしても思い出せないんだ、都が転校してからのこと」
「………………」
僕は彼女と見つめ合う。
「私は……」
かろうじて聞こえる彼女の声。
僕はいじわるだ。それに自分勝手だ。僕ってこんなやつだっけ?
彼女の声を遮って、誘う。
「僕の家に来ない?」
彼女はポカーンとしている。本当に鳩が豆鉄砲を食った感じだ。
「それって……」
「どうせ、ずっとここにいたんでしょ」
都の両目からポロポロと雫が溢れる。
「寂しかったよね?」
彼女は声を押し殺して頷く。
「ごめん……あの時、せっかく都が僕に助けを求めようとしていたのに……」
彼女は首を横にふる。
「あの時さ、恥ずかしいけど都が引っ越すって聞いてなんか腹が立ったんだ……」
彼女はまだ首を横にふっている。
「ねえ……事故なのか事件なのかわからないし、もう遅いかもしれないけど、少しでも僕といてくれないかな?」
都はその問いに答えることなく、口を開く。
「私は……あの時、確かに引っ越すってことになってたけど……本当は違うの……」
彼女が一度大きく息を吸って吐く。重要なことを伝えるつもりだろう。
やめてくれ聞きたくない。そう言いたいけど言わない……言えない。頭の痛みがうるさくて。
「……あの時お父さんがリストラされてお母さんのパート先は潰れてしばらくは貯金でしのいでたみたいなんだけど……それも尽きて、お父さんが『もう死ぬしかないのか』って」
僕はそんな話聞くな。逃げろと訴えてくる頭痛を無視して黙って聞く。
「それから、四日ぐらい経って家族三人でご飯食べてる時に…………『もう準備はできた』って」
最後まで聞かなきゃ。
「それで、お母さんが引っ越しって言い方にしようって提案して……私もいやいや納得した。私の心残りは千里くんだけだった……だから、ここにいるんだと思う」
都はそう締めくくった。
「ごめん。何もしてあげられなくて……だから、せめて残りの時間は一緒にいよう」
彼女の頬に伸ばした僕の手は空を切る。
空は雲一つなく晴れ渡っているのに、僕の心はより曇っていくばかりだ。
そのあと、都は僕の家に来た。それからは、あの時の会話が嘘のようにただただ話している。
どこかに行こうと提案すると彼女は僕に気を使ってるのか断る。
そんなのいいのに。
「私は千里くんと話せればいいんだよ」
僕の心を見透かしたように彼女は笑う。
「それに、これいわゆる幽霊でしょ? まさかとは思ったけどラッキーだね」
「ラッキーではないだろ」
彼女の能天気さに呆れながら、少し救われる。
「私はね、このまま本来なかったはずの千里くんとの時間があるだけで幸せだなー。えへへ」
またちゃっかり恥ずかしいことを。赤面する僕は誤魔化すように咳払いする。
「わかったよ。ずっと話すか」
それを聞いた都がいたずらを思いついた子供みたいな表情をした。
「私は大丈夫だけど、そんなんだと千里くんこっち側の住人になっちゃうよ?」
「笑えないぞそれ」
「あっごめん」
シーンと静まり返ってしまった。
都との会話は難しいな、どっちにしろ。
「なあ都……」
僕の言葉が最後まで続くことはなかった。
あれ? さらに透けてないか。気のせいだろうか。
都は突然黙った僕を見たままキョトンとしている。
「どうしたの?」
言うべきか言わないべきか迷っているとチャイムが鳴った。
もうなんだよ、と心の中で文句を言う。
「鳴ってるよ?」
都に言われて、一旦考えを停止させてチャイムの主を拝めに行く。
ガチャン、鍵の開く音がすると向こうから開けてきた。
「うわ、どうした道?」
そこには、焦っている道がいた。
「どうしたじゃないよ! 早くお兄ちゃん行くよ!」
いきなり道が僕の右腕をつかんで引っ張る。
「いきなりどうした。行くにしても準備しなきゃ」
明らかに慌てた様子ながらも手は離してくれた。
「早くしないと間に合わないかも……」
「どういうこと?」
とりあえず急いでるのはわかるけど、理由を訊く。
「先生が今日が最後かもだって」
先生? 最後? 意味がわからない。
「あーもう! みーちゃんのとこだって! 早くしてよ!」
都のとこ……?
