依頼:店の品出し
いつものように朝一番にギルドへ顔を出したアテナを呼び止める声があった。
声の方を見れば珍しい事に受付嬢が手招きをしている。
知らぬうちに変な事でもしでかしたのか、と表情を強張らせて走り寄って来たアテナに思いの他優しい声が掛かった。
「この間のご指名依頼。覚えてるかしら?」
「は、はい。…あの、何か変なところでもあったんでしょうか」
「ああ、違う違う。予想以上の出来だったって喜ばれていたわ。それでね。依頼主の方から達成料金の上乗せが来てるんだけど、どうする?」
「…本当に貰っても大丈夫でしょうか」
出来としては良い方だとは言え、意図的にランクを落としたのだ。
褒められたのは嬉しいが何だが後ろめたい気持ちでいっぱいだ。
そういったのが表情に出ていたのだろうか。
受付嬢は呆れたように溜息をつくと安心させるように頷いた。
「大丈夫よ。もうギルドの方に支払われちゃたんだから受け取るしかないでしょうに」
「…はい。ありがとうございます」
「それでいいのよ。で? 今日は何の依頼を受けるの?」
今日の人は随分と優しいな、等と思いながらもアテナは一枚の依頼書を提出した。
「えっと。お願いします」
「下働きみたいな仕事だけど大丈夫なの?」
心配そうに問いかけてくる受付嬢の言葉にアテナは胸が温かくなった。
街の人から忌み嫌われている彼女が店の中と言う閉鎖された空間に入ったらどうなるか。
それが分かっているから受付嬢は確認したのだろう。
危険の中に飛び込む行為だけど良いのか、と。
「知っている店主さんですし大丈夫ですよ」
「それなら良いけど。…はい、受理できました。気をつけてね」
「行ってきます!」
元気に手を振って出かけていく忌み子のアテナ。
その後姿を心配そうに見つめている受付嬢に酒場の主が明るく声をかけた。
「そんなに心配する事ないさ。あの子は私達よりも強くて強かなんだからね」
「…ちゃんと頭では分かっているんですけど。でも、でも…どうしても不安が拭えなくて…」
「まるで母親みたいだね、アンタは。アテナは大丈夫さ。傷ついて帰って来たなら私達が慰めてやればいいだろ?」
殊更明るく言う。
その言葉に受付嬢もゆっくりと顔を上げて「そうですね」と笑った。
今日も忙しい一日が始まるのだ。
心配なのは彼女だけではない。
受付嬢である自分は、大勢の冒険者の為に明るく振舞わなくてはいけないのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
受付嬢の心配も何処へやら。
当の本人は元気いっぱいに働いていた。
依頼主の店は薬局をしており、その関係から大量の薬品が保管されている倉庫がある。
その倉庫内の薬品棚の整理整頓を行って欲しいとの依頼だった。
顔を合わせるなり(外であったと言う事もあり)かなりの嫌味を言われたが、仕事を始めれば互いに言葉を交わすようなことはない。
薬品棚から下ろした瓶を一箇所に集めて浮かせ、次々に分別していく。
中には取り扱いに注意が必要な薬品が大量にあったが、魔法で宙に浮かせているアテナには何の問題も無い。
ふわりと宙に浮かばせておいた中で種類ごとに分別しながら棚の掃除を行う。
その頃には店主も仕事で店に立っているため、嫌味や悪意のある妨害などは受けない。
いくつもの宙に浮かんだ薬品瓶を上手に避けながら雑巾をかけていく。
木製の棚は壊れやすいのが欠点ではあるが、長く使う事によって味わいのある色合いになっていくのが利点だ。
固く絞った濡れ雑巾で埃を払っていくと見事な木目が現れる。
拭いていくたびに柔らかく光を反射する木目にアテナの口から満足気な溜息が漏れた。
「…後は並べ方だけど…元の通りに並べておけばいいんだよね」
全ての棚を拭き終えた頃には疲れた表情が見え隠れする。
それでも依頼を受けた以上は出来る限り完璧に仕上げたいものだ。
小さく店主の邪魔にならないように「よしっ!」と自身に向かって掛け声をかけるとアテナは休憩も挟まずに動き出す。
徹底的に嫌われているアテナにはこうした小さな積み重ねで誤解を解き、人脈を作っていくしかないのだから。
コツコツと働く事で少しずつだけど街の人の意識が変わってきている事をアテナは知っている。
返事が返ってこなくても毎日挨拶をしていれば、ある日突然諦めたように返事が返ってくる事もある。
道端に落ちているゴミを拾えば、知らない人が「気持ち悪い子」と言った口で「ありがとう」と呟いてくれるのを知っている。
この街で暮らしていくのは本当に大変な事で、とっても辛いけど。
それでもアテナは街の皆が大好きだ。
意地っ張りで前まで悪口を言っていた口で「ありがとう」と言えなくて、何処か正直になれない人が多いこの街が大好きだ。
◆ ◆ ◆ ◆
棚に薬品瓶を戻し、雑巾を綺麗に洗ってからアテナは倉庫を出た。
「…眩しい…」
長時間暗い倉庫に居たせいだろうか。
天で輝く太陽がやけに眩しく感じた。
「倉庫内の片付け終わりました。確認お願いします」
店の中に戻ったアテナは客が居ない事を確かめてから店主に声をかけた。
木の椅子に3個ものクッションを重ね、その上に座っている初老の女。
