36話 まだ森の中
そのあとは特にこれといったこともなく、
ろくでもない休日の締めくくりとして井出はPCの電源を点けた。
食事は吉沢と別れたあとに適当な定食屋で済ませ、
風呂もさっと入ってさっと出た。
今晩は面倒事が多いので出来るだけ多くプレイする時間を確保した。
そして、例の魔術師へと連絡を取らなければならないことを思うと何故だか気が重くなる。
しかし、そうでもしなければ森の中でまた騎士共に出くわすかもしれない。
ここのところずっと戦闘ばかりで井出は少々疲れていた。
キーを叩くだけなのにそこまで疲れるものかと思われるかもしれないが、
それなりに集中力の必要な作業であるため、しばらくは物騒なことは控えたかった。
まるでちょっとした女神のように井出は画面に映る蛇女に 今晩は無事に済むように
と心の中で祈り、ログインの文字へカーソルを合わせクリックする。
だが、その際に一層光る蛇女のシルエットは、
井出を嘲笑うかのように鮮やかに光った。
卵はまだ森の中にいた。
つい先日まで追い剥ぎに勤しんでいた、あの森とここは似ているようで全く違う。
前の森は背の高い木ばかりであったが、
ここの森の木は以前の森より若干背が低く、
葉がとても多い。だからこそ森賊が潜みやすく、待ち伏せがしやすい。
今のところは運がいいことにまだ出くわしていないが、
いつ襲われるかわかったものじゃない。
井出が画面から目を離して、目覚まし時計に目をやると時間はまだ夜の7時で、
まだラヒム達がログインしてくるのにはまだだいぶ時間がある。
今のうちに例の魔術師に連絡したほうがいいと、
井出は専用チャット欄を開くと、宛先に例の珍妙な名前を打った。
文面はどうしたものかと少し考え込んだが、何も他人というわけでもないのだから、
適当な挨拶と単刀直入な文章を打って送信した。
返信が来るまでの間、卵は何か軽く物を腹に入れたほうがいいと、
腰に付けたポーチの中をまさぐったが、
中にあるのはこの前集落で補充した乾パンだけだった。
何処かで水でも飲んだほうがいいなと思いながらも、
口に乾きを与える乾パンを食べる。
ここのところはずっとこの様な物で飢えを凌いでいる。
本当なら先日に森を出て集落に行った時に少しは良いモノを食べる予定だったのだが、
報酬の金がそれを忘れさせてしまった。
ゲームでは食事を一定時間内に取らなければ、
餓死でロストする場合もあるとは前に説明したが、
食べる量によってはその時間をそれなりに長くすることができる。
だが、それは栄養が整っていると言えばいいのか、金のかかる場合が多い。
長距離を移動していて尚且つ路銀を節約したい卵達には縁遠い話だった。
しかし、本当に喉が渇く。
乾パンは間違いだったかもしれない。
だが、香辛料の効いた干し肉だったならもっと酷かった事だろう。
極力移動は控えたかったが、水筒の水もとっくの昔に尽きていたので、
卵は甲冑姿でよろよろと立ち上がり、水を求めて何処かに川はないかと歩きだした。
森の中は陽の光がそこまで入らないため涼しかったが、
甲冑を着込んでいればそんなこと関係なしに暑かった。
卵は喉の渇きを少しでも癒せるものはないかと辺りを見回す。
ログインした場所からどれだけ離れたかはわからないが、
専用チャットを飛ばせば幾らか離れていても多分問題ないだろう。
耳を澄ましてみても水の和流が聞こえてくるわけでもなく、
卵は残念そうにログインした場所に戻ることにした。
水はラヒムにでも分けてもらうことにした。
『久しぶりっ☆』
いきなりチャット欄に目に痛いぐらいの色文字が表示された。
少々暗い森の中に慣れていた井出の目には刺激が強く、思わず瞬きするぐらいだった。
どうやら、例の魔術師である「サンマ」のようだ。
通り名は痛々しいので思い出したくなかった。
「あぁ どうも」
そこからはできる限り当たり障りのない返答を森の中で繰り返すことになった。
サンマが助けてくれなければ危ない森をまだ彷徨う羽目になってしまう、