最後って……。
「佐々倉くん落ち着いて聞いてね?」
これは、あの時の先生の言葉。
「あのね、佐久良さんのことだけど……佐久良さんのご家族が心中を計ったって……ご両親は亡くなったんだけど、都さんはなんとか生きてる状態で病院に運ばれて今意識不明の重体らしいの……」
「なっ!?」
「待って佐々倉くん!」
思い出した……生きてるってわかって、嬉しかった。でも、会いに行く理由が見つけられなかった……。
あの時、ちゃんと最後まで聞いていれば……。
それで、僕は勝手に会いに行かなくていい理由を作ったんだ。
都は死んだって……。
「お兄ちゃん!」
妹の声でハッとした僕は急いで行く準備をする。
準備を終えて、玄関で靴を履くと相変わらず不思議そうに眺めてる都に言う。
「都、行くぞ!」
都が頷いた。
「都ってどういうこと?」
尋ねる妹に、説明してる暇はないんだろ、と言ってさっき思い出した病院に向かう。
病院は、僕のアパートから電車を使って二十分程でついた。駅を出て、すぐの横断歩道を渡った先にその病院はあった。
壁の色が白じゃなければホテルと間違えそうな外観だ。
名前だけ確認して、病院に入る。
すぐ受付で都の名前を出すと、担当の看護師が案内してくれた。
面会証とかいらないのかなと思っていたら、今回は時間が惜しいので来たら通すようにと医師に言われてるとのことだった。
エレベーターに乗り込み五階に昇る。
到着すると、早足になった看護師についていく。
「昨日まで集中治療室だったんだけど、もう二年近くいるからさすがに厳しいってことで一般の病室に移されたの」
早足のまま看護師が一息に言う。
そのまま少し行った先で看護師は立ち止まった。
僕たちも追いついて、入り口付近の患者のネームプレートを見る。
四つのうち、一つだけ埋まっていた。
"佐久良 都"
僕は無理を承知で、看護師に訊く。
「あの、僕たちだけで入ってもいいですか?」
看護師は妹の方を見た後、少し考えるそぶりを見せる。
「お願いします」
まだ渋っている看護師に道も「お願いします」と頭を下げた。
少し考えたあと看護師が僕の目を見て頷いた。
看護師の左胸の名札を見る。
「ありがとうございます。畑さん」
「いいのよ。早く行ってあげなさい」
「道ここで待ってて」
そう言うと道と畑さんが困惑の表情を浮かべる。
当たり前だ。そして、僕は二人には何も見えない空間に声をかける。
「行こう、都」
「うん」
二人には独り言にしか聞こえないだろう。
この奇怪な状況に固まってる二人に、後で説明します、とだけ言って病室に入る。
ちょうど線で繋いだら正方形になるように並んだベッドの入り口から見て左奥のカーテンが閉まっていた。
カーテンを開けると、都が眠っていた。
僕は隣に立っている都を見る。
首をかしげる都に説明する。
「ここで寝てる都が、なんていうか本体で今僕と話しているのは都の意識みたいな感じでしょ?」
「多分?」
まだ完璧には理解してないみたいだ。
僕も、答えはわからない。
もしかしたらの結論だけ言うことにする。
「要するに、眠ってる都に都が入ったら意識が戻るんじゃないかなって」
そういうことかと納得の表情を浮かべる都が苦笑する。
「どうやって戻るの?」
だよな。どうすればいいんだろと考えていると。
ドアをノックされる。
「ちょっとお兄ちゃん何してるの?」
「もう少し待ってて」
わかった、と道が言ったのを聞き届けてから都に向き直る。
「そのまま都に重なる感じでいいんじゃないかな?」
「やってみる」
都は自分の体が眠っているベッドに音も無く上がると、一瞬僕と目を合わせる。
重量感の無さに、改めて幽霊なんだと感じた。
「都、いっきまーす」
「そういうのいいから」
相変わらず場違いなボケを入れてきたが適当に流す。
都が入った。本当に拍子抜けするぐらいあっさり入った。
「都?」
返事は無い。
とりあえず成功したのかな?
外にいる二人を呼ぶ。
「もう何考えてるの? えっ!?」
驚きの声をあげる道と固まっている畑さんを見て都のベッドを振り返る。
都が目を覚ましていた。
頭だけをこちらに向けて、驚いている。
「都……」
成功したんだ……よかった……。
「ねえお兄ちゃんどういうこと?」
畑さんも不思議そうに見てくるので、二人に簡単に説明した。
「みーちゃんの幽霊ねぇ」
一応は納得してくれた二人にさっきのことを謝る。
「もういいよ」
「気にしてないです。あっ私担当の医師呼んできます」
出て行こうとする畑さんを呼び止める。
「ナースコール使わないんですか?」
いくら目を覚ましたと言っても、もう二年近く意識がなかったのだ。すぐに診ないとどうなるかわからない。
「確かにいきなり起きてどうなるかわらないけど、今は都ちゃんと話してあげて、後で検査すると思うから少しでもね」
「ありがとうございます」
畑さんの細やかな気遣いに静かに頭を下げた。
畑さんが出て行った後、道と二人で都の前に立つ。
「千里くん……と、妹さん?」
道の顔がこわばる。
「都? 妹の道だよ」
都は考え込むようにうつむいた。顔を上げると申し訳なさそうな顔を道に向けた。
もう道は泣きそうだ。
「初めまして……かな?」
道の目から一筋の涙が溢れる。
僕が道に声をかけようとすると、もう病室から出る直前だった。
「道!」
「……トイレ……行ってくる」
僕もそれ以上何も言えずただ見送る。
道のことを訊こうと僕が口を開く前に都が目に涙を浮かべる
「どうしよう、千里くん……わ、私千里くんは覚えてるのに頭の中に隙間がいっぱいあるみたいで……妹さんも哀しませちゃった……」
「都……」
僕は甘かった。
