依頼:楽咳草
アテナがその依頼を手に取ったのは興味本位からだった。
そして依頼を受理した受付嬢もちょっとした興味から受理してしまった。
酒場の主が愉しそうに見送ったのも好奇心からだったのかもしれない。
街を出て道無き道を歩く事2時間少々。
普段から入っている山ではあるが、かなり深い所まで入って来ていた。
こんもりと茂った草木が日差しを遮り、森の中は鬱蒼とした空気に包まれている。
足元に咲いている夜照草が無ければ道に迷うかもしれない。
5cmにも満たない夜照草は仄かに花弁を発光させて虫を誘う。
可愛らしい光とは裏腹に夜照草は食虫植物だ。
花弁に止まった虫達が甘い蜜に誘われて中心にやって来た所を茎に絡ませて隠していた触手で素早く捕まえる。
虫を食べる際の熱で花弁を発光させていると言われているが、その実態は未だに分かっていない。
見た目だけは美しく愛らしい草花を見ながらも足は止める事が出来ない。
この間のように他の心無い冒険者達によって面倒事を持って来られる前に仕事は終わらせる。
気合だけは十二分にあるアテナが目指すのは誰もが知っている森の中の洞窟だ。
洞窟内には多くの分かれ道が存在していて、誰かが入る度にに内部の構成が変化するらしい。
どの程度の変化数があるのか現在も調査中だ。
摩訶不思議な洞窟は各地に存在しており、その多くが内部に大量の魔物を潜ませている。
この不思議な洞窟を冒険者や学者達は「迷宮」と呼んでいる。
危険があると知りながらも洞窟を、迷宮を目指す者は切りが無い。
大量の魔物に殺される可能性も高いが、同じ位高い確率で「宝物箱」と呼ばれる箱が見つかる事があるのだ。
箱の中身は運次第だが、上手い事をすれば一角千金も夢では無い。
迷宮は何層にも渡っているが、各層に必ず一つは置かれていると言う事もあってか、中に入る者は後を絶たない。
それ以外にもアテナのように珍しい薬草目当ての冒険者や薬剤師も多い。
迷宮内にしか生えていない特殊な生息環境を要求する植物は意外な事に割りと種類がある。
貴重な薬品の原材料ほど普通の店では手に入らず、アテナのような冒険者に頼むしか方法が無くなっていく。
非合法であればある意味では楽に手に入るのだろうが。
そんな迷宮を前にしてアテナは小さな建物に足を向ける。
迷宮内に入る為には入り口に設置してある通称「ポテコ」と呼ばれている受付に名前を書かなければいけない。
薄いクリーム色をしたジャガイモに見立てた建物には受け付け用として小窓が開いている。
その奥には髪の薄い男性が真剣な表情で下を向いている。
「名簿貸して下さい」
「……」
ポテコの中に居た男は訝しげな表情でアテナを上から下まで眺めてから「冒険者か」と呟いて面倒臭そうに冊子の束を小窓から差し出して来る。
アテナの見た目が嫌なのではなく、単に趣味の時間を潰されて嫌がっているだけなのだろう。
手早く「入場者名簿」と書かれた冊子に名前を記入すると、受け付けの男は一つ頷いてから再び下へと視線を落とした。
仕事の最中に別の事をしている男を叱る者はいない。
迷宮での入場者管理は誰もが面倒臭がる仕事なので、男が辞めた後の引継ぎ手を探すのに苦労するのだ。
人が引っ切り無しに訪れる迷宮での受け付け業務は想像以上に難しい。
夜中にしか現れない魔物を求めて、深夜や早朝にも関わらず人はやって来る。
時間制で後退出来るものであれば誰もが志願する受け付け業だが、かなりの危険も伴う仕事だ。
荒くれ者ばかりの冒険者が大人しく言う事を聞く人間ばかりではない。
時には暴力行為や恫喝行為に発展する場合も無きしにもあらず、だ。
そんな仕事に好き好んで就いてくれる人は希少であり、趣味をしながらでも長く続けてくれる男に任せておいた方が色々と楽なのである。
◆ ◆ ◆ ◆
さて。アテナが目指している階層は3階。
冒険者が目指すには少々難易度が低い場所ではあるが、一般人には手の届かない世界だ。
洞窟内の壁には先人達が好意で設置してくれた魔灯があるが、わずかな光など何の役にも立たないとばかりに暗闇は迫ってくる。
通路に沿って設置されている魔灯に従って歩いていけば下層まで行くことは出来るが、探索を主としている冒険者達には意味が無い。
「…『光よ、矢と成りて進め』」
3階を目指しているとは言え、ちょっとした金稼ぎは重要だ。
近場に居た兎型の魔物に光属性の矢を放つ。
基本的に迷宮内に現れる魔物の多くは「闇属性」だ。
光の差し込まない洞窟内が住処なのだから当然なのかもしれない。
そのおかげかどうか。
中には蝋燭の明かりだけで怯む物も居る位だ。
初心者は上手に灯りを使って魔物の隙を突くらしい。
手馴れた動作で消え去った魔物の落し物を拾うアテナは初心者ではない。
光属性の魔法で敵を油断させ、その隙を見逃さずに事を為す。
兎型の魔物の耐久力は少ないので一発の魔法で撃退が可能であり、残して逝く「贈り物」の質も悪くは無い。
初心者でなくとも見つければ狩っておきたい獲物と言えるだろう。
「魔石が2つ、兎の肉が4つ。それに珍しい物も手に入ったしね」
アテナは手の中で転がしている柔らかい質感の「贈り物」に頬を緩ませた。
兎型の魔物から極稀に手に入る希少価値の高い代物だ。
「兎の尻尾」別名を「幸運の尾」とも言う。
純白の兎の毛に覆われた丸い球体で効果の高い幸運のお守りを製作する際に必要となってくる素材である。
素材としてだけでなく、見た目も可愛いとの事で女性からの注目も熱い。
可愛らしい尾はそれだけで贈り物に適しているし、何よりも手触りが素晴らしい。
女であればこんな柔らかい毛に埋もれてみたいと一度は思うはずだ。
現に貴族の令嬢達はこぞって兎の尻尾を探す依頼を出しているくらいだ。
可愛らしい尻尾を丁寧に仕舞ってから先を急ぐ。
出来れば明るいうちに帰りたいものだ。
素早く周りの魔物を光の魔法で消し去ってから「収集魔法」で贈り物を一気に集める。
手元に集まってくる贈り物は確認しないで仕舞っていく。
急がないと外の冒険者達がやって来てしまうかも知れない。
いくら暗いとは言え、アテナの髪は目立つのだ。
余計な面倒事を被る前に目的を達するべきだ。
小走りで先を進む。
走っていたおかげで早い内に下への階段を見つけることが出来た。
螺旋階段を素早く駆け下り、死角となっている階段の影に身を潜める。
「…今日は誰も居ないのかな…」
恐ろしいほどの静けさだ。
魔物の足音どころか息遣いすら感じられない。