できる限り相手の気分を害さないようにしたかった。
しばらくゲームにログインしてこなかったかと思えば、
つい最近に全く以前のキャラとは似ても似つかないような容姿で転生をして、
ブログまで始めたのだから一体何があったのだろう。
そこについて細かく聞きたい気もしたが、
何か都合の悪いことだったらサンマの気分を害す危険があったので聞かないことにした。
『なぁに?困ってるんだってぇ?』
なんだか声が聞こえてくるわけではないのだが、
もし聞こえたとしたらすごい耳障りだろうなと、
思わせるような文章がまた表示された。
以前は普通に会話できる奴だった気がするが、
人間ってのは意外と些細なことで、
簡単に変わってしまうものなのかもしれない。
「あぁ、森から早く抜け出したくてよ。勿論金は払う」
『幾らぁ?』
そこを聞かれると参ってしまう、一体どれぐらいの額を出せばいいのだろうか。
今まで転移魔法を使ってもらったことはないし、魔術の行使自体に金を払ったこともない。
一人分の報酬が丸々取られてしまうと聞いたが、それほど高いものなのか。
「まぁそうだなぁ・・」
とは言っても今の卵が持っている金といえば、
前払いの銀貨が詰まった袋がひとつだけであり、
となればラヒム等の分も必要になるだろう。
どうしたものかと言葉に困った卵はしばらく黙り込んでしまったが、
『・・別に後払いでもいいよぉ☆』
語尾に星をつけた割には何処か暗い雰囲気の文が表示された。
先払いでなくて助かったのだが、
やはり割引はしてくれいないのかと卵は少し複雑な気分になる。
「じゃぁ急でわるいが、すぐに来てくれるか?」
『いいよー☆』
と明かるく返事が返ってきて、卵はホッとした。
では早速詳しい場所を入力してサンマに伝えなければいけない。
どの辺りに自分がいるのかを知りたい時は地図を使えばいい。
このゲームの世界は無駄にだだっ広く、とてもじゃないが記憶できる代物じゃない。
地図専門の組合があるってわけではないが、
大きい街などに行くと露店で旅人から聞いた情報を集約して、
書かれたものが出回っている。
中には嘘八百を並べた胡散臭い代物もあるが、
見る程度には楽しく想像を掻き立てられる。
だが、長い道のりを行く旅人には正確な地図が必要であり、
それはラヒムの献上金の為に遥か遠くの追い剥ぎ組合の本拠地へ向かうのにも欠かせない。
卵はもうどこで買ったのかは覚えていなかったが、
ポーチから汚く折りたたまれた紙を取り出して、地面に広げた。
広げてもさほど大きい紙にはならず書かれている情報は多くはないが、
必要最低限のもので十分だ。
紙にはマスで区切られた『Lamia?』の地図が広がりっている。
紙の隅にはマス事に記号で分けられ、どこにいるのか表す際によく使われる。
卵は篭手のせいで細かい記号を指でたどるのが少し苦戦したが、
なんとか己の現在地がわかると早速チャットに打ち込もうとする
「すまんな えーと場所はだな・・・」
『おーい』
だが急にチャットを遮るようにサンマの文が出てくる。
「なんだよ 今調べてるとこ・・」
『おーいってば』
しつこく文が表示され文が遮られるので、少々いらついてくる。
最近戦闘続きでイラついてたのかもしれない。先程あんなに気を使ったのに、
つい
「なんだよ!こちとら場所調べて・・」
『前見ろ 前』
語気を荒くして、怒鳴ろうとすると、
急に目の前にあった地図の前に誰かが立っている。
思わず反射的に甲冑を身につけていた割には素早く卵は飛び退いた。
「久しぶりぃ~☆」
どこか間の抜けた声が響いて、少々驚いた卵の前には、
ファミレスで吉沢に見せてもらったブログの写真と全く同じような服装で立っている。
サンマが立っていた。
黒い髪を腰まで伸ばしそれを二つに後ろで束ねて、
薄い緑色のローブを着ている。
ローブの周りには様々な物で詰まってパンパンに膨らんだポーチが至るところにあり、
それはこのサンマが姿を変えても熱心に魔術の研究に勤しんでいる事を表していた。
麦茶が美味しい季節です