どうして何事もなく元気な状態で都と再会できるなんて思ってたんだろ。
沈黙が二人だけの病室を埋め尽くそうとした時、ドアが開いた。
「鷺沼先生、ここです」
「君は? まあいい、少し外に行ってもらえないかな?」
「はい……」
「そういえば妹さんは?」
畑さんが、周りを見渡す。
「探してきます」
僕も逃げるように病室を出た。
しばらく道を探し回っていると、都の病室の反対側のトイレから出てくるのが見えた。
「道……」
「お兄ちゃん……みーちゃん、私のこと覚えてなかったよぅ……ゔぅ」
そうだ。僕は覚えてもらえてただけどんなにましか……。
僕はただ、妹の背中をさすり続けるしかなかった。
3 二週間の検査入院
道は先に帰った。
それから僕は待合室で待っていた。
その後、こんなところにいたのか、と鷺沼先生が入ってきた。
都は色々検査をしたが記憶障害以外には大きな異常は見られなかったらしい。
鷺沼先生もここまで健康体に近い状態で意識が戻るのはすごいと驚いていた。
ただ、念のため二週間様子見と検査を兼ねて入院してもらうとのことだった。
お金は大丈夫と言われたのでそうしてもらうことにした。
記憶を戻す方法として実際にその場所に行くだとか何かしらの刺激を脳に与えるのが有効だと言われた。
それだけ伝えて出て行こうとする先生を呼び止める。
「先生」
「なんだい?」
立ち止まって穏やかに振り返った。
「あの、都の記憶って戻るんですか?」
昨日から道も元気がないし、気になっていた。
「戻るかもしれないし戻らないかもしれない。方法としてその思い出の場所に行ってみるとか脳に刺激を与えるといったことが有効だと思うとさっきも言っただろ」
ネットで調べて出てきたことと同じだった。
やっぱそれしかないのかな。
「ただ……彼女の場合事故当時のことは覚えているんだ。さすがに両親が亡くなったことまでは知らなかったが」
「それって……」
鷺沼先生は、あくまでこれは私の考えだが、と前置きしてから話し始めた。
「彼女は意識が途切れる前に大切な記憶を全部なくしたいと強く願ったんじゃないかな」
「なんで……」
「後悔したくなかった」
「えっ」
そこで僕は違和感を覚えた。
「それならなんで都は僕のことを覚えてたんだ……」
思わずこぼしたその言葉を先生はしっかり拾ったらしく呆れたようなため息をつく。
「簡単だよ。意識が途切れる前に君のことが脳裏をよぎった。あるいはなくしたくないとおもったんじゃないか」
まあ本人に確認しなきゃわかんないけどな、と付け足してそう締めくくった。
いつの間にか扉の前にいた先生に伝える。
「あっ先生。僕毎日来ますから」
「そうか。そうそう二週間入院だが最初の一週間で何もなければもう大丈夫だろう。そしたら、残りの一週間は君にあげるよ」
振り返らずに先生は言った。
「ありがとうございます」
右手を軽くあげて出て行った。
これから大変だな、思わず口から漏れた言葉は何にも触れることなく消えていった。
薄黄色い夕日が部屋を静かに染めていく。
毎日来ると決めた一日目。
工場長に今日含めて二週間休みが欲しいと伝えた。最初は断られたが、理由を説明して二週間分の給料もいらないのでお願いしますと懇願するとなんとか了承してもらえた。
電話越しに頭を下げてありがとうございますと切れるまで何回も言ってしまった。
都が何を覚えているのかを確認することにする。
病室の扉を開けると、都が起き上がった。幸い四人部屋だけど都しかいないから、居心地がいい。
「やあ」
ベットの横に丸椅子を持ってきて座る。
「昨日先生に千里くんが毎日来るって言ってたことを聞いて嬉しかったよ」
「当たり前だよ」
あの先生わざわざ言わなくてもいいのに。
赤くなってないだろうか、そんな考えはあっという間に消えた。
「顔赤いよ? 大丈夫?」
赤かったみたい。
「大丈夫、なんもないよ」
「本当?」
僕のおでこに向かって伸びてきた手を避けながら頷く。
目的をなくした腕が寂しげに下りる。
「そっか」
沈黙がやってくる前にお見舞い品をだす。そう真っ赤に染まるトマトを。
「はい」
「えっなんでトマト」
そう笑う都を見て好物は覚えてないんだとこっそりメモをする。
都は不思議そうにしながら真っ赤なトマトを一個口に放り込む。
「あっおいしい。私トマト好きかも」
ただし好みはかわらない、と付け足した。
「千里くんもどうぞ」
差し出されたトマトを口で受け取る。
「ありがとう」
プチッと口の中で潰れたトマトは適度な酸味と甘みでとてもおいしい。
それから僕らは面会終了の時間まで他愛もない話をしていた。
別れ際改めて、毎日来るから、と伝えた。
最初の一週間はただひたすら話しただけだった。何回か道を誘ったが怖いらしく来たがらなかった。
もし僕のことも覚えていなかったら今の道と同じ行動を取っていたかもしれない。
良かったことは、検査でも様子でも特に変わったことはなくもう大丈夫だろうとのことだった。
都はそのことをとても嬉しそうに話してくれた。
実は先生から聞いていたけれど、都の嬉しさ丸出しの感じが愛らしくて今初めて聞いたかのように耳を傾ける。
話し終えてお茶を一口飲んだ都を見てから今日の本題に入る。
「あのさ、残りの一週間と言っても一日は今日使っちゃってるけど僕と出かけない?」
都は一瞬ぽかんとした後、意味を理解したらしく大きく頷いた。
「出かける!」
「声大きいよ」
「あっごめん」
一応、記憶を戻すため、と付け加えると不服そうにした。
「退院してからもいろいろ出かけよう」
わかりやすいくらい機嫌が直った。
「絶対だよ? 約束だね」
「ああ約束」
約束か、どれくらい使っていなかったかわからない言葉を久しぶりに使った。
