56話 詩人の村⑩
特にその相手が恐ろしい存在というわけでもないのだが、
その時二人の表情は、何か悪戯をしているところが親にばれてしまった時のような、不安と焦燥に駆られた子供達のようなものだった。
「あっ」
と思わずラヒムは間抜けな声を出して、宝箱の中身を手にしたまま、
路地裏の入り口に静かに立っている詩人と向かい合った。
横にいるニッキの舌打ちが聞こえてくる。
いや、正確には聞こえるというより、
その仕草を見たといった方が正しいだろう。
「…あっ、さっき演奏聞いてくれた人たちですね。」
詩人の女は顔を何故だか微笑みながら、
ゆっくりとこちらに歩いてくる。
どう見ても宝箱を漁っている盗賊風情の二人に対して、
彼女は優しく微笑んでこちらに向かってくるのが、
異様に怖かった。
普通にならば警戒するものだろう。
それか、一目散に逃げ出すかもしれない。
それなのに、彼女は赤い衣服を楽しそうに、
こちらに向かって歩いてくる。
何かラヒムの中で本能的なモノが危険を知らせている。
別にこれが初めてというわけじゃない。
以前は傭兵組合に所属していた彼にとって、
この感覚はつい先日だって森の中で味わったばかりだ。
そうだ、あのディンゴ面をした奴を初めて見た時と同じ感覚だと、
今、再認識した。
「どうも・・・。」
とラヒムとニッキの二人は間抜けにも、
開いたままの宝箱の前で挨拶をした。
そんなことしている場合ではないのだが、
つい、詩人の何気ない普通な雰囲気と仕草に流されてしまった。
「おい、逃げよう。これは不味いって。」
「あ、あぁ・・・。」
専用チャットでニッキが話しかけてくれたのが切っ掛けで、
その詩人が醸し出す暢気な空気から、現状の張りつめた感覚に引き戻され、
ラヒムはすぐさまその場を逃げ出そうと、身構えた。
だが、その時になってふと気付いた事があった。
あの詩人はどこからやってきたのだろうか。
自分たちと同じ方向から路地裏に入ってきたようだが、
とすると、先ほどまで全く意識していなかったが、
路地裏の入り口の方で必死に何が起きているのか見ようと、
背を伸ばして眺めようとしていた、ユエはどうしたのだろう。
そう思うと、ラヒムはすぐさま逃げようとして背を向けた、
詩人の方を振り返り、彼女の後ろに目をやった。
微笑を浮かべ、
静かにこちらにゆっくりと歩いてくる詩人の後ろには、
表通りが建築物に挟まれる形で見えたが、
その挟まれた隙間の下辺りに、
何か汚い水溜りの様なものが見えた。
それを見た瞬間、ラヒムの背中に悪寒が走った。
血だった。詩人の衣服よりどす黒く、
そして奇妙な光沢を帯びて光っている。
「本当に来ないな。」
「今晩はもう演奏しないんじゃないのか?」
木箱に長いこと座っていたものの、中々詩人が広場に来ないので、
徐々に卵は痺れを切らしてきた。
まさか、店員に騙されたのかもしれないと、
長い事待つうちに何度か脳裏を掠めたが、
それならば、罠なら罠にかけるとして、
いい加減何かしてきてもいいようなものだろう。
「じゃぁ明日にするか。俺そろそろ寝てぇよ。」
そう言うと卵は、
今までずっと握りしめていたクロスボウをやっと離し、
膝の上に置くと、疲れたように溜息をした。
「明日こなかったらどうするんだ?」
「いいよ。金でも返して、バストロク行こうぜ。」
シシャモが横から少々不安げに聞くが、
卵が事もなげにそう返答すると、
じゃあ仕方ないと納得したようで、
俺もログアウトしようかなどと欠伸を掻いた。
「しかし、峠と森で揉めなければ、もっと早めにバストロクへ行けたんだがな。」
とシシャモが集落からここまでの、
一連の出来事を思い出したのか、少々後悔したような溜息を洩らした。
確かに峠はともかくとして、関所を壊滅させた際、一日でも待っていてくれれば、
森賊の森など通らず、比較的安全な道を進むことができたのだ。
「仕方ねぇよ。おかげで報酬も増えたし、新しい依頼もできたわけだからな。」
「だとしてもさ、ここまでずっと戦闘続きとは思ってなかった。」
「好きだろ?戦闘。」
「馬鹿言え、それが嫌で集落で門番してたんだぞ。」
シシャモは槍の使い手として、大事な働きをしてもらってばっかりだが、
意外と本人は戦争主義者ではない。
甲冑を着込んだ敵に対して、関節部の隙間等を針で縫うように正確に突くことなど、そう簡単にできる芸当ではないのだが、
本人は今までそのことについて、自慢したこともなければ、
自分から喋ったこともない。
謙虚と言えば聞こえはいいが、
実際のところ何故戦闘が嫌なのかと聞いてみると、
操作に両手を使わざる負えなくなり、
煙草が吸えないからだと言っていた。
「・・・あれ、なんでしょうね?」
とそんな他愛のないチャットを続ける二人の横で、
バックスが突然立ち上がって、
広場へつながる路上を指差した。
先程まで彼はずっと黙っていたので、
突然立ち上がったものだから、
卵とシシャモの二人は素早く同時に立ち上がり、
その指差した方へ目を凝らした。
店員も客も誰もいないがらんとした露店のテントや、
その脇に積まれた中身が空の樽や木箱が見える。
別段何も異変が無いというのはおかしいが、
先ほど3人で何事も無く通り抜けた道だ。
だが、バックスが指差した方向へ良く目を凝らすと、
その隙間を縫うようにユエが這いながら、
こちらに向かってきているのが見えた。
しかし、何かがおかしい。
「ユエじゃないか。ラヒムの奴等はどうした?」
思わず卵は何故だか知らないが、
こちらに向かって這ってくるユエに手を振った。
だが、ユエはそれに対して答えることもできず、
こちらを見てとるとその場に蹲って、動かなくなった。
これは何かヤバイと突然不安になった3人は、
すぐさま蹲ったユエに慌てて駆けつけると、
近づいてから初めて分かったが、彼女の体からは血が出ていた。
どうやら何か鋭利な物でブスっと背後から刺されたらしい。
しかし、運が良かったのか傷口は急所を外れていて、
なんとか這って、その場から逃げだしてきたらしい。
プレイヤーに痛みがあるわけではないが、
相当な深手を負ったらしく、口を虚しくパクパクさせるだけで、
何を言おうとしているのかわからない。
何故そんなことになったのかはわからないが、
このままでは危ないとバックスが、
ポーチから素早く包帯などの応急処置に使う道具を取り出し、
彼女に対して手当てを始めた。
「どうした、何があった。」
とできる限り慎重に負傷したユエに聞いてみるが、
喋るにはもう少し時間がかかるらしく、
まだ口をパクパク動かしている。
「悪い予感が当たってしまったな。」
ユエに対して呼びかけ続ける卵の背後から、
シシャモの焦る声が聞こえた。
大体ユエも酷い目にあう。




