信ちゃんと石ころ
書いてあることの六割ぐらいは実際にあったことです。
信ちゃんにもモデルとなった人物がいます。
ぼくは小学校二年生だった。その頃のぼくの家は茅葺き屋根で、母屋に便所もなく、不便でならなかったから、お父さんが製紙会社に山を売ったお金で、家を改築することになった。それを請け負ったのは県道の向うの栗野建築で、そこの棟梁の息子は栗野猛と言い、ぼくのお父さんの友だちだったので、うちでは「栗ちゃん、栗ちゃん」と呼んで、ご近所の好もあり、親しかった。その栗ちゃんの一人息子が信ちゃんだった。本名を栗野信太郎といった。信ちゃんはぼくより一学年下の男の子で、よくいっしょに遊んだ。
茅葺き屋根の母屋を壊したので、ぼくら一家は〈こえ〉と呼んでいる納屋の二階に住んだ。そこは昔政男叔父ちゃんが学生の頃住んでいた部屋があって、暮らすには丁度良かった。階下には〈へっつい〉があり、水道屋をやっていたぼくのお父さんが物置の前の土間に台所を作ったから、洗い物はそこでやった。外にはタイルのお風呂を置いて、板で囲った。狭いけれど、何だか急ごしらえの合宿所みたいだし、毎日が楽しかった。
冬になると母屋の主だった柱の部分だけを上手に利用して、改築が始まった。ぼくは冬休みになったので、九九を覚えようと、高校生が英単語を覚えたりするのに使う、小さなペラペラめくる繰り紙を香田さん(「香田商店」という近所の雑貨屋さん)で買ってきて、それに九九を書き込み、家の周りをぐるぐる回りながら、覚えた。
すると信ちゃんも篠竹の棒きれを振り回しながら、ぼくの後をついて歩く。黙ってついて歩くので、騒がないだけありがたいけれど、後ろを向くといるので、ぼくは嫌でしようがない。「あっち行ってて」と言っても、にこにこしてついてくる。それを四つになったばかりの妹のきみ子が面白がって、信ちゃんの後をついて歩くから、ぼくの後ろに金魚のうんこみたいな、行列ができた。
二二が四から始まって、九九、八十一まで行ってしまうと、また二二が四に戻る。それを馬鹿みたいにくりかえした。そんなことを一週間も続けているうちに、ぼくは九九をすっかり覚えてしまったんだ。
後をついて歩いた信ちゃんも一年生だから、覚えそうなものだけれど、全然興味がなかったのか、覚えるまでにはいかなかった。ただ、ところどころ判るらしく、そこだけ「三六、十八」とかって、合唱するから、きみ子もそこだけ合唱した。
ぼくが九九を覚える遊びに飽きると、ぼくと信ちゃんはおもての置き石の上に坐った。そこでは丁度一服の時間だったので、大工の棟梁(信ちゃんのおじいさん)と栗ちゃんが日向に坐って休んでいた。棟梁は煙管で刻み煙草を吸っていた。栗ちゃんはハイライトを吸っていた。無言だ。ぼくはすることがないから庭はずれの柿の木の方へ行った。信ちゃんもついてきた。おもて道に出ると、信ちゃんは歩いているぼくを突き飛ばすようにした。どうやら遊びのつもりらしい。押しくら饅頭みたいなやつだと思った。ぼくには遊びだとわかったので、ぼくも信ちゃんを突き飛ばした。信ちゃんはよろけたけれどまたぼくを突き飛ばしにきた。するとぼくもよろけてきみ子に突っかかった。きみ子は突き転ばされて門川のほとりで尻もちをつき、そのはずみに泣きだしてしまった。信ちゃんは、
「ああ、けんちゃんが泣かした」と言った。ぼくは健一という名前だから、信ちゃんはそう呼んでいたんだ。だけど、信ちゃんが突き飛ばして、そのはずみできみ子が転んだんだから、信ちゃんのせいだと思った。
「違う。信ちゃんが悪い」と言った。けれどきみ子は泣きやまない。