「ねえ千里くん記憶を戻すって言い方やだな」
いきなりそんなことを言う。
なんとなく理由は察したけど、とりあえず、どうして、と訊く。
「だって記憶ない人ってみんな戻すって使ってるでしょ?」
予想通りの返答で、自分なりに少し考える。
あの日と同じように、思いついたことを話す。
「なら記憶を迎えにいくってのはどう?」
「迎えに?」
「そう。まあ都の脳が親だとしたら記憶は子どもなんだよ。それで今記憶は迷子になってて親である脳を探してるんだよ。だから僕たちで迎えに行こう」
ほとんど思いつきだったけど都が嬉しそうにしてるからよしとする。
その日はそんな約束を交わして、また他愛もない話をして面会終了の時間になる。
「また明日」
「千里くんばいばい」
名残惜しいけどまた明日も会えるしと心の中で考えて病室を出る。
次の日から母校や例の公園のベンチと思い当たる記憶のいそうな場所に行ったがまだ迷子のままだ。
僕の実家に行った時に道のことを思い出した。
家には上がらなかったけどそれだけは本当に良かった。
道にも伝えたが、まだ来るのは怖いらしい。
そして、退院二日前に意を決して事故現場に足を運んだ。
病院に戻ると、力ない足取りで病室までたどり着く。
簡単に言うと事故現場には家族についての記憶がいた。
一人にしてほしい、という都の力無い言葉を聞いて今までより大分早く病院を出た。
家に着いた僕はあるものを探すことにした。
自分自身思い出したのは最近だったけど、押入れにある思い出の箱を取り出す。箱の蓋には思い出と書いてある。
中には中高の卒業アルバム(小学校のはなかった)や僕と都と道の三人で写ってる写真なんかもあった。
漁っていると目当てのものが見つかった。
それは、一枚の紙切れだ。どこにでもあるノートの切れ端にたった四行の約束だった。
都と千里の約束(千里くんが持ってて)
1.勉強でわからないところは教えあう
2.何が何でも一緒の高校に受かる
3.どんなことでもお互い助けあう
よく見てみると、1と2の文字の最後に丸の中に済という印があった。
まあ同じ高校に受かったから当然だろう。
3は、いつまででも有効そうだななんて笑ってしまう。
なんとなく裏を見るとメモが残されている。
《千の都 無数の星 場所○○》
口に出すと脳裏にある日の夢が浮かんだ。
明日はここに行こう。何も変わらないかもしれないけど、満天の星空の下である約束を交わそう。
密かにそう決めた。
とりあえず明日の天気を携帯で調べてみる。
今日の夜から明日のお昼ごろまで雨みたいだけど、そのあとは晴れるとのことで条件としてはいい。
予報が外れて一日雨になったらどうしようもないけれど。
引き続き携帯のメモ機能を使って星空の場所を打つ。
紙を持ってくことも考えたけど、これは退院祝いの時までとっておくことにした。
都が少しでも立ち直ってることを祈りつつ眠りについた。
穏やかな睡眠に割り込んできた雨の音で目が覚めた。
「予報通り」
起きて最初の一言がこれかよと思いながら、布団から出る。
洗面所で顔を洗う。
たいして時間も経ってないのに時計に目がいってしまう。
どれだけ気にしてんだ。早く二人の思い出を共有したい。
星を見たからといって戻るかなんてわからないのに、それでも考えてしまう。
記憶が帰ってきますように。迎えに行く前に帰ってきてくれたら、それが一番嬉しい。
着替えを済ませて、朝食の菓子パンを食べているとテーブルの上の携帯が鳴った。
誰からの電話か画面を確認してから出る。
「どうした?」
『おはよ、お兄ちゃん』
「あーおはよ、朝早いな」
『……あのさ』
重苦しい沈黙の後、道が口を開いた。
『みーちゃんの退院祝いするでしょ?』
「うん。僕の家で軽くするつもり」
『私も参加したい……』
つい固まってしまった。その無言が道を不安にさせたらしい。
『な、なんもない……切るね』
我に返って僕は慌てて道をとめる。
「いやいや参加していいに決まってるよ。そもそも僕と都と道の三人でするつもりだから」
切られる前にと一息に言った。道の息遣いが聞こえるから切られなかったみたいだ。
『ほんとに?』
心配そうに確認してくる妹の上目使いを想像して笑う。
『なんで笑ってんの、真剣なのに』
「だって道なら誘わなくても図々しく来るかなって」
『もう』と言いながらも怒ってないのが口調でわかる。
『じゃあ、退院祝いの時にみーちゃんに改めて会う。だから絶対しようね、約束ってことで』
約束か、この前都にも言われたな。
「ああ約束」
都の時と同じ返事をする。
その後、軽く退院祝いのことを話して電話を切った。
それから時間まで家でゴロゴロしていた。なんかしろよと思うけど、なんも思いつかない。
昼を過ぎると雨も止んで、やっと太陽が起きたみたいだ。
いつも面会に行く時間に家を出る、電車ではなく親に借りてきた車で。
雨が降っていたのが嘘のように晴れてくれた。
太陽が二度寝しなくて本当によかった。
車で病院までは近道を使って三十分程度で着いた。
極力、病院の出入り口に近いところに駐車した。
病院に入ると、すっかり顔なじみになった都担当の看護師の畑さんが出迎えてくれた。
「ほんとすごいね、佐々倉くんは」
「畑さんこそ。毎日、待ってなくてもいいんですけどね」
「えーそんなこと言って面会手続き省略できていいって思ってるでしょ?」
そうなのだ。畑さんがこの時間帯に勝手に面会手続きをしてくれるので僕は面会証を受け取るだけでいいのだ。
しかも今日は外出のことも畑さんがやってくれたみたいだ。
「ありがとうございます」
「素直でよろしい」
こんな会話をしながらもちゃんと病室に向かってるよ?
