71話 登校時
「あっ、ちょっと話長くなるんで、何か飲み物貰ってもいいですか?」
そんな井出の戸惑いを他所に、田中は座布団から腰を上げると、井手から許可も取らずに冷蔵庫の横に置いてあった缶コーヒーの詰まったダンボールのとこまで行き、2本ほど手に持って、座布団に戻ってきた。
「この缶コーヒー好きですよね、井出さん。」
「あっ?あぁ。」
そして、座布団にまた腰を下ろすと、プルタブを捻り一口啜った。
井出のいつも飲む缶コーヒーは基本甘ったるかった。
別に微糖や無糖の缶コーヒーが嫌いなわけではないが、箱でまとめて買えて、バイト暮らし井出の懐に優しい値段の缶コーヒーは、今田中が啜っている甘ったるい缶コーヒーに限られてしまうのである。
「さて、それで新しい話なんですけどね。」
やっと一息つけたのか、田中は満足そうに話し始めた。
礼儀知らずな奴と、井出は彼が家に上がり込んでくるたびに思うのだが、それでも中々彼のことが嫌いにならないのは、自分が異常にお人好しなのか、それとも田中自身に異様なカリスマが備わっているのかと、そう井出はぼんやり思いながら、田中の話に耳を傾けた。
土曜日登校というのは全く面倒くさいと、高校へと続いている少々きつい坂道をその他大勢の生徒達とそれぞれ距離を置いて登りながら、小林は思っていた。
どこぞの進学校やエリート校ならまだしも、自分が通っている高校はそこらによくあるような公立高校であり、何か特筆すべき特徴も無い平凡な高校だ。
そんな高校がいちいち生徒の大事な休日を削り、登校させる意味があるのだろうか。
それに教師連中も何か適当な授業をするわけでもなく、月に数回のクラブ活動の様な授業をするのだが、小林はそのいい加減な内容にいい加減、辟易していた。
そんな日常を繰り返せば、自然と時には非日常的なことが起こればいいと思うのは、高校生には至極当たり前な事なのかもしれない。
しかし、現実はそんな何かの漫画のようなことは起こらず、校内を賑わすような事件は希であり、きっといじめなどのような陰湿な物は小林の見えないところで起こっているのであろうが、それが原因によって自殺がどうとの生徒間の問題がどうとかは、入学してから一度も聞いたことはない。
勉強が特別できる生徒がいる訳でもなければ、警察に何度も世話になるような問題児がいる訳でもない。
とにかく、小林が通っている高校は平和なのだ。
別にそのことに対して小林は不満にも思わない、寧ろ満足だ。
毎日が単調に流れる青春に我々は大体不平を口にするが、時が過ぎ、大人になればその単調な毎日を懐かしむのだから皮肉でもある。
小林は3年生であるから、今年度で高校を卒業する。
進路はどうするかは2年の後半に、あっさりと地元の自動車工場に務める事を決めて、一応そういう類の勉強も多少はしている。
何か大きな夢もなければ目標も無い。
ただ毎日を無事に過ごせれば、それでいいとさえ思っている。
そう、妙に達観したような心境で歩く小林の姿を、本人の考えはどうであれ、周囲には異様に目をどす黒く光らせているように見えるのだから、報われないことではある。
「小林っ」
不意に後ろから明るい声をかけられ、小林はその声の聞こえた方向へ振り返った。
振り返ると、小林の身の丈より若干小さいものの、それでも十分すぎるほどの体格と筋肉を備え、見るからに不良としての自己アピールが上手に出来ている米山が立っていた。
「昨日はなんかよくわかんなかったが、凄かったな!」
彼はそう明るい顔で、小林の背後から横へ回り込んだ。
きっと、昨晩のゲームのことだろう。
米山の外見から見るに、夜遊びでも沢山しているように見えるが、意外とそう見えて昨晩はパソコンに張り付いて、ゲームをプレイしていたのだから、想像するとそれが奇妙な光景に思え、小林も表情が明るくなった。
「後少しで、あの女に殺されるところだったもんな。」
「そうだね、下手したら自分の首飛んでたね・・・。」
そんな昨晩の話を気軽に話し合うが、周囲の生徒からすれば、体躯の大きな生徒と不良のその会話は、どこか現実味を帯びて、周囲の生徒達をを怖がらせた。
「あの後どうなったか、米山君わかる?」
「なんで?」
「なんでって、自分気絶してたもの、わからないよ。」
「あ~なるほど。」
昨晩はあの槍が目の前に飛んできたあたりで、画面が暗転してしまったのだ。
何もそこまでリアルに再現する必要は無いと思うが、いきなり暗転した際に小林は思わず驚いて変な声を出し、隣部屋で寝ていた祖父を起こしてしまった。
祖父は己の孫が暗い画面を見ながら、一体何をしているのだろうかと不審に思ったが、多感な時期なのだから仕方ないと思い、特に何も言わず、そっと襖を閉めてあげた。
しかし、その醜態を祖父に見られた小林としては、弁解する暇もなく、襖を閉じられたわけなのだから、これは何かいらぬ誤解を与えてしまったと不安になった。
「卵さんだっけ?あのずんぐりむっくりが馬車まで運んでたぜ。」
「良かった。」
ホッと小林は胸を撫で下ろした。
井出さんは口や手は悪いが、仲間思いでよかったと思った。
とは言うものの、以前に森の中で面倒な獲物に追い回された際には、自分を一人おいて逃げていくこともあったような気もするのだが。
「あぁそれとなんかよく分からねぇが、あの女殺したら報酬が出たからさ、お前の懐にも多少入ってるはずだ。」
「本当?」
「嘘言ってどうする。結構な額だぞ。」
一応、昨晩あの店員が事の次第を説明したのだが、米山の耳にはろくに入っていなかった。
小林としてはどうして村でただ演奏していた詩人をロストさせて、報酬が貰えるのか疑問ではあったが、きっとあの血痕が付着していた衣服と、何か関係しているのだろうと直感した。
今まで井出さん程ではないが、場数も多く踏んでいるのだ。
一応それくらいのことはなんとなく小林にはわかる。
だが、その二人の会話がゲームの内容だとは露程も思いつかぬ周囲の生徒には、やはり何か二人が犯罪でも犯しているのではないかと、より一層不安を強くしつつ、彼らと距離をおいて登校していくのだった。