「やーい、やーい、けんちゃんが泣かした、けんちゃんが泣かした」と言って坂の下の方へ囃しながら行くから、ぼくはほんとうに悔しくなって、地べたのピンポン玉くらいの大きさの石ころを拾って投げつけた。当たらないように投げたつもりだった。なのにどういうわけか石は、信ちゃんの後ろ頭に当たってしまった。五メートルくらい離れたところから投げたから、石は勢いよく当たって「ゴン」という音がはっきり聞こえた。信ちゃんは一瞬つんのめって、黙ったかと思うと、激しく泣きだした。そしてそのまま大泣きしながら歩いて坂の下の方へ行ってしまった。
ぼくは何も言わずにそれを立ちん坊して見ていた。信ちゃんを追いかけて謝ろうかと思ったけれど、あんまり信ちゃんが激しく泣くからびっくりしてしまって、立ったままだった。きみ子も信ちゃんの大きな泣き声にびっくりして泣くのをやめた。
「信ちゃん、死なないかな?」ときみ子が言った。
「死なないよ」とぼくが言った。
「でも頭に当たったよ。ゴツンって音がしたよ」ときみ子が言うから、ぼくは黙ってしまった。ぼくはほんとうに信ちゃんが死ぬような気がしてきた。ぼくはきみ子にこのことを誰にも言わないように約束させた。
でもそんなことしても、ほんとうに死んでしまったら、隠しとおせるものじゃない。どうしよう。
暗くなって家へ帰ったら、もうお夕飯時だった。物置の前に板の間を作ったので、お夕飯はそこにちゃぶ台を置き、正座してみんなで食べたんだ。食事をしながらみんな黙っている。家族がぼくを責めているような気がした。今ごろ信ちゃんは生と死の狭間にいるのかもしれない。だったらぼくの罪は何だろう。当時は傷害罪という罪を知らなかったから、どんな重罪か思いつかなかった。ぼくはよっぽどお父さんに言おうかと思った。自首っていうやつだ。でも怖くて言えなかった。ものすごく不吉で厭な気持ちだった。今ごろ、信ちゃんは死んでいるかもしれない。そのことを考えた。そしたらぼくは人殺しだ。死刑になるんだ。その夜ぼくは死刑執行人が待っている、十三階段の夢を見た。夢にうなされて、冬だと言うのに汗をびっしょりかいているぼくを、一緒に寝てくれていた、おばあちゃんが起こした。けれど何の夢を見たのかは、言えなかった。
次の日、信ちゃんは家に来なかった。大工さんはいつもの通り仕事に来た。そして一日働いて帰って行った。棟梁も栗ちゃんも何にも云わなかった。
そのことが却ってぼくを不安にさせた。信ちゃんはどうなったのだろう。外傷が事故でないことが判ったら、どうなるんだろう。もし警察が家に来たらどうしよう。そんなことを考えていたら一日が終わっていた。勉強は何一つ手につかなかった。
ぼくはお夕飯を食べながら、うつむいてしまった。
「健一、おまえ、顔色が真っ青だよ」とお母さんが言った。「何でもない」とぼくは言って、やっとのことでご飯を食べ終えたけれど、その後ひとりでぼくはお風呂に入り、湯舟の中でそのことを考えた。だんだんたまらなく哀しくなってきた。自然と涙が溢れてとまらなかった。
次の日も信ちゃんはうちに来なかった。大工さんの栗ちゃんも来なかった。ぼくは良くないことばかり考えて、身の縮むような思いだった。
その次の日、ぼくは風邪をひいて、寝込んでしまった。四十度近い熱が出た。幾晩もうなされて起きた時には魂が抜けてしまったみたいだった。熱はやがて下がったけれど、心にはぽっかり穴があいたままだった。
それからは宿題をしていても、きみ子と遊んでいても、心ここに在らずって感じだった。ぼくには遊ぶ相手がいない。それがどんなに淋しいことか、身にしみてわかった。信ちゃんのその後のことは全くわからなかった。