畑さんには失礼だけど、どうでもいい雑談をしつつも都の病室についた。
「よしじゃあ私は仕事に戻るよ。都ちゃんによろしくね〜」
畑さんはそれだけ言い残すと僕の返事も聞かずに去っていった。
畑さんの姿が見えなくたってから、相変わらず一人部屋状態の都の部屋をノックする。
「いいよ〜」
都の間延びした声が返ってきた。
相変わらずだなと失笑しつつ、扉を開ける。
「やあ」
「あ、千里くん。みっちゃんは?」
顔をあわせるなり笑顔で、訊いてくる。
「明日の退院祝いにするって」
「そうか〜。記憶がなかったと言っても申し訳ないことしちゃったなぁ」
「もう終わったことだしこれから道との思い出もどんどん増やそう」
「うん」
挨拶程度の会話が終わってから、今夜の星の件を話す。
「話変わるんだけど、今日星見に行かない?」
キョトンとしている都にもう一度訊く。
「星見に行かない?」
ハテナだらけの表情から驚き、そして喜びに変わった。
人の表情ってこんな変わるもんなのか。初めて知った。
「行く!」
そんなにまだ会話してないけど、今日一番の声量だった。
「決まりだな。お父さんに車借りてきたからさ。それにもう鷺沼先生と畑さんにも報告して外出証もらったからさ」
「さすが千里くん!」
あの日は都からだったから、今回僕から誘えてなんか嬉しい。都もこんなに乗り気だし。
それから、出発の時間まで相変わらずくだらない話をして時間を潰した。
外が赤く染まり出した頃出かける準備をした。
都が着替えるというので、廊下で待つことにする。
出た瞬間、どうぞ、と聞こえた。
早すぎだろと思いながら中に入ると、薄い桃色のワンピース型の患者着に上着を羽織っただけだった。
「上着羽織っただけかよ」
僕なりに頑張ったツッコミに不服そうに頬を膨らます。
膨らんだ頬を無視した。
少し粘ったみたいだけどすぐにプスーと元に戻った。
その顔が面白くて笑う。
「笑わないでよね」
笑った顔で言われても説得力が皆無だ。
「そっちこそ」
今日はそんな寒くないとはいえ、薄着な気がする。
「そんな寒くないけどそれで大丈夫?」
「平気だよ」
念のためと言って僕の上着を貸す。
「これ使って」
「えっ千里くんこそ大丈夫なの?」
「問題ないよ、上着あると暑いくらい」
本当のことだ。厚着しすぎた。
「そっか〜。ありがたく借りるね」
都が僕の上着を羽織るのを見届けてから、一緒に病室を出る。
鷺沼先生と畑さんに一言かけて病院を出る。
車に乗り込みエンジンをかける。
「千里くんとドライブ初めてでなんかいいね」
「なんだそれ」
シートベルトをして車を発進させる。
駐車場を出ると右折して道なりに進む。
一つ目の交差点を過ぎたあたりで、都、と呼びかける。
「どうしたの?」
「確認したいことがあるんだけど、考えないで素直に答えてね?」
「わかった」
確認したいのは記憶に関することだ。わかっているけど一応ね。
「今日星を見に行くんだけど、なんか思い出せない?」
「思い出せないよ?」
速攻で答えが返ってきた。
「わかった」
会話が途切れたら信号に捕まった。
無音が車内を支配……しなかった。
「千里くんってさミミズのことどう思う?」
唐突すぎる。
「えっ? ミミズってあのミミズ?」
「そうそう」
なんだこの質問。なんて答えればいいんだろう。
「うーん。気持ち悪いし、多分嫌ってる人も多いと思うけどあの姿も悪気があるわけじゃないしね。頑張って生きてるんだなと思うよ」
僕は頑張った。そもそも都の目的がわからないから保守的な返答になってしまった。
今度は僕が都に問う。
「都はどう思う?」
わざわざこんなことを訊いてくるんだから、都はミミズに何か思い入れがあるのかななんて考えてしまう。
「気持ち悪い」
「えっ?」
「気持ち悪いよ。ミミズ」
思い入れなんてなかったみたい。
「それだけ?」
「うん」
僕が頑張ったあの返答が脳裏をよぎって、今更恥ずかしい。
「そもそもなんでミミズ?」
最初に訊きたかったことだ。
「なんとなく」
そうだろうなとは思っていたけど、なんだこれ。いやいいんだけどね。
てかミミズさんごめんなさい。
心の中で謝罪する。
「千里くん、病院からその星の場所まで近いの?」
ミミズのミの字も都の中には残ってないようだ。
「そうだね。そんな遠くない感じかな。あと少しだよ」
「そうなんだ」
ミミズ程ではないにしろ、たいしたことない会話をしているうちに星の場所がある丘の駐車場に着いた。
車を停めて降りる。
「ここから上に登るけど大丈夫そう?」
「頑張るよ」
「ごめんね。入院で体力的にもきついのに」
都は首を振って笑顔を向ける。
「ううん。星見たいもん。逆にごめんね」
ここで謝らなくてもいいなんて言っても、それは僕の個人的な思いでしかないから代わりに違うことを伝える。
「疲れたりしたらいつでも言ってね。おぶるから」
「ありがと」
「行こうか」
「うん」
頂上に続く道はしっかり整えられていて、急でもないから登りやすい。
まだそこまで歩いてないけど、都も余裕そうだ。
さっきから景色もほとんど変わらない。
整えられた道の割に周りには何もなく、ただ進むしかない。
