70話 田中①
まず、井出が確認したかったことは、
今日はバイトのシフトが入っていたかどうかである。
正社員のように決まった休日は彼には存在しない。
勿論、今の不景気では、正社員でも休日はないであろうが。
昨日、コンビニで確認した記憶が正しければ、確かバイトは午後からだろう。
できるだけ一日中働いて時給を貰いたいが、
生憎、他のバイト仲間もそれなりにいるため、それは難しい。
ただ有り難いことに、午後からならば、まだじっくり休める。
一応、今日は土曜日だ。もう少し寝ていようかなどと、また井出は思ったが、ベッドから起きてしまったからには、もう体は眠れそうにもない。
仕方なく窓辺のカーテンを開き、仄かに暖かい日光を浴びる。
まるで日光によって消滅する吸血鬼の様に、
徐々に消えていく眠気を愛おしく思った。
先日の休みは吉沢に邪魔をされたが、流石に今日は何もないだろう。
半日とは言え体を休めてから、バイトに向かいたい。
だが、何かと邪魔は入るもので、今回は吉沢ではなかったが、
井出は朝食の準備をしている際に、五月蝿く鳴り出した携帯を思わず睨んだ。
携帯電話を開き、誰からなのか画面を見てみると、
そこには懐かしい名前が写っていた。
「久しぶりです。田中ですけど・・・」
電話口から男性特有の若干低い声が聞こえてくる。
田中だ。こんな時間に珍しいと井出が返すと、
急に休みができたと嬉しそうに答えた。
大学卒業後、一体なんの仕事をしているのかは知らないが、
ゲーム関係と本人は言っていたので、少しは『Lamia?』作成と運営の経験が役立ってはいるのだろう。
「急で悪いですけど、今日空いてますか?」
「あぁ・・・いや・・」
思わず井出は口ごもった。
空いているかと聞かれれば、午前は空いているのだが、
今日は午前だけでもゆっくり休みたかった。
なんでこうも自分が、ゆっくりしようとすると何処からか邪魔が入るのか、
考えると頭が痛くなる。
「午前だけなら大丈夫だけど、一体何の用だ?」
一応、大丈夫だと答えてやる自分のお人好しさが、時に嫌になる。
「別にそんな長い時間はとらせませんよ。今、井出さんのアパートの近くに来てますから、すぐ行きます。」
そう田中が早口に言うと、電話を切った。
電話口のすぐ横で、井出は少々困惑しながら、
田中がやってくる前に、せめて食事だけでも済ませておこうとしたが、
彼はちょうど井出がなんとか食べられそうなものを取り出したあたりで、
インターホンを鳴らしてやってきてしまった。
慌てて井出が玄関に向かい、ドアを開けると、
小綺麗なスーツを着て、お洒落な眼鏡をかけ、こんな安アパートには似合わない好青年が立っていた。
「お久しぶりです。」
田中は年上の井出に対して、まるで媚を売る上司に向かうように笑いかけた。
別に悪い間柄ではないが、ゲームのテストプレイヤーと製作チームの一員との関係であった筈ではなかったのかと、井出は少し彼の明るさに面を喰らいながら、
汚らしい我が部屋に招き入れた。
田中を座布団に座らせ、少し待ってもらい、朝食を素早く適当にこしらえると、
井出の部屋というのに嫌にくつろいでいる田中に向かい合い、井出も適当に座布団に腰を下ろして、朝食を食べ始めた。
無作法ではあるが、朝早くやってくる田中が悪いのだと井出は思った。
「最近どうですか?」
「どうって?」
朝食を食べる井出に田中は、ぼんやりと窓辺を見ながら聞いてきた。
少々汚らしい音を立て、食事を貪り食う井出を、見たくないらしい。
「仕事ですよ。」
「・・・そんなこと聞くためにわざわざ来たって言うのか?」
田中の言葉に井出は少し気分を悪くした。
できる限りその事については触れて欲しくなかった。
本来なら、親がそのような事をしつこく聞いてくるような気もするが、
かれこれ数カ月、仕送り以外の繋がりは無かった。
「・・ごめんなさい。ただ少し不安になったもので。大事なテストプレイヤーだから、勝手に死なれても困るわけですよ。」
と、田中は不機嫌な井出を見て、特に悪びれることもなく、
さらっと恐ろしいことを言った。
今度は食事をまだ食っている井出と向かい合った。
「なら、いっそなんか仕事のクチでもくれよ。」
「井出さんがパソコン関係詳しいなら、幾らでも紹介できますよ。」
「・・・それじゃあ無理だ。」
井出が食べるのを一旦止めて、皮肉そうに顔を少し引きつらせながら、
スプーンを彼に向けながら言うと、田中は少し微笑んだ。
「とにかく、用事ってのは『Lamia?』のこと。」
「テストプレイヤーのことか?」
「そうそう」
田中が頷くと、井出は食事を再開した。
4年前から田中に誘われて、テストプレイヤーを引き受けてはいるものの、
今まで彼から、明確に指示をされたことは一度もない。
普通ならきっと何かのプログラムのテストやら、ゲームの宣伝にでも使われるようなことだと当初は思っていたのだが、田中が当時の井出に唯一指示をしたことは『自由に動け』の一言だけだった。
当初、井出はその田中の指示に困惑したものだ。
しかし、彼が言うには、こちらから決められた指示通りばかり出すのでは、
こちらも面倒くさいので、自由度の高いゲームであるから、そのゲーム内において、井出がどのように行動するのかを見て、楽しみたいとの事だった。
そう言っていた田中自身も、例の騎士としてプレイしているので、
それなりのデータは採れたらしいが、どうしても井出のような傍若無人に振舞うようなキャラのデータも欲しかったらしい。
そして、井出は今までその田中の言葉に忠実に従ってきたわけだ。
「それで・・何か新しいことでもやるのかよ?」
食事がやっと終わり、田中を見ると、
彼はそれなりに真剣な顔になって井出を見ていた。
「・・そうです。本当に新しいことをやりますよ。」
彼は自慢げに胸を貼って
「そして、それを井出さん達にぶっ壊して欲しいわけです。」
なんだか訳のわからないことを言い放った。
月が綺麗な季節でございます。




