29話 再ブルドッグ
近くで無理やり見せられる騎士の姿は気味が悪く、光もろくに差し込まない森の中での暗さがより一層大柄な騎士の姿を不気味なものにしていた。
ディンゴを模したその甲の奥から見える赤い目はラヒムを全く興味がないように冷たく光っていて、掴む力はとても強く抜けられそうになかった。
必死に蹴りや突きを繰り出して抜け出そうとするが、それも全て無駄に宙を舞うだけだった。そんなラヒムの無駄な足掻きを見ていて楽しいのか、騎士は足掻きが届かない程度に腕を伸ばして彼の必死さを甲の奥からくぐもった笑い声で嘲笑っている。
ラヒム自身はいつ騎士が己に長剣を振るのか考えると恐怖心で一杯になり、必死に腕に掴まれながら小さな体を激しく動かす。
「無駄な事をやめろよ 追い剥ぎ風情が」
騎士は笑うのをやめ、すっとラヒムに顔と長剣の切っ先を近づけた。
今こそ近づいた甲に一発蹴りでもお見舞いしてやろうかと彼は思ったが、まるでとても大きな犬が目の前で唸っているような精巧な甲は相手に畏怖の念を与える作用があるらしく、
彼の体は突然動かなくなってしまった。
「待てよ・・お前 何処かで見た気がするぞ」
突然、騎士はラヒムの顔をずっと覗き込んだ。赤い瞳が初めてラヒムを見据え、赤い宝石の様な瞳はまた彼の動きを封じる作用があった。
「あぁ・・そうだ グレンの奴がロストする前に見たやつだ・・」
何かブツブツと騎士は呟きだしたが、恐怖によって硬直したラヒムの耳には相手が何を言っているのか全くわからない。
そんなラヒムをよそに騎士はブツブツとつぶやき続けている
「となると・・巫女攫いのお仲間ってところか・・・」
そして何やらずっと続けていた独り言をやめると、騎士は少し考え込むような仕草をして何か言おうとしたが、その前に突然気付いたような声で
「・・・・? お前 俺の食べ残しをどこにやった?」
食べ残しとはリビの事だろうかとラヒムはまだ意識が恐怖でぼんやりとする中思い、騎士はとても無念そうに唸り声を漏らした。
騎士に見つかった時は必死に抵抗して、彼女のことは全く意識していなかった。
そんなこと自分に聞かれても困るとラヒムは狼狽えたが、騎士は話を聞こうとしない。
思わずラヒムは掴まれながらも辺りを見回すと、隠れていた茂みから、数十歩先に片腕を抑えながら身を低くして逃げるリビを見つけた。
思わず指を指して騎士に場所を教えてやれば助かるかと思って指を指そうとしたがその前に、
彼女は捕まったラヒムには目もくれず一目散に森の中へ消えていった。
「・・囮だったっていうのか、畜生」
騎士はラヒムに対して悪態をつくが、たかだか二人の動きぐらい把握できないお前が悪いと言ってやりたくなるほど、この騎士はさほど頭がいい方ではないとラヒムは思った。
「女なんて滅多にありつけないって言うのによぉ・・・」
恨めしく騎士は赤い瞳を憎悪で燃やして、ラヒムを睨みつける。
ラヒムを掴んでいた腕の力はさらに強くなり、徐々に皮膚に指が食い込むのではないかと思うような痛みが走り始めた。
「お前のせいだ・・お前の・・男は食べねぇが・・この際仕方ねぇ・・」
そう言うと騎士は長剣を一旦地面に突き刺し、片手を甲の口に当たる部位に手を伸ばし甲の留め具に手をかけた。
マスクの様になっているその甲の口の部位は奇妙な作りで、幾重にも薄い装甲版が張られ、それをいちいち留め具を外しながら装甲を剥がしていく。
一体何が始まるのかとラヒムは騎士の口へと目をやった。
薄く口を覆っていた装甲板には一枚一枚に何か奇妙な文字が刻まれていて、魔術の覚えが全くないラヒムにはそれが何を示す文字なのか全く見当がつかなかったが、それでもその冗長な行為に何か意味があると思うとまた怖くなってきた。