会話らしい会話もせずに数十分歩くと、頂上に近づいているのか空が近づいた気がする。
近いも遠いもないんだろうけどと考えて、自嘲気味に笑う。
都も疲れてきたようだ。
「都大丈夫?」
「う、うん。まだ大丈夫」
「あんまり無理するなよ? もう少しで着くけど」
「退院前のいい運動になってるからいいよ」
息を弾ませながらそんなことを言う。
「ほらもう頂上が見えるよ」
気持ち程度励まそうとしたけど、本当にあと少しだった。
数百メートルかな。
「ほんとだ〜」
いい感じに辺りが薄暗くなってきた頃に頂上に着いた。
自分の存在感を示すかのような星の群れ。
「すごい……」
こんなにも星が見えるなんて……。
肉眼でギリギリ見える6等星も見えてるんじゃないだろうかと思ったけれど満月の明かりで4等星くらいまでかな。
「うわ〜」
都の感嘆の声が隣から聞こえてくる。
月夜の明かりに照らされた都の横顔に見惚れる。
「どうしたの?」
"あの日"と同じように横顔を見つめる僕に気づいたのか首を傾げている。
真正面から見つめ合う。
ほぼ同時に顔を逸らした。
「きれいだねって」
"あの日"と同じ言葉を返す。
もちろん、星のことだけではない。
「ほんとにね〜」
心地いい静寂が、この世界に僕たち二人だけが取り残されたような錯覚を与える。
どれくらい時間が経っただろう。
都が口を開く。
「ここってさ二人だけの秘密の花園みたいな感じ?」
きっと僕の表情は、誰が見てもわかりやすいくらい驚きに満ちていたと思う。
「なんで……それ?」
「あってるの?」
「……何か思い出した?」
「なに……が?」
と答えたあと都が泣きそうな顔になったのがわかった。
「ごめん、なんもない……星を見よう」
それぐらいしか言えはい。
「ごめんね……ここまで、連れてきてくれたのに……何も思い出せないよ……」
都はすでに涙をこぼしている。
「都、違うよ。記憶のためだけにここにきたわけじゃない……。実は伝えたいことがあったんだ。聞いてくれる?」
目を袖で拭っている都が答えを返してくれるのを待つ。
「聞くに決まってるよ」
「ありがとう」
僕はこの場所で交わそうとしていた約束を口にする。
「こんなことを言うのは酷かもしれないけど、都が退院しても住む場所がないと思う」
「私の家は?」
「都の父親が最後の日に売り払ったらしいんだ。確認しに行ったら売り地になってた……」
都が息を呑む。
「それで、その……退院したら僕の家に来ない?」
都が赤くなる。僕も赤くなる。
「それって、同棲ってこと?」
「そう……だね」
「いいの?」
そんなこと聞かれるとは思っていなかった僕は思わず吹き出す。
「それこっちのセリフ」
「住むよ! 一緒に!」
予想以上に嬉しさ全開の都のお陰でさっきまでの暗い雰囲気が払拭された。
「あともう一つ」
「なになに?」
「結婚を前提に付き合ってほしい」
固まった。それ以外、妥当な言葉が思いつかないくらい固まっている。
「は、えっ?」
慌てている都はレアなので得した気分だ。
「ダメ?」
「いいよ……」
「なんて?」
「いいよ!」
お互い今度は逸らさず見つめ合う。
抱き合った。
キスじゃないんかい、というツッコミは控えてほしい。
抱き合ったまま約束をする。
「都、明日退院だろ? 前も言ったけど僕の家で歓迎を兼ねた退院祝い三人でしよう」
「うん。楽しみにしとく」
僕は生まれてから今までこんなに約束を交わした記憶がない。
約束ってその相手とのつながりを認識する方法の一つになると思う。
そして、僕たちは恋人という約束を交わした。
このたくさんの星たちの下で改めて思う。
新しい思い出をたくさん作りたい。
星のように輝く笑顔をたくさん作りたいって。
しばらく静かに星を眺めてから帰ることにする。
せっかく退院するのに風邪引いたら困るし。
そう説明すると名残惜しそうにしながら小さく頷いた。
「また来よう」
「うん」
人生何が起こる変わらないというけれど、それこそ当たり前だろう。わかる奴がいたらお目にかかりたい。
こうして都と肩を並べて同じ場所で星を見る機会が高校を卒業してから出来るなんて思ってもみなかった。
今は、この幸せを噛みしめる。
はなればなれの約束
私は窓から差し込む光で目が覚めた。
いよいよ今日は退院の日だ。時計を確認すると朝の八時前だった。
今日は午前中最後の検査をして異常が無ければ午後退院という流れだ。
昨日は本当に良いことがありすぎた。
あーもう早く千里くん来ないかな〜。
そうだ、千里くんの家でやる退院祝いの時は千里くんの妹の道ことみっちゃんが来るから謝らないと。
やることいっぱいだな〜。
検査は九時からだったっけ? 忘れちゃった。
ガラガラガラと扉の開く音がして反射的にそっちを見る。
「都ちゃん、朝ごはんだよ」
畑さんが朝食を持ってきた。そういえば八時か。
「おはようございます」
「おはよう。都ちゃん朝から元気だね。昨日はデートだったもんね?」
まともに答えようもんなら、答えたくないことまで答えさせられるのがわかっているから無視した。
「私病院食好きじゃないです」
「あっ無視したな。まあ良いけど」
畑さんは相変わらず笑顔のままだ。
テキパキと食事を並べていく。
「さあどうぞ」