風邪がやっと治った。けれど心はからっぽだった。力の入らない身体で、ぼくがきみ子と柿の木のところで、篠竹でもって気のないチャンバラごっこをしていた。そしたら、突然後ろから、わっ!とおどかされた。誰だろうとぼくは思った。それは死んだかも知れないと思っていた信ちゃんだった。お化けだ。ぼくはびっくりして「でたあ」と逃げ出した。信ちゃんは執拗に追いかけてきた。あんまりしつこいので追われるうち涙が出てきた。おいおい泣いてしまった。
「何泣いてんだよ。ばーか」と信ちゃんが言った。なんか妙だとぼくは思った。お化けならうらめしや~って言うはずだ。
「だって信ちゃん、死んじゃったんじゃないかって」
「死んでないよ。風疹で寝てただけだよ」
「じゃあ、頭の傷は?」
「ああ、あれか。たんこぶになったけど、唾つけておいたら治ったよ。でも痛かったんだぞ」
「信ちゃん、ごめん」
ぼくはすまない気持ちでいっぱいになり、つくづく哀しくなった。信ちゃんの顔を見ているうちに込みあげてくるものがあった。それをこらえ切るのは無理だった。ぼくはさめざめと泣きだした。涙は後から後から溢れて止まらなかった。信ちゃんは笑って、「泣くなよ」と言っていたけれど、ぼくがあんまり泣くので、信ちゃんも泣きだした。それはおかしいと思ったけれど、馬鹿みたいだと思ったけれど、ぼくの涙は止まらなかった。信ちゃんも泣き止まなかった。信ちゃんの気持ちはどうだかわからないけれど、ぼくは泣けて、泣けて仕方がなかった。
その後、信ちゃんには上に「不死身の」がついて、「不死身の信ちゃん」になった。「うるせえ」と信ちゃんは笑っていたけれど、まんざらでもなさそうだった。
やがて母屋は完成し、ぼくたちは新居に移った。月日がたって、四年生になった。
夏休み、ある事故があった。信ちゃんが自転車に乗っていて、バイパスの工事で大型車が行き交う、砂利場というところの路でダンプに引っかけられた。引っかけられたというけれど、事態は重大で、実際は引っかけられたどころじゃなかった。自転車は五百メートルも引きずられた。ダンプの運転手はその間まったく気づかなかったらしいとぼくのお父さんは言った。病院に運ばれたけれど、手当のしようがなかった。信ちゃんはほんとうに死んでしまった。ぼくはその時初めて「即死」という言葉を覚えた。即死とは、その場で一瞬のうちに死んでしまうことだ。
信ちゃんのお葬式を信ちゃんちのはずれの柿の木のかげからこっそりと見ていた。お父さんが栗ちゃんにお悔やみを言っている。信ちゃんの柩が出てきた。霊柩車のバスが待っていて、みんなそれに乗っていった。そして目の前には信ちゃんの家だけが残された。家にいるのは近所のおばさんたちと棟梁だけだった。
翌日ぼくはすることがなかった。夏休みの宿題もやる気にならなかった。涙はまったく出なかった。信ちゃんが死んだ。ほんとうに死んでしまったのになぜ涙が出ないんだろう。ぼくは薄情者なんじゃないだろうか。何日もたってから思った。ひとが死ぬということはそこから永久にいなくなることだ。信ちゃんの振り回していた篠竹はどこへ行ったのだろう。確か〈こえ〉のどこかにあったはずだ。けれど捜してもどこにも見あたらなかった。どこへ行ってしまったんだろう。それを考えても何にもならないけれど、そんなことを思った。記憶が馬鹿になっていて、最後に信ちゃんに逢ったのがいつどこだったのか思い出せない。それが不思議でならない。それどころかあれから一年たった今では信ちゃんの顔を思い出すことすらむつかしい。それが死ぬってことなんだよって、おばあちゃんは言ってくれたけれど、そのおばあちゃんも翌年に死んでしまった。いまでは遺影を見ないとおばあちゃんの顔を思い浮かべることすら出来ない。泣きたくても泣けない。ほんとうに哀しいのは信ちゃんの笑顔もおばあちゃんの笑顔も思い出せないことなんだ。けれど涙は一滴も出やしない。