「おい、待てよ」
同じ言葉を数分前に打った気がするが、状況は変わっていないので別に構わないだろう。
卵は一応親切心で戻ってきたシシャモと再びラヒムのあとを追って走っていたが、やはりキャラの造形の問題でもあるのか、背が高くて足も細く長いシシャモに対して卵はそれの真逆のキャラの作りをしているせいか、またすぐ距離が空いてしまった。
距離が空くたびにいちいちシシャモは立ち止まって卵が追いつくのを待ってくれるが、井出にはそれが寧ろ己のキャラの鈍重さを物語っているようでとても情けなくなってくる。
「待っているじゃないか 卵が遅すぎるんだよ。 これじゃぁ一生あのチビに追いつけない」
立ち止まって卵を皮肉たっぷりに見下ろすシシャモを少し憎たらしげに見上げながら、卵は息を切らしていた。
「・・・今度ロストしたときはもうちょっと細くしないと駄目かもな」
息を整えながら膝に手をついてしゃがみ込みながら卵が呟くと
「卵はそう言ってロストしたらまた同じキャラにするんだろ?知ってるぜ」
長い付き合いのせいでプレイの仕方はお互い大体わかりきってしまっているせいか、今はそれが仇になった。
「お前って本当はブサ・・・」
シシャモの言ったことに何も言い返せず唸る卵を、満足そうに見下ろしもう一つおまけに何か言おうとしたシシャモだったが、急に文字を打つのをやめ、今の愉快そうな表情はどこに消えたのかと思わせるくらいに冷静な顔になり
「・・・おい、獲物だぞ」
と身を低くして遠くを指差した。咄嗟に卵もシシャモに合わせて身を低くし指差した方に目をやった。
「お前・・肉も少なそうなんだよな・・本当に困る・・」
目の前の騎士は残念そうにまた一枚装甲板を外して、その場に捨てた。
一体これから何をしようとしているのか全くラヒムには見当がつかないが、逆に理解できないからこそ恐怖が存在するのであって、彼は今まさにその理解できない恐怖を味わっていた。
「まぁ食物に文句いっちゃぁ・・いけねぇよなぁ・・チワワの奴が怒るしよぉ・・」
そう言うやいなや騎士はラヒムを片手で掴んだまま、甲の口へと近づけ始めた。
何か本能的に危機を感じたラヒムは必死に暴れて抜け出そうとするが、掴む力は弱まるどころか逆に徐々に強くなり、皮膚を剥ぐのではないかとラヒムは悲鳴を上げる。
そんなラヒムの悲鳴を意に返さずに、騎士は最期の装甲板に手をかけた。
思わず彼はギュッと目をつむって、長いようで短かったゲーム人生に別れを告げるような気分になった。
ラヒムの中で走馬灯のようにゲーム内での思い出がフラッシュバックする。
一番は卵と過ごした期間が長いので、彼が出てくるものかと思ったが走馬灯に映るのはユエばかりで卵は一切登場しなかった。
「それじゃぁ・・いただ・・」
残酷な騎士の声がラヒムの走馬灯を打ち消して鼓膜に響くとき、それをまた鋭い音で何かが掻き消した。
中々恐怖の根源が自分を襲わないので恐る恐るラヒムは目を開くと、
騎士の甲の口に矢が深々と突き刺さっている。
騎士は痛みにうめき声を上げて、矢が飛んできた方向を睨むと今までの畏怖の塊はどこに消えたのか、酷く狼狽えた声で
「・・・・っ・・さっき殺した筈・・」
思わず装甲板にかけた手でその方向を指差し、ラヒムもその指さされた方へ体を捻ると、数十歩先に矢が放たれたクロスボウを手にした、大きな『ブルドッグ』の甲冑を着込んだ卵が立っていた。
「・・お前に殺された覚えはないよ」
張り詰めた空気の中で気の抜けた声が響いた
梅雨が終わりそうにありません