彼女は鼻に引っ掛かっていた眼鏡を指でゆっくりと押し上げるとローブの袖を探り始めた。
ややあって目当ての物を見つけられたのか。
彼女は無言で封筒を差し出してきた。
良く分からないまま受け取ったアテナは封筒がずっしりと重たい事に気付いて声を上げた。
「あのっ! 確認もしないまま受け取れませんよっ」
「煩い子だね。良いからそれ持って出て行きな」
「でもっ!!」
なおも言い募ろうと声を荒げるアテナに老婆は煩そうに手を振って黙らせてから、視線を合わせることなく小さく息を吐いた。
封筒を痛いほど握り締めて戸惑っているアテナを横目で盗み見てから口を開いた。
しゃがれてはいるものの落ち着いた声だ。
「アンタが仕事は最後までしっかりする子だから言ってるのさ。どうせ隅々まで綺麗に雑巾が消した挙句に言ってもいないのに床の掃除までしてきたんだろう?」
老婆が淡々と言う言葉が図星だったのか。
アテナは言葉に詰まったように押し黙った。
「ゴミ箱の中身が多いからってゴミ捨てにまで行って来たんだろうし、その次いでとばかりに裏口の箒掛けまでしてきたんじゃないのかい?」
「あぅ…」
「掃除の途中で汚くなった雑巾も新しく買い換えちまったんだろうしね」
「…ぅぅ…ご迷惑でした、か…?」
依頼書に関係のないことまでやってしまった事に関しては反省しているのか。
アテナは恐る恐る老婆の表情を伺った。
年齢によって刻まれた深い皺に覆われた顔からは何の感情も読み取る事は出来ない。
困ったような焦っているような。
ごちゃ混ぜになった感情が手に取るようにわかったのか。
老婆は口元にゆるりと笑みを浮かべて言った。
「十分に満足の出来る仕事だから金を渡してんのさ。いいから行きな。早く出て行って貰わないと店の評判まで落としちまうよ」
背を押されるようにアテナは裏口に追い出されてしまった。
パタンッと小さな音と共に鍵が掛けられた音がした。
少しの間呆然と閉まった扉を見ていたアテナだったが、店に近付く人の気配を感じると深く頭を下げてからその場を離れた。
◆ ◆ ◆ ◆
「…って言う事があったんですよ」
「そうか」
黙々と仕事をする旦那さんにアテナは今日あった事を報告していた。
ギルドでも話してきたのだが、それでも話したり無かったようで宿に帰って来てからも旦那さんを捕まえて話し続けていたのだ。
「ああ言うのを巷で有名な『ツンデレ』って言うんでしょうかね。あの店主さんも素敵な方でしたけど、あっ、旦那さんも格好いいですよ!?」
「そうか。出来たぞ」
「わぁっ!!」
「今なら人が居ないからな。此処で摘まんで行ってもいいぞ」
旦那さんがカウンター越しに手渡してくれたのは、美味しそうな焼き色の付いたパウンドケーキだ。
一切れずつ切り分けてくれている所に手を伸ばして盗み食い。
チョコチップが沢山入っているパウンドケーキ。
無言で切り分けてくれている所に手を伸ばすのは気が引けるのだが、アテナの理性が必死に戦っているが、菓子好き精神の前には意味が無い。
あっさりと崩れた理性を忘れてアテナはカウンターにしがみ付く勢いでケーキを口に運ぶ。
オーブンの熱を受けてカリカリに焼けた上部分。
アクセントに乗せられていたチョコチップは溶けているが、それもまた美味しさの一つだろう。
柔らかい生地には蜂蜜が練りこまれているようで、噛むたびに仄かな甘さが口の中に広がる。
数は少ないがラムレーズンも混ぜられている。
「珍しいですね。旦那さんがレーズンを買うだなんて」
「…ケーキを作る材料として購入しただけだ」
「あれ? でも宿の中でケーキを食べるのなんて私以外に居ましたっけ」
「さぁな。包んだのから仕舞っておけ。夕食はどうする?」
「いつものように部屋まで持ってきて下さると助かります」
「分かった」
旦那さんはそれだけ言うと次の客の準備をし始める。
忙しそうな旦那さんに「宜しくお願いします」とだけ告げるとアテナは自室へと急いだ。
面倒そうな客室の住人には出会いたくないので足早に向かう。
そんなアテナの後姿を旦那さんは微かに熱の篭った目で見送る。
毎日頑張っている少女へのご褒美に、と用意したケーキだったのだが予想以上に喜んで貰えたようだ。
可愛らしい少女だと彼は初めて会った時から想っている。
どんなに暴言を吐かれようと依頼料金を減らされようと彼女の顔から笑みが消える日はそう無かった。
普通ならば街を出て行くか、卑屈になってしまうかのどちらかだろう。
けれど、あの少女は違った。
忌み子として生まれてしまった事を嘆く事はあれど、決して「死にたい」とは口にしなかった。
「持って生まれてしまった以上は諦めて付き合っていくしかないんですよ」と少女は苦笑交じりに言っていた。
嫌味を言われた日は大いに荒れていた日もあったが、次の日には相手のいい部分を褒め称えて笑っていた。
「…だからこそ受け入れる、か…」
彼女を嫌っていた若者が困惑した表情で呟いていた意味が分かる。
嫌味を受け入れ、誰かの為にと行動する彼女を本当の意味で嫌える者はこの街には居ないのではなかろうか。
誰も居ない食堂に響いた声に言葉を返す者は居ないが、彼の心中は穏やかであった。