手始めに薄黄色の卵焼きを口に運ぶ。
やっぱり味が薄い。患者のためだとわかってるから文句は言わないけど。
なんとか全部食べ切った。量が少なくて良かった。
「ごちそうさま」
手を合わせて箸を置く。
「都ちゃん、なんだかんだ全部食べるから偉いよね」
「癖みたいなもんですかね」
そんなこと言われてもよくわからない。
畑さんは食器を台車に載せると、扉へ向かう。
「じゃあまた検査の時に来るね」
私が返事をする前に出ていった。
「もう少し」
呟いて、横になる。真っ白い天井が私の今ある記憶を連れていってしまいそうで、目を瞑る。
午前中の検査が終わって、鷺沼先生にももう大丈夫だろうと言われた。
後数時間もすれば私はここを出る。
いい先生といい看護師で良かったと思う。
いつも通りなら千里くんはあと数時間もすれば来るはず。
退院の準備でもしようかな。
そこまで多くないから。
今日着て帰る服と持ち物を用意して、残りはリュックに詰める。
物買わないといけないや、家と一緒に処分できる物は全部したみたいだし。
携帯もないから、新しいの買わないと。
準備が終わると、もうすぐ千里くんが来るという時間になった。
とりあえず着替えてからベッドに腰掛ける。
待っていると廊下を慌ただしく走る音が聞こえてきた。
なんかあったのかな? そんな疑問が頭に浮かんだ時、足音は私のいる部屋の前にきて止まったと同時に扉が開いた。
「畑さん?」
思わず立ち上がった私が声をかけると畑さんが顔を上げて私を見た。
目には涙が浮かんでいた。
「佐々倉くんが……病院の前で、事故にあって……」
「えっ?」
畑さんの口から出たその言葉に私の思考は停止した。
「今ここに……」
「…………」
畑さんは私に近づくと左手を掴んでくる。
「ついてきて」
私は畑さんに引っ張られるまま走った。病院内で走るのは非常識なんていう考えすらも浮かばなかった。
気が付いた時には、どこかの部屋の中にいた。
よく警察とかのドラマで遺体が横たわっているようなベッドがその部屋の中心にある。
そこに近づくと、千里くんがいた。
ナニコレ。ドッキリか何かかな。こうもまあ手の込んだことができるよね。
私は無意識に畑さんを睨みつける。
畑さんに責任はないことは知っている。それでも、感情が溢れそうになる。
「なんですかこれ?」
畑さんは声を押し殺して泣いていた。
「私にも、よく……わからない。急に、鷺沼先生から連絡が入って……病院の前の横断歩道で佐々倉くんが……車に轢かれて、それでもう…………手遅れだったって」
昨日までの幸せな気分が消し飛んだ。
「もうすぐ佐々倉くんのご家族が……くるから迎えに行ってくるね」
畑さんは手の甲で涙を拭う。
畑さんが出て行くのを見送って、改めて千里くんを見る。頭の左側が陥没してるみたいだ。それ以外にも幾つか傷があった。
「あっ……都と千里の約束……」
一つ記憶が帰ってきた。
同じ高校に行くために、三つ約束をしたんだ。紙に書いて。
確か三つのうち二つは約束を果たしたから丸の中に済みって書いたはずだ。
残り一つは、どんなことでもお互い助けあう。
「ダメだよ、私千里くんに助けてもらったのに……千里くん助けられないじゃん、ねえ」
ただ寄り添うように佇んでいた。
どれくらい時間が経ったのかな。扉が開く音を聞いて、ベッドから離れる。
「千里っ!」
真っ先に入ってきた母親が千里くんに抱きつく形で泣き崩れている。
「千里……」
父親が母親の背中をさすりながら、千里くんの遺体を見つめる。
「……お兄ちゃん」
道が両親の後ろから覗き込むように千里くんの遺体を見る。
「みっちゃん……」
「みーちゃん……」
私は静かに近づくと静かに抱きしめた。
今まで我慢していたのか道の瞳から涙が溢れてきた。
「みーちゃん……お兄ちゃん、どうして? 今日三人で退院祝いするって……言ってたのに……うぅ、あっ、うわぁぁぁぁ!」
道の背中をさすりながらなんで私は泣けないのか考える。
わからない。
両親もしばらく泣いた後、私の方を向いて会釈してきた。私も静かに返す。
「みっちゃん……」
声をかけると充血した目が私を見る。
「ありがと……」
私から離れると両親の方に向かう。
静かに扉の前に立っていた畑さんが私の方に来る。
「都ちゃん、行こうか」
「はい……」
両親と道をそのままにして私は畑さんとその部屋を出ると自分の病室に戻る。
会話はない。なにを話していいのかわからない。
これからどうすればいいのかわからない。
もうわからないことだらけで、頭を抱えてしゃがみ込んでしまいたくなる。
病室に着くと、ベッドに倒れこむ。
もうなにも考えたくない……。
私は、一回生きるのを諦めた。いわばこれから二度目の人生だった、幸せになろうと決めたはずなのに……もう無理だよ。なんにもできない。死んでやるなんてことも思えなかった。だからって生きて行く自信もない。
なんとなく時計を見た。退院の時間だ。
しなくてもいいんだけどな。
今日の朝とは正反対。
ボッーとしていると扉が開いた。
体を起こす。
畑さんと道だった。
「都ちゃん、退院だよ」
「みーちゃん、行こう」
道の目は充血したままだったが、さっきより心は整理できてるみたい。
「うん」
私はリュックを背負うと、ベッドから立ち上がる。
道と並んで畑さんについていく。
病院の外に出ると、鷺沼先生がいた。
「退院おめでとう、なんて気分でもないか」
「ありがとうございます」
鷺沼先生が苦笑する。
「退院おめでとう……」
畑さんもまた泣きそうだ。
「ありがとうございます」
こんなに暗い退院も滅多にないだろうな。
「お世話になりました」
気まずくて、一礼して道とおそらく父親のだろう星を見に行くときに千里くんの運転で乗った車に向かう。
これからどうするのかと思っていたら、千里くんの住んでるアパートに着いた。
道に促されて車を降りる。
どうやら、ここに入るのは私と道の二人だけのようで両親は車で走り去った。
「これからどうしよう……」
心の声が普通に漏れてしまった。
「うちに来なよ。お母さんもお父さんもいいって言ってた。それにお兄ちゃんはきっとみーちゃんに一緒に住もうって言ってたでしょ?」
その通りだった。
「うちに来なよ」
道がもう一度言う。
「ありがとう」
それぐらいしか思い付かない。
部屋の中に入ると、必要最低限の家具しかなかった。どうしてか来たことある気がする。
「みーちゃん、そんなに荷物ないけど整理手伝ってくれる?」
「もちろん」
本当に何もない。押入れを開けてみる。布団と服の入ってるボックス、それと蓋に思い出と書いてある箱があった。
「明日整理しよう」
いつの間にか横にいた道がそう言って欠伸する。
「うん」
道は私の返事を聞くと、少し寝るね、と言って布団を敷くと横になった。
すぐにスースーと可愛らしい寝息が聞こえてきた。あんなことがあって相当疲れていたみたいだ。
心の中でごめんねと謝ると私は思い出と書いてある箱を開けて中を見る。
中には中高の卒業アルバムと私と千里くんと道の三人で写ってる写真などが入っていた。
その中に一枚の紙切れがあった。
手にとって見てみると、都と千里の約束と書かれた紙だった。
千里くんとっててくれたんだ。目頭が熱くなる。まだダメだ。なぜかそう思った。
ふと紙の裏を見る。
そこには、千の都(星のすごいとこ)場所◯◯とあった。
「あっ……あっ」
思い出した……昨日の場所がそうだ。
秘密の花園だと言ったら、花じゃないだろってことで千里くんが千の都って名付けたんだ。幾千もの星、星の都を合わせて。
私は名前を入れてくれたことがすごく嬉しかった。
ここに行こう。今から。
念のため紙にここに行くことを書いて道の頭の横に置く。
軽く身支度して、数少ない持ち物の中の財布を取り出すと中身を確認する。一万円札が一枚あった。これなら大丈夫。
アパートを出て近くのコンビニに行くと公衆電話でタクシーを呼ぶ。
近くにいたのか数分できた。
タクシーに乗って、目的地を告げると運転手は顔をしかめた。
「嬢ちゃん、こんな時間にその丘に何の用なんだ?」
聞かれるとは思っていたけど、いざ聞かれると何も思いつかない。
「変なこと考えてるんだったら乗せられんよ」
「星を見に……」
途中で口ごもる。運転席から降りた運転手が空を見る。私もつられて見上げる。
雲に覆われていた。
「見れんと思うぞ」
どうしよう。行きたいのに……。
「お願いします。行きたいんです」
困ったように頭をかきむしると、運転手は溜息をついた。
「わかった。乗りな」
「ありがとうございます」
運転手は間中と言うらしい。助手席の前のプレートに書いてあった。
さすがタクシーの運転手。信号のない道を優先的に通ってくれた。
三十分かからないぐらいで例の丘に着いた。
「ありがとうございました」
扉が開くと同時に降りた私を間中さんが、おい、と呼び止める。
振り向く。
「何するのか知らんが、ここで待ってるから。あんま遅かったら見にいくからな」
その気遣いに感謝する。二人きりだから危ないかもとは思わなかった。
「ありがとうございます。行ってきます」
ほとんど走る感じで丘を登る。
頂上に着くと、膝に手をついて息を整える。
昨日二人で空を見上げた場所に立つ。
空を見上げる。
雲に覆われていて星なんて見えなかった。月も顔を出したり出さなかったり。
来た道を見てみると、よく走ってこれたなってぐらい真っ暗だった。
改めて空を見る。今の私と同じだ。真っ暗。闇。何もない。
涙が、想いが溢れてきた。
「……千里くん、約束どうするの? ねぇっ…………うぅ、ゔっ……いっぱいいっぱいしたのに……。千里くんっ、ゔっゔぅ……千里くんがいないんじゃ約束守れないじゃんかぁ、あぁうっ。ゔぅぅわー!!」
ポツポツ、ザーッと雨が降り出した。
涙は止まらない。こぼれ落ちる雫が雨なのか涙なのかよくわからない。
こんなにもわからないことだらけの一日なんて初めてで、今千里くんの大切さ、私の中で大きさを改めて認識させられる。
雨の音が、余計に私を掻き立てる。とめどなく溢れる涙を声を抑えることができない。
はなればなれになった約束は二度と果たされることはない。
千里くんと二人で果たす約束はもう交わせない。
私は、いつまでも泣いていた。
何もかもを吐き出すように泣き続けた。
感想でも罵詈雑言でもなんでも受ける所存です……後者は怖